処分

 掃除を終えて春千夜の背にしがみつきバイト先へ向かい、溜息をつきながら着替えてホールへ立つ代わり映えのない毎日。
 少し変わった事と言えば春千夜が私の終わりの時間を聞いてこなかった事くらいで、今日もまたあの男は異臭と共に馴染みの席に着きベルひとつで私を呼びつけ彼此一時間近く講釈を垂れ続けている。
 なんでも今日は私の容姿が気に食わないらしいが二日前と全く同じ服を着ている人間にどうこう言われる見た目はしていない筈だ。

「名前ちゃん、もしかして化粧してる?オシャレもいいけど此処は職場でレストランでしょ?」
「はは…リップだけですけど」
「制服のスカートも短くしてるよね。もしかして欲求不満?」
「はは、」
「スカートといえばここの制服もどうかと思うんだよねぇ。スカートが長すぎて埃が舞っちゃいそうでさぁ。もっとこのくらいまで、」

 人の服装よりも鏡を見ろ、と喉元まで出かかっている私のスカートに男の手が伸びる。自分に対して行われようとしている行為に頭が真っ白になり身体が硬直してしまったが話の流れからして自分の理想の長さまで持ち上げるつもりなのだろう。この男にスカートを捲られるなんて流石に耐えられない。あまりの嫌悪で頭に血が上り咄嗟に伝票を振り上げて男の手を叩き落とそうとした瞬間、持ち上げられた奴の手がぴたりと止まり我に返った。
 横から伸びる白い袖の手が男の手を掴んでおり、その人物は男から私の姿を隠す様に割って入る。視界に揺れるさらさらとした色素の薄い長い髪の毛と鼻腔に入り込むこの匂いを私は良く知っていた。

「殺すぞ、テメェ」

 気怠げだが明らかな軽蔑と敵意の籠った威圧的なその声は、ここに居る筈の無い春千夜のものだった。
 すっかり怖気付いた男は着席しながら怯えた顔で春千夜を見上げ申し訳程度の抵抗を示す。

「な、なに…何だよ、離せっ」
「汚ェ手で名前ちゃんのスカート捲ろうとしてたろ」
「言い掛かりはやめてくれ…!私はただ、糸が付いてたから取ってやろうと」
「馬鹿かテメェ。会話の流れからして完全にスカート捲ろうとしてたじゃねーか。ツラ貸せよ。外で話そうぜ」
「盗み聞きなんてっ!し、失礼だぞ…」

 白い特攻服に萎縮しつつも下に見ている私の前では虚勢を張りたいのだろうか、男はなけなしの勇気を振り絞って腕を掴まれたまま勢いよく席を立ち、春千夜を見上げて唾を飛ばしながら割合大きな声を上げるも威勢が良かったのは出だしだけで飛び出した言葉は尻窄みになってしまって殊更惨めに見えてしまう。
 はやく謝ればいいのに、とは思いつつも腕を振り払おうと抵抗しながらこちらに助けを乞う眼差しを向ける男が何とも哀れで滑稽で、気味良い見せ物を見ている感覚に陥った。
 離せと嫌々しても春千夜の手は離れない。春千夜はその小さな抵抗を冷徹に見下ろしていたが次第に鬱陶しくなったのか、手を離して今度は胸倉を掴んで男の顔面に頭突きを喰らわせた。

「息が臭ェよクソジジィ。来いっつったら黙って来い」

 座席に座り込み鼻や口からぼたぼたと血を流し呻く男にそう吐き捨て、くたびれたシャツの襟をリードの如く強く引き男を出口まで引き摺っていく。
 依然として私に向いたままである黄ばんだ白眼に囲まれた瞳には、私に説教をしていた時とは一転して恐怖の色しか映っていない。
 出口の前で歩みを止め、ふと此方へ顔を向けた春千夜は私に片目を瞑って見せた後で私の後方へと声を張り上げた。

「なァ、ココ。これから生ゴミ処理して帰っから名前ちゃんの事頼むわ」

 春千夜が視線を向けた方向を見やれば、彼と同じ特攻服を着た同い年くらいの男が呆れ顔でボックス席に腰掛けてアイスティーを啜っていた。彼はココと言うらしい。

「…あんまやり過ぎんなよ」
「それはコイツ次第だろ!な、オッサン」
「駄目、春千夜」
「はァ?なんで」

 彼の手が扉を押し開けたと同時に鳴った来店のベルの音で途端に我に返り声を上げれば、春千夜は怪訝な顔を此方に向けて低く問う。男はというと私が自分を助けようとしていると勘違いしたのか、希望に満ちた面持ちで私を見ていたが勿論助ける気は毛頭無い。しかしゴミが痛い目を見ているという爽快感で見失いかけていたがこの問題に春千夜を関与させるわけにはいかない理由があるのだ。

「何で?」
「だって、もしそいつが警察行ったら」
「名前ちゃんはこいつの事好き?」

 予想だにしなかった質問に面食らう。好きな訳が無いという事は彼だって分かっている筈で、其れを知っているから今の状況が出来上がっているのだろうに。
 黙って頭を振れば春千夜は質問を続けた。

「じゃ、こいつがイテー目みても何とも思わねェ?」

 今度は縦に頭を振る。
 春千夜の口元が徐々に上へと引き上げられ、両端の傷も相まって非常に愉快と言わんばかりの表情に見えた。

「消えちまえばいいと思ってる?」

 私を射抜く碧い視線は鋭く、その間接的ながらも質問に対しすぐに反応する事は出来なかった。
 此処で頷けば優秀な働き蟻である彼はきっと男を始末するだろう。今までの働きを考慮するに、迅速且つ確実に遂行するという確信を持てる。私の障害を全て排除し歩む道を慣らしてきたのは彼なのだから。
 今まではそれで良かったが今回やめろと言ったのは男の身を案じたからでも好きだからでも無い。相手が大人だからだ。
 暴力沙汰も相手が学生であれば、立場は対等であるし学校という狭いコミュニティでまた会う可能性が高いので恫喝は簡単であり黙秘させる事は容易だが大人は違う。
 警察に駆け込まれ訴訟を起こされてしまえば春千夜には前科がつく。それでは私が困るのだ。
 此処で春千夜を下がらせてもあの男は腕を掴まれた事や脅迫を盾に警察に行くかもしれない。しかしこのまま春千夜の好きにさせれば罪が重くなる。
 最善を導く為思考を巡らせていると黙りこくる私を見て春千夜が吐息だけで笑い、男の胸倉を自身の胸の辺りまで引き上げ顔を近づけた。
 
「名前ちゃんが優しくて良かったなァ。テメェはこれから四分の三殺しだ」

 これから自分の身に起こるであろう事態を察して最後の抵抗をしている男の豚の鳴き声に良く似た声が春千夜の鼻歌に混じって店の外に響く。春千夜と奴の後を追って店外に出てその様子を呆然と眺めていると、彼等の姿が見えなくなった頃に先程から自身の単車に跨って傍観していた彼が徐に声を上げた。

「あんたが三途の女か」
「違うけど。ただの友達」
「そうかよ」

 不躾な物言いだが其処は問題ではなく、彼の口振りから察するにどうやら春千夜は仲間に私の話をしているらしい。彼はただの友達という私の発言に対して言葉では納得していたがその言葉が孕む“そう言うことにしておいてやる”という匂いを私は見逃さなかった。

「すげーなあんた。その制服、ウル女だろ。こんなフツーの顔してあの三途に首輪つけて飼い慣らしてるなんてんだろ?」
「何の話?ただの友達だって言ったでしょ」
「ただの友達の為に他人の人生ぶっ壊したりする人間なんていねェだろ」

 軽蔑の色が乗った台詞は私が春千夜にさせて来た事を全て知っていると婉曲的に突きつけているにも関わらず、私は大して焦燥を抱かないでいた。
 彼は私とは違う、春千夜側で生きる人間だ。今後私達の世界が併さる事は無い。私の思惑や計画がこの男に知れたところで私の人生には何ら問題は生じない。
 ココと呼ばれた男は特に反論もせず黙って立っている私に鋭い眼差しを向けながらも口元だけで笑ってみせヘルメットを投げて寄越した。
 受け取ったヘルメットを被って単車に跨りながら春千夜が消えて行った方向に視線を注いでいると男は此方を横目で見ながら声を上げて笑い出す。完全なる嘲笑だ。

「三途に連れてかれて警察行こうなんて考える奴は居ねェよ。優秀な番犬で助かったなァ?せいぜい手駒は大事にしろよな」
「手駒なんて思ってないけど、春千夜がそう言ったの?」
「アイツはウゼェ惚気しか話さねェよ」

 エンジンの唸りを合図に彼の腰に手を掛ければ迷いなく機体はレストランの駐車場を抜けて車道へと躍り出る。目の前に広がる見慣れない背には“関東卍會”という聞いたこともない名前が大きく記されていた。


 道中入り組んだ住宅街の通りと私の道案内の不正確さのせいで迷い掛けたが、なんとか自宅まで無事送り届けてもらった。
 ココに礼を告げ彼の背を見送った後私は自宅へは戻らずに車庫から自転車を引っ張り出して春千夜の家へ向かう。
 彼の家を訪れるのは小学生の時以来だ。何方かの家で遊ぶとなると春千夜は必ず私の家へ行きたがったので当時から足を運ぶ機会は少なかったが道は正確に覚えていた。
 三途という珍しい表札を掲げた一軒家に到着するも窓に灯はない。彼はおろか家族すらも帰宅していないのだろう。
 仕方が無いのでポケットから携帯を取り出して暇を潰していたが、程なくして聞こえて来た単車の排気音が彼の帰還を知らしめた。
 閑静な住宅街に似つかわしく無い騒音と共に帰ってきた春千夜は私の姿を認めると片手をひらりと振ってゆっくりと停車しエンジンを切る。

「春千夜」
「んなカッコでぷらぷら出歩くなっつったろ」
「その見た目でよく補導されなかったね」
「単車乗ってりゃ見えねーよ」

 濃い夕闇の中でもはっきりと見える純白に散った赤い滲みは事情を知らない人間に見られてしまえばすぐに通報されてしまう程に広範囲に広がっている。
 今までに味わった事の無い痛みに悶えて路上で死にかけているあの男の姿を想像すると自然に笑みが溢れてしまう。
 ふと彼奴は血まで臭いのだろうかという疑問が浮かび春千夜の胸元に着いた滲みに顔を寄せれば、何を勘違いしたのか頭の後ろと背に手が添えられキツく抱き締められた。
 胸元の血は少量の為特に匂わず春千夜の香りで鼻腔が満ち、厚手の生地越しに伝わってくる鼓動と体温に私は何故か安堵を覚えていた。

「何で言わなかった」

 耳よりも少し上の辺りで聞こえる彼の声は優しいが確かな怒りを孕んでいる。春千夜は私を特に仲が良い友人だと思っている筈であるから、そんな私が一人で問題を抱え込んでいた事に対して怒っているのだろう。
 お前が起こすであろう行動とその後の状況を全て考えた上で話さなかったとは流石に言えず、悩みを隠していた人間が使う一般的な言い訳を使ってみる。

「迷惑かけたくなかったから」
「名前ちゃん悪くねェじゃん。オレが今日行かなかったらずっと隠してるつもりだったのかよ」
「春千夜は春千夜で忙しそうだし、私の問題だから」
「ガキの頃からオレにだけは何でも話してくれてただろ。名前ちゃんが望むならオレは何だってしてやる。だから頼れ」

 私が今健気で憐れな女の演技をしているからとはいえ、自覚はなくとも散々利用されて来た男が酷く殊勝な台詞を吐くと子供を騙す様な悪い事をしている感覚に陥ってしまい僅かながら胸が痛む。

「なんでウル女なんか行ったんだよ。オレと同じ学校にすればずっと一緒に居れんのに」
「学校違ってもずっと一緒に居るじゃん。春千夜が私の為に暇作ってくれてさ」
「それじゃ足んねェから訳わかんねーおっさんに目つけられたんだろ」
「じゃあ春千夜がうち来ればいいじゃん。女子校だけど美人だからバレないよ」
「こんなデケー女居てたまるかよ」
「ハーフだって言えば?」
「何だそれ」

 抱き締める力を緩め私を覗き込む春千夜の表情は街灯の逆光を受けて見えづらいが柔らかく笑みを見せている。あの男と対峙した時とは正反対の穏やかな顔。私以外には見せない本来の笑顔は心を開いている証拠であり、この顔を見る度にこの男を完全に支配している実感が湧き上がる。

 今回は思う様に事が運ばなかったとはいえゴミは始末できたし春千夜は大人相手でも使える駒だということも分かったので結果オーライだ。
 ココが使っていた番犬という表現はあながち間違いでは無い。犬は忠誠心が強い上賢くて強い。飼い主である私を守る為なら何だってするだろう。
 今度は私からバイクに乗る時の様に可愛い飼い犬にきつく抱きつけば、後頭部に温かい掌が添えられ髪の毛並みに沿って何度も撫でられた。
 側から見れば私達は仲睦まじい恋人同士に見えるだろう。

 余談だがあのファミレスは私が辞めた後三ヶ月で潰れた。
 元々赤字経営だったらしいが、辞めた今となってはどうでもいい。
 下衆な客もセクハラを眺めて暇を潰す大学生も採算の取れない営業を続ける店長も、センスの悪い内装の建物も全て消え去り非常に気分が良い。収集が付かない程に散らかったり汚れたものを真っ新にする快感は何度味わっても気分が良いものだ。