降谷雫がその存在を受け入れたのは、いつだったか。
幼い頃は前世の記憶を引きずっていた。
友人、家族、そして自分のことすら顔も名前もぼやけて思い出せないくせに、考え方や生き方はあの頃のままで、器だけが別人のようだった。
降谷雫の血の繋がった両親は知らない。
気づけば当たり前のように降谷雫という名前があって、常に血の繋がらない兄が側にいた。
まるで他人の人生を、私が代わりに生きているようだった。
新たな人生だと言うのなら、何故前世の記憶なんて余計なものを付けてくれたのかと思っていた。
それでも、兄が中学に上がり、私がまだ小学生だった頃、初めて兄と離れたあの頃、同級生らしい女生徒と兄が歩いている姿を見て、初めて覚えた嫉妬。
私のお兄ちゃんなのに。
あの時、私は初めて降谷雫という存在を受け入れた。
どこかで自分はあの人の妹なのだと無意識に思っていたんだ。いつも側に居てくれたから、それに気づかないまま。
まるで他人の人生のようだと思っていたそれは、自分が勝手にそう思い込んでいただけで、本当はどこかで受け入れていたんだ。
もうあの時の、殺された時の自分は居ないのだと。
今此処で確かに生きている私は、降谷零の妹。降谷雫なのだと。
降谷零は私の兄なんだと、今までただの情報としか思っていなかったそれが、じわじわと実感へと変わっていった。
今の私は降谷零の妹の降谷雫。兄の側で新たな自分で生きてもいいのだと。
それを受け入れた時、ぼやけるように見えていた視界が、初めてクリアに見えた気がした。
自分の人生ではないと何処か遠目に見ていた世界は、受けいれた瞬間とても綺麗に思えた。
兄さん。と呼ぶたびに胸が暖かくなる。
雫。と呼ばれる度に嬉しくて、私はちゃんと此処に居るんだと思えた。
きっと兄の存在がなければ、私は存在することができなかっただろう。
あの時の私はもう死んでしまったけれど、降谷雫はこうしてちゃんと生きて居る。

季節は夏。
27歳で死んだ私と同じ年、同じ季節を今の私は迎えていた。

ねぇ兄さん、前世って信じる?

一度だけ問いかけた事がある。
あの時、兄はなんて答えたのだろう。
何気なく問いかけたいつかの記憶は、ぼやけて思い出せなかった。
けれど一つだけ覚えているのは、その記憶がある事を兄に伝えることはしなかったと言うことだけだ。

「…兄さんは、信じるのかな」

空に浮かぶ無数の星屑を数えるよりも途方な私の話を、兄は信じるだろうか。
降谷雫になる前の私が殺された記憶なんて、今の私には不用だ。
あってもなくてもいい記憶なら、いっそ流れ星のように流れて消えてしまえばいいのに。
私が死んだのと同じように、記憶も共に死ねばよかったんだ。
そうすれば、こんな不安を抱くことなんて無かったのに。
この不安を終える為には、ただじっと、この夏が終わるのを待つしかないのだ。







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