ある時、歌舞伎町に貼ったビラから珍しく怪しい電話が入ったが…

どうやら相手は日本語が若干不自由らしい


その当時の歌舞伎町は、中国人、台湾人、何系か不明の黒人の不良外国人が沢山居て、ナニをシノギにしてるのか?全く解らない状況で、日本ヤクザを加えての混沌とした裏社会事情となっていたと思われる


ので、外国人から電話が来ても全く抵抗はなかったが…

正直得体が知れない分日本ヤクザよりも怖さがあったのも事実

指定された歌舞伎町の中華料理屋(正確には歌舞伎町から少し離れた新大久保よりの日本人客が殆ど来ない中国人専門店で、メニューは全部北京語で書かれていた)

そこで陳と言う中国人と会う(陳と言う苗字は、日本で言う所の佐藤に辺り、日本人に陳と名乗る中国人は殆ど偽名だと予想される)

その時に陳氏に聴かれた事は、盗聴器を鍵の掛かった部屋の中に仕掛ける時はどうするのか?
と言う事だった

その時答えた答えは、鍵を普通に解錠して盗聴器を仕掛け、鍵を施錠してバレない様に部屋を出て、受信機は盗聴波を受信出来る位置に確実に設置する


盗聴屋として当たり前に答えたつもりだったのだが…
どうやらその答えに信憑性がなかったらしく(当時はピッキングと言う解錠技術が殆ど知られていなかった)俺が鍵をピッキングで開けられる事を信じて貰えなかったのだ

『裏師になる前に勤めていた探偵時代、独学で(渋谷アルバンで)HPC(アメリカのピックメーカー)ピッキング技術洋書を取り寄せて、見よう見まねでピッキング技術を会得した』

ピッキングと言う言葉が一般社会に出始めたのは、データハウス社からピッキング関係の本が出版された1998年頃だったと思われる

その後日本でも鍵師養成学校なる学校が、雨後の筍の様に出現し、独立開業系フランチャイズのにわか鍵師が大量増殖されたのは、表側の鍵師業界

裏鍵師業界でピッキングと言う技術が産声を上げたのは、多分食い詰めた盗聴屋の副業から始まったのではないだろうか?


盗聴屋……



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