今日から零はお兄ちゃんだ。

そう言って父親が連れてきたのは、三歳の小さな女の子だった。
見ている方が不安になる程に青白い肌をした幼児は、五歳とはいえまだ子供の零ですら不安になる程弱々しく、まるで風でも吹いたら飛ばされてしまうのではと思う程に儚く見えた。
今まで一人っ子で育ってきた零にとって妹という存在は初めて得た護るべき存在となった。

一人っ子であることに不便を感じたことは一度もなかった。
けれど、兄弟という存在に憧れを抱いた事がないと言えば嘘になる。
手を繋いで仲良く歩く兄弟や、共に遊ぶ兄弟を見た時、自分にも同じように弟か妹が居たのならと思う事は度々あった。
漸くできた妹は、零が思っていたのとは少しだけ違って居た。

「雫、楽しくないのか?」

妹は他の子供とは少しだけ違っていた。
買い与えられた人形で遊ぶこともなければ、同じ歳の子供達と居ても笑う事はおろか、楽しそうな姿を見せる事すらなかった。
なのにこうして声をかけると必ず笑ってお決まりの言葉を吐き出すのだ。

「ううん、たのしいよ」

その顔は零が遊ぶ子供達とは違っていて、どちらかと言えば大人が浮かべる笑顔に似ていた。
もしも弟か妹ができたのなら、その時は沢山可愛がって沢山一緒に遊んで沢山楽しもうと思っていた零にとって、それは物足りなさを感じるものだった。

「にいさん、もうかえらないと」

そして妹は兄である自分よりもしっかりとしていて、どこか大人びた空気を感じるたびに零はまるで自分の方が弟のようだと感じることもあった。
だからその度に自分に言い聞かせるように「じゃあ兄ちゃんと手を繋いで帰ろう!」と返していた。
自分が兄だと、そう言わなければ置いていかれるような気すらしたから。
そして妹の何処か距離を感じる空気は、弟どころではない、家族ですらなくなるのではないかというほんの少しの不安も感じていた。

「雫ってさ、しっかりしてるよな」
「…かわいげがない」
「ゼロ、お前兄ちゃんなんだからそんな酷いこと言ってやるなよ」

目線の先では女の子に腕を引かれながらままごとでもやらされているのか、どこか冷めた目で他の子供達を見る妹が居た。
少し距離を取りながら言われるがままに道具を持たされる姿はどう見てもやらされている。という言葉が正しい。
時折不満そうな顔をした子に何やら声を掛けられると、零がよく見るあの大人びた笑顔を浮かべた妹が見えた。

「…やっぱりかわいげがない」

妹が可愛くないとは言わないし、流石にそこまでは思ってはいない。
いないけれど、想像とは違う兄妹の関係に不満がないと言えば嘘になる。
まるで兄妹ができて嬉しいのは自分だけのような気がして寂しく思うのが本音だった。

「雫ー!そろそろ帰るぞ!」

子供は帰る時間だと知らせる音楽が流れると、幼馴染は大きな声で妹を呼んだ。
此方を見る顔はやはり笑顔とは程遠いものだった。

「雫、走ったらダメだろ」

見た目通りか弱い妹は他の子供よりも体力もなく、少し走っただけで息を切らし、酷い時は倒れ込む程だった。
急いで駆け寄ろうとする妹の元まで走ってその手を握れば、一拍置いてから弱々しく握り返す手。
この瞬間だけは、自分が兄として認められている気がして好きだった。
いつも無表情に見える妹の顔は少しだけ照れたように見えるのも好きな理由の一つだった。

「じゃあ三人で手を繋いで帰るか!」
「俺の妹だからな!」
「わかってるって!いいじゃん俺だって雫と手を繋ぎたいんだから」

そう言って幼馴染が反対側の手を握ると、やっぱり妹は少しだけ照れたように見えた。
くすぐったそうなその横顔を見ながら一緒に帰るのが、好きだった。

そんな大人びた妹が泣く姿を初めて見たのは、お互い小学生に上がってからだった。
小学校の遠足で低学年と高学年でそれぞれ別の場所へ行った時、妹の担任が慌てふためきながら博物館に来ていた零を迎えに来た。
遊園地に居るはずの妹が、何故か急にパニック状態になって泣き喚きながら零を呼んでいると言われた時、不安よりも妹に求められていることへの喜びの方が上回った。
いじめられていようと表情を変えることなくやり過ごす妹は、まるで誰の助けも要らないように見えていた。
だからこそ、求められたことが嬉しかった。

「雫っ!」

教師に案内された先に居た妹を呼べば、ボロボロと涙を溢れさせる大きな瞳が零を見た。

「っ、に、さん、にいさ…っ」

しゃくりあげながらボロボロ涙を流して求めるように伸ばされた腕に急いで駆け寄って抱きしめれば、その細い腕がしがみつくように零の背中に回された。

「ふ、ぁ…っ、うっ、に、さっ、にいさぁ…っ」
「大丈夫、大丈夫だから」

やだよ、しにたくないよ。と泣きじゃくりながら必死にしがみついては自分を求める声。
にいさん、にいさん。と自分を呼び求める声に、自分はこの子の兄なのだという実感を得たような気がして、嬉しかった。
ちゃんと兄として必要とされているのだと、そう思えた。

「大丈夫、兄ちゃんが側にいるから」

だから大丈夫だと同じように抱きしめれば、過呼吸気味だった呼吸は徐々に落ち着いて、擦り寄るように寄せられた頬は涙で濡れたせいか、ほんの少しだけひんやりと冷たかった。

「ふ…ぅ…っ」
「大丈夫、大丈夫だから。ちゃんと兄ちゃんが護るからな」

散々泣きじゃくって疲れた妹は兄の体温に安心したのか、気付けば穏やかな寝息を立て始めた。

「やっぱりお兄ちゃんじゃなきゃダメなのね。ありがとう零君」

妹の寝顔を見てほっとしたように笑った教師に、力強く頷いた。
妹を護れるのは自分だけなのだと、だから絶対に側を離れないと誓った日。
そして少しだけ、兄妹の関係が変わった日。








戻る
top