3話

 とある区画を見回っていた五番隊の隊士が聞き慣れぬ音色に気がついたのは、太陽がまだ東に傾き、触れる外気も鋭く冷える初春の午前中のことであった。

「なんだ?何の音だこれ。何かあんのか?」

「馬鹿、今日は浮竹隊長の婚礼の儀だぞ。二番隊、十一番隊、十二番隊以外の隊の隊長、副隊長格は全員出席しておられるんだ。何かあったら大事ではすまんぞ。」

 欠伸を噛み殺しながら、大して興味もなさそうに言う隊士に、同僚は呆れたように忠告を放つ。それを聞いても隊士は気を張ること無く、呑気に伸びをして天を仰ぎ深く息を吐き出す。

「へぇ、相手は貴族か?」

「上級貴族の烏丸家の娘だそうだ。」

「京楽家に並ぶお貴族様の結婚式ってのはどんなもんなんだろうな。庶民には見当もつかねえや。どんな飯が食えるのやら。」

 だらしなく刀を肩に担ぎ歩く者の足元を花びらと塵を伴う春風が吹き抜け、死覇装の裾をはためかせては消えていった。

 同時刻。麗らかな風に巻き上げられ地を濡らす桜の花びらが踊る小路を、塀に沿って埋めるように両家の下女や使用人共が黒衣をまとって列を成す。彼らに見守られながら小路をゆく行列を、切れぬ短刀を手にした幼子が先導し、その後ろに紙の面をつけた男女が続く。祝列は新郎新婦の親族で成り立ち、その形や構成はその家毎に大きく異る。共通するのは新郎新婦は祝列の中心でなくてはならないという物で、列は長ければ良いというわけではなく、構成する人物各々が役割を持ち、伝統的で芸術的でなくてはならなかった。純白の祝列は、祭殿まで続き、薄桃色の花弁が風と共に門出を祝福しているようであったと、式が終わり隊舎に戻った四番隊隊長 卯ノ花烈は隊士達に語った。
 祭殿にて、微笑みかける夫と、恥ずかしそうに頬を染める妻が初めて出会ったのはほんの1年前のことである。


「この話は断ってくださってかまいませんので。」

 烏丸家当主が代々贔屓にしているという、瀞霊廷内一といわれる格式高い料亭にて。火鉢の中で炭が爆ぜる音がする座敷の中心で、卓を挟んで自身の向かい合わせに座している女性が淡々と言い放った一言に、浮竹十四郎は困惑していた。相手方の両親とこちらの仲人が席を立ち、二人きりにさせられるまでの品の良い笑顔と、目の前の能面のような無表情の彼女の落差に狼狽したのだ。

「俺は、君の気に障る事を言っただろうか。」

 この見合い話は、彼女の親である烏丸当主が持ちかけてきた物だった。
 彼らは若くして娘を亡くしたそうだ。たまたま流魂街で見かけたまだ少女だった彼女が、あまりにも亡くした娘に似ていたものだからとても喜び養女として烏丸へ迎え入れたのだそうだ。それからは箱入りとまではいかずとも、何をするにも注意を払って大切に育ててきたのだという。
 烏丸は上級貴族であり、本来ならば下級貴族の浮竹との結婚はありえないのであるが、当代の「家柄や血などよりも、自分達が居らずとも無事に生を謳歌してほしい。娘を二度と失いたくない。」と言う思いから、腕利き揃いの警邏団 護廷十三隊で隊長を務める十四郎に白羽の矢が立ったのだ。それを、華やかな白花色の淡い振袖とは正反対の、無感情な顔な当の本人に「断って良い」と言われるとは考えておらず、十四郎は堪らず問うた。問いに対し問いが返って来たことに名前は眉根を僅かに寄せたが、十四郎の着物の合わせ目のあたりを睨め付け伏していた睫毛を震わせ、瑪瑙の瞳を揺らして躊躇いがちに口を開く。

「…見合いをすると言われた時に貴方の話を聞きました。浮竹家のご長男、護廷十三隊 十三番隊隊長で、浮竹家とその親族を一人で支えているとも。私は貴方を良く知りませんが、今の印象と話を聞く限り、貴方は立派な人です。きちんと努力できて常に前を向いているような輝かしい人なのだと思います。そんな人が、“娘を守ってやれる人間だから”なんて理由で、身勝手で俯いてばかりの人形のような私と結婚させられて良い理由がありません。」

 炭がまた灰の上でばちりと爆ぜる。
 梅肉色の唇を薄桃色の舌でひと舐めして俯きがちにじっと十四郎の言葉を待っている彼女はその音にすら肩を跳ねる程に憶病な女なのだ。その女が、自身の言葉に対する十四郎の反応を待つ顔はまるで叱られた少女のようで、なんとも哀れに見えた。この見合いも、両親の顔に泥を塗らない為に渋々来たのであろうと。十四郎は、この場は開いてしまった方が良いと判断し立ち去った両親方を呼び戻し解散させた。どうだったと尋ねる仲人には「向こうの意思を尊重したい。」と、小狡い事を言って向こうが断るまで保留の形を取ってもらうこととした。しかし、数週間経っても仲人からは何の連絡もなく、見合いの事は彼の頭の隅に追いやられていた。

 その日の十四郎は、見回りがてら自身が一等好きな玉露の茶葉を買い求め市に出ていたが、どうにも空を見ずに来た為予期せず降り出した雨のせいで呉服屋の軒先に帰路を歩む足を縫いとめらていた。大粒の雨が降り注ぎしとどに地を濡らし、水をたっぷりと孕んだ道は泥となって膨らんでいる。雨樋からにげだすそれらに一瞥くれてから天を仰ぎ、その凛々しい眉の端を下げ溜息を零した。

「あら、まだ降ってる。」

 彼の背後に揺れる暖簾の中から女が一人、止まぬ雨にうんざりした様に小さく漏らしながら出てきた。女は十四郎の横に立つと、その雨量に、十四郎と同じ様に溜息をついて、手にしていた深い藍色の番傘を見つめて動こうとしなかった。
 ふと、女を見た。艶やかな黒髪と、その隙間から覗く白磁の項。傘の柄を掴む白樺の枝の様にまっすぐで細く白い指とそれを彩る桜貝の小さな爪。髪の毛の向こうに見えたその顔は、返事を先延ばしにしていた先の見合い相手である名前その人であったのだ。

「貴女は、」

「ア…浮竹様。…こんなところで一体何を?」

「俺は雨宿りです。傘を持たずに来てしまって。」

 打ち付ける雨音でかき消される程度の呟きは、確りと彼女の耳に届いた様で弾かれた様に十四郎を見上げると睫毛に縁取られた黒曜の瞳を見開いて、梅肉色の唇を小さく動かす。
 ははは。
 気恥ずかしさに出た笑みを無表情にじっと眺める名前に、何も言えず沈黙の中で二人並んで冷々とする雨音を聞いていた。なぜ、名前は傘を持っているのに此所から立ち去らないのだろう。

「ねえ。…これをどうぞ。大きい傘です、この雨でもきっと濡れずに帰る事ができるでしょう。」

 唐突に、絹髪を揺らして振り向いた彼女の提案は意外なものであった。柔い拳に握られた傘の柄を突き出して、視線は決して顔を見ようとしない名前は、口調は貴族のそれであったが、その実は緊張で固まる不器用な女性だ。

「それでは君が帰れなくなるだろう。」

「私は侍女を連れているの。二人で入って帰りますからお気になさらず。」

 侍女など、暖簾の向こうには居ない事を十四郎は知っていた。知っていて、伏せた睫毛を揺らして俯く彼女の手からその晩傘を受け取り微笑んで見せた。彼女が此方を見てはいなくとも、笑みが零れて仕舞えばどうしようもない。
 触れた白くか細い手は酷く冷えていて微かに震えている。

「そういえば、見合いの返事をもらっていないんだが。」

 十四郎の言葉に、名前はやっと顔を上げ小さく笑って薄い唇の端をクイと上げて、出会って初めて彼に向かって笑顔を見せた。

「あら、貴方もでしょう。」

「君は、その…結婚が嫌なんだろう?」

「私、あの日に貴方との結婚が嫌だなんて一言も申しておりませんわ。」

「それを言うなら俺も同じだ。」

 名前は、内心十四郎を気に入っていた。彼女もまた、数人と見合いの経験があり、その者達は貴族であったり戦士であったり、豪商であったり様々だったが、どれも高慢で、女を人と見ていない様な人間ばかりであり名前の眼鏡に叶う者は無く、浮竹との見合いにも全く期待はしていなかったのだ。
 しかしどうだ。十四郎は決して饒舌では無かったけれど、見合いを断れと言った彼女に対して激昂するでも不快感をあらわにするでも無く、理由を問い、考えてくれたではないか。今日もまた穏やかに笑み、話しかけてきた。そして、先に触れた手の温もりが、自身の性格を投影するように冷え切った掌にじわりと伝わって、そこから燃える様に身体が熱いのだ。

「…もうお行きになって。今日の雨はやまないわ。」

「送って行こう。侍女なんて来ていないんだろう?」

 瞬間、ピシャリと稲妻が走り辺りが白黒に見える程の強烈な眩しさを覚え、数秒経たずに轟音が地を揺らす。名前は雷など少しも怖くはなかったし、この天気なのだから落雷くらいあるだろうと思っていたから特に驚きはしなかった。しかし隣にいた十四郎は違った様で、天鵞絨色の瞳を丸くして空を見上げていた。その顔があんまりにも可愛らしくて可笑しくて、名前はけらけらと声を上げて笑い出したので、十四郎は我に返って彼女を見た。

「ごめんなさい。侍女が居るなんてなんて嘘なの。」

「店の中には店主以外いなかったから分かってたさ。…さあ、いつまでもこんな所にいては風邪をひいてしまう。行こうか。」

 傘は名前が言う通り大きくはあったが、二人並んで入るとそれなりに狭く、柄を挟んでぴとりと寄り添って歩かなくては雨に晒されてしまう。十四郎が傘を持ち名前の歩調に合わせて歩くが、時折泥濘に足を取られてどうしても彼女が傘から外れてしまいそうになる。この雨量では、少し当たっただけでも酷く濡れるだろう。
 二人は、烏丸の邸宅にたどり着くまで一言も交わさなかった。傘を打つ雨音で何を言っても伝わらないというのもあったが、お互いがお互いを意識して、何か話そうとしても何を話して良いのやら分からなかったからだ。
屋敷に着くと、侍女が慌てて二人を出迎えそれぞれに手ぬぐいを渡し、茶の支度をしに奥へと引っ込んで行った。

「俺はここで失礼するよ。」

「お茶でも如何?」

「生憎、執務があるんだ 。お茶は傘を返しに来た時に改めて。」

 背を向けて出て行った十四郎の背を、名前は手ぬぐいを握りしめたまま見つめていた。また、彼に会えるのだ。

「お嬢様、お茶のご用意ができました…あら、お客様はお帰りですか?」

 なんの返答もなく、侍女が覗き込んだ彼女の顔は幸福そうに綻んで、瞳は艶めきその頬は紅潮していて、それはまさに、初めて恋を知った少女の顔であった。
 名前は、すぐに見合いの返事を出した。奇しくも十四郎も仲人へ返事を出しており、二人の返事は同じくあった。



 儀式の後の挨拶回りにて、手を取り合って一人ずつに声をかける新たな夫婦はこの上なく幸福そうで、その行く末を祝う様に遠くで鶯が唄を歌うのだった。