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 チョコミントの美味しい季節になった。お菓子コーナーに並ぶ今年の新作をしげしげ眺める。梅雨の時期になるとチョコミントの食べ物が急に増えるの不思議だよね。じめっとしてるから体が清涼感を求めるようになるのかもしれない。昨日まで冬だった今の私にはあんまりピンとこない話だけど。最近飛ぶ間隔が短い且つ広い気がする。こんな季節ごちゃごちゃにされて、よく風邪ひかないな自分。人体の頑丈さを痛感する日々だ。よく分からない世界に翻弄されながらもめげずに社畜する自分へのご褒美がてら、期間限定のチョコレートアソートを籠に入れる。
 今日はなんとなく、あの少年に会うような気がしていた。
 ◆
 スーパーを出るなり、突然バケツを引っくり返したような激しい雨に襲われた。傘という人間の知恵を嘲笑うような豪雨に、歩くのは無理だと判断して急いで公園の屋根付きベンチまで避難する。一応傘を差していたし、スーパーからここまで距離はなかったから、そんなに濡れてはいない。少し冷えるなと思いながら、粒のような雫が地面に打ちつけられる様をなんとなく見つめる。だってそれ以外することがない。
「……」
 ベンチに座る先客の彼は、背中を丸めて俯いてしまっているし。
 数週間ぶり――恐らく彼からすると約一年ぶり――のロナルド君は、話しかけるのを躊躇わせる陰鬱とした雰囲気を纏っていた。降られてしまったのか、いつもはフワフワの銀髪が濡れてぺしゃっとしている。たしか今、高三だよね。進路に迷ってる? いや、そんな感じでもなさそう。もっとなにか、深刻なことを思い詰めていそうな……。
「……」
 無言の時間が続く。誰もなにもしていないのに、降り頻る雨に合わせるかのように、空気が徐に重たくなっていく、気がした。この場に立ってるだけで地面に穴が開いてしまいそうな重圧を感じる。居心地の悪さについ下唇を食んだ。……そうだ、ロナルド君、チョコミント食べないかな。好きだったよね。それどころじゃない? でも、お腹空いてると気持ちが後ろ向きになるし。この世界の洗礼を幾度も受けてきた私は、困ったらとりあえず胃に物をいれると良いということを学んでいた。お腹いっぱいになれば色々なんとかなる。というかなるようになってる。
 私はよし、と鞄を覗いて、とりあえず予備のタオルを取り出した。できる社会人なのでタオルは予備の予備まで用意している。冗談抜きでタオルなんてなんぼあってもいいですからね。どの季節に飛んだってあっても困らない物ベストワン。
「ロナルド君」
 一先ず様子を見ようと、ベンチの端にそっと腰を下ろして控えめに声をかける。ロナルド君は弾かれたように顔をあげた。「あんた……」私の方を向いて、驚いたように見開いた瞳を揺らす。会話を拒絶していた訳ではなく、私の存在に気付いていなかっただけのようだ。少しだけホッとする。濡れた前髪から、膨らんだ雫が血の気の引いた青い顔へと伝っていった。
「久しぶり」
「……ああ」
 差し出されたタオルをぼんやりと受け取った彼は、一拍遅れてハッとしてお礼を述べた。律儀だなとやんわり眦を下げると、つられるようにどこか強ばっていた彼の顔から力が抜ける。疲れたように目を伏せて髪を拭きはじめる横顔に、もう少年とはとても呼べないなと思った。さて、チョコはいつ渡そうか……。
「兄貴が……」
「……うん、どうした?」
 雨音の隙間をそっと縫うように遠慮がちに落とされた声が途切れる。話したくないというより、話していいのかどうか迷っているのかもしれない。そう思って続きを促せば、彼は一瞬こちらを見てからまた視線を戻す。
「兄貴が、怪我、しちまって」
 不穏な語り出しだ。けれどお兄さんがただ怪我しただけなら、きっと彼はこうならないだろう。
「銃、使えなくなったから……退治人、辞めるって」
 おれを、庇ったせいで。
 喉奥から絞り出したような悲痛な告白に、ああ、やっぱりと納得する。そんな気はしていた。そうでなきゃ、ここまで思い詰めたりはしないだろうなって。
「俺が馬鹿なことしたから……調子乗って、なんも出来ねえくせに、イキって退治人の真似なんてしたから……俺が――おれの、おれのせいで……!」
 隣の彼から、ヒッと喉が引き攣る音がした。昂った感情のせいか、口元が震えている。太腿の上で握り締めた拳が白くなっていた。遠くに落ちた雷がカッと辺りを照らす中、ロナルド君は、歯を剥き出しにして口を開く。
「おれのせいで、兄貴は!」
 血を吐くような慟哭に呼応して、天の怒号が空気を震わせる。雨はまるで彼を糾弾するかの如く激しさを増していた。
 世界に捨てられ、時間に見放されてからもうすぐ二年が経つ。人間関係も、そんなつもりはなかったのだが自然と希薄になっていた。だってこの世界でちゃんと生きる彼等と共有できる思い出なんて、私にはもうないに等しいのだ。関わりたくとも、関われない。
 まあ、だから、つまり。こうして分かりやすく落ち込んでいる人間にどう対応をするのが正解なのか、私には分からなかった。ええー、困る……どうしようか。……チョコ? いや、それは確実に今ではないことは分かる。
「……助けてもらったこと、後悔してる?」
「そりゃ……こんなことになるなら……」
「……そう」
 悔しげに俯くロナルド君を見て、途端に心がすっと冷えていく。ああ、そんなこと言っちゃうんだ、この子。
「やり切れないね、お兄さん」
「……え?」
「せっかく守れたのに、助けたのに。その助けられた本人は助けられたくなかったなんて」
 気が付くと、かける言葉に悩んでいたのがうそのように口がするする動いていた。「だ、だって」ロナルド君は焦った声を上げて私を見る。怒られた子どもみたいな顔をしていた。
「だって、俺が悪いじゃんか、どう考えたって!」
「悪いのは悪さをした吸血鬼でしょ」
「そ、れはそう、だけど……でも、おれが余計なことしなきゃ……」
「余計なことって? 誰かを助けようとしたこと?」
「そ、ッ……」
 彼はそうだ、と言い切れず黙り込んだ。言えるわけないよな、と内心で思う。見捨てればよかったなんて、例え話だとしても――大好きなにいちゃんのためだとしても、口にできるような子ではないのは分かっている。なぜって、彼はやさしいから。
「……助けられた側のきみが気に病む気持ちは分からなくもないけどさ」
 そう、たかが顔見知りの大人が怪我したことを、『自分のせいで』と十年近く引きずってしまくらいに。
「でも、“助けられた”ことで“救われる”人もいるんだよ」
「え……」
 視線を感じたが、顔を逸らして足元を見遣る。泥に濡れたパンプスは、“あの日”と同じ物だ。
「十年前のきみが『ありがとう』って言ってくれたから、今私はここにいる……の、かもしれないし」
「は……? なんだよ、それ……」
「ええと、だから……きみを助けたことで私は自分を肯定できた気がしたっていうか――いや違う、そうじゃなくて、あの――つまり……怪我はしたけど、少なくとも私はきみを助けて後悔とかは全くしてないってこと、で――……アー、ごめん、ちょっと待って」
 さすがに直球すぎてじわじわ恥ずかしくなってきたし、浮かんだ先から言いすぎて支離滅裂だった。見切り発車もいいとこすぎ。今のなし。当のロナルド君は、突然電波なこと言い出した私にぽかんと呆けていた。それはそう。仕切り直しだと一度咳払いして、「だいたい」と話を変える。
「お兄さんこそ助けた相手を恨むような人なの? 間に合ったことを後悔する人?」
「それは――……ちがう、と思う」
「でしょう」
 このやさしい少年が真っ直ぐに慕う人物が、そんなことを考えるはずがないのだ。砂埃を立てて駆け寄ってきた童顔のお兄さんを思い出す。あの時の彼は、弟になにも被害がなかったことを心の底から安堵していた。
「とりあえずさ、お礼言ってみたら? 傷のことばっか気にして、言えてないでしょう」
「……うん」
 幼さを滲ませる素直な返答には、さっきまで漂わせていた仄暗さは感じられない。そのことに胸を撫で下ろしつつ、屋根の向こうの白い空を見上げた。強かった雨がいつの間にか小雨になっている。……今か? このタイミングならいけるか? 私は鞄からさっき買ったお菓子を取り出してそっと彼の方へ寄せた。満を持して登場した期間限定チョコミントに、青がぱちりと瞬く。
「なに?」
「食べないかなって」
「くれんの? なんで?」
 なんで……いや、甘い物食べたら元気がでるかなって……。でもこうもあからさまに気を遣われると、彼は逆に萎縮してしまう気がする。私はそう考え、「いらない?」と質問を質問で返すというずるい方法をとった。
「まあくれるってんなら貰うけどさ……。へへ、俺、チョコミント好きなんだ」
「知ってるよ」
「え、なんで」
「昔聞いた」
「……おぼえてねぇ」
 ロナルド君はちょっと顔を顰めてつぶやく。「よく覚えてたな」という言葉に、うっかりたかが二年前だし、と返しそうになってしまった。
「記憶力はいいほうだから」
「そうかよ……。……俺、あんたのことなんも知らないよな」
「そう?」
「そうだろ。だって……おれはあんたの名前もしらないんだぜ」
 そんなことをさみしげに言われ、目を見張る。名前。そういえばそうだった。でも別に、教えていないのは意図して、とかではなくて、単純な理由だ。
「だって聞かれてないし……」
「は?」
 信じられないという感情がたっぷり含まれた声に少し居心地が悪くなる。教えてないこの状態でも普通に会話できるし、あまり気にしてなかった。ていうか忘れてた、名乗ってないの。アッやばい完全に不審者じゃん! 事案だこれと焦るこの感覚、久しぶりだ。二度と味わいたくなかったのに。
「……聞いたら教えてくれんの?」
「全然教える、教えます」
「っじゃあ、あのさ、あんたの名前、って……」
 意気込んで話し出した彼だったが、中途半端なところで言葉を萎ませる。唇を噛み締め、なにかを堪えるように固く目を閉じた。
「……やっぱりいいや」
「えっいいの?」
「うん、いい。あんたが自分から教えたいって思う日まで、聞かないことにする」
「……教えたいですけど?」
「俺が言ったから教える気になったんだろ」
 うーん、まあ、それはそうなんだが。ええ、でも事案……それに私はもう散々ロナルド君と……あ、でもこれってあだ名なんだっけ。それなら私もあだ名を考えるべきだろうか。いやそうはならんか? ん? よくわかんなくなってきた。面倒くさくなってきたので、もういいやと思考を放棄して立ち上がる。
「さ、雨が弱いうちに帰ろう。あ、それ使っていいよ、あげる」
「え……でもあんたは?」
 ベンチ脇に立て掛けていたビニール傘を指差す。訝しげな彼に、にやりと笑い、もったいつけて鞄を漁った。
「できる社会人はなんと折り畳みもある」
「……おれ、そっちがいい」
 鼻高々に折り畳み傘を見せつけるが、ぽつんと零された要望に目が丸くなる。私にはちょうど良くても、成長期を迎えきったであろうロナルド君が扱うには、やや小さい代物だ。花柄だし。
「ほら、あの……ビニール傘だと、ウチにあるのと混ざるかもしんねぇし。返せねえじゃん」
「いやあげるって。邪魔だったら捨ててもいいよ、コンビニのやつだし」
「やだよ! だって、それじゃあ……」
 ロナルド君は言葉の途中でむっつり口を閉ざした。眉間に皺を作って少し考え込んでいたかと思えば、控えめに私の袖を引く。
「な、だめ? 壊したり汚したりしねぇし……絶対、返すから」
「……べつに、いいけど」
 じいっと瞳に力を込めて見つめあげられ、一瞬言葉に詰まる。なぜ返答がたどたどしくなってしまったのかは、自分でもよく分からない。
「じゃあ来週の今日、会いたい。傘とタオル返すから」
「……ごめん、その日はちょっと」
「いつなら会える?」
「……分からない」
 拒絶されたと感じたであろうロナルド君の顔が歪む。しかし今度こそかける言葉が思い浮かばず、私はまた「ごめんね」と繰り返して曖昧な笑みを浮かべた。
 だって先のことはなにも分からない――明日が来るのかどうかすら、定かではない。そんな私に、未来の約束などできるわけがなかった。
「会えたときでいいよ」
 なんなら、捨ててもいいんだよ。
 そんな本心は胸にしまっておく。こんな意地悪を言ったら悲しませてしまうことは分かりきっていた。
 ◆
 アラームが鳴る。浮かんだ時刻と日付を見て、乾いた笑いが落ちた。今日の日付は、ちょうど彼が指定した『来週の今日』――の、その次の日。

 やっぱり、約束なんてしなくてよかった。



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