彼奴と初めて会ったのは俺がマフィアに入って間もない頃。
紅葉の姐さんに連れられ、本部の廊下を歩いていた時だ。きっと彼奴は覚えていないんだろうが、俺はあの日の事をはっきりと覚えている。
すれ違いざま、姐さんと挨拶を交わした後一瞬だけ俺を見下ろした目は決して好意的なものでは無かった。
憐れみや同情、そして悲しみが入り混じったような目。そんな、表情をしていた。
マフィアに入った時から、周囲から敵意や嫌悪感が滲み出た目線を向けられていた為に、そういった目を向けられる事に抵抗も何も無かったが、彼奴の印象は強く残った。
金糸雀色の髪を靡かせ、スラリと伸びた手足が美しさをより際立たせていた。歳は然程離れていない筈なのに、当時の俺は手が届かない存在のように感じたのを覚えている。
「ナマエは特殊な存在じゃ。安易に触れると後悔するぞ」
今思えば、きっと姐さんは俺が彼奴に特別な思いを抱いている事に気付いていたんだろう。
この言葉の意味を理解する頃には、俺はマフィアの戦力として前線に出るようになっていた。
ちょうどそんな時、ナマエと初めて二人で任務を担当する事になった。
「…貴方が、中原中也?」
任務前日、
中原は作戦プランの確認をする為にナマエに呼び出しを受け、彼女の執務室を訪れた。
既に準幹部に昇格していた彼女は個室をあてがわれており、室内は資料等で溢れかえっていた。
部屋に入った瞬間首領の前とは違うプレッシャーを感じて足が重くなったような感覚を覚えた中原だったが、拳を握り軽く深呼吸をした後視線をナマエに向ける。
「嗚呼、そうだ。…明日の任務はツーマンセル。一応、立場はアンタの方が上だが、俺は俺の判断でやらせて貰うぜ」
挑発的な言葉を発する中原に、ナマエは怒る訳でも、不快感を露わにする訳でも無く、ただじっと彼の眼を見つめる。
経験値は明らかに自分の方が下、生意気な発言だと中原は自分でも重々承知していたが、試さずにはいられなかった。
自分のこの発言、行動にどんな反応をするのか、
純粋に、一条ナマエという人間を知りたいと中原は思ったのだ。
「…判った」
静寂が続いた空間に、ナマエの凜とした声が響く。
「貴方の云う通り、今回の任務はツーマンセル。私以外は誰もいない。好きな様にやれば良い」
「但し、」
琥珀色の瞳をスッと細め、ナマエは改めて中原に視線を向けた。
吸い込まれそうなその真っ直ぐな眼に、中原は一瞬身体が強張るのを感じた。
「貴方が好きにする様に、私も私のやり方でやらせて貰う。何があっても、私に干渉しないで」
其れだけ云うと、ナマエは業務に戻った。
何を云われるか身構えていた中原だったが、たった其れだけの事か、と無意識に入っていた肩の力を抜き何も云わずに部屋を後にする。
まだこの時、中原はナマエの言葉の意味を理解していなかった。
其れを任務当日に知る事になる。
任務当日。
港の外れにある倉庫の前で中原とナマエは落ち合った。
今回の任務の内容は縄張り争いをしている組織を壊滅させる事。
其れ程大きな組織では無いが、商売をする上で都合の良い場所を巡り数年前から小競り合いが続いている。
何時迄もくだらない争いを続ける事は時間も労力も金も無駄になる。この長い争いに終止符を打つ為、ナマエと中原に命が下りた。
昨日の執務室での会話が引きずり、お互い何も喋らず何とも云えない空気が漂う。
しかし任務を遂行する為には突入の合図は勿論、必要最低限の会話は必須。
最終的な確認をしようと中原が声を掛けようとすると、ナマエが静かに口を開いた。
「私は頭を仕留める」
「、は?」
「貴方は好きにすると良い」
「オイ、何を」
するとナマエは倉庫の入り口を破壊し、単独で中へ乗り込んで行った。
突然の彼女の行動に驚いた中原だったが、慌てて後を追った。
「何だテメーは!?」
彼女の存在に気付き倉庫内にいた組織の男達が一斉に攻撃態勢に入り、銃を向ける。
敵の威嚇を物ともせずに突き進むナマエに、攻撃が開始された。
(何なんだ彼奴、)
銃弾の雨の中を表情一つ変えずに進んでいくナマエを見て、中原の米神から汗が流れる。
圧倒的に有利な人数差である筈なのに、其の死を恐れぬナマエの姿に敵の男達は恐怖すら感じている様だった。
頬や肩、腕、そして脚を銃弾が掠め、血が流れても、ナマエは一切止まらずに進んで行く。
しかしナマエも的確に敵を銃で撃ち落とし、そして中原も自身の異能を使い二人で確実に敵の人数を減らして行った。
「手前、死にてェのか」
倉庫の一階部分を制圧すると、中原は低い声でナマエに声を掛けた。
対してナマエは中原に背を向けたまま何も答えず、銃弾の補充をする。
その姿に中原は小さく舌打ちをした。
(干渉するなってそう云う事か)
昨日の執務室でのやり取りを思い出し、中原は言葉の意味を漸く理解した。
しかし、まるで自殺行為とも云える先程の彼女の行動は同じ任務を担当する者として無関心を通す訳にもいかなかった。
「手前が如何なろうと俺には関係ねェが、任務で下手打たれると迷惑なんだよ」
「…それは、貴方にも云える事でしょう」
「あァ?」
やっと声を発したナマエの言葉に、中原の眉間に皺が寄る。
意味が分からない、と云う顔を向ける中原を無視してナマエは壁際に積まれた荷の前に立ち其れを見つめた。
「如何云う意味、」
「中原」
「…何だよ」
「此れ、貴方の異能で退かしてくれる?」
ナマエが指さす先にある木製の木箱。彼女の身の丈より大きく頑丈な其れは上に三段積まれており、人力で動かす事は不可能な物である。
自分の質問に答えず指図してくるナマエに苛立つ中原だったが、盛大な舌打ちをした後右手に異能を発動させ、いとも簡単に横へ動かした。
「!」
「…当たり」
動かした事で、足元に違和感を感じ下を見た中原は目を見開く。
床に、人が一人出入り出来る程の大きさの階段が出現したのだ。
驚く中原を余所に、ナマエは予定通りとでも云うように冷静な反応を見せ、何の躊躇も無く其の階段を降りていく。
それに中原も黙って続いた。
「何時から気付いてたンだよ」
「…何が」
「此の階段の存在だ。前に来た事があるようにも思えねぇ」
暗い階段を降りながら、中原はナマエに問いかける。
電気も蝋燭も何も無いその階段を、ナマエが異能で掌に灯した炎が鈍く照らしていた。
「初めから」
「あ?」
「昨日此処の見取り図を見て、地下室があるのは最初から判ってた」
「…其れで、何でわざわざ地下室に行く必要がある?敵なら片づけただろうが」
「アレは全部末端の構成員。どれだけ殺しても替えは居る。組織の主要人物は恐らく、この先」
ナマエの言葉一つ一つが、中原には大きな衝撃だった。
先程倒した敵の中に居た指示を出す男。他の構成員達がその男を守る様にしていた為、彼が頭目だと思い違いをしていた。
そしてこの地下室の存在。自分も此処の見取り図は事前に見ていたが、こんな場所の存在等気付きもしなかった。何より、あの複雑な見取り図を頭に全てインプットしている事に驚きを隠せなかった。
敵のフェイクを見抜く観察眼、何処までも先を読む頭脳。
彼女が女でありながらポートマフィアの準幹部にまで上り詰めた理由を、少し理解出来たように中原は感じた。
「貴様達ッ、真逆ポートマフィアの連中か!?」
地下室の奥にある扉を開けると、ナマエの予想通り敵組織の頭目と数名の幹部と思われる男達が居た。
「…成程、流石ポートマフィアの犬。此の地下室に気付くとは、只のお嬢さんでは無いようだね?」
「お褒めに与り光栄です。…ですが、犬は主人の命に従順な生き物です。早く戻らねばなりません」
そうナマエが云うと、一気に室内が炎に包まれる。
何も無い部屋に突然炎が出現し、頭目を取り巻く男たちは動揺を隠しきれずにいた。
「炎を操る異能力者か、」
「首領の命です。どうか、安らかに」
頭目の男を見やり、ナマエは銃を構えた。
数発の銃声が響いた後、中原の異能により地下室は崩れ落ちる。
その反動で倉庫自体も崩壊し、脱出した二人は瓦礫と化したその場所を静かに見つめていた。
ナマエが部下に迎えの要請の電話をし終えた後、中原は静かに口を開いた。
「…さっきの言葉、」
"貴方にも云える事でしょう"
「結局、如何云う意味だ」
中原の問いかけに、ナマエはゆっくりと振り向き中原と向き合う。
闇に包まれた中、月明かりの光が彼女の髪の美しさを一層際立たせていた。
「…貴方、異能以外で戦える?」
「!」
「見た所、貴方はまだその力をコントロール出来ていない。そんな不安定な状態で戦場に出ている方が、私からしてみれば自殺行為同然よ」
確かに、自分でも力に頼りきっている自覚はあったし、異能に飲まれてしまう感覚を感じるようになったのも最近感じていた。
しかし、先程の短時間で其れを見抜かれてしまった事に衝撃を受け、中原は言葉を返す事が出来なかった。
「それに、事前調査と確認は基本中の基本。力だけでどうにかなる事には限度がある。状況によっては情報量が戦況を左右する事だってある」
「…んな事、判って」
「無い、から資料も碌に見ずに来たんでしょう。それじゃあ、いつか力に飲まれて自分を滅ぼすわ」
「……」
「完璧にコントロール出来るようになるまで、異能力以外で戦う術を身に付けた方が良い。…まぁ、"一応立場が上なだけの"私の云う事なんて聞かなくても良いけれど」
「…手前、根に持って…ッ!?」
「……中原?」
突然膝を着き、体を震わせる中原。
想定外の事態に、ナマエは近付こうとするが地面が陥没し、上手く近付く事が出来ない。
(…異能の、暴走?)
背中を嫌な汗が伝う感覚に、ナマエは必死に考えを巡らせた。
「何ッ…だ、ってんだ…クソッ」
幸い、まだ理性はあるようだ。
しかし放っておく訳にもいかない。早くこの場から立ち去らなければ、軍警が嗅ぎつけてきてしまう。
「!?オイ、手前…、来るんじゃ、ねぇ!」
力を抑えきれずに暴走を続ける中原に、ナマエは少しずつ近付いていく。
そして蹲る彼に触れると、
「っ…!!」
震える身体を、静かに抱きしめた。
予想外の彼女の行動に驚きを隠せない中原。
しかし暴走は止まらず、身体に触れているナマエの身体はその衝撃で傷ついていく。
「オイ!離れろッ!…マジで死にてェのかッ手前…!」
「っ、平気、」
「何が、だ…!折れてるだろうが、その腕…!」
「私は…簡単に死なないッ、死ねないの、」
「…は、っ?」
折れた筈の腕をさらに首に回し、二人の距離を埋める。
その瞬間、胸に激しい痛みが走るが構わずナマエは中原を抱き締め続けた。
(…肋骨、イったかな)
口の端から血が流れる。
それでも、この手を離す事が出来なかった。
「"中也"」
突然名を呼ばれ、中原は周りの音が全部消えたような感覚に陥る。
「大丈夫」
「怖くない」
その言葉が耳に、脳に、身体に響き中原は身体の震えが止まった事に気付く。
そして漸く異能の暴走も止まり、酷使した身体が悲鳴を上げ、その場に座り込んだ。
「は、はッ…」
「っ…、」
「!オイ、大丈夫か」
「…う、ん」
「どうやって…如何して止まった?」
「…言霊」
「言霊?」
「私の中の、巫女の力を言葉として伝えた。やった事も無いから、かなりの賭けだったけど」
彼女の生まれた神社やその力についての話は聞いていたが、真逆本当に神通力のようなものを持っていたのか、と中原は目を見開いた。
ぐったりと自分に寄りかかるナマエを支え、中原もそのまま地面に横になる。
見上げた空に浮かぶ月の光が妙に眩しく感じ、目を閉じる。
間もなく到着するであろう部下達にこの状況をどう説明しようか、そんな事を考えながら中原は意識を手放した。
翌日、ナマエの執務室を訪れると昨日の怪我が嘘のように、何時もと変わらない姿が其処にあった。
「本当に、簡単には楽になれねェみたいだな」
「…貴方はこの部屋で挑発か嫌みしか云えないの?」
報告書に目線を向けながら返事をするナマエ。
それでもその声は柔らかいものだった。
「…助かった」
「!」
「お前のお蔭で気付いた事もある。礼を云っとくぜ」
「…姐様に何か云われた?」
「流石にバレたか。昨日こってりしぼられた」
嫌に素直な中原に、ナマエは背後に見える存在の名を出した。
苦笑いを浮かべる中原を見て、ナマエも自然に頬が緩む。
「だが、お前のやり方も褒められたモンじゃねぇ。もうあんな真似するなよ」
「はいはい」
「其処で、だ」
ナマエの前に束ねられた資料を置く。
其れと中原を交互に見て、ナマエは首を傾げた。
「ナマエ、俺とまたツーマンセルで任務だ」
ニヤリと笑みを浮かべる中原に、ナマエはふわりと笑顔を返した。
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