神聖なる蹄

 虫の声も風の音も一切無い、静謐の夜。普段夜を共に過ごすデイビットは此処には居ない。
 今宵は独りで過ごす筈だった。
 彼は定期的に留守にする事があり、少し前には1週間程度戻ってこないこともあった。今回もその位になると言い残して出て行ったので暫くは顔を合わせずに済むのだろう。
 私にとって、彼の不在はこの地獄での束の間の安寧だった。普段は彼の一挙一動に怯え凌辱に費やす夜も、1人の間は摩耗した精神の休息に専念できる。
 カルデアと合流した場合に備えた情報収集も調査対象の彼が居なくては何も進まず、ましてやこんな夜更けの外出はこのミクトランにおいては自殺に等しい。石室には娯楽もなく、目的の無い私は就寝の為に蝋燭を吹き消すべくベッドから立ち上がった。
 融けた蝋はちろちろと燃え、時折小さく音を立てる。吹き消してしまおうと燭台を抑え、仄かな光源に顔を近付けた刹那、突然冷たい風が吹き込み、小さな暗い入口からの風は床の土埃を巻き上げ、部屋の四隅に設えた蝋燭をいとも容易く吹き消した。明らかな異常事態に胸が騒ぐが、意思に反して身体は硬直し、視線は縫い止められていた。
 男は、煙と共に現れた。地を這う闇と冷気をコンバットブーツで蹴り裂きながら無遠慮に歩み入る男は、色の無い唇に紫煙を咥え切長の瞼に収まる青瞳は濃いレンズの内側で冷ややかに此方を見つめた。
 その視線は、獲物を前にした獣のような獰猛さではなく、むしろ絵画や映画を鑑賞するような静かな熱を帯びていた。その視線が酷く異様で、全身が粟立ち背筋にひやりとした汗が伝う。
 不健康なほど生白い肌と流れる金の長髪が蝋の尽きかけた灯にちかちかと輝く。
 直感した。これは神なのだ。サーヴァントか異聞帯の王かなどはどうでも良い。紛れもない神の威光。そして鼻腔に張り付く濃密な死の匂いに、何も言葉を発してはいけないと、本能が叫んでいる。
 
「確かに、デイビットの番(つがい)には丁度いいな。わざわざ“作り変えた”だけの事はある」

 低い声は忌々しげに、それでいて愉悦を孕んだ声音で呟く。私はその言葉に弾かれたように目線を下ろし石造りの床に顔を伏せた。
 男が自身を認識している。男の言う「デイビットの番」は間違いなく私の事だ。名前を私と知りこの石室を訪れた。その事実はこの身を震え上がらせるには十分だった。
 この男は確実に私に危害を加えに来たのだ。いつ命を掠め取られても可笑しくない状況に、ただの人間である私はとても耐えられなかった。咄嗟に距離を取ろうと愚かにも一歩退いた刹那、前身の力が抜け落ち両の膝という支えを失った体勢は大きく崩れ、ちょうど傍にしつらえられていた小さな棚に顔面を強打した。衝撃はすさまじく、咄嗟に鼻を押さえたが、根源的な恐怖の前ではその痛みは些事だった。
 
「オイオイ、何を慌ててんだ?」

 神は蹲って流れ出る血を抑え込む女を嘲笑う。重々しいコンバットブーツが床を踏み、砂が鳴る。
 大粒の血の雫はぼたぼたと落ち、絶望する私の衣服と鼻を押さえる手を汚した。
 視界の上方にちらつく何かが男の手だと理解に至るまでに数秒を要した。男が此方に手を差し伸べていたのだ。
 取りたくはなかったが、何が彼の逆鱗に触れるか分からない。血を失い痛みで朦朧とする頭を必死に回し、おずおずと重ねたその手は痛みを伴う程に強く握られた。半ば強制的に上げられた瞳を男の青が捕らえる。冷ややかな美しさを湛えた顔(かんばせ)が迫り息がかかりそうな距離まで近付いたかと思えば、男は私の顎を引き上げ、その薄桃色の舌をもって彼女の血塗れた鼻ごと血を舐った。
 
「味は悪くない」

 唇に携えた赤を舐めとりながら紡いだ声は低く、甘く耳殻を揺らす。その声は恐怖を煽りながらも心を蝕んでいくような不気味な魅力を放っていた。喉が何かを絞り出そうとしても漏れ出すのは奇妙な鳴き声のみで、身体は恐怖で強張り身じろぎすら躊躇する。男は手元で燻らせていた煙草を一吸いして、短くなったそれを床へ無造作に投げ捨てた。私の頬の輪郭を紫煙の香りが残る指がなぞる。指先は氷のように冷えていた。
 男の指は何度か頬を滑り、次第に喉、胸元へと降りて夜着の釦へと触れた。釦が外れた箇所から布が捲れ薄白い肌を露わにしていく。早鐘を打つ心臓を包む乳房に冷たい指が触れたかと思うと、男は硬直する私を抱き上げベッドへと放り投げた。メダイのペンダントのみを身に着けた裸体をゆっくりと見下ろすその瞳には欲望の色が濃く浮かんでいたが、それは情欲ではなく好奇の色に見える。
 男は、無防備に晒された私の下腹部を、舐るような執拗視線で眺め、怯える私へ自慰を強要した。デイビットでも要求しなかった辱しめは予想していなかった。
 私に選択権はない。男が凡そ私を人とは見なしておらず何か気に障る事があればすぐにでも私を処分するつもりであろう事が、その冷徹な瞳から伺える。逆らえば、殺されるのだ。
 ぴたりと閉じていた膝を怖ず怖ずと開き、股座の中心へと震える指を潜らせる。驚いた事に、蜜壺は緊張と恐怖で支配された脳などお構い無しに浅ましく蜜を垂らして刺激を待ち構えていた。中指で蜜を絡め取り上方に突出した陰核に擦り付ける。ぬらぬらとした皮膚が粘膜を滑る度に陰核は甘く痺れ、爪先に力が入る。私はとうとう懇願した。

「お……ゆるし、くださ、い」
「自分が良いとこばっか触ってんじゃねえ。何の為に触らせてんのか分かってるか?」
「もう、ゆるして……おゆるしください……」
「んー?なら……イくの我慢したら赦してやるよ」
 
 罪も無いのに許しを乞う私の悲嘆に一切耳を貸さず軽薄な笑みを見せ、男は悪魔のような提案をした。
 涙を流して懇願すれば、男は更に興が乗った様に笑み、とうにぐずぐずと蕩け出していた膣に指を突き立て最も奥深くへと指を推し進めた。突き立てられた指は、私の口から悲鳴が漏れ出すよりも早く甘やかな快楽を齎す。快感に耐え忍ぶ様が愉快なのか、男は恍惚とした表情でさらに深く孔への凌辱を始めた。指はずるりと粘膜を探り、隈無く犯す。恐怖と快感が入り混じった激しい感覚に襲われ意識が朦朧としていく。長い指が肉壁を解し、膣の中は圧迫感を楽しむ様にきつく指を締め上げる。私はただ、男の動きに身を任せるしかなかった。下品な水音が耳に入る度、私は何故かカルデアを思っていた。カルデアに着任した時のこと。事故で亡くなったスタッフのこと。生き残り、異聞帯を旅した仲間のこと。藤丸立香という少年のこと。全ての事象をどう組み立てても現状に繋がらない。繋がらないのに実際私はこうして辱めを受けている。

「デイビットに礼をしないとな」

 耳を舐る熱を含んだ湿った呼気には愉悦が滲んでいた。
 ああ、そうか。
 今まで一度として私を認識しなかったこの男が、デイビットのいない今夜に突然現れた理由。私に神が宿っていることを知っている理由。私が性奴隷のような扱いを受けている理由。
 この強姦はデイビットが企てた事なのだ。手酷く抱き潰し、化物に作り変えるだけでは飽き足らず、己のサーヴァントを利用してまで私の精神を蹂躙したいのか。私の“人”としての存在価値はそこまで矮小なのだろうか。
  
「あ゛ァッ、っあぅッ、」
「おーおー、露撒き散らしてイッちまったな」

 嘲る様にわざと声に出して私に聞かせて羞恥を煽る。息を切らせて涙を流す私になど構わず、しとどに濡れた股座につるりとした熱い物が擦り付けられた。それが男の陰茎であると理解するのに数秒を要した。

「やっ、え……ッなんで!やだ!やだ、」
「我慢したら赦す。出来なかったら続ける。約束しただろ。な?人間なんざそう抱かないが、ここまで神に近い人間を、食っとかない理由はないよな」
 
 熱が蜜壺に挿し込まれる頃には私の身体は完全に快楽に身を落としていた。
 男の行為はただの欲望の発露ではなく、胎内に宿る神の存在を弄ぶような、一種の遊びに近いものだった。
 そして私の神も、新しい“肉”の味に歓喜し、享楽に耽っている。 
 男は私の苦痛を音楽でも聴くかの様に、嬌声と苦悶の混ざり合う叫びを恍惚とした表情を浮かべて楽しんでいる。

「此処に居るのか。なに、心配するな。すぐ“楽しく”なる」
「おゆるじっ…ぐださ、ッ……いや゛ァ゛っ、ゅ゛るじて゛っ、」
「ははっ、!そんなに鳴くなよ」
「ゆるじてぇ゛、っ……たすけて、」
 
 口では、頭では、今すぐにでも解放してほしいと叫びながら、私の胎と邪神は絶え間なく与えられる快感を享受し、私の舌を突き出して男を求めた。男はそれを見透かしているのか嘲笑混じりに私を穿つ。

「お前に救いはない。少なくとも、ミクトランにはな」

 行為の最中、私は自分の体が自分の物ではないように感じた。私の中で脈打つ私のものではない生命。それは私の身体を内側から蝕み、精神を破壊していく。自分が何者なのか、自分がどこにいるのか、生きているのか死んでいるのかさえ分からなくなっていた。
  
 陵辱は3日間に及んだ。男の腕の中で過ごしたひと時は終わりの無い悪夢のようだった。
 抱かれ続ける間、僅かな食物と戯れに口移しで飲まされた少量の水のみで生き延びた私は、血糖値が下がり脱水を起こし、喉も潰れてまともな返事ができないままベッドに横たわっている。 
 傍らに腰掛け、紫煙とプルケを嗜んでいた神は、泣き腫らした重い瞼を上下させ可能な限りの反応を見せる私を見て満足した。
 身体は汗と精液、鼻血や唾液が乾燥し、酷い有り様だ。顔を見ていないが、打った鼻は熱を持ち、恐らく腫れている。彼の笑みは、醜くもかろうじて命を繋いでいる下等な生き物を慈しんでいるようにも見えた。
 酸素も水分も足りない。私は満身創痍のまま死んでしまうのかもしれない。そう思ってもこの地獄から解放されるのなら、と考えれば恐怖はなかった。 

「不思議なもんだ。ここまで“味”が滲み出ていながら力の片鱗すら見せない」
 
 男は杯を放り、煙草を挟む指とは反対の手で、私の胸元に光るメダイに触れた。
 すっかり汚れた衣服を脱ぎ捨てた肉体にはしっかりと筋肉が乗っている。一切の脂肪が排除された無駄のない、デイビットとはまた違った肉食獣のような体躯だ。
 メダイを弄んでいた手は喉を捉え、石室に足を踏み入れた時と寸分違わぬ美しさを保った顔が迫る。金の帳が降り、青が私の瞳を絡め取った。煙草に混じってあの男とは違う肌の匂いがする。瞼を下ろすことは許されない。
 鼻が触れ男の薄い唇がひび割れた私の唇を食む。男の舌は甘い。ぬるい肉が上顎と舌を擦る。粘質の水音が鼓膜を揺らす。
 くぐもった喘ぎが漏れ深く呼気を交わし続ける事に夢中になっていた私を尻目に、神はふと動きを止めたかと思うと、上体を起こして呆気無く私から離れ、入口に視線を向けた。

「随分早いお出ましだ」 
「これは……何のつもりだ」

 神に応えたのは、調査を終えて帰還したデイビットだった。
 男に向ける眼差しは無感情で無関心な冷ややかな物で、心の内が何一つとして読めず傍から見た私にも酷く恐ろしい。
 
「少しばかり、味見させてもらった」
「彼女には近付くなと警告した筈だが」
「従うかは俺が決める。強制したきゃ令呪でも使うんだな」
 
 デイビットが初めて此方へ視線を向けた。紫の瞳。波紋には森の雨宿りで見せた色を孕んでいる。
 ベッドサイドに寄り、投げ出された私の腕を取ったのは恐らく脈を測る為なのだろう。
 令呪の刻まれた手で涙で目元に張り付いた髪の毛を剥がし、腫れた鼻にそっと触れた。鋭い痛みが走り咄嗟に強く瞼を閉じれば、彼はすぐ様鼻から手を離し、醜く乱れているであろう髪の毛を、慰めるように慎重な手つきで何度か撫でつけた。
 
「うまく育てたもんだ。神の力は感じないが、そもそも器としての具合が良い」
「……黙れ」
「とは言え只の女だ。お前がわざわざ作り変える必要は無かっただろ?取るに足らない消耗品の為に身を削るなんてのはお前らしく無い」
「……テスカトリポカ」
「オレが知ってるデイビット・ゼム・ヴォイドは合理的なマキャベリストだった筈だが、」
「テスカトリポカ」

 男の饒舌な弁を遮る、抑揚のない声音と温度のない視線。薄く開いた瞼の隙間から覗き見たのは彼は平時と何一つ変わらない筈であるのに本能が警鐘を鳴らす。
 脳に綺羅星が当たるような金属音が鳴り響き、彼が接している部分からベッドに闇が広がった。深海から浮上するごとく幾つかの影が湧き上がり、テスカトリポカと呼ばれた男を飲み込まんと影が石室一杯に広まる。
 その影がテスカトリポカの髪の端を掴んだ瞬間に、テスカトリポカは深く溜息を吐き両手を上げた。その顔には焦燥が滲んで見えた。
 
「分かった分かった、干渉しすぎたな。こいつはオレには関係ない、お前の領分の話だ」
「次は無い」
 
 男は、床に捨てられた自身の衣服を掴むと、私には一切目もくれず石室を後にした。
 デイビットは男の姿が完全に消えた事を認め、私の頭の下に手を差し込み、少し持ち上げてから水の入ったカップを口元へ充てがった。唇を開いて水を含もうとするが憔悴しきった私は上手く含めず、溢れた水が顎と喉をしとどに濡らす。小さく舌を出して水を舐めるだけの私に痺れをきらしたのか、彼は私に自力で飲ませる事を諦め、自身の口に水を含み私に深く口付けた。粘膜を介した水は恐らく生温い筈であるのに、人生の中で一番冷たく、美味だと感じた。 
 あの神の強姦はデイビットの指示によるものである筈だ。であるのに、デイビットの憐れみや罪悪と後悔の念を滲ませる言葉、そして何より神への怒りに似た激情とこの労りが回らない頭を更に混乱させる。
 僅かに顔を背けると、デイビットは私の唇をひと舐めして離れていった。細く息を吐く。目が回り出す。朦朧とする意識の中で、湿った私の唇からは縋るように弱々しくデイビットの名前が溢れていた。

「……すまなかった」
 
 顔色1つ変えずに放たれた謝罪の言葉。しかし壊れ物を扱うように丁重に私の汚れた顔を包む掌が酷く温かくて、私はとうとう何も考えられなくなってしまった。