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審神者は親が存在しなかった。
死んだのか、捨てたのか、はたまた違う理由か。もう今となっては知る術はないし、彼女は知りたいとも思っていないが。
審神者はずっと政府――歴史防衛本部総務課の管轄の施設の元生かされていた。衣食住はもちろん、何を学び、何を感じ、何を思うのか。思考、情緒、行動。それら全てが矯正され、着々と政府の理想の審神者へと成長を遂げていた。
しかしこれは彼女だけが特別ではない。
少なからず、彼女の周りには似たような子どもが多数存在した。そんな子どもたちを立派な審神者へと導く、先生と呼ばれる大人の存在も。
大人も子どもも皆、刀剣のために学び、刀剣のために生きていた。
彼女は今になって思う。自身も、子どもも、大人も皆狂っていたのだろうと。審神者になる、審神者を育てるという至極簡単な目標の元、いつの間にか刀剣たちに魅入ってしまっていたのだろうと。
ああけれど、だからこそ。己が目を覚ましたからこそ、魅入られている人間たちの悍ましさったらない。
刀剣を見て浮かべる笑顔が、ワントーン上がる声が、無意識の内に媚びへつらう一挙手一投足が生理的に、としか言いようがない嫌悪感を彼女に抱かせるのである。足の多い昆虫やけばけばしい色の植物を目撃したのに似た、不快感。
「──きみは何に怯えているんだ」
鶴丸国永は審神者の背中に問いかける。
審神者は──1人の少女は答えらえず、ただただ静かにへたり込み俯くだけである。
「あの時いたやつらは全員殺してやっただろう。煩くて仕方なかったからな」
「ええ、あの時いた人はみんな死にました。けれど、ただそれだけよ」
彼女が鶴丸を顕現した瞬間を見た人間は、すでにこの世には一人も存在しない。今しがた彼が言ったように、鶴丸本人の手によってきれいさっぱり首と胴が切り離されてしまったからである。
子供の死体と、床に転がる数十人の首。騒ぎを聞き駆け付けた人間全員が、あまりの衝撃と濃すぎるほどの血の匂いに当てられて嘔吐しその場は騒然となったのだ。
彼女は必死に叫んだ。一人の子供が政府内部の人間に殺されるまでの顛末を。たった今目撃してしまった、神に狂った人間の惨状を。
「鶴丸。あなた、何人の人間を殺しましたか?」
「あー…何人だったか。ざっと10はいたような気がするが」
「15人です、あの子を含めると16人」
あの日、ものの数刻で16人の人間が死んだ。
さっきまで生きていた人間が、ぱったりと動かなくなった。
「それなのに政府は、あそこは、何もなかったと判断した。たった紙1枚で16人の死を処理したの」
上層部は頭を悩ませた。
──今回の事象をどうなかったことにするか。
鶴丸が不愉快だからと斬ってしまった数、死んだ人間が持っていた肩書き。どれを取っても到底、見て見ぬ振りできるものではなかった。しかし問題にするわけにもいかなかったのだ。
「みんな、みんな同じだからよ」
現状、審神者になれるのは霊力を保持している者のみ。でなければ顕現も出来ず、刀剣に人の形を保たせることも出来ないからである。――そう、なりたくてもなれない人間が存在するのだ。
今現在、霊力を持たない人間が審神者になる術はない。
だからこそたった1人特別になるために、神たちを統べる立場を手に入れるために水面下で足掻いている人間も存在する。――それが16人の犠牲を出した儀式の根っこなのだ。
「事実、あの儀式であなたは顕現されて私の刀になった。――彼らからすれば一筋の希望でしょうね」
「誤解してほしくないんだが、俺はきみに呼ばれたんだぜ。ああ、今思い出しても堪らないな。必死に俺の名前を呼んで、ただただ俺を求めたあの瞬間が」
「……つるまる、」
「――やっと俺を見てくれた」
過去のこととなるときみは、俺のことを見てくれなくなるな。
そう、形の良い眉尻を下げながら呟く鶴丸国永は酷く寂しそうで。長く美しい指でゆっくりと審神者の目じり、鼻先、頬を撫でつけていく。
鶴丸が審神者から目をそらすことはない。それどころかまるで心底好いている相手に向けられるような、甘い甘い色を含んでただただ彼女を見つめている。――まるで、ではない。心底好いているのである。
鶴丸国永からの寂しさを、甘さを、体温を知るのは生涯ただ一人。今目の前で体を震わせ必死に涙をこらえている、か弱き少女。
鶴丸国永は人間が好きだ。
短い短い生涯の中、必死に足掻き、必死に生きて。そんな様は見ていて飽きないし、それどころか新鮮な驚きを与えてくれるからである。
もちろん、彼女もまた人間の中に含まれる。しかし鶴丸が彼女に抱く感情は、好きという言葉だけでは言い表せないほど複雑であり重く深いものである。
彼女が今ここで死ねと命じれば、喜んで首をかききるだろう。彼女からの命令はなんだって嬉しい。
――この子の道は俺が開こう。
行き先を邪魔する者がいるなら、脅かす者がいるなら。迷いなく俺は刀を振るう。この刀を返り血で染めることだって厭わない。むしろこの子の為になるのならそれ以上の刀冥利に尽きることはない。
「なぁ、きみ。何にも怯えることはないだろう。俺も、みなもきみの為なら喜んで刀を取る」
「違う、私は自分の力で生きていきたいの。あなたたちの力だけじゃ私もあの人たちと何も変わらない。それだけは、死んでもいや」
「死んでも、なんて寂しいこと言ってくれるなよ。俺は暫くきみを死なすつもりは毛頭ないぞ」
鶴丸の細く、大きな体が審神者を包み込むように抱きしめる。右手は後頭部に、左手は背中に。
「俺たちを顕現するということも、俺たちの主だということも。紛れもないきみの力だろう? もっと誇っても罰はあたらないぜ」
「――ねぇ、鶴丸?」
審神者の声は酷く寂しそうであった。
年相応の、否まるで幼子がはぐれた親を呼ぶようなそんな声色。鶴丸はなんだい、と静かに問い返す。
彼女の言葉を邪魔しないように、静かに短く。
「もし私が、あなた達に魅入られてしまったら。その時は。その時は――私を殺してね」
「きみなぁ。さっきも言ったが、暫く死なすつもりは」
「命令よ。それなら聞いてくれる?」
「……おいおい。それはずるいぞ」
は、と笑い声にも溜息にもならない息を吐く。
困ったような、呆れたような、途方に暮れたような――喜びを、隠しきれないような。
「きみが望むなら喜んで受け入れよう。なに、黄泉の道は独りじゃ退屈だろうからな。俺が隣を歩いて、とびきりの驚きを提供しようじゃないか」
道案内は任せてくれよ。
そう鶴丸が囁いて初めて、審神者は安心したような笑みを浮かべるのである。