「海行こうぜ」

それは鶴の一声ならぬひー君の一声から始まった。

「やだ。絶対やだ」
「なんでだ?ゼロも一緒だし平気だろ?」
「やだ!」
「雫、側から絶対離れないから。それでも嫌なのか?」

兄さんに言われても嫌なものは嫌である。
人混みは正直そこまで重要ではない。
海で人が多くても屋内じゃないし、混んでるとは言っても満員電車並みでない限りは平気だと思う。
嫌なのはそこではないのだ。

「何が嫌なんだ?」
「暑いじゃん!」

こっちはただでさえポンコツで体力のない体だっていうのに、あんなギラギラの日差しに当たったら焼けるどころか絶対溶ける。

「それに水着スク水しか持ってないし」

海で女子高生がスク水とか何それコスプレ?今通って居る高校は水泳ないから、中学の時の学年とクラスついたやつですけど?下手したらお名前も晒しちゃいますけど?なにそれなんて拷問?

「って言うだろ?そこはお前の優秀なお兄ちゃんが選びました」
「これだ」
「いつの間に!?」
「お前が嫌がる事を予測して予め用意しておいた」
「ドヤるな!!」

なんなんだこの悪いお兄さん達は。

「野郎二人で女物の水着を選ぶ俺の気持ちがわかるか雫」
「…ひーくんそっち系だと思われたの?」
「そこまでは分からないけど色んな視線に晒されて俺のメンタルはもうダメだ…お前が一緒に海行ってくれないと治らないかもしれない」
「結局彼女の水着選びを手伝ってもらっているって話でまとまっただろ」
「何故素直に妹の水着って言わないの…」
「それはお前、もうゼロの中で妹へのプレゼント選びイコール彼女へのプレゼントになってるからだよ」

ああ、そう言えば身に覚えあるや。
服屋行った時も店員さんに訂正しなかったもんなぁ。

「なんでそんなに私を連れ出したいの?二人で行くとかクラスの人と行くとかすればいいじゃん」
「だって雫こうでもしなきゃ外出ないだろ。それに俺とゼロは雫と行きたいんだよ」
「パーカーもパラソルも用意するし、無理に海に入らなくてもいいから行かないか?」

ここまで言われて頑なに断るのも申し訳なく思えてきた…
それにこの二人は完全に行く気満々だ。
なんせ水着を買ってきてる時点で拒否権を奪われたも同然だ。

「海の家で好きなもの買ってやるから」
「行く!」
「いやぁ流石お兄ちゃん妹の扱い分かってんなぁ」

前世で海には行った事あるけど泳いだことや海の家に行った事もなかったので、実はちょっとだけ興味があった。
ああいう雰囲気の中で食べる焼きそばやカキ氷って夏!って感じで美味しそうだよね。


ーーーー

「…兄さんの嘘つき」

結局海に行くことになった当日。
更衣室から出れば待っててくれている筈の兄さんは女性に囲まれていた。
ほらね、やっぱりね、あの人イケメンだからね!
ひー君も同じように囲まれていてなんとも言えない気分になる。
こっちは恥ずかしい格好してるのに勘弁してくれ。
兄さんが選んだらしい水着は所謂タンキニ水着ってやつだろう。
タンクトップと短パンの下はビキニなっていて、しかもホルタービキニ。
生まれて初めてこんなん着ましたけど。
下着でうろつくようなものだと直ぐにタンクトップと短パンははいた。
しっかりパッドとワイヤーが入っている事に気付いて、ここまで兄さんが考えて選んだのかな…という疑惑はさっさと消しさった。
世の中考えなくてもいいことはある。
それにしてもなんだあの女性の群れは。
ほぼ強制的に連れてきたくせに放っとかれるとかちょっと酷いんじゃないか?
普段はこんなに不満を感じることはないが、なんせ暑い日差しと人混みと、元々乗り気でなかったと言う事もあり、少しばかり苛立っていた。
もういい、知らない。
どうにでもなれと言う思いで思い切り声を張り上げた。

「零君待っててって言ったのに酷い!!」

彼女のフリして散らすことにした。
案の定私の声に気づいた兄さんが慌ててこちらに駆け寄るその腕にしがみついて、わざと見せつけるように肩に頭を預ける。

「真っ先に零君に見てもらいたかったのに!なんで居てくれないの!」

視界に捉えたひーくんは大爆笑だった。
まさか私から彼女のフリをするとは思わなかったんだろう。
ちょっと我儘な彼女ってこんな感じだよね。クラスメイトの彼女がこうだった。
どうやら勘違いさせれる程の演技力だったようで、彼女持ちかと引いて行く女性の波。
兄さんを見上げれば突然の出来事に唖然としていて、さっきまでの苛立ちは吹き飛んでいた。

「…雫、今日一日その呼び方でいろ」
「ふはっ!ゼロおまっ、気に入ってんじゃんか!」
「なんか新鮮だね零君」
「ああ、悪くないな」

すっかり調子の戻った兄さんは何処と無く機嫌が良さそうだ。
兄さん暑さでおかしくなってるのかな?
自分からやっておいてアレだけど、どうしよう。とひー君に視線をやれば、笑ったまま頷かれた。
そうじゃない、助けてって言ってんだけどねぇひーくん分かってる?

「…じゃあ私、今日は一日零君の彼女だから、ひー君はカップルと何故か一緒に来た友人ね」
「嘘だろ。俺無茶苦茶可哀想なやつじゃん」
「寧ろ邪魔者ポジションだな」

側から見たらどう考えてもそうだろう。
カップルと空気の読めないお邪魔虫な友人Aみたいな。

「ひー君が可哀想だからもう彼女やめる」
「速攻フラれたなゼロ」

じゃあもう腕組む必要はないなぁと離れれば、直ぐに手を掴まれてしまった。

「絶対に離れないって言っただろ?」

海のせいかなんなのか、私の兄さんかっこよ過ぎじゃないだろうか。
普通の女の子だったら一発で恋に落ちている。
事実この光景を見ていた女性陣が黄色い声を上げていた。

「…今日の兄さんかっこよ過ぎてどうしたらいいかわからない」
「楽しめばいいんじゃないか?」
「面倒事が嫌なら彼女のフリしておけ」

兄さんにそう言われてしまえば仕方ない。
ならばと空いている方の手でひーくんの手を握った。

「二股!」
「あ、そういう方向でいくのな」
「本命は俺だろう?」
「ゼロ、気にするところはそこじゃない」

初めは乗り気じゃなかったけど、この二人とならどこ行っても楽しいと思えるから不思議だ。






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