最近ナマエの様子がおかしい。




突然太宰から発せられた言葉に、中原は灰皿に向けていた目線を隣の男に向ける。
左隣に座る太宰は、頬杖をつきながらグラスの中の氷を見つめていた。


「はぁ?何だ其れ」
「そのままの意味だよ。最近、何だか様子が変だ」
「…そうか?」
「そうだよ。現に、今の状況がおかしいじゃないか。何が悲しくて中也と二人で肩を並べて酒を飲まなきゃならないんだ」
「喧嘩売ってんのか手前」



この日は太宰、中原、そしてナマエが同じ任務にあたっていた。

早々に任務を終えた帰り、何時ものように行きつけのバーに向かっていた三人だが、店に入った瞬間にナマエが急用を思い出したと飛び出して行った。
本来なら互いを毛嫌いしているこの二人が酒を飲み交わす等滅多に無い事だが、店に入ってしまっていた事もあり、太宰と中原はそのまま席に着き酒を飲んでいた。が、暫く続いた沈黙を破り、ついに太宰が口を開いた。



「変だと思わないかい?あのナマエが酒も飲まずに帰るなんて」
「アイツをアル中みたいに云うなよ」
「そこまでは云ってないけど。今日だって、飲みに行こうと最初に云い出したのはナマエだよ?本当に緊急の用があれば説明すれば良いし、日を改めようともしない。それに、義理深いナマエなら一杯位付き合ってから出ていくのが自然だよ」



よくもまぁそんなに彼女の事を語れるものだと、若干引き気味で話を聞いていた中也だが、太宰の云う事は確かにそうだった。
任務の時は何も感じなかったが、店に着いて直ぐに彼女の電話が鳴り、その時の対応は珍しく動揺していたようにも見えた。云われてみれば、普段完璧主義者のナマエの姿としては違和感が残る。



「それに」



太宰がグラスを置き、此方に視線を向ける。



「何だか、避けられているように感じる」



そう話す声は少し低く、二人を包む空気が冷えたように感じた。

中原は煙草を灰皿に押しつけると大きく息を吐き、酒を一気に煽る。



「何女々しい事云ってんだ手前は。直接アイツに聞きゃあ良いだろうが」
「これだから単細胞は…」
「あ!?」
「確かにナマエの秘密主義は今に始まった事じゃないけど、私達に隠すなんてよっぽどの事だ。それを直接本人に聞いて応えると思うかい?」
「……ま、あ確かに、そうだけどよ」
「原因が何かハッキリさせないと解決しない。と、云う事で何かあったら私に教えてくれ」
「…判ったよ」



納得したような、そうでないような声で答えながら、中原は新しい煙草に火を点ける。白い煙を見ながら頭の中では彼女の事を思い浮かべていた。

何か極秘の任務を任されているのか、それとも何かに巻き込まれているのか。いずれにせよ、明日から少し彼女を観察しなければならない。
今までに無い状況に多少困惑しつつも、中原は今後について考えを巡らせた。




その後、トイレに行くと云って姿を消した太宰の分の支払いをする羽目になり、中原は怒り狂いながら本部へと戻った。




















「ナマエ」



翌朝。

会議に向かう為廊下を歩いていたナマエは、背後から呼び止められ後ろを振り返った。



「太宰、」
「おはよう。今から会議だろう?」
「そうだけど…珍しいわね、太宰が早朝会議に出るなんて」
「私だって一応幹部だからね。毎回サボってたんじゃあ部下に示しがつかないよ」
「…ふうん?」



怪訝そうな表情を浮かべるナマエに笑顔で返しながら、太宰は口を開いた。


「ところで、昨日は大変だったみたいだね?」
「ああ、別に大した事じゃ無かったから平気よ。ごめんね?突然出てったから驚いたでしょう?」
「全くだよ。お蔭で中也と二人、何の面白みも無く酒を飲む羽目になってしまった」
「ふふ、いいじゃない。たまには相棒と仲良くやるのも」
「アレの相棒呼ばわりされるのは不本意だし不愉快だよ。…で、昨日の埋め合わせはしてくれるんだろう?確か今日の夜は空いているよね?」
「あぁ…、ごめん、片づけておきたい書類だ溜まってるの。時間が出来たら声を掛けるわね」
「…そう、じゃあ待ってるよ」



会議室に着くとナマエは直ぐに自分の定位置に着席する。

それを見届けると、太宰は廊下に戻り先程から後ろを付いてきていた人物に声を掛けた。



「君ねぇ、やる事が大胆すぎだよ。警戒されたら如何するんだい?」
「ナマエの死角になってたから問題無い。それより何で問い詰めねェんだよ、明らかに嘘吐いてんだろ」
「まだこっちの情報が少ないんだ、何を聞いてもはぐらかされてたよ」
「チッ、役に立たねぇ…」
「慎重派と云って欲しいね。脳筋の君よりマシだと思うけど」



バチバチと見えない何かが見えそうな程険悪な雰囲気に、事情を知らない周囲の構成員達は思わず息を飲んだ。



「…はあ、こんな事をしていても時間の無駄だ。私は会議に出るから、下手に動かないでくれるかい?」
「手前に云われなくても判ってる」



互いに背を向けて歩きだす二人を見て、成り行きを見守っていた周りの人間は胸を撫で下ろした。
いつもはこの二人を止めてくれるナマエの存在が、今回の原因になっているなど想像する者は誰も居なかった。










其れから三日が経った。
任務は滞りなくこなし、会議は毎回時間通りに出席、他組織との会合も問題無く進めているナマエ。
その姿は何時もと同じ完璧主義者の彼女そのもので、周囲の人間は何の疑問も抱いていない。

しかし、太宰と中原は日に日に彼女の変化に敏感に反応するようになり、そしてその原因を未だに掴めていない事に苛立ちさえ感じていた。
彼女を問い詰めようにも、さり気なく自分達を避ける彼女を捕まえる事が出来ず現在に至っている。



(一体何だってんだ)


眉間の皺が増えた事を自覚したのは今日の朝。
中原は苛立ちから早くなる歩みをそのままに、自分の執務室を目指していた。

その途中、嫌でも通る彼女の執務室の前で足を止める。


(…何だ?)


記憶の中では彼女は確か任務で外に出ている筈。
しかし、何故か室内から人の声が聞こえた。


(鍵が空いてる)


もしかしたら彼女の変化の原因が其処にあるのかもしれない、と中原はドアノブに手を掛ける。
断りも無く勝手に入室するという、少しの罪悪感を抱きつつ、部屋の中に足を進めた。



「っ!ちゅうや…!?」


扉を空けた先には、今日は任務に出ると自分に話していた筈のナマエが居た。
嘘を吐かれていたという事実に、中原は沸々と怒りの感情が込み上げてくるのを感じた。


「…お前、任務は如何した」
「え、っと…予定より早く終わって、」
「朝、俺に云ったのは確か遠方での任務だよなァ?あれから五時間も経って無ぇが、どうやって戻って来たんだ?あ?」
「…ごめん、朝寝ぼけてたから何か勘違いしていたのかも」


問い詰められても嘘を吐き通そうとするナマエに、中原はいよいよ感情を抑える事が出来なくなってきていた。
何を其処まで隠そうとしているのか、此処まできたら意地でも吐かせないと気が済まない。


「私首領に呼ばれてるから、行くね」


この期に及んでまだ逃げようとする彼女を見て、遂に中也は動いた。

自分の横をすり抜けようとするナマエの肩を掴み壁に押し付ける。
右手で肩を、左手で壁を押さえ、彼女の逃げ道を完璧に塞いだ。



「っ…、中也、」
「いい加減にしろよ」


低い声で睨みを利かせる中原を目の前にして、流石にナマエの逃走する意思をかき消される。
明らかに自分に対して怒りの感情を向ける中原に、恐怖心さえ抱いていた。



「最近妙な動きをしてるのは何だ?」
「…何の事?」
「誤魔化すんじゃねぇ。現に、今だって俺に嘘吐いてただろうが」
「だから、勘違いしてただけだって、」
「…ここまで来てまだ白を切る心算か」



なら、と冷たい視線を向け中原はナマエの身体を押さえつける。
中原の只ならぬ気配を察知したナマエは身をよじるが、力では到底敵う筈も無くされるがままの状態である。



「無理やりにでも吐かせてやるよ」



そう云うと彼女の太腿に手を這わせる。
何をされるか瞬時に理解したナマエは慌てて中原を止めようと声を発した。



「ちゅうや…!だめ、本当に!」
「五月蠅ェ。少し反省しやがれ」
「わ、わかった…!わかった!話すから…っ」



必死に中原の腕を掴むナマエは観念したように声を上げた。














「にゃぁ」



真っ白な毛に丸い瞳。

目の前の光景を見て、此処が横浜の闇と恐れられるポートマフィア本部だと誰が思うだろう。




「猫」
「猫だね」
「猫です…」



任務に出ていた太宰の帰りを待ち、事情を説明する為二人の前に正座するナマエ。

ナマエの腕に抱かれた子猫が高く鳴いた声が室内に響いた。



「…二週間位前にね、任務の帰りに路地裏で見つけて。少し抱っこしたら懐いちゃって、付いてくるから放っておけなくて…」
「それで、此処で隠れて飼ってたのか?」
「だってマフィアが猫とか…。それに、エリス様に見つかったらちょっと、ね」



話す間もずっとナマエの手にじゃれつきミーミー鳴いている猫を見て、太宰と中原は大きな溜息を吐いた。
こんな事の為に自分達は神経をすり減らしていたのか、という想定外の結末に何だか肩すかしをくらった感じだった。
それと同時に、彼女に何も無かったという事実に安堵した部分もあった。だからこそ、本気で怒る事も出来ずに目の前で小さくなるナマエを見つめた。



「ったく、散々振り回しておいて結果が此れかよ…」
「別に私は振り回してませんけど」
「あ?」
「ごめんなさい」
「それにしても、私達にまで隠す必要は無かったんじゃないかい?」
「…中也は、絶対、捨てて来いとか云いそうだったし、」
「お前の中で俺は極悪人なのか」
「治は…」
「私は?」


「この子を見たら耐えられないでしょ?」


云いながら、ソファの陰から出てきたのは子猫と同じ大きさの子犬。
目の前に差し出された其れを認識した瞬間、太宰は声に成らない叫び声を上げた。





二匹の里親が見つかるまでの約一カ月、太宰がナマエに関わろうとする姿は極端に少なくなり、

構成員の間には太宰とナマエが大喧嘩をしたという噂が流れた。


  


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