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「大丈夫?」
赤い目に覗き込まれて肩が跳ねる。反射で避けるように身体を引いてしまった。失礼なことをしたとすぐに思ったが、ドラルクさんは過剰な反応を示す私を見ても動じなかった。
「さっきからぼーっとしてるみたいだったから」
「あ……はい、大丈夫です」
「余程の激務だったんだねえ」
年末だものね、としみじみ言うドラルクさんへ「そうなんです」と無理やり口角を上げる。ちゃんと笑えていただろうか。
ドラルクさんの父親と別れてからの記憶がほとんどなかった。いや、あるにはある。八時間仕事した、という疲れもしっかり身体に蓄積していた。けれど一日を振り返ってみても、記憶に実感が伴ってこなくて、他人事のようにどれも朧げだ。
「顔色、良くないね」
「……寝付きがよくなくて」
昨日は、続きを――真実を知りたいような、直視するのが怖いような気持ちで横になった。瞼を下ろし、暗闇の中じっと待ち――そして夢など一つも見ることなく、あっという間に朝を迎えていた。 多分、寝ていない気がする。瞼の裏を見つめるだけで時間が過ぎていた。
「なにか悩み事?」
渡りに船のような慮る声に、直接確かめてみればいいじゃないか、と頭の中で囁く声がする。傷付けたにせよ、裏切ったにせよ、憶測だけ飛ばしていたって仕方ない。当事者に話を聞くのが一番だ。しかし同時に、聞いたところで、という疑いと諦観の声もわんわんと反響していて。だってドラルクさんは、これまで一度もそんなことを言わなかった。私に殺されかけた、とか、そんなことは少しも。今までずっと隠していた彼を信用し切れない。……信用? 私が信用ならなかったから言ってくれなかった? また殺されると思った? 違う、ドラルクさんがそんなことを思うはずがない。でも――。
「はな君」
「あ……」
「どうしたの、本当に」
心配そうなドラルクさんを緩慢に見つめる。思考が溢れてきて、頭の中がぐちゃぐちゃして、目の前がぼやぼやと霞んでいた。頭が重い、気持ち悪い。黙ったままの私に、彼は眉を下げていたが、「そうそう!」と明るく言って懐から縦長の紺色の箱を取り出した。鮮やかな紫のリボンがかけられている。
「受け取ってくれないかな」
「……なんですか、これ」
開けて開けてと催促されリボンを解く。蓋を外すと、中にはネックレスが収まっていた。
「え、なんですかこれ」
意味が分からなくて同じことを繰り返してしまった。取り出して、白金のチェーンから垂れる赤い雫を宙に透かす。
「御守りみたいな」
「おまもり……、……頂けないです」
「気に入らなかった?」
そうじゃないけど、と俯く。なんの石かは分からないが、綺麗だと思う。装飾もシンプルで使い勝手も良さそうだ。最近アクセサリーなんて買ってなかったし。なによりドラルクさんからの贈り物だ、うれしい。けれど、今は素直に受け取る気持ちにはとてもなれない。ふと手のひらから赤い石が消える。
「……うわ、ちょっ……!」
「似合うよ?」
勝手に首へかけられた。だから、似合う似合わないとかの問題ではないのに。やり場のない気持ちで胸元に落ちた飾りへと視線を落とす。
「……自分を」
「ん?」
「自分を殺そうとした相手に、よくこんなことできますね」
あ、と思った。
抑えきれず飛び出した言葉にではなく、ごっそり感情が抜け落ちた彼の表情に。あ、やっぱりほんとうだったんだ。
「……きみ、記憶が」
掠れた一言で気付く。過去の話はこれまでたくさんされてきた。けれど『思い出して』と頼まれたことは、そういえば一度だってなかったな。
「いやぁ、びっくり……というか正直笑っちゃいました! だってドラルクさん、仲良しな二人の話しか教えてくれなかったんですもん! 蓋開けてみたら――アハ、どろどろし過ぎじゃないですか?」
「……そうかな」
「え、そうでしょう。なんて言うんだっけ、なんか――殺し愛みたいな? まあ結局殺せてないですけど」
「そうだね。さ、なんでもいいが早く帰ろう。きみ、疲れてるんだろう?」
ドラルクさんは私に背を向けた。これ以上聞きたくないというあからさまな拒絶を受け、身勝手に傷付く。そんな心に反して、浮かんだ笑みが深くなった。跳ねるように彼の隣に並ぶ。この元気がどこから出ているのか自分でも分からない。
「話すくらいじゃ疲れません」
「そう? 元気なのはいいことだね。でも私は疲れて死んじゃうかもなぁ」
「またまたぁ。舌だけは誰よりも回るくせに」
「ハハ、本当に今日は元気だね、きみ」
上辺だけの淡々とした笑い声に、もう喋らない方がいいと分かる。なのに口が止まってくれなかった。
「私はあの女の話、もっとしたいですよ」
「……あの女」
「ええ、あの女。父親の言いなりになってあなたを裏切って殺そうとした、あのバカな女――」
「やめろ」
全てを圧し潰すような低さの短い声で言葉を遮られる。凍った手で心臓をわし掴まれるとは、多分、こんな心地のこと。血の気の引いていく顔の下で、そんな呑気な感想を抱いた。
「彼女をそんなふうに言うな」
「……そんなに大事なんですか、あんな裏切り者が」
執拗い私に、ドラルクさんは疲れきった溜息を吐き、「きみ」とうんざりした色で呼び掛けた。
「まだちゃんと思い出してはないんだろう」
「……は、そんなこと――」
「勢いに任せて滅多なことを言うんじゃない――はな君の悪いところだぞ。後悔するのは自分なんだから」
窘める――そして憐れむ眼差しに足が止まる。彼の言葉はなにからなにまで正しかった。
「……もういいです」
「え、な、なにを――」
「今日はここまでで。家まで送らなくていいです。……私も頭冷やしたいですから」
ドラルクさんは迷いをみせて口を少し開けたが、結局閉じた。瞳を伏せ、「そう」と静かに承服の意を告げる。
「分かった。じゃあ……気を付けて」
「はい。……すみませんでした」
「ううん、私も……」
会釈してドラルクさんを追い越す。引き止める声は聞こえなかった。
◆
「……シャンプー」
家に入る直前ではたと動きを止める。今日、薬局寄って帰らなきゃいけないんだった。詰め替えもたしか、今はないんだよな。洗面台下の収納スペースを思い出して溜息を吐いた。開けたばかりの鍵を閉め、鞄を肩にかけ直す。ついでになんか安眠グッズとか買お。最近話題の、耳あっためるやつとか。
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