非常に珍しいことが起こった。
どうやらあの秘密主義の極まったベルモットが、ボスに幹部と成り得る存在として、一人の男を紹介したらしいのだ。名前も顔も何一つとして、前もって幹部の面々には知らされていなかった。
ベルモットに対して寛容なボスは、その男が幹部に相応しいか否か見極める期間を設けた。所謂試用期間というやつである。末端構成員には得ることの叶わない情報を与え、行動を観察する。NOCであればそれらしい行動を起こすだろうし、本当に裏の人間であるならばまたそれに相応しい動きを見せるだろう。ジンはその監察官としての役目を与えられた。対象者の名前はエルシオ。本名かどうかは分からない。というより、組織としてあまり重要ではない。最重要事項は、この男がNOCか否か、それだけだ。
エルシオは、もとは末端構成員として運び屋や他の人間の任務での送迎役を担っていたらしい。どこでどのようにベルモットと出会ったのかは、ジンは聞かされていなかった。
「……あ、どうも。エルシオです。今日は送迎役で呼ばれてるんだけど、間違いないですか?」
「…あぁ、間違いねぇ。テメェはベルモットの子飼いのエルシオだな?」
「あれ、ベルモットはそういうの、他人に話さないと思ってました。合ってますよ」
「普段はあの女の任務に連れまわされているらしいが?」
「やー、北国の方で仕事してた時になんか気に入ってもらえたみたいで、それからはほとんど日本にいて、専属みたいに車出してます。あとは用心棒とか、パーティーなんかのときの相手役とかも時々。…だから久しぶりなんですよね、他の人の送迎って。あ、もしかして幹部の方ですか?」
エルシオの車の後部座席にジンが乗り込むと、車はゆっくりと抵抗なく発進した。卒のない、ベルモットが好みそうな丁寧な運転だった。仲良く会話するつもりもないのでエルシオの問いかけは無言で流したが、それに対して何を言うわけでもなく、目的の場所へと車は向かっていく。
裏社会の人間にしては、このエルシオという男は嫌に明るい雰囲気を纏っている。善人の気配がした。根暗で重苦しく、それぞれがそれぞれ腹に一物抱えているような連中ばかりのこの組織の中で、エルシオのような人間は非常に珍しいと言っていい。ジンは善人が大嫌いだった。裏社会に浸かっていながら他人に情けを掛けようとするような偽善者なんかは、さらに嫌悪していた。
今回のジンの目的はNOCの始末だ。どこぞの国の諜報機関から無謀にも送り込まれたそのNOCは、自らの正体が知られたことに気づいていないのか何なのか、今日も偽りの忠誠心をぶら下げて組織の任務を熟していることだろう。この上なく間抜けなことに、NOCはどうやら任務帰りに古巣の人間とコンタクトを取ろうと考えているらしい。そこを叩いてしまおうというジンの算段だった。
「着きましたよ。ここで待てばいいですか?」
「時間をかけるつもりはねぇ。ここで待機しろ」
「足元に注意してくださいね」
「……あ?」
「ちょっとした、占いみたいなものだと思ってください。釣れた獲物ばかり見て足元が疎かになっていると、今日は少し危ない」
雲のせいで月明かりもないから。
運転席から琥珀の瞳をこちらに向けて、意味深にエルシオは口角を引き上げる。
全てを知っているとでもいうかのような気味の悪い笑みに、エルシオへの不快感がざわりと湧き上がる。気持ちが悪い。子飼いになると飼い主に似るのだろうか。返事もせず下車し、ジンはNOCが仲間とコンタクトを取っていると報告されている場所へ向かう。
この組織は長い年月をかけてあまりにも大きな影響力を持ちすぎた。その結果こうして多くの国から探りを入れられ、常に狙われる存在となった。組織の恐ろしさが世界に知れ渡ることを悪いことだとは思わない。しかしあまりにも、上手い具合に中枢に潜り込んでくるネズミが多い。それがジンの悩みだった。
*
NOCを、コンタクトを取っていた人間もろとも捕捉し追い詰めることは簡単だった。血の気を引かせた二人の顔を見て、ジンはくつりと喉を鳴らす。あまりにも無謀。どんなに優秀なNOCを寄こそうが、ジンの鼻を欺くことは難しい。ほんの少しの違和感、たった一度のミス、日々の言動の綻び。そんな些細なことから、NOCたちは簡単に命を散らしていく。
今現在、ジンの目線の先で必死に逃げ出す策を講じているであろう二人も、同じように命を落とすのだ。エルシオが先ほど言っていたように、厚い雲のせいで月明かりは一筋たりともこの人通りのない道を照らすことは無かった。しかしジンの放った銃弾は外れることなくNOCたちの腹部を貫く。ここ数年、本当にこの手の任務が増えた。一度人事でも見直すべきではないのかとジンは思うが、組織の上層が慢性的に人手不足なのも間違いではない。来るもの拒まず、怪しい者は切り捨てる。現状これが最善手であることを、ジンは諦めと共に理解していた。
だからこの任務も、非常に面倒極まりないが必要なことなのである。長引かせるつもりはない。さっさと終わらせてしまえと、次は頭部に照準を定めて引鉄を引こうと指を掛けたとき、左足首に一瞬、赤熱した鉄でも押し当てられたのかと思うほどの熱と痛みが走った。同時にジンは事の全てを悟り、怒りに舌打ちを漏らしていた。
つまるところこれは、NOC自身を囮にした自爆作戦だったのだ。ジンは誘き出されたのだ。NOCを殺しに来るジンを、恐らくどこかから見ていた狙撃手が、立ち上がって追ってくることが出来ぬよう足を撃ち抜いた。すぐにその場から飛び退いたから良いものの、あのままとどまっていればもう片方の足か頭のどちらかを撃ち抜かれていたのではないだろうか。あまりの屈辱に歯ぎしりの音が響く。
エルシオの言葉が頭を過った。足元に注意しろと。占いのようなものだと言ったあれは、この作戦を知っていたのか、それとも本当に占いだったのか。そんな現実味のないことがあるだろうか。
「嫌な予感ばっかり当たるんだよなあ」
腹立たしいことこの上ないが、逃走の手段を考え始めなければならなくなったジンの目の前で、NOCたちは二人、額に穴をあけてその場に崩れ落ちた。そうして静まり返ったその場に響いた緊張感の欠片もない声に、痛みも忘れてジンは瞠目した。
___ああ。
ずるりとジンを引きずるようにして、おそらくは狙撃手の死角に移動したのであろうエルシオは、ジンの足首に空いた穴をちらりと見て溜息を吐いた。
___ああ、この男は。ただの表の善人でも、裏に生きる偽善者でもない。裏社会に存在してなお、何が狂ったのか善人として成立している。
優男の成をしたこの男は、数秒前撃ち殺したふたつの死体に視線もくれず、当然のようにジンの足首を晒すと手当を始めた。脳内麻薬でも出ていたのか、静かに狂っているようなエルシオが面白くてたまらなかったのか、喉を鳴らして嗤いをこらえるジンに、引いたような視線を寄こして、エルシオは呆れた声を漏らした。
「ベルモットから聞かなかったの?俺の勘のこと」
「言っていたかもしれないがテメェに興味が無かったから忘れた。…が、いや、あの魔女もなかなか面白い人材を引っ張ってきたもんだ」
「…何言ってるかわかんないけど、とりあえず迎え呼んだら?俺ここの始末してから帰るから、送れないよ」
「…あ?掃除屋くらい適当に呼びつけりゃいいだろう」
「自分でできるのにわざわざ呼ばないよ。ほら早く」
急かされるままウォッカを呼び出したジンはすぐさま処置を施すための施設に運ばれ、死体の後始末や偽装工作はもろもろエルシオに任せた。その後現場に調査を入れたが後始末に不備は無く、エルシオの不気味なほどの器用さが露見することとなった。
その後数回、他の幹部も交え様々な分野の任務をエルシオは熟した。そのどれも、彼は不足なく卒なくやり遂げる。パーティーに放り出せば目立ち過ぎず埋没せず器用に情報を集めその傍らベルモットのエスコートをし、潜入任務に向かわせればあっけなく目的を達成して帰還する。人を纏めて動かすことも苦手ではないようだった。ボスは彼の能力を絶賛した。ジンの目の前でNOCを屠ったことも、信頼感に拍車をかけていたのだろう。
そうして彼は、万能の薬箱の呼び名に持つサンブーカとして、幹部の席に座ることとなったのだった。
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