First
厨房内を忙しなく、駒鼠の様に料理人が駆け回り、大食堂が生徒でごった返すランチラッシュを終え、食器等の片付けは後回しにして自身の昼食を口へ運んでいた昼下がりの事だ。生徒や教職員の為の食材は定期的に定量を運び込まれ、その日の内に使い切るので私達職員の食事は残り物や職員が使用を許されている食材で簡素な物を作って手早く済ませてしまう。数十分前まで生徒達の声で賑わっていた食堂内は静まり返り、カウンターに一番近いテーブルに腰掛けて手元のベーコンをフォークで突いていた私は遠い目で深く溜息を吐いた。
ナイトレイブンカレッジの調理担当として就職したのが3年前。学生の頃から魔術よりも料理の方が得意であった私は、その強みを生かして料理人の道へ進んだ。留学したり名のある料理人に弟子入りしたりこそしなかったが、専門の学校で腕を磨きレール通りに職を手に入れたのだ。
仕事は忙しいが楽しいし、特に不満も無い。見目麗しい個性豊かな生徒達は目の保養にもなるし、この職場は理想的であった。
では何故溜息を吐いているのかと言えば、新しいメニューを考えて欲しいと言う学園長の勅命に頭を悩ませているからである。
氏曰く「生徒にはおいしい食事をお腹いっぱい食べてもらいたいんです。私優しいので!」。
この食堂は多くの生徒が楽しんで食事が出来るよう沢山のメニューが用意されている。既存の其れ等も、栄養バランスと味付け、色彩さえも考えに考え抜いて考案されたものであるのに更に増やせと言うのだ。文句を言ってもどうにもならないと分かっていた私達は料理長の指示で、数名居る料理人で担当を分け、肉料理、海鮮料理、デザート、パン、サラダを其々3品ずつ考える事になった。
そして私が担当する事となったのが苦手とする肉料理だったのだ。誤解が無い様に言っておくが作るのが苦手な訳では無い。肉料理を美味しいと思って食べた事が無かったと言う個人的な好みの話である。自分が好きでも無い料理に関心など湧く筈も無く今あるメニューよりも良い物なんて思いつく訳が無いだろう。
「ううん…肉、肉…。牛がいいかな…牛食っとけば満足するのかな…?」
「申し訳ない。其処の人。」
静寂の中で発せられた良く通る大きな声に、物思いに耽っていた私はびくりと肩を跳ねて勢い良く振り返った。
私の視線が捉えたのは、上背のあるがっしりとした体付きをした此処の生徒である。ライトグリーンの髪の毛を後ろに撫で付け、顕になった凛々しい眉尻を少しだけ下げて、彼もまた私を見ていた。彼が言う“其処の人”とは紛れもなく私の事だろう。
「貴方は職員の人だろうか。」
「はい、そうですが。何か…?」
「食堂は終わってしまったか?」
「20分程前に。何故?」
「実は飛行訓練で軽い事故に見舞われ保健室で横になっていたんだが…先程意識が戻り昼食を食べ損ねてしまった。まだ間に合うかと思って来てみたんだが…。」
燐光を抱えた利発そうな瞳には僅かに慚愧の念が滲んでいる。大きな体躯にそぐわない少年らしいその表情に、私の何らかの本能が揺さぶられ思わず自身の昼食が乗った皿を指差し声を上げる。
「こんな物で良ければ作りますよ。」
「良いのか!!?」
鼓膜に刺さる程の半ば絶叫に近い大声に驚きつつも頷けば、彼は嬉々として私の傍に腰を下ろす。食べかけの食事を覗き込まれるのは居心地が悪く、私はそそくさと厨房へ向かい髪を纏めて壁に引っ掛けていた愛用のエプロンと三角巾を見に纏い早速調理に取り掛かった。
残っているのはベーコンと卵。厚切りのパンに野菜類である。これでできるのはサンドウィッチしかない。彼の腹がこの程度で満たされるのかは分からなかったが、夕食まで何も入れないよりはマシだろう。
手を洗った後でフライパンをコンロにかけて熱し少量の油を引く。温まった鉄板にベーコンを並べて、焼き上がるまでの間に卵を2つボウルに割り入れて溶き、塩胡椒と乾燥バジルを加えて混ぜ合わせておく。ベーコンを皿に上げ、油の残ったフライパンに卵を流し込み緩くかき回してから隅によせてオムレツを作る。パンには軽く焼き目がつく程度に焼き、トマトとレタス、胡瓜を切ってパンの上に全ての食材を乗せて半切りにし、皿に盛り付ける。アイランドに乗った鍋の中には僅かにスープが残っていたのでそれも温めてトレイに乗せて、カウンターの向こう側から待ち遠しそうに此方を見ている彼の元へ運んでやった。
「ごめんね。お腹いっぱいにはならないかもしれないけど。」
「いや、充分だ。手を煩わせて申し訳ない。」
「そんなに謝らないで。あったかいうちに召し上がれ。」
待ちきれない様子の彼に食事を促せば、サンドウィッチを持ち上げて大きな口で齧り付く。咀嚼しながらどんどん明るくなっていく彼の表情が面白くて眺めていたら「貴方も食事の途中だったんだろう?」と横目で言われてしまい、言う通り休憩時間も残りが僅かだった為に私も食事を再開する。
男子生徒と並んで食事を摂るというのは、就職3年目にして初めての体験である。普段は食事を提供したら次の生徒の食事を作り始めなくてはならないので、自分が提供した物を食する生徒の顔を見る事は無かった。作った食事を美味しそうに食べてくれる姿を見るのはこんなにも嬉しい物だっただろうか。胸の奥がむず痒くて何処か暖かい。忘れかけていた感覚に身悶えしながらもなんとか食事を終え、食器を下げる為に立ち上がると彼もまた皿の上の物を綺麗に平らげて満足した顔を此方に見せていた。
「とても美味かった。」
「そう、良かった。夕食まで保つかな?」
「む…。」
予想通り、あの量では足りなかったのだろう。感情が顔に良く出る少年だ。笑みが溢れ、彼の皿も回収して厨房へ戻ろうと席を立つと彼はまた大きな声を上げた。
「そうだ!自己紹介をしていなかった。僕はセベク。セベク・ジグボルトだ。ディアソムニア寮の一年生で高名なマレウス・ドラコニア様の臣下でもある。」
「は、はい…。セベク君、宜しくね。私はナマエです。此処の料理人。」
唐突に丁寧な自己紹介をされ、大声に驚きつつもなんとか此方も自己紹介を返した。彼は一年生だったのか。その背丈と態度から三年生かと思ったが、三年生にも少女の様に可憐な生徒が居るのでその逆もあり得るのだろう。
「ナマエさん…ナマエさんか。貴方は非常に腕の良い料理人だな。是非リリア様と若様にも貴方の料理を召し上がって頂きたいものだ。」
「その2人が食堂を利用してるなら多分既に食べた事あると思う…。」
「なっ、そういえば確かに…。」
尤もな指摘に瞠目し赤面して視線を逸らす様は非常に可愛らしい。屈強な若者に対して可愛らしいという表現は如何かと思うが。
「僕も食堂を良く利用するのだが、此処の肉料理は絶品だ。僕は肉が好きなんだ。それも貴方が調理しているのか?」
「肉も調理するけど、全部じゃないからセベク君が食べた料理を私が作ったかは分からないな。」
「そうか。兎に角僕はこのサンドウィッチが気に入った。今度注文してみる事にしよう。」
彼はあまり人の話を聞かないタイプの様だ。噛み合っている様で何処かズレている会話の中で、私はある事に気が付いた。
彼は肉が好きだと言った。であれば肉が得意でな私に肉料理について的確なアドバイスを齎してくれるのではないだろうか。
延々と私のサンドウィッチを褒めちぎる彼に向かって、浮かせていた腰を下ろして声を掛ける。セベク君は語りを中断して、裂けた瞳孔を私に向けた。
「学園長の指示で食堂に新しいメニューを追加する事になって、私は肉料理を担当する事になったんだけど私は肉が得意じゃないの。もしセベク君が良かったらなんだけど、貴方に試作品を食べて貰って料理の評価をお願いしたいんだけど。」
「良いのか!?」
「…セベク君って声が大きいよね。」
「そんな事はない。貴方の声が小さいだけだ。それで試作品というのは肉だな?」
「そうよ。牛豚鶏の肉を何種類かの料理にするから1週間くらい付き合ってもらう事になるかもしれないけど…セベク君にも都合があると思うから来れる時間を教えて貰って、それに合わせて作っておくから。どう?」
唐突な申し出であると承知しながら彼を窺い見れば、その表情はやはり嬉々としていて答えは聞かなくとも“yes”であると容易に読み取れた。一生徒に業務の一端を頼むというのは社会人として如何かとは思うが致し方無い。全生徒のより良い食事の為なのだから。
「授業や馬術部の活動があるから日中は難しいが、夜間であれば問題無い。若様のお世話の暇に少し顔を出そう。」
「ありがとう。時間が無い時は無理しないで。セベク君の用事を優先してね。」
「大丈夫だ。自分のスケジュール管理くらい出来る。貴方もあまり根を詰めすぎない様にな。」
「ありがとう。」
「では、僕は授業に戻る。途中だろうが、事情が事情だからクルーウェル先生も許してくれるだろう。失礼する。」
柔らかい笑顔を残して去っていった彼の背中を眺めながら、手元では食器を片付け始めている私は給仕の才能もあるのだろうか。
正直、セベク・ジグボルト君に栄養バランスや彩りに対する詳しいアドバイスは期待していない。サンドウィッチ一つであんなにも喜ぶ子供だ。突然「シナモンが〜」やら「野菜が足りない」等と言われたら此方が驚いてしまう。彼が美味しいと言ったメニューに自分で改良を加えれば良いのだ。
彼を味見役に指名したのは、単彼がに肉が好きだと言ったからでは無い。何の変哲もないただのサンドウィッチを頬張る彼の顔がとても輝いて見えたから。私が作った物をあんなにも美味しそうに食べてくれたからだ。仕事中は見る事が出来ない“生徒が喜ぶ顔”を私に見せてくれる存在を求めていたのかもしれない。
セベク君が今日、この時間に私の元を訪れたのもきっと何かの縁なのだ。あまり乗り気で無かったメニュー開発も、彼のあの顔が見られるのなら悪くはない、と食べかす一つ残さず綺麗になった食器を手に厨房へ向かった。
休憩時間はもう終わり、此れからは夕食の仕込みが待っている。この目で見る事は出来ずとも生徒が「美味しい」と言ってくれる食事を作る為に、私はエプロンを身に付けてまた包丁を振るうのだ。