最終夜
行為にひと段落つくなり、強い眠気が急速にのしかかってきた。力を抜いて彼女に覆い被さる。
「……ねたくない」
「なんで……?」
先日も聞いた台詞だった。私も前回は物足りなくて同じ気持ちだったけど、でも今日は最後――最後? なのかはよく分からないけど、でも眠くなってるし、きっとそう――までしたから、かなり満ち足りた心地だ。眠気のせいで判然としない意識のままよく考えずに聞き返すと、背中に手が回される。そうして密着すると、温かさと心地良さが増した。
「――だって、ねたら」
小さな震え声。聴覚が仕事を放棄しだしているのかもしれない。そう思ってしまうほど、彼女らしからぬ弱々しく儚いトーンだった。
「ねたらきっと、もう会えないから」
そんなことないよ、と根拠の無い慰めが頭には浮かんでいた。いつものごとく、睡魔に意識が浸っていたので伝えられなかったが。
私が彼女の言葉の意味をきちんと理解したのは、一日、三日、一週間、そして一ヶ月と経っても彼女の顔を見なくなってから――つまり、夢を完全に見なくなってからであった。
拝啓 どらどらちゃん
お元気でしょうか。お元気であればなによりです。ちなみに私は全然元気じゃありません。だってあなたに会えなくなってから、もう半年もの月日が経ってしまいました。灰色で冷え冷えとした日々を過ごしています。最近はちょっと色々あったため少し慌ただしくはなりましたが、まあそれはそれとして。
とにかく、あなたに会えなくなってとても寂しいです。お遊びのような上辺だけの恋人関係ではありましたが、私はどうやら、あなたのことをとてもとても、とーっても大好きになっていたようです。と、いうことに、夢を見なくなって数ヶ月経ってからやっと気が付きました。失ってさらに時間を要して気付くなんて、私という人間は本当に愚か者ですね。最後の指示が終わった直後に「ねたくない」と言ったあなたの気持ちが、今更になって痛いほどよく分かります。なんの疑問も持たずスヤスヤしてしまったあの日の自分を後悔してばかりの日々です。自業自得といえばそれまでなのですが。
でも本当に、どうしようもなく寂しくて苦しいです。雪のようにしんしんと、しかし着実に積み重なっていく寂寥感に押し潰されてしまいそうだと怯えながらの毎日を送っています。いっそ潰れてしまえば楽だろうかなんて思ってしまう今日この頃です。どこかしらで吐き出せばこの憂苦が多少は緩和されるかと思いこうして一筆したためてみている次第ですが、しかし文字に起こすことでますます会いたい気持ちや切なさが募ってしまいました。もう本当に、私はいったいどうすればよいのでしょうか。今こそあなたの二百年ものの知見をお借りしたい気持ちでいっぱいです。うそです。こんなのは口実で言い訳です。ただ会いたい。ひとめ顔がみたい。それが無理なら、せめて声だけでも。少しでもいいからあなたを感じたいです。このままじゃ笑顔も声も忘れてしまう。私はそれがなにより怖いです。どらどらちゃん。会いたい。さみしい。あの時ねたくないって言ってくれたのはその場の雰囲気に飲まれただけなのかな。もしうそじゃないなら、会いにきてほしい。なんなら夢でもいいから。……こうして書くと切実なのか傲慢なのか分からなくなりますね。
ねえ、どらどらちゃん。あなたに会いたくてたまらないです。どらどらちゃんも同じことを思ってくれていたら嬉しいのですが。なんて、これこそ傲慢な願いですね。
追伸
私は今、異世界にいます。
厳密に言うと、あなたの生きる世界に。
「Y談おじさんがでたぞーっ!」
「ゲリラY波だ、逃げろ!!」
Y談おじさんってこれかぁ。
慣れた様子の市民の群れに混じって避難しながら、いつだかに彼女が語ったときの、眉間に皺を刻んだ険しい相貌を思い出す。ふふ、懐かしい。そしてさみし。関連して当たり前のように滲んできた感情に、ほんと重症だなぁと自嘲気味に息を吐いた。ちなみにだが、野球拳大好きさんと思しき吸血鬼もこの前見かけた。ジャンケン柄をした独特な法被のおかげですぐにわかった。なにかしでかす前にバーテンダーのような男性にふん縛られていた。
ちょうど二ヶ月前のとある日に、私は突然この世界の住人となった。妙な名前のコンビニや一夜にして微妙に変わった街の風景、デカい蚊の吸血鬼などに当初は戸惑った。が、意外とすぐに慣れてしまった。親も友達も勤め先も、ご近所さんの顔ぶれにさえ変化がないんだから当然といえば当然といえる。この世界は、吸血鬼がいるということを除けば私の世界となんら違いはなかった。まあそこが最たる差といえるのだが。
来た道を振り返り、ちょっと首を伸ばす。遠く、人々が遠巻きにしている方で、黄色いスーツの男性を追い掛けて赤い外套がはためいていた。「〜ぱい‼」その内容はよく聞き取れないが、赤い外套の男性――ロナルドさんは、服に負けず劣らずな赤い顔でなにかを叫んでいる。
退治人、ロナルド様。ロナルド・ウォー戦記、通称ロナ戦の作者だ。ロナ戦は、この世界のことについて把握するために歴史の教科書と合わせて現在刊行されているものは全て読んだ。自伝小説というよりかは普通の物語小説のようで読みやすかった。一人称のわりにどこか客観的な視点で書かれていて、脚色がやや多いからかもしれない。吸血鬼騒ぎのたびに奔走している彼の姿はこの二ヶ月でもう何度も目にしているが、現在進行形で握り締めているそのハエ叩きの描写は、本の中には一度もでてきていなかった。察するに、『ほんとじゃないけど嘘もいってない』ってラインをせめてるらしい。まあそうせざるを得ない気持ちも分かるかも。この街、おかしな吸血鬼が多すぎだ。ほんとに。あんなのを律儀にそのまま書いていたらとんでもない自伝になってしまうよね。
それにしても、私の焦がれている彼女はいったいどこにいるのだろう。彼女の言っていたとおり、この街にはおかしな吸血鬼がゴキブリ並みにうじゃうじゃいるというのに、彼女とはいまだに出逢えていない。たしかにあの子とその辺をほっつき歩いているおかしな吸血鬼は同類には思えなかったけど、あんなアイドルのような目立つ格好をしているのだし、てっきりすぐ再会できるかと……。この世界に来た最初はそう浮かれていたものだが、もう二ヶ月も経つ。この街にいるのはたしかなはずなのに、ちらりとも見かけたことはない。私が見逃しているだけなのだろうか。なんとなく人の波を見回す。あの特徴的な頭はやっぱり見つからなかった。深い溜息を吐く。似てる髪型の人なら、一吸血鬼心当たりがあるけれど。でもあの吸血鬼は性別自体違うし……。
その人物とは、ロナルド様の吸血鬼の相棒のことである。著によれば、彼は頭の切れる、ともすれば狡猾ともいえる賢しさがあり、享楽主義で虚弱体質。そんな古の高等吸血鬼なのだという。その名を――。
「ったく、今更Y談おじさんごときに大騒ぎしてかかずらわってられるか。それよりもこのままだと特売セールが――スナァ」
「あっすみません!」
「ヌー!」
考え事をしながら歩いていたせいで、なにやらぶつくさボヤいていた隣の人にぶつかってしまった。衝撃と同時に相手が消え、咄嗟に口を突いて出た謝罪が宙ぶらりんとなり困惑する。目線を落とせば足元に黒衣に包まれた砂山が形成されていて一瞬ギョッとたじろいでしまった。……あ、このマント、見覚えがある。退治のとき、ロナルドさんの近くにいたりいなかったりする、そしてちょうど今思い描いていた彼のものにそっくり……な気がする。遠目でしか確認したことしかないけど、アルマジロがこうして泣いているということは、恐らく。本の中の人――吸血鬼? が目の前にいて、しかも本のとおりに砂になっているのを目の当たりにし、ちょっと感動してしまう。健気に縋っているマジロくんには申し訳ないけれど。そういえばどらどらちゃんもジョンという名のアルマジロを使い魔にしていると話していた。アルマジロ自体珍しい気がするのに名前まで同じだなんて、ほんとすごい偶然だ。そんなことを思いながらその場にしゃがみこむ。
「ごめんなさい、大丈夫ですか」
「ああいや、大丈夫ですとも。お心配り感謝いたしますよ、心やさしいお嬢さ――」
上半身だけ再生させこちらを見上げたドラルクさんは、私の顔を見るなり声を途絶えさせる。口元から徐に力が抜けていき、白目が大きく開かれ、瞳がまさしく点のようになった。「ヌヌヌヌヌヌ?」不思議そうなマジロくんの呼びかけにも、ドラルクさんは答えない。うーん、穴があきそう。言葉はないが決して逸らされることのない視線の圧に、私はどうしたものかと困り果てて眉を下げた。
また会いましょう!
【完】
これは終わって始まる物語。
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