つがいの春02

 太陽が登頂を覗かせ空が白む頃、頭上で鳴り響く聞きなれたアラームの音に睫毛を揺らし身動ぎしながらナマエは目を醒ました。スマホに手を掛けてアラームを切り、上体を起こして掛布を捲り挙げれば彼女の膝の脇辺りに長い身体を器用に丸く纏め小さく寝息をたてる蛇基セベクの姿がある。蛇の身とはいえ中身はセベクであるこの蛇は、昨夜彼女が布団の中に招き入れても頑として首を縦に振らず掛布の上に陣取っていたのだが、酷く冷え込みは堪えたのか深夜になり彼女が眠りに落ちた頃、恥を忍んで漸く彼女の体温が滲む隙間へと潜り込んだのだった。
 ナマエは眠れる小動物が目を醒まさぬようこっそりとベッドから抜け出して身支度を始めた。大食堂の勤務は三日出勤三日休暇のシフトである為明日は休みだ。今日は休暇前最後の三日目の出勤日である。洗顔を終え、薄く化粧を施して着替えを済ませた後、朝食は摂らずにオレンジジュースを冷蔵庫から取り出してグラスに注ぎ、部屋を出る時間になるまで端末を開いてニュースを眺め見ながら過ごした。低血圧のナマエは毎朝このルーティンで活動している。正直、彼女は陽が昇りきらない早朝に起きること自体難儀に感じているのだが三年も続けていれば自然と其の時間に目が醒めるようになっていた為、頭が覚醒しないながらも習慣として朝の支度は身に付いていた。
 だらだらと熱砂の国の芸能人の熱愛報道や輝石の国の大臣の脱税などのニュースを目で追っていると、時間は無尽蔵に過ぎていく。時間を確認した彼女は重い瞼を閉じて一度大きくため息をついてから席を立つとグラスをシンクに置いて荷物を持って、未だベッドから出てこないセベクを起こさないよう静かに自室を後にした。
 一限を終えた生徒達で賑わう朝食の時間、挙ってカウンターに並ぶ生徒の注文を捌いていたナマエの前に酷く巨大な影が差す。メニューを眺める影の持ち主は俯いているものの、彼女との身長差が約40cmもある其の人物の顔を目にしようとすれば自ずと首を大きく後ろに逸らして見上げる形を取らざる終えない。朝食を決めあぐねている人物を仰げば、彼はメニュー表に向けていたセベクに良く似た燐光を孕む光彩をナマエへ移していた。

「貴方は確か…マレウス君。」
「ああ、おはよう。」
「はい、おはようございます。」
「セベクはどうだ?」
「朝見た時まだ蛇だったよ。」
「そうか…此方が言い出した事とはいえ、すまないな。」
「いいえ。先輩魔女として生徒の役に立てるならこのくらい何でもないよ。気にしないで。…注文は決まったかしら?」
「…ああ、此れを。」

 モーニングプレート(オムレツとベーコンセット)を指差した彼に頷き伝票に書き込んでピンチに挟むと、彼はこれ以上話題を持たない為に大人しく料理受け取り口へと捌けていった。先程の「魔女の先輩」という発言は学生である彼が自身より年下であると高を括っての物であったがマレウスは其の言葉を訂正する事は無かった。実際には彼の方が遥かに長い時を生きているという事実をナマエが知るのは少し先の事である。

「マレウスはお前に興味が有るようじゃな。」
「おはようリリア君。」

 マレウスの長身に隠れていたリリアが、彼が移動した事により姿を現しカウンターに
肘をついてメニュー表に視線を落としながら口を開く。彼の存在に気が付かず突然現れた彼に驚きつつもペンを構えて微笑む彼女に顔を上げ、マレウスと同じモーニングプレートを指差したまま先程の言葉に付け加えるようにまた言葉を放った。

「あれはセベクとはまた違う種類の難儀な性格での。わしから見れば存外素直で可愛らしい奴なんじゃが、ドラコニアの名と纏う雰囲気のせいか奴と関わりを持とうとする者は多くない。セベクの件が有るとはいえ、あやつが自ら誰かに話しかける事は少ないのじゃ。お前さえ良ければマレウスとも仲良くしてやって欲しいのじゃが。」
「そうなの?身長が高くて綺麗な子だなとしか思ってなかったからそういう印象は無かったけど…マレウス君が良いならまた今度話しかけてみるよ。リリア君はマレウス君の事を大切に思ってるのね。」
「長い付き合いじゃからな。あ、トマトジュースも。」

 セベクが語るマレウス・ドラコニアは「完璧」を体現したような並外れて優秀な魔法士で、確かに近寄り難い印象を与えていた。其れだけにリリアが言うマレウスの人物像はそんな彼の印象に人間味与え、途端に親近感を抱かせた。追加注文も漏らさず復唱してやれば、リリアは幼い顏に満足そうな笑みを浮かべ肩に掛けた上着を翻して受け取り口で待つマレウスの元へと向かって行った。
 彼らの後ろで順番を待っていた生徒の注文を取りながら其方へ視線を預けると、リリアに何やら話しかけられたマレウスが薄く笑っている姿が目に入った。セベクが心酔するに足る理由が彼には有るのだろうが、彼女の目には彼は他の生徒と何一つ変わらない
「只の子供」見えていたのだ。
 新たな交遊が出来たナマエはその日も忙しない一日を過ごした。業務を熟しながらも脳内を占めるのは、独り彼女の部屋に残してきたセベクの存在である。部屋を出る時は眠っていたが、今頃はする事も無く暇を持て余している事だろう。室内に居る分には特に危険は無いだろうが、空腹に喘いでいるかもしれないし排泄に難儀しているかもしれない、と彼女の不安は尽きる事が無い。普段は遅くまで職場に残って居るナマエであったが、今日ばかりは朝食の仕込みと片付けを済ませた後戸締まりは同僚に任せ、樹脂の容器に詰めた食事を持って足早に鏡の間へと向かっていた。
 息を弾ませ冷たい真鍮のノブを回して重厚な木製の扉を開けば、薄暗い室内には銀糸の髪に鏡の光を反射して佇むシルバーの姿があり、思わず立ち止まる。彼は、入室してきたのがナマエであると気付くと一礼して彼女に歩み寄る。

「お疲れさまです。」
「結構遅い時間だけど、どうしたの?」
「特に用は無いんですが、セベクの様子を聞きたくて。」
「ふふ。そんなに心配なら寮に置いておいた方が良かったんじゃない?」
「?」

 表情を変えずにセベクを案ずる言葉を口にしたシルバーに、ナマエは堪えきれなかった笑みを吐きそう告げた。セベクと行動を共にする同郷達は、仕事中の彼女と同じ彼の事を心配しているのだ。そもそも面白いからという理由でセベクを彼女に預けたのはリリアであり、ナマエの目にはシルバーが其れを承知している様には思えなかった。

「親父殿はああ言っていたが、あれはセベクの為に提案した事です。」
「というと?」
「確かに親父殿は面白がっていましたが、其の根底には貴女とセベクの関係を後押ししてやりたいという心遣いがありまして。恋人同士でありながら、貴女達が顔を合わせるのは大食堂だけでしょう。今回の事故は天がくれたチャンスかもしれないと親父殿は言っていました。」
「え…。」

 リリアにセベクとの関係を察知されていたどころか気を回されていたとは知らず、唖然としたナマエは喉の奥から漏れた呻きにも似た声を除いては何一つ言葉を返すことが出来ないでいる。そして彼が心境を察し挨拶を残して寮へ帰るまで、彼女はその場を僅かたりとも動く事が出来なかった。
 漸く事実を受け止め、セベクの為に早々に帰宅しようとしていた事を思い出して寮へ戻り自室の扉を開けば、室内に踏み入れようとした足元にセベクが居て思わず踏みつけてしまいそうになり、身体をふらつかせながらも慌てて足の置き場を変える。

「吃驚した…。ごめん、大丈夫だった?」
『だいじょぶ。ごめん。』
「良く見てなかった私が悪いの。ただいまセベク君。」

 体勢を建て直して足元を見遣れば、彼は尾をゆるりと振って其れに答える。屈み込み差し伸べられた手に頭を寄せ細腕に巻き付いたセベクをつれてダイニングのテーブルにのせ、彼女は持ってきた食事を開いて彼に見せた。

「一応ご飯持って来たけど食べる?」
『ありがと。たべる。』
「今日はタンドリーチキンだよ。いい香りでしょ。」

 料理を広げて彼の反応を見ると嬉しそうにしていた為、彼女はキッチンからフォークを持ってきて着席し早速彼に食事を与え始める。昨夜と同じく彼女の手から食事を摂るセベクは、既に躊躇することを止めていたので其の姿は食べているものを引いては完全に手懐けられたペット其の物であった。
 多めに持ち帰った食事はすっかり小さな胃に収められ、満足した様子を見せるセベクを置いて入浴と寝支度を済ませたナマエは昨夜同様彼を自身のベッドへ招き入れていた上掛けを捲りあげて自身を誘う恋人を、枕の上に腹をつけて見ていたセベクは昨日と同じ様に複雑な感情を以て眺めていた。シャワーを浴びて上気した頬と眠気に微睡むゆったりとした口調、そしてベッドについた彼女の香りがセベクの心を揺らす。昨夜、寒さに負けて潜り込んだ後も数時間は其の誘惑に惑わされていたのだ。

「どうしたの?眠くない?」
『ねむい。』
「じゃあほら、入って寝ようよ。昨日は寒かったんでしょ?」

 子供に言って聞かせるように優しく紡がれる彼女の言葉は彼の抵抗心を折るには充分であり、セベクは自身でも気付かない内に掛布とシーツの隙間に出来た空間に身体を滑り込ませていた。長い身体を伸ばして枕の上に頭を置き丁度人の様に横たわるセベクに向かって、掛布を持ち上げる手を下ろし其の脇に身体を倒した後で照明を落としたナマエは、声を潜めて彼へ呼び掛けた。

「今日ね、ディアソムニアの皆にセベク君の事聞かれたの。マレウス君もリリア君もシルバー君も心配してたよ。大切に思われてるんだね。」
『しるば※×Ωない』
「どうして?」
『わか◎□りりあ△○こころ』
「…やっぱり動物言語はもっと訓練しておくべきだったな。何を言っているのかさっぱり分かんない。」

 セベクは「シルバーが僕の心配をしている筈が無い」「若様とリリア様にご心配をお掛けして心苦しい」と言っていたのだが、上手く伝わらず其の歯痒さから布団の中に収まった尾をびたびたと跳ねさせる。彼の心境など知る由もない彼女は尚も話題を変え微睡みながら話を続けた。

「早く元に戻ると良いね。」
『…』
「蛇のセベク君も可愛いけれど、やっぱり元の姿の貴方に会いたいわ。」

 暗がりに隠れて頬を染めながら、自身が放った言葉に耐えきれず「おやすみ」とだけ残して掛布に頭を埋め、以降は何一つ口に出そうとはしなかった。引き上げた布団がセベクの頭も覆い隠したことにより二人で寝苦しい夜を過ごす事となったのだが、それは我々の知るところでは無い。

 息苦しさと何やら圧迫感を感じ、ナマエはいつもより遅い時間に目を覚ました。視線の先に設えられたカーテンに広がる空には東に昇りきった太陽が白く輝いている。ベッドサイドに目線をあげれば時刻は7時30分を回っており、そろそろ起きようと寝返りを打つと如何にもスペースが足りずに何かに身体がぶつかってしまう。やっと身体を転回させてベッドの中央に顔を向ければ、其処には象牙のように滑らかな肌を惜しみ無く晒して小さな寝息を立てるセベクの姿があった。
 眠っている間に元の姿に戻ったのだろう。呼吸の度に上下する厚い胸板と片腕に頭を乗せてナマエに向いて横たわっている為に上部に向いている逞しい肩は男の物であるのに、寝顔は幼く蛇の姿の時同様に可愛らしい。ナマエが目を奪われていると、視線に気が付いたのか長い睫毛を数回揺らしてからセベクが目を覚ます。微睡みの中で彼女の姿を認め、グリーンの瞳は煌々と輝き喜びに色づいた。

「おはよう。起こしちゃったかな。」
「いや、眩しくて。おはよう。」
「体調はどう?」
「大して変わらない。可もなく不可もなくといった所か。」
「そう。まあ、何はともあれ元に戻れてよかったね。」
「…は?」
「服着ないと風邪引くよ。」

 微笑む彼女の言葉に「信じられない」といった顔を見せた後で自身の身体に目線を落としたセベクは、其の裸体が鱗ではなく皮膚に覆われている事に気付きぴたりと動きを止める。そして状況を悟ったセベクは勢い良く上掛けを剥いで、部屋の入り口に置いていた衣服の入った鞄に飛び付いた。着替えに向かう途中、先程は布に隠されていた諸々が視界に入り込んで来たが「あまり見ては可哀想」かと、彼が着替えを終えるまでの間は両眼を押さえて視覚を遮断した。

「迷惑を掛けた…。」
「いいえ。セベク君こそ大変だったね。」
「不便だったし授業にも支障はあったが…悪いことばかりでは無かったというか…。」

 やや動き辛そうな寮服を着込み謝罪を口にしたセベクに、ナマエはベッドから降りて笑みを見せる。そしてキッチンへ向かい二つのグラスにオレンジジュースを注ぎ入れ未だ立ち尽くしている彼へ其の一つを渡してテーブルに着く。グラスを受けとったセベクは、彼女と過ごした二日間を思い出して赤面していたがナマエの目には留まらなかった。

「やっぱり、セベク君は大きいのね。部屋が狭く感じる。」
「す、すまない。」
「なんで謝るの?そういう意味で言ったんじゃなくて、この姿が安心するっていうか…。そうだ、今日私休みなの。セベク君もでしょ。もう一日私にくれない?夜になったら送っていくから。」
「えっ!」
「あ、先輩方に報告したいか。それなら明日でも、」
「いや、折角の誘いだ。付き合おう。僕としても手足があるこの身体で貴女と過ごしたい。」

 セベクの真っ直ぐな視線に心臓を射抜かれたナマエは勢い良く立ち上がると彼の手を取りキッチンへ向かった。そして彼らは一日中キッチンに籠りありったけの甘味を作り上げると、其の後は菓子にも劣らない健全で甘い時間を過ごし健全な時間に解散する事とした。

「送らなくて良い。貴女が一人で鏡の間から戻ってこなくてはいけなくなる。」
「じゃあ此処でお別れだね。忘れ物は…有る筈無いか。身一つで来たんだものね。」
「僕が此処に来る事はもう無いだろうが、貴女と三日間共に過ごせて良かった。世話と楽しい一時をありがとう。」

 其れに頷き徐に顎を上げて瞼を閉じた彼女に、セベクは首を傾げる。其の真意を理解し得なかったのだ。暫くそうしていたナマエであったが、中々思い描いた行為に及ばない彼に痺れを切らし艶めく唇を僅かに尖らせて漆黒の瞳に彼を写した。

「蛇の時は出来なかったでしょ?」
「何を、」
「キス。少し積極的にならなきゃ貴方は手を出してくれなさそうだから。」

 彼女はセベクが学生の身である為に恋人らしい干渉を避けてきたのだがどうせもう学生に関係が露見してしまっているし、共に時間を過ごしたというのに其の体温に触れられなかった寂しさ思うとこの行為を望まずにはいられなかったのだ。
 再度瞼を閉じて待ち続ける彼女に、暴れる心臓を抑えつつ上体を屈め自身の唇をゆっくりと軽く触れさせた。ものの数秒の事であったがセベクには何十分にも感じられ、リップノイズも鳴らない程に初で密やかな口付けを交わし即座に顔を遠ざける。満足気な彼女へ簡素に別れを告げ、足早に部屋を出ていった彼の顔が恥じらいで真っ赤に染まっている事を認めたナマエは彼が帰ってしまった蕭索を抱えながらも進展した関係に嬉々として、食べきれなかった甘味を処理する為に扉を閉じた。
 二人分のティーカップが佇む彼女の部屋は、開け放たれた窓から吹き込む春の匂いを乗せた風に満ちている。

終話