8.ハレ晴レジゴク
ロナルドはバスケ選手になった。教師になった。吸対に入った。中小企業の会社員になった。ポールダンサーになった。獣医になった。警察官になった。アイドルになった。探偵になった。記者になった。編集者になった。消防士になった。俳優になった。考古学者になった。小児科の医師になった。脚本家になった。公務員になった。飼育員になった。検察官になった。保育士になった。小説家になった。
けれどほとんどは、やっぱり吸血鬼退治人になった。
退治人になったが、ドラルクと出会わなかった世界もある。やっぱり出会って、本当に英雄となってしまった世界もあった。
死の原因は吸血鬼だったり、もしくは誰かを庇ったり、事故にあったり、突然不治の病に罹ったりと、様々だった。私の目の前で死ぬ時もあれば、気が付いたら命を失っている時もあった。
とにかく、必ず自分の生まれた日に、その命を落としていた。
何歳の誕生日で、とかは特に決まっていなかったが、ロナルドが死ぬ前日――八月七日は、必ず雨が降った。空をひっくり返したような強い雨が絶対に降った。それが、それだけが、私に分かる唯一の前触れだった。日を跨いで降り続けた雨は、夜明けとロナルドを浚って、何事も無かったように消え去る――ついでの戯れとばかりに、私の存在すら攫って。
そうして私は終わり=A再びはじまり≠ヨと立ち戻る。
私だけが、全ての記憶を保持したまま。
つまり、まあ、改めて言うまでもないことだけれど、私はロナルドの死が原因でこんなことになっていた。
当然、最初は助けようとした。
でも考えても見てほしい。二十代くらいで終わっては子どもに戻り、そこからまた、大体二十年弱。そんなとても短いとはいえない時間を、記憶を保持したまま繰り返すのだ。終わりのみえない、不毛な人生を。
私が元凶であるロナルドと関わりを絶とうと考えたのは、もはや至極自然なことであった。
中学を待たず、小学生、いや、目を覚ました時点から早々にヒデくんから距離を置き、退治人にならない人生を何度か歩んだ。そうして会社員だったり大学院生だったりして、平々凡々な人生を送っていても、ある日――豪雨の上がった八月八日の夜明けには、気が付くと幼い頃のあの日に戻っていた。
住んでる土地が悪いのかと、新横浜から出たこともある。けれどさすがに、子どもが引っ越したいと望めば二つ返事でそれを叶えてもらえるような家庭環境ではない。苦渋の決断として、私は『ヒデくん』に乱暴≠ウれたという、ありもしないひどい嘘を親へついた。『こわくてひどいことをされたから、もうこの子がいる場所はイヤ』と。震える声で頼み込めば、両親は私を抱き締めて、引越しを約束した。そして、ヒヨシくんやヒデくんには、頭を下げさせた。大人たちに教育を罵られ、人格否定までされ、果てには冷水をかけられても、ヒヨシくんは冷静に謝罪を繰り返していた。ヒデくんはそんな兄の足にしがみついて、ひたすら泣いていた。こうして色んな人に迷惑をかけ、傷付け、最低なことまでして、私は新横浜から出て行った。にもかかわらず、運命は変わらなかった。まあこれに関してはある種の天罰ともいえたので、大きな落胆はなかった。
結局変わらず繰り返すなら、ロナルドを助けようと生きた方がマシなのだろうか。助けたら、なにか変わるのだろうか。
そう考えて、またロナルドを助ける方へ人生の舵を切ったこともあった。
けれど何度か試みてから、やっと思い出すのだ。ああそもそも、彼を助けること自体が、私には不可能なのだった、と。
どうしてこんなことになってしまったのか。私がいったい何をしたのか。私の何が悪かったのか。
いくら考えても、その答えはでなかった。
愚かな私に分かったのは、ことの全てはロナルドのせいだ、ということだけだった。
……いや、本当は、ロナルドの落ち度なんて一つもないのだ。むしろロナルドこそ真で最たる被害者だと、正気に戻った今ならいえる。けれど当時の私の認識は、幾度もの人生を繰り返した弊害で、醜く歪んでしまっていた。
私は、数百年の間思考を放棄し、ただただロナルドを憎悪し恨むだけの、暗くて寒い、暗澹たる人生を送っていた。
∞
目を開ける。ぼやけた視界に広がる薄暗い部屋はいつも通りで、時間もきっと、いつも通りの時刻なのだろうなと思った。のそのそ起き上がって時計を確認し、肩を竦める。ほらね、五時。アラームなんて、もうここ数百年かけていなかった。
ぺたぺたと素足のまま、ひんやりした廊下を歩く。この家のどこにも、私以外の人間の気配はない。私は高校生ながら、一人暮らしを許されていた。許されたというか、薦められた。『あなたは頭もいいんだし、遠い学校を選んだら。生活に必要なお金は支援するから』と、親から遠回しに、家から出ていってくれと提案されたのだ。両親が子どもらしからぬ振る舞いばかりな私を疎ましく思っていることは知っていたので、私は素直に従った。昔はあんなに愛してくれたのにな。あれ、むかしっていつだっけ。……まあいっか、むかしのことなんてどうでも。ああそれに、新横浜から少しでも離れた場所で生活できるのは、こちらとしても願ったりなことである。アレとの遭遇率が減るから。
手狭な洗面所に立ち、ぼんやり鏡を見つめる。白い蛍光灯を被る顔も、やっぱりいつも通りだ。いつも通りの見慣れた、それはもうひどい顔。青白い顔に、目の下に鎮座した濃い隈。いつもとなにも変わらない。
そのことに安心して、口角が持ち上がる。合わせて鏡の私が笑顔を作った。それは安心した自分を嘲笑っているように見えた。すぐに笑顔を消し去れば、のっぺりとした陰気な相貌が戻ってくる。それでもあの不気味な笑顔よりかは、マシかもしれない。
「……頭がおかしくなりそう」
鏡を見て、いつも通りの自分に安堵して、すぐさまそれを自戒して、「頭がおかしくなりそう」と呟く。もう長いこと続けている朝の儀式だ。いつから始めたことかは、忘れてしまった。
頭がおかしくなりそう。
自分でそう言えるうちは、きっとまだ、正気なはずだ。だって本当に頭がおかしい人は、頭がおかしくなりそうなんてきっと思わない。思えない。そうだ、そうに違いない、きっとそう、そうなはずだ。
「だいじょうぶ」
私はそれを――自分がまだまともであることを確かめたくて、性懲りも無く自分を慰めてあげたくて、鼓舞したくて、安心したくて、そう思っていたくて、釘を刺したくて、戒めたくて、均衡を保っていたくて、おかしい私のおかしくない部分を掻き集めたくて――なにより、もうこれ以上おかしくなりたくないから、毎日せっせと口を動かしていた。
「だいじょうぶ」
コップの縁から大きく盛り上がった、今にも溢れんばかりの水のような狂気を、少しも揺らさないように、溢さないように、これ以上注がないように――それからこれ以上、無意味に泣かないために、そう答えていた。
「だいじょうぶ」
蛇口を捻り、落ちてきた冷水を手のひらで受け止める。止まらない水はあっという間に手の中から零れていき、体温の奪っていった。私は手の感覚が失われていくのを感じながら、小さな水溜まりが決壊し続けるのをじっと眺める。
大丈夫。私はまだ、だいじょうぶだから。
適当に身支度を整えて、朝食もとらずにローファーを履く。まだ登校には早すぎる時間だが、家にいても息をする以外にやることがない。やりたいこともない。本もゲームももうつまらない。勉強に関しても同じくではあったが、学校で自分以外の人間の呼吸に触れている方が、一人で家に閉じこもっているよりはマシだったので。楽しいというか、安心する。集団の中にいると、自分もその一員になれたような感じがする。まあ、それが勘違いなのは嫌になるほど理解してるけど。
扉を開けるなり、私はうんざりしてしまった。だって夏めく空は快晴で、辟易するほど青くって。否が応でも、大嫌いな誰かさんを想起させた。太陽に目を焼かれるのも気にせず、胸糞悪い気分で青空を睥睨する。ああクソ、朝から嫌な気分だ。死にたい。死なないけど。死んだところで辿る結末が変わらないことは、とっくの昔に検証済だった。
結局私は、どうやったって自分の意志をもってして、本当の意味で終わることはできないのだ。
最低最悪。それもこれも、すべて、あの男のせいだ。
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