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「うるっっっせえ!」
 寝起きの勢いのまま荒々しく窓硝子を叩くと、張り付いていた蝉が青空に吸い込まれていく。せっかくの休日だってのに最悪なモーニングコールだ。ナンパならよそでやって。ていうか蝉の裏側えっぐ。
 虫が大の苦手だった私だけど、普通にぽんぽん存在するデカい蚊や、たまに街を歩いてる吸血化した野菜のおかげで虫的生き物に対する耐性がもうかなりついていた。嬉しいような嬉しくないような。
 窓を開け放ち、外の空気を呼び込むと、生暖かい風が寝癖で爆発した髪を少しだけ揺らした。遠くから蝉の鳴き声がする。私が追い払った蝉だろうか。
 世界はすっかり夏だった。つい昨日長い梅雨が明けたばかりなのに。燦々と照りつける太陽に、青々とそよぐ豊かな葉。こりゃーまた時間飛んだな。でも一ヶ月くらいかな? 予想を立てながら携帯を確認する。寝る前からきっちりひと月だけズレて表示された日付にビンゴと口角を上げた。
 うん、だいぶ慣れてきた。
 ◆
 今すぐアイスを食べなきゃ気が狂う持病が発作を訴えたので、クローゼットに掛けていた夏服を身に纏う。当クローゼットには春夏秋冬オールシーズン分各二セットずつ常備しております。ね、慣れたもんでしょマジで。五分で身支度を終わらせて家を出る。熱をたっぷり吸い込んだコンクリートが、履き古したサンダルから剥き出しの足をじりじりと熱した。世界は茹だるような暑さだったが、外は熱気の籠った家の中よりかはまだマシな気がする。あー、エアコンつけて出てくるんだった。
「あーっ!」
 最近――と言ってもこの世界の時間で換算するならもう二年前だが――できたコンビニに足を踏み入れようとした瞬間、聞き覚えのある大声が轟いた。開いた自動ドアから流れてきたオアシスのような冷気に包まれながら振り返る。
「ロナルド君じゃん」
「ロナルド君じゃん、じゃねーよ」
 グルコサミンと書かれたTシャツを着たロナルド君が荒い足取りで近付いてくる。なにそのTシャツ。ていうか背がすごい伸びている気がする。前回会ってからたった一ヶ月少ししか経ってないのに。男子高校生の成長期、恐るべし。
「最近よく会うね」
「はあ? 一年ぶりだろ」
「タンマ」
 怪訝そうに眉をひそめた彼にちょっと待ってくださいのジェスチャーをする。西暦をググッて、検索結果に現れた予想と一年違う数字に天を仰いだ。……ズルだ! 引っ掛けじゃん! 自動車学校の試験問題並のせこさだ。
「一年で最近って……そりゃ、十年会わなかった時もあったけどさぁ……」
「あー……歳とるとね、日々が光陰矢の如しっていうか。こう見えても私……あ、アラフォー? だから……?」
「自分で言っててちょっと自信なくしてんじゃん。絶対うそだろ」
 呆れ顔で「なに適当こいてんだ」と言われるが、でも保険証の生年月日も同級生だった彼女と一緒のものだし。そうなるのかなって。実年齢は、まあ、まだ一応二十代前半なんだけども。
「そもそも女性に年齢の話はよくないよ。デリケートな問題だから」
「言い出したのはアンタなんだが?」
 不貞腐れるロナルド君を宥めながら今度こそコンビニに入る。陳列は少しだけ目に新しいけれど、たった一年ではそこまでの大きな変化はない。安心安全のチェーン店だ。
「いま夏休み?」
「うん。アンタも? 今日平日だけど仕事ねーの?」
「夏休みではないんだけど休みだよ。やっぱ平日は週の真ん中に休みがないと……あっこれ美味しそう、新商品かな」
「半年くらい前からあるくね?」
「コンビニそんな来ないんだよね」
 納得したようなしてないような生返事をされる。うーん、余計なこと言うのやめるか。大体なんでこの子着いてきてるんだ? 相変わらず妙な懐かれ方してる。謎。謎だけど、私も彼は嫌いじゃないのでやぶさかでは無い気持ちだ。「アイス買ってあげるよ」ロナルド君はパッと顔を輝かせた。
「じゃ、これ――あ、や、やっぱこっち!」
 ロナルド君は急ぎ込んでホワイトサワー味の二本入りチューブアイスを差し出してきた。勢いのいい即決に目を瞬かせる。
「これ、二本だし、だから――」
「……なんか電話鳴ってない?」
「へ? あ、俺だ……うげっ、半田……! くそ、あいつ……ちょ、俺でてくる、外いるから、な、だからそれだけでいいから!」
「はあ……」
 やけに念押しされた。それだけって、まさか二個買ってもらうつもりだったの? いや、別にアイスくらいいいけどさ……意外と普通に図々しいな、あの子。大きくなったのは体だけなんだと改めて感じながら、自分の分を選ぶために冷凍ケースを眺める。
「……チョコミントじゃなくていいのかな」
 チョコチップざっくり、という売り文句のカップアイスを見て、幼い彼とした会話が呼び起こされる。ガキにしては通なヤツめ、と思ったから印象的だった。もしかして『それだけでいい』ってそういうこと? チョコミントは好きだけど買わなくていいよっていう気遣い? すごい気回すじゃん……。細やかすぎる気配りに戦慄する。これは将来、相当社会人力の強い大人になりそうだ。
 たしかに、こんだけ暑いとなんとなくチョコとか、そういう系の気分にならないよね。分かる。私は私でピーチ味のかき氷バーを籠に放り込んで、レジに向かった。
「――から、しつけーな! 用があんだよ今日は! ぜっっってえ外せねえ用事が! まじ、いや、明日なら行けっからさ……」
 自動ドアが反応しない位置で背を縮こめるロナルド君は、ハンダ君となにやら揉めているのか、私がでてきたことにも気付かない。外せない用があるならこのアイスは……あっ歩きながら食べるのか。これなら多少溶けても大丈夫だしね。かしこ〜い。
 会話が終わるまでアイス食べて待ってようと、ゴミ箱近くまで離れて袋を開ける。あ、すごい、果肉入りだこのアイス。
「は? ふざけろあほそんなことしたらマジで百回殴る五百回殴るぜってー許さねえマジでやめろ殺す来るな頼むお願いします」
 聞き耳を立ててるつもりではないが、如何せん声がでかいので自然と耳に入ってきてしまう。腰が低いのか高いのか分かんないな……。ウエストの位置ガバッガバじゃん。うわてか足長。高二でこれ? 海外モデルかな? 何部なんだろう。
「まじ、いやほんと、埋め合わせするから……はい、はい……セロ、う、グ、ク……わかりました……」
 力ないしょぼくれた声に電話の終わりを悟る。彼がハンダ君からの要求を飲むことで話に決着がついたらしい。まだセロリ嫌いなんだ。うちのカレー、セロリ入れるんだよね。理由は知らんが。そうだ、今日の夕飯はカレーにしよ。なんて考えながら棒に残った最後の一欠片を口にする。ちょうどそのタイミングで、電話を切ったロナルド君が深い溜息を吐いてから振り返った。青い目が見開かれ、まさしく点のようになる。
「は? え、それ、そのアイス、エッ?」
「きみのもちゃんとあるよ。ほら」
 私を指差し呆然とする彼に、持っていたアイスを渡した。一向に受け取ってくれないので首を傾げる。
「え、これで合ってるよね?」
「あ、あってる、あってるけど……お、おれ……え、おれ……」
「ど、どうした……」
 今にも泣き出しそうな顔になってしまった彼に頬が引き攣っていく。なんだなんだ、急に……とりあえずアイス食べたら……? 半ばパニックになりつつ袋を勝手に開封し、ヘタを折る。アイスを彼の口元に寄せると、ロナルド君は少しの間を開けてから緩慢に吸い付いた。が、なぜか自分で持とうとしない。このまま手を離していいのか判断に迷い、結局ひとまずは持ったままでいることにした。なんか動物に餌やってる気分になってきたな……。不意に彼の手が私が持つチューブの片割れへと伸びてきた。プチッとヘタが外れる音のあと――。
「え……」
「ん」
 吸い口を唇に押し当てられた。無機質な器の感触と、香る甘いヨーグルトに困惑する。目の前の彼は、泣いてこそいなかったけれど、それでも目元を赤くし、眉をぎゅっと寄せて私を睨んでいた。なにがしたいのこの子……。要らないよ、と返すためにアイスに手を添えると、押し付ける力がますます強くなった。
「や、私もう食べ――」
 なるべく口を動かさずに断ろうとしたが、口の隙間から押し込まれた。これきみのなのに。あ、美味しい。ちょっと溶けてる、食べやすい。あーあ、一日に二個も食べちゃったよ。さっきからなんで怒ってるの? 
 口内を満たすスムージー状になったアイスに、色んな感情が浮かんでは溶けていく。口に溜まったアイスをごくりと嚥下すると、やっと手が離れていった。ロナルド君の口に力が入った感覚がしたので、私も彼のアイスから手を離す。私は汗をかくアイスを持ち直し、一度口から遠ざけた。
「あの、ロナルド君」
 私の呼び掛けに答えないまま、ロナルド君は無言で自身が咥えるアイスをぎゅっと強く握った。白いチューブが、大きな手の中であっという間に薄くなる。
「……おいしいね」
「……ん」
 炎天下、夏、真っ只中。
 コンビニのゴミ箱と、そして顔見知り程度の高校生とで横並びになってアイスを食べるのは、俯瞰すると随分おかしな図なんだろうなぁと思った。



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