Second
調理担当の朝は早い。早朝3時には起床し身支度を整えて職場である食堂へ向かい、ナイトレイブンカレッジ全校生徒プラス教職員分の朝食を作り始めなくてはならない。下拵えを前夜に済ませているとはいえ、その量は膨大で、ラッシュ時の調理場は毎日戦場と化す。此処を利用する者達も皆時間のない中食堂に集い、まだ目覚めていない身体に無理やり食事を詰め込んで各々活動を始める為の準備をしに来るのだ。朝食は1日の食事の中で一番重要であるから、私達も眠い目を擦りながら必死で食事を提供していた。
朝に一番捌けるのは卵やパン、スープ類などの軽い食事である。一応ボリュームのある料理もメニューに並んでは居るが、注文を受けるのは稀だった。私はひたすらにオムレツやサニーサイドアップを焼き続けて疲れた手首を左右に軽く振りながら、あとどのくらいの生徒が列に残っているのかを確認する為にカウンター側を見遣れば、其処には台に貼り付けられているメニューを指差しながら注文をするセベク君の姿があった。
朝は服装や髪が整っていなかったり半ば眠っている様な顔で此処に来る生徒が多いのだが、彼は色素の薄い髪をきちんと固めて後ろへ流し、制服を着崩す事なく精悍な面持ちで其処に居る。メニュー表から顔を上げ料理の受け取り口に立った彼が、コンロの前に突っ立って居る私に視線を向けた時、しまったと思った。知らぬ間にじっとみられて居るのはあまり気分が良いものではない。昨日は状況が状況だけに和やかに会話したが、私と彼は友人という訳でも特に親しいという訳でもない、初対面と言っても過言ではない関係である。それに半ば強引に試作品の試食をお願いした手前、彼の機嫌を損ねる様な行動はしたくなかったのだ。しかし彼は、かち合った視線を逸らすに逸らせず気不味さを抱えながらぼうっとしている私に、黒革の手袋を嵌めた大きな手を軽く持ち上げ昨日見せた柔らかい笑みを向けて口の動きだけで「おはよう」と言った。まさかそんな反応が返ってくるとは思っていなかった私も、数秒置いてからぎこちない笑みで彼と同じ様に唇で「おはよう」の形を作ると、ちょうど料理が出来上がり受け取り口に滑り込んだトレイを手にして、彼は笑顔のままにダイニングの奥へと消えていった。
その笑顔が可愛らしくて勝手に活力を得た私は、その日は一日中、癖になっている溜息を一度も吐かずに職務を全うする事が出来た。
夕食の時間が終わり後片付けも仕込みも全て済ませ誰も居なくなった厨房で、私は銀のトレイに乗った豚肉を睨みつけてる。現在は21時。セベク君との約束の時間は22時であるから、一時間でこの豚肉をどう料理するかを決めて調理に取り掛からなくてはならない。
昨日の終業後に自室で遅くまでメニューの案を練っていたので若干眠いのだが、頬を叩いてなんとか覚醒させて壁に掛けているエプロンを身につけた。
食堂で提供するにあたり、最低限の条件は“提供に時間がかかりすぎない事”である。正直な所、栄養バランスは副菜でカバー出来るし、彩も然りであるのだが、“メインの調理時間”は如何あってもカバーが出来ないのだ。一度に沢山調理が出来、尚且つ手間が掛からない料理。これが学食に適した料理である。
今回の新メニュー開発の為に、豚一頭と牛一頭、鶏を3羽購入した。折角なので凡ゆる部位で
様々作ってやろうと考えたのだ。ちなみに、卸店には全て捌いて持ってきて頂いた。首を落としたりする時間は無いから。
今夜作る料理を案の中から選ぶ為、シャツの胸ポケットに入れていたメモを取り出して凝視した。数秒唸りながらトレイに乗った豚一頭分の切り身と交互に眺め見、思案した後にメモを閉じてポケットに突っ込んでから両手を叩くと、今回必要のない部位が浮かび上がり貯蔵庫へと行進して行った。料理の方が得意とは云え一応魔法士であるから、この程度の魔法は使える。
尻尾の部分まできちんと貯蔵庫に入ったのを見届けてから扉を閉め、しっかりと手を洗いトレイに残されたロースの調理に取り掛かった。
揚げ物鍋に油を多く入れ、180℃になるまで温めておく。木製のまな板の上にブロックを置き、3cm幅に切り落とす。赤身と脂身の部分に包丁を入れて筋を落とし、ラップを乗せて麺棒で全体をしっかりと叩いて薄く伸ばす。伸ばしながら途中でラップを開き、塩胡椒を振ってから再度ラップを戻して更に叩き込む。本当はワインボトルやオイルのボトルで叩くのが良いのだが、手近にあったのが麺棒だったので横着した。というか厨房にはワインボトルは無いしオイルボトルも硝子製では無いから仕方が無いだろう。
バットにパン粉を入れ両手に挟んで擦り細かくし、細かくなったパン粉に粉チーズを混ぜる。ボウルに卵を割り入れて良く解き、別のバットに小麦粉を広げて薄く伸ばした豚肉に、小麦粉、卵、パン粉の順で衣をつけ、手で軽く押さえて馴染ませる。衣をつけた豚肉を洗ったまな板の上に乗せ、包丁の背で成形した後に格子状の飾り包丁を入れる。
温まった油に菜箸を入れてふつふつと泡が出れば十分に温まっているので、確認した後で豚肉を並べ入れ、3分程度ずつ両面を上げ焼きにする。
「いい香りがするのう。」
誰もいない筈のダイニングから声が聞こえ、弾かれた様に顔を上げた。私の視線は、照明が落ちて暗くなったダイニングと、厨房の明かりで僅かに照らされたカウンターからひょっこりと顔を出す可愛らしい少女を捉えている。料理に集中しすぎてその気配に気付か無かったが、彼女はカウンターに指を並べて、何やら調理している私を楽しそうに窺っていた。
幽霊かと疑ったが、其の身体は透けて居ないし幽霊にしてはかわいらしすぎる。訝しむ感情が顔に出て居たのか、少女は笑みを強くし軽い足取りで厨房の中へとやってきた。
「そんなに警戒しなくとも良い。わしはここの生徒じゃ。」
少女にしては存外低い声に驚いたが、此処の生徒であるならば彼女は彼女ではなく彼なのだろう。確かに彼の姿は見た事があった気がする。あまりにも可愛らしいので生徒が犇く食堂の中でも一際目を引いたのだ。しかし、此処の生徒とはいえこんな時間の食堂に一体何の用があるのだろう。得体のしれなさに困惑しつつも、なるべく棘が無い様に問えば、彼はからからと笑い声をあげて調理台に頬杖を付く。
「なに、わしの可愛い後輩がな。こんな時間に食堂に用があると言っていたものだから何用かと気になって先回りしてみたのじゃ。」
「後輩?」
「セベク・ジグボルト。ディアソムニアの一年生じゃよ。」
「貴方はセベク君の先輩なの?」
「如何にも。三年のリリア・ヴァンルージュという。セベクもじきに来るじゃろう。」
「はあ…。」
彼の名は聞いた事がある。昨日、セベク君が言っていた。「リリア様や若様にも貴方の料理を召し上がって頂きたいものだ」と。こうも早くまみえる事になろうとは思わなかったが。
しゅわしゅわと浮き上がる豚肉を菜箸でひっくり返す手元をじっと覗き込む真紅の瞳がキラキラと輝いていて、セベク君とはまた違う見た目通りの可愛らしさを持つ少年である。
「リリア君も食べてく?」
「良いのか?」
「勿論。私も1人より2人の声を聞いた方が参考になるし。」
私の言葉に、艶やかな唇が引き上がりその隙間からは小さな牙が覗いていた。ヴァンルージュの名の通り吸血鬼の血を引いているのだろうか。そんな私の思案を他所に、彼は嬉々として上体を起こすと手袋を嵌めた指を軽く鳴らしてダイニングの照明を付け、乾燥台の中から三枚の食器を出して調理台に並べてくれた。
「私の分は作ってないから二枚で良いよ。」
「なんと。自分の分をわしにくれるのか?」
「二枚ともセベク君に食べてもらうつもりだったんだけど、夕食の後だし一枚ずつでも良いかなって作りながら思ってたのよね。元々私の分は無いから、リリア君も食べてね。」
狐色に色付いた豚肉を引き揚げてまな板に乗せ、食べやすい大きさにカットしてからリリア君が用意してくれた皿に並べ、千切ったレタスとミニトマトと共に盛り付ける。一枚はリリア君が、もう一枚は私が手に取り、フォークを持ってカウンターに一番近いテーブルに配膳した。
「こんばんは!」
「ようやっと来たか。」
「リリア様!?如何して此処に!?」
一日も終わりに近いと言うのにやたらと元気で大きな声のセベク君が、蛇の様な瞳を見開いて私達の側まで足を早める。そして皿の上のカツレツに視線を落としながら私とリリア君の向かい側の席に腰掛けて喉を鳴らしていた。リリア君はテーブルに頬杖を付いて、未だに驚きを隠せないでいるセベク君を眺め見ている。
「こんな夜半に食堂に何の用があるのか気になってな。お前がマレウスの側を離れるなど珍しいでは無いか。」
「ぐ、其れは…。」
「いや、責めている訳では無い。ただの興味本位と言う奴じゃ。折角の料理が冷めてしまう。頂くとしようかの。」
リリア君の言葉にハッとしたセベク君が私を見たが、何を伝えたいのか良く分からず曖昧な笑顔で「どうぞ召し上がれ」とだけ返す。其れに倣って2人ともがフォークを手に取り、揚げたてのカツレツを口元へ運びだした。数回咀嚼して、隣と目の前から漏れる声に表情が綻ぶ。彼ら顔は嬉しそうだった。
「豚肉の生臭さが全く無い。肉も柔らかく、チーズの香りがしてとても美味じゃな。」
「リリア様の言う通り、非常に美味です!」
「良かった。何故かカツレツは食堂のメニューに無かったから作ってみたんだけど。」
「毎日これでもいいと思えるくらいに美味しい。」
「セベクよ、毎日はいかんぞ。週に二回程度にしておけ。」
料理人として、自分が作った料理を美味しい美味しいと言ってもらえるのは非常に喜ばしい事だ。緩んだ顔でその様子を眺めていると不意に隣から袖が引かれる感触がして其方を見れば、リリア君が少々意地の悪い表情を浮かべ、フォークに刺さった一切れを私に向けていた。
「ほれ、お前も食べると良い。」
「え!?」
「口を開けろ。」
唇に押し付けられては拒む事も出来ず、言う通りに口を開き突っ込まれた切れ端をゆっくりと咀嚼する。美味しい。美味しいけれど、顎を動かす様子を満足げに眺めているリリア君が気になっていつもより味が分からない。私より年下である筈なのに、向ける表情は母の様な慈愛に満ちて、愛でられている様な感覚だ。
その視線に耐えきれず正面を向けば、セベク君が何処か困った様な顔で私と手元のカツレツに視線をやり、一切れさして「食べるか…?」と言った。
「もう結構です…。全部食べて良いんだよ。」
「しかしリリア様も貴女に献上したと言うのに、僕だけがやらないと言う訳にも…。」
「子供は気にせず沢山食べるとよい。わしはやりたくてやったまで。義務ではないぞ。」
自分も子供では、とは言えなかった。カツレツに舌鼓を売っていた2人は添え物の野菜まで綺麗に平らげ満足した表情を浮かべ、私に対して感謝の言葉を述べる。リリア君が後片付けを申し出てくれたが、厨房でやる事があったので断るともう一度丁寧にお礼を言ってセベク君に一声かけ食堂を出て行った。
「もう遅いしセベク君も戻って良いよ。今日はありがとう。」
「洗い物くらいはさせてくれ。夜遅いのは貴方にも言える事だ。」
視線に射抜かれたまま言われてしまい、元々「No」と言えない性格の私はとうとう断れずその言葉に甘えて皿洗いをお願いする事にした。
ブレザーを脱いでシンクの前に立つ彼の捲れた袖から伸びる腕は筋肉質で太いがその肌は滑らかで雪の様に白い。リリア君を見た後だと尚更体格の良さが際立って見える。真っ直ぐにのびた背中を眺めていると、彼は水流に負けない大きな声で不意に声を上げた。
「リリア様も戯れが過ぎる。」
「何が?」
「食事を食べさせるのは子供に対してする事だ。大人の女性にするべきでは無い。」
「ああ、あれね。」
「貴女も貴女で断れば良かったものを。」
「断ろうとしたけど唇についちゃってたし。其れをリリア君に食べろとは言えないでしょ?」
「それはそうだが…。」
途端に弱々しくなった声に違和感を覚えつつ、私も使った台やコンロ周りを綺麗に拭き取り片付けを進めた。使用後は使用前より綺麗にするのが調理場の常識だ。私自身、使おうと思ったコンロが油汚れでベタついていると腹が立つので自分がされて嫌な事は人にはしない。
皿二枚とフォークのみであったので洗い物はすぐに終わった。乾燥台に皿を立てかけ、制服のポケットから取り出したハンカチで手の水分を拭き取りブレザーを手に取ったセベク君は、寮に戻る事もなく厨房の入り口で黙って突っ立っている。
「どうしたの?」
「寮の入り口まで送っていく。」
「一人で帰れるよ。」
「夜分に女性を一人歩きさせる訳にはいかないだろう。それに僕も寮に帰るんだからついでだ。作業が終わるまで待っている。」
頑として動こうとしない彼に聞こえない様に小さく今日初めての溜息を吐き早々に片付けを切り上げてエプロンを戻して彼の元へと駆け寄る。全ての照明を落として食堂を出ると、古めかしい作りの廊下は当然ながら誰もおらず静まり返っていた。静寂の中に私と彼の靴音だけが響き、特に会話も無い為口を閉ざしてその音に集中する。
外廊下には冷たい風が吹き抜けていた。蒼白い月光が廊下を濡らし、高さの違う二つの影を焼き付ける。ぴったりと寄り添う影を見るに、足の長い彼は私の緩やかな歩調にあわせてくれているのだろう。
「ごめんね。足遅くて。」
仰ぎ見て言えば、彼は私を見下ろしながら「僕が送ると言ったのに貴女を置いて先に進んでは意味がないだろう。」と尤もらしい返事をする。ふいと顔を逸らした彼は厳格で気難しそうな風体だが、心根の優しい良い子なのだ。でなければ初対面の女からの頼みを聞き入れ、帰り道に付き添う事はしないだろう。
寮へ繋がる鏡の間。各学生寮へ繋がる鏡が並ぶ一室の奥に、教職員や一般職員寮へ続く鏡がある。ディアソムニア寮の鏡の前で彼に向かうと、彼は「貴女が鏡に入るのを見届ける」と言ったが、奥の間へは生徒は立ち入る事が出来ないのでその申し出は現実的ではない。
「ちゃんと入るから大丈夫。」
そう言ってやれば彼は渋々といった表情を浮かべながらも鏡の前に立ち、此方に向き直った。俯いた彼の唇から漏れた「あの、」という声は小さく、僅かに迷いが窺える。
「なに?」
「あの…いつも温かい食事をありがとうございます。」
仄明るい鏡からの逆光を浴びる彼の頬は見え辛いが少し赤く色づいて見えた。その様子がやっぱり可愛らしくて微笑みながら返事をすれば、彼は「おやすみなさい」という言葉と共に晴れやかな笑顔を見せて鏡の中へと消えて行った。
余韻に浸って頬を緩ませ暫くぼうっとして居たら残業を片付けてやってきたクルーウェル先生に「どうした仔犬。だらしが無い顔をしているぞ。」と正確だが鋭いご指摘を頂いてしまった。