ある日家に帰ると、先に帰宅していた妹が見覚えのないぬいぐるみを抱きしめていた。
「ぬいー!」
「わ、れーくん待った待った、くすぐったいって…!」
まるで自分の意思を持ったかのように動くぬいぐるみが居てたまるかとか、何処で拾ってきたんだとか言いたいことは山程あったが、先ずしたことはそのぬいぐるみを妹から引き剥がす事だった。
「…何をしているんだ?」
「ぬいっ!ぬいっ!」
妹の胸元に入り込もうとして居たぬいぐるみを引っ掴めば、まるで抗議するようにジタバタとその小さな手足をバタつかせるが、放すわけないだろ。
「兄さんおかえり」
「ああ、ただいま。このぬいぐるみは兄ちゃんが処分しとくな」
「ぬいー!!」
林檎三個分ほどの大きさのぬいぐるみが再び抗議の声を上げたが、こんなものを雫の側に置くわけがないだろ。
下心の塊のようなそれをさっさとゴミ捨て場へと放ってやりたい。
「ダメだよ、れーくん私のだもん」
れーくん。
勿論俺ですら呼ばれたことのない名前でぬいぐるみを呼びながら返してと両手を広げた妹。
「なんでぬいぐるみにそんな名前を…!」
「だって兄さんに似てるから。ねー?れーくん」
「ぬいっ!」
へらりと笑った妹と、肯定するように鳴くぬいぐるみ。
「兄さん、私のれーくん返してよ」
私のれーくん。と呼ばれるのは俺ではなくこの忌々しいぬいぐるみだと思うと、今すぐ燃やしてやりたかったが、そんなことをすれば文句を言われるのは目に見えている。
「ぬいーっ!」
「よしよし、大丈夫だよれーくん」
悩みに悩んだ末、手を離した途端に妹の胸へと飛び込むぬいぐるみとそれを抱きしめる雫。
「れーくんは抱き心地がいいね」
「ぬい〜」
「わ、チューしてくれたの?」
「ぬいっ」
ぽふり、と雫の顔にくっついたぬいぐるみに、雫もまた同じように唇を寄せた。
そして俺の方を振り返ったぬいぐるみがドヤ顔したように見えたのは気のせいだろうか。
「雫、そいつは燃やそう。今すぐ灰にしてやる」
「ダメだよ、私のれーくんだもん」
だからなんだよその私のれーくんって。
ぬいーっ。と間抜けな鳴き声を上げてまたもや雫にキスをするぬいぐるみ。
…こいつわざとやってるだろ。
「れーくん肌触りいいから気持ちいいね」
やめろ。ぬいぐるみを抱きしめて顔を埋めるのを今すぐやめろ。そいつはただのぬいぐるみじゃない。下心の塊だ。今すぐ燃やせ。
沸き上がる怒りをぶつけようにも、すっかりぬいぐるみを気に入った妹がそれを許すとは思えない。
…どうしたものか。
「兄さんはれーくんかわいくない?」
「お前は同じ名前をつけられたぬいぐるみを可愛いと思えるか?」
「…うん、まぁそれはちょっと…でも兄さんそっくりだしかわいいしいいかなって…わ、ちょ、だから服の中はダメだって!」
くすぐったいのかクスクス笑いながらTシャツの中へ潜り込もうとする淫獣。
俺の古着だからかぶかぶかのその中へ入るのは簡単らしく、頭を突っ込んでいるぬいぐるみを掴み上げた。
「ぬいー!」
「黙れこの淫獣が。燃やすぞ」
なに人の妹に手を出そうとしているんだ。
「私のれーくん返してー!」
私のれーくん私のれーくんって…
「お前のれーくんは兄ちゃんだけで十分だろ!」
なんでポッと出のぬいぐるみがお前のれーくんになってるんだ。
あと暴れるなこの淫獣め。
「兄さん零くんって呼ばれたいの?」
違うそうじゃない。
どうして俺の妹は変なところでズレているのだろうか。
…おい淫獣、バカにしたように笑うのをやめろ。
「そうだと言ったらこいつをれーくんだなんて呼ぶのをやめるか?」
「えぇ、でもそれ私のれーくんだもん」
「お前のれーくんは俺だけで十分だ。この淫獣は捨てろ」
「淫獣って…」
あれは戯れてるんじゃない、確実に素肌を狙っていた上に胸に行く気満々だったからな。お前が気付いていないだけで。
「れーくんって名前あるのに酷いなぁ」
「お前のれーくんは俺だって言ってるだろ?」
「何の主張なのそれ…ほら、おいでれーくん」
頑なにぬいぐるみを諦めようとしない妹は、尚もぬいぐるみに手を伸ばしていた。
「ぬいーっ!?」
「れーくん!?」
実力行使に出るしかないだろう。
にっこりと妹に微笑んでから全力で後方にぬいぐるみを投げ飛ばした。
ばしん、と聞こえたし壁にでも当たったんじゃないか?ざまあみろ。
どっちが本物且つ雫の零くんか思い知らせてやろうじゃないか。
「雫、俺は?」
「に、にーさん」
ぬいぐるみに駆け寄ろうとした体を抱きとめて笑顔のまま問いかければ、そろりと視線を逸らした妹が呟く。
「違うだろう?もう一度」
「れ、零くん」
「目をそらさずもう一度」
「…れい、くん」
気まずそうに見上げた瞳に満足して笑えば、ひくりと引きつる口元。
まだお仕置きが終わってないだろう?
散々言ったにも関わらずぬいぐるみをれーくん呼び…しかも私のれーくんなどと呼んだ口をどうしてやろうか。
とりあえず、あんなぬいぐるみには到底できないキスをしてやろう。
抗議をするように俺の足に絡みつくぬいぐるみを踏みつけて、俺の雫を堪能するようなキスをした。
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