第肆話

勢いが感じられない扉がゆっくりと開く。
隙間から漏れていた橙の光は眩しい程に目に飛び込んできて、とても眩しく思わず目を細めた。
そしてその橙に当てられている入口に立つ人物は、金糸の髪を持ち、更に光を吸い取っている。
とりあえず扉がゆっくりと開いたことからそこまで危険視する相手ではないのだろう、とか頭の隅っこで考えながらその人物を見ようと目の上に影を作るため手を伸ばした。
今までにないタイプ。
それが一番最初の印象だろうか。
よくある外国の青年、と言った具合で歳は20いっているかいっていないかぐらいだろう。
上半身を見てまた網か、と落胆しそうになるがどうも彼の服はそういった模様らしい。
プッチさんと同じぐらいまともな人だといいのだが。
と、内心諦めムードを漂わせているとあまり日常生活で嗅ぎなれない匂いが鼻をくすぐった。
動物の匂い?動物園の匂いを極限まで薄くした感じ?
とりあえず彼は動物と触れ合っていたとしか考えようがない。
1歩彼が前に出て、扉を後ろ手で閉める。
その姿がどことなく優雅で気品のあるように見えてしまった。
が、それは一瞬で崩れ去る。
急に頬の一部が崩れ、口が裂けていく。
やっぱりまともではなかったのか、と少々落胆。
まるで口裂け女なのだが、少々形が歪な気がする。
そしてすんすんと鼻を動かした後、口を開いた。
あっ、肉食獣のような牙。

「甘い匂いがする」

「おかえり、ディエゴ。意外と早かったね」

プッチさんが微笑みながらディエゴと呼んだ青年に顔を向ける。
ディアボロの反応はどうかと顔を動かすと、どうも怯えていない様なので私の肉体への損傷をするタイプじゃないことが容易にわかった。
ずっと鼻を動かし続けているディエゴへと目を動かす。
甘い匂いとはなんなのだろうか。

「ディエゴ、此奴が例の女、希美だ」

「“ 例の”とは失礼な」

思わずディアボロの頭を叩く。
・・・本当に思わず手が出たが、これって相当失礼なのでは。
当の本人をみると、特に気にしていない素振りだったので大丈夫そうだ。
やはりそういった点も日本人とは違うのだろう。
胸を撫で下ろそうとした際、ゆらりと視界がズレる。
さっきまで真っ直ぐに見えていた物が斜めになり、横になった。
一瞬理解出来ず、呆然としていると、どうも私は倒されたらしい。
それもとても優しく。
首に息がかかり、生温い。

「って、えっ」

「ディエゴ、なにをやっているのかい?」

目を動かせば先程の金糸が映る。
こんな金髪他にいないので、プッチさんの言葉と併せて理解をした。
理解はしたが、把握はできないんだが。
何故私はディエゴに倒されているのか。

「コイツから甘い匂いがする」

「えっ、えっ、私お菓子とか持ってませんよ、ってか何も持ってないです」

「ふーん、ってかお前あれか、処女だな」

すぱーん、という乾いた音が響き、先程まで視界いっぱいだったディエゴの頭が減り、プッチさんの服の一部が視界に入ってきた。
経験がないことをここまで複数人に言われるとは思っていなかったので、赤面どころか呆気に取られてしまう。
本来のうら若き乙女とか言う神話生物ならば、ここは顔を赤らめて可愛げのある素振りでもするのだろうが、それどころじゃない。
体の拘束が恐らくプッチさんによって解かれる。
その隙に、と言わんばかりにディアボロが間に入りディエゴとの距離が空いた。
ディアボロに手を取られ、ゆっくりと立ち上がる。

「隙あり」

だが、体勢を立て直したディエゴがプッチさんとすり抜け、ディアボロを蹴り飛ばしまた距離を詰められる。
近い、日本人の距離感を知って欲しい。
次は倒さないらしく、そのまま私の肩に顎を載せる形で匂いを嗅がれている。
正直こんな事体験したことがなくて困惑する。
というか、世の日本人女性の大半がしたことないだろう。
拘束されているが、カーズ程の力を込めたものでは無いので、振りほどこうと思えば出来そうだ。
が、私の視界を先程からウロウロするこの、尻尾の様な物に私は心奪われている。
毛が生えていないそれは爬虫類を思わせる光り方をしていた。

「んー、いい匂いだ」

すりすりと頭を擦り付けられる。
・・・これは悪くないな。
どう見てもイケメン、ただちょっと口が裂けて尻尾が生えているが、そんなディエゴに熱烈で好意的なスキンシップを受けるのは少しばかり気分が高揚してしまう。
まぁ、ここが死後の世界でなければ1番だったのだが。
拘束と言えないレベルだったので腕は簡単に抜け出し、無意識に彼の髪へと伸びる。
ふわふわとした金糸はまるで猫を撫でているかのようだ。
自分の世界に入っていると、ちらりと視界の端で動くものを見つけた。
どうもそれは先程すり抜けられてしまったプッチさんの服の裾だったらしい。
逆にこちらを通り越し、室内の奥へと進んでいく。
片手に持っているのは円盤…と言うと、ひとつしか思い当たる節がないのだが。
それをどうする気なのか。

「カーズ、ディエゴ、私は聖職者だ。つまりは、自身の手であまり荒っぽいことをしたくはない」

そう言いながらずぶずぶとディスクをカーズの頭に差し込んでいく。
確か、あれを抜いたことで仮死状態になっていて、それを戻せば息を吹き返す、ということは。
これは…私の命の危機では?

「彼女は清らかであるべきだ。少しばかり手伝いをしてもらおう」

その後はまた同じことをするようなら躾として眠っていてもらうがね。
とプッチさんは続ける。
発言を訂正しよう。
ディエゴの危機、だ。
恐らく私に対して暴行等を加えようとすればプッチさんが止めに入ると容易に想像がつく。
しかしながらディエゴはどうだ?
むしろプッチさんからすれば発言を考えるに排除するべき対象となっているようにしか思えない。
そう考えている内にもディスクはカーズの頭に半分以上も入ってしまった。
そして流石は摩訶不思議生命体、全て入り終わっている訳でもないのに既に体がぴくぴくと活動を開始し始めている。
もしくは私が知らないだけで少しでも体に入っていれば認識されるのかもしれないが。
ディスクと聞くとCDやDVDを連想してしまい、しっかり入らないと認識されないという感覚に陥る。
しかしここは私の知らない世界であって、少しの疑問すらも此処では常識であったりするわけで。
そんなことを考えていると、肩に頭を乗せていたディエゴがスンスンと鼻を強めにならした。

「これは・・・カーズが動き始めたな」

そう言いながら体をするりと離していく。
少し残念な気がしながらも、彼の安全を考えるならばこのまま被害が及ばない場所に逃げてくれるといいのだが。
それを現実とするには私がディエゴの盾になるしかあるまい。
恐らくは私が死ぬことは無いし、仮に死が近づいたとしても何名かが助けてくれるはずだ。
・・・自惚れだろうか。
少しづつカーズに近づいていくディエゴに手を伸ばし、肩を掴む。
思ったよりもずっとがっしりとした肩は、否が応でも男性であり、人とは違う姿からしても筋肉等が違うことを感じさせた。

「私が君を守るよ」

笑顔で言っているつもりだが、顔の表情筋がぴくぴくと痙攣してしまう。
しかも言われた当の本人は、何言ってんだこいつという表情だ。
プッチさんですら怪訝そうな表情を浮かべている。
ディアボロは知らない。
だが、ディエゴを五体満足でこの場を切り抜けさせるためにはこれが最善だろう。
腹をくくれ。
自分より若い可能性があるイケメンを死なせたりしたら世の女性にどんな報復をされるか分かったもんじゃない。
……まぁもう死んでいるが。
ずいっと前に出て、ディエゴの前に立つ。
既にカーズは上半身を起こしていて目をぱちぱちと何度も瞬きさせていた。
暫くして私に気がついたらしく、ニヤリと笑う。
覚悟を決めろ。

「南無三!」

少しでも被害を減らそうと顔の前で腕をクロスさせ、抵抗を試みるが、摩訶不思議生命体に対してこんな無駄なことやってるなんて正直アホらしいと瞬時に考えてしまう。
死ぬことは無いのだろうが、それまでの過程を経験してしまうなんてなんという運のなさ、そして愚かさ。
自分で突っ込んでいってるんだから自業自得としか言いようがない。
カーズの腕が伸びてくる。
語弊はなく、そのままの意味で伸びてくる。
が、背後からの爆発の音が原因でなのか動きが止まった。
・・・・・・爆発?

「一体なんの騒ぎだ」

男性の声がする。
先程から聞いていた者でないことから、他の住民だろう。
若くもなく、かと言って歳を召している感じもしない。
ただ1点、疲れている声だとは思った。
そして爆発とともに声がしたということは、声の主が爆発を起こしたと考えて良いだろう。
そういえばなにが爆発したんだ?
扉・・・なわけないだろうから、爆発しても大丈夫だと判断されているもの、つまりはディアボロか。
ゆっくりと後ろを振り向き、爆発の煙幕を確認する。

「うわ、ディアボロの欠片すら残ってない」

ディアボロが立っていたと記憶している場所には爆発の残痕である煙のみで、彼自身は揶揄でもなんでもなく何も残っていなかった。
煙の向こうにはスラリとした、しかしよく見る日本人男性のシルエットに似た人物が立っている。
ただ、少々平均より背が高いような気はするが。

「キラ、おかえり」

「キラが遅いから味見をしようとしていたところなのだ」

プッチさんとカーズが矢継ぎ早に口を開く。
ディエゴは私の腕を掴み、近くに引き寄せた。
これは、その、シチュエーションをここだけ切り取るならばとても素晴らしいものなのだが、如何せん目の前で起きた事が物騒すぎる上に、2人目の放った言葉がどうしようもないのだ。
ディエゴがその言葉の主から守ってくれようとしていると勝手に思い込んでおくが、その甘いシチュエーションと現在起きている物騒な事柄、天秤にかけるとどうしても物騒な方に気が取られてしまうのも仕方なく思える。

「あぁ、キミ。起きたのか」

そしてその言葉が思ったより優しげな声で安堵してしまったのは、吊り橋効果とか言うやつなのだろうか。

第肆話

(佐々木希美さんだったかな)
(あ、はい、そうです)
(すまないね、騒がしくして)

(2021/08/18)曲峯 かのん

乱雑カルテット