第一夜 恋人になりましょう



 目を覚ますと、知らない美少女が隣で寝ていた。

 は?

 すんでのところでなんとか悲鳴を呑み込み勢いよく飛び起きると、軋むことはなかったが代わりにマットレスがふわんと反発したし、身体が軽く浮いてあわや後ろに倒れかけた。仰け反るようにして慌てて手を付き、バランスを保ちながら恐る恐る少女を伺う。ふかふかのいいベッドはそれなりに振動してしまったはずだが、少女が目を覚ます様子は一向になかった。僅かに開いた花弁のような唇からは、ささやかな呼吸音が規則的に繰り返されている。瞼も静かに閉ざされており、小ぶりの鼻も天に向いたままだ。名前も分からない美少女を起こさず済んだことにひとまずは安堵する。

 それにしてもこの子、アイドルみたいな格好してるな……。見慣れない格好を前に、不躾とは思いつつついしげしげと見てしまう。耳先がちょっぴり尖っているように見えるし、なにかのコスプレなのだろうか。漫画やアニメには疎いためモチーフは分からない。けれど派手な衣装はこの子のために誂られたのではと思い紛うほど似合っていた。首筋から流れている華やかなインナーカラーも衣装とよく調和している。美白が過ぎているのか顔色がやや悪いように見えなくもなかったが、しかしかと言ってその皮膚にハリや艶がないというわけでもない。不思議と少女らしい健全な瑞々しさがあり、『この色が彼女にとっての平常』と考えるのが一番しっくりくる気がした。なんというか、ビスクドールのような透明感のある肌だ。とにかく、すうすうと穏やかに眠りこける少女はとんでもなく可愛かった。

 ……いや、そんなじっくり見てる場合じゃなかった。とりあえずちゃんと現状を把握をしなきゃ。美少女の安らかな睡眠を妨害するのはどうにもしのびないので、今度は注意してベッドから抜け出し、ゆっくりと足を下ろして部屋を見回す。目がチカチカするほど真っ白い壁に囲まれていて、この大きなベッド以外はなにもない。家具はおろか、窓も通気口も――そして、扉も。照明器具さえも見当たらないというのに室内はなぜか明るくて、視界にはまったく不便がないというのもまた不思議だ。困惑のまま立ち上がり、何歩か進んで目の前の壁に触れる。どこかひんやりとしていて普通に硬い。押しても動くことはない、なんの変哲もないただの壁だ。ノックするように軽く叩いてみたが、音は少しの反響すらせずただ短く途切れ、壁の向こう側へと吸い込まれていった。異様な分厚さが不気味で、思わず壁から距離を置く。なんだかまるで、閉じ込めるためだけに作ったみたいだ。ここからは絶対にださないぞという製作者の強い意志と執着を感じ、冷たい手でうなじを撫でられたような感覚に襲われた。
 それでも私は諦めきれず、壁を念入りに調べた。壁に同化するくらい白い、持ち手のない押し扉かなにかがあるんじゃないかと壁に指先を触れさせて部屋をぐるりと一周してみたが、その結果もお察しだった。

「なんなの、ここ……」
「んァ……」

 徒労感から深い溜息を零した直後に背後から聞こえた高い声にぎくりと身を強ばらせる。わしゃわしゃと布が動く音がしたあと、「ん?」と声が上がった。ぎこちなく顧みると、寝っ転がった状態の少女と視線がかち合う。彼女は、宝石のように真っ赤な瞳――カラコンだろうか――をきょとんと瞬かせて私を見つめていた。くるんと上がった長い睫毛がぱちぱちと上下に動く。そうして数秒、少女は緩慢に身を起こした。紫がかった黒髪が少しだけ乱れ、額にかかる。大きなベッドの真ん中にちょこんと沈み込むように座る彼女は意思を宿してもなお人形のような、どこか作り物じみた愛らしさを纏っていた。寝てる時もかわいかったけど、寝起きの顔ですら完璧にかわいいってもうマジで造形美すごいな……。
 内心で戦慄する私を余所に、少女は先の私のようにきょろきょろと一面白の周囲を観察して、こてんと首を傾げた。そして私を見つめ直し、大きな垂れ目をゆったりと細めて笑う。そのたおやかな微笑からは、敵意がないことを示しているようだという印象を受けた。口の端からは、鋭い八重歯がちらりと覗いている。

「やあ、可愛らしいお嬢さん。きみ、というか此処は一体――……あ?」

 話しかけてきたと思ったのだが、少女は不自然に言葉を切ると訝しむように眉間に濃い皺を刻んで、自身の喉へと指先を添える。赤く彩られた小さな爪先で数度撫で摩りながら、「あー。……あー?」とチューニングのように喉を震わせた。鈴が転がったような可愛らしい声色が室内を巡るが、当の彼女は不満げ、というか不可解そうな表情を崩さない。むむ、と唇をつきだしたかと思えば、今度は自分の手を見て驚いた顔をした。

「は?! なんだこれ?!」

 急な変貌ぶりについ肩がびくっと跳ねたが彼女は気付かない。眼前に翳し裏表と忙しなく何度もひっくり返したり、自身の体を見下ろしたりぺたぺた触ったりに夢中になっていた。「な、な、な……!」短い言葉を重ねる毎に、可憐な相貌が険しくなっていく。

「スーパーハイパー畏怖かわ最強ドラちゃんが何故エクストラキューティパーフェクトどらどらちゃんVに?!」

 美少女は、わっとスタバの呪文みたいなことを叫んだ。もしくはラノベのタイトル。

「まぁたトンチキ吸血鬼の仕業か?! それともお母様――いや今度こそ御祖父様……いやどちらにせよ身内にV知られてるのイヤすぎるんだが?! ていうかどこだここ! ジョンは?!」

 コスプレしたキャラになりきっている上に不思議な喋り口調だからか、なにを言っているかさっぱり理解できない。パニックになっているのかもしれない。とりあえず分かるのは、彼女も巻き込まれた側の人間だということ。大混乱に陥っている少女になんて声をかけようかと思案を巡らせていれば、枕元に置いてあった名刺大の桜色をしたカードに目が止まった。先程まではたしかになかったはずだ。ベッドに戻りそれを拾い上げ、何気なく裏返す。光沢あるインクで綴られた文字列を目で追い、脳内で復唱した。

「……え?」
「おや、それは?」

 理解できず思わず零した声は少女の混乱を解いたらしい。見せてと手をだされたので、逡巡してから渡す。

「なに、えー……【恋人になりましょう】? はあ?」

 読み上げた少女は意味不明だと顔を激しく顰めた。私も同じ気持ちだ。

「今初めて会話したばかりの私たちになんつー無茶ぶり」

 少女の呟きがまたもっともすぎて深く頷いてしまう。恋人って。しかも同性で、いったいどうしろと。

「……んー、まあとりあえずだが、自己紹介でもしてみるかね? 互いの名前も知らないで恋人はにはなれんでしょう」
「……えっ? あ、あの、まさかこれに従うつもりなの?」
「ええ、無論」

 当惑する私に彼女はけろりと言い放ち、ひらひらとカードを振った。濃いピンクの文字がきらきらと光る。

「恐らくここは、いわゆるアレックス部屋的なあれ――同胞の気配が微塵もしないのが些か不可解ではあるが――でしょうしね。しかしとりあえずなにかやってみないことにはここから解放されることはないと思いますよ。出入口もなさそうだし……先に目を覚ましていたところを見るに、一通りはきみが調べてくれたのでしょう?」
「一応は。小さな隙間さえなかったよ」

 私の返答が予想通りだったためか、彼女は「だろうね」と軽く言うだけでさして絶望した様子はみせなかった。完全密室脱出不可と判明したというのに。肝が据わってる。繊細な見た目からは考えられないくらいの豪胆さに舌を巻く。きっと私より歳下だろうに、落ち着いた子だ。アレックス部屋というのがなにかはわからなかったが。

「『恋人になる』が具体的にどういう行為を指すのか書いてないから曖昧ではあるけれど――しかし曖昧な分、逆にこちらの好きなようにやれる。いやぁ、過激な指示じゃなくて我々は幸運でしたな!」
「な、なるほど……?」
「雑把で詰めの甘い間抜けな犯人に感謝せねば。それでは早速――我が名は吸血鬼ドラ、……あッ」
「え?」
「あ、いや……」

 ペラペラと立て板に水のように喋り続けていた少女だったが、変なところで口篭った。ぺたんと女の子座りをする自分の体を唸りながら凝視している。私と自分の膝あたりを交互に見遣りなにかを迷っていた。

「えーっと……我が、わた……私の名前……なまえ、は――ド、ラ……――どらどらちゃん……だぞ………………です……」

 ぎこちなくぽつぽつ絞り出された硬い声音に、自分の名前にちゃん付けするタイプなんだなぁと思いながら私も名乗り返す。さっきまで 『冷静』の文字を体現したようだったのに今や一変し、少女――どらどらちゃんは、所在なさげにおどおどと瞳を彷徨わせていた。そうだよね、いきなり知らない場所で知らない大人に名前を教えるなんて怖いよね。ましてや『恋人になれ』だなんて怯えて当然だ。さっきまではきっと現実味がなさすぎて逆に淡々と処理できたのだろう。元々小柄だったがさらに一回りほど縮んだように見える彼女に、しっかりしなきゃという使命感が芽生える。こんないたいけな少女にずっと任せっきりにしてはいけない。

「それじゃあ――恋人として、よろしくね」
「……ヨロシクネ」

 手始めに、と右手を差し伸べて大人らしく先導してみた。名乗りは彼女からやらせてしまったけど、これからは私が頑張ろう! いや、これからもなにも、恋人になったんだしこれで終わりだけれど。なにあれ、今更ではあるがなるべく頼りがいのある大人にみえるようにと精一杯口角を上げる。しかしどうしてかどらどらちゃんは目から光を消し、口元をヒクヒクと痙攣させてしまった。

「だ、大丈夫だよ、恋人とかいっても今だけなんだし! それにほら、女の子同士なんだからお友達の延長、みたいに軽い感じで捉えてくれれば……ね?」
「おんなのこ、どうし……」
「あっ女の『子』だなんて、私にはちょっとかわいこぶりすぎたかな? なーん、て……あは……」

 何とか元気になってもらいたくて重ねた言葉が通夜のような空気で萎んでいく。どらどらちゃんはますます眉を下げてしまった。えーん。少女一人慰めることすらできない。私は内側で切れてるのに見た目だけ普通の詐欺リングゴム。引き攣った笑顔を貼り付けた裏で泣きそうになっていれば、どらどらちゃんが「あの」と意を決したような面持ちで私を見上げてきた。

「じ、実は私――その……ほ、ほんとうは――」

 彼女が何を言いたかったのかは分からない。なぜなら、開いた瞬間、見計らったようなタイミングでまるでブレーカーが落ちたみたいにぱちりと全ての感覚が消えてしまったから。ハッと目を開けたとき視界に映ったのは、見慣れた自室の天井だった。白い部屋も謎の美少女も存在しない、いつも通りな自分の部屋。

「……変な夢」

 枕元に充電していた携帯をとって時間を見る。アラーム三十前の時刻だったので、少し早いがもう起きることにした。Siriに頼んでアラームをキャンセルしてもらう。

 しかしおかしな夢だった。コスプレした女の子と恋人になるだなんて。なんの漫画の衣装だったのかなぁ。時間に余裕もあるし、せっかくだから調べてみようかなと携帯を起動させネットを開く。しかし夢にでてきたくらいだから広告かなにかで見たはずなのに情報の欠片一つ思い出すことができず、検索画面を睨み付けるだけで時間を過ごしてしまった。



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