本当に危険なところなのだ、この街は。
それを本当の意味で実感したのは、暴行されそうになった間際だ。それなりにこの生活に慣れてきたころ、つい暗い夜道を日本と同じ感覚で歩いてしまったのがまずかった。路地の暗がりに引きずり込まれて体格が一回り以上違う男たちに取り囲まれ、恐怖以外の感情がなくなった。

──そんなときに響いた、救いの声。


「いくら魅力的なシニョリーナ相手でも、ソイツは見過ごせねえぜ」

やるならコイツはどうだ、という言葉と共に男たちの一人が倒れる。そうして見えなかった声の主が見えた瞬間、私の息がとまった。

今まで避けに避け続けた、原作キャラがそこにいたのだから。
私の頭が混乱しているうちにいつの間にか男たちはすべて逃げ去り、私を助けてくれた男──ミスタと二人になる。


「こんな時間の一人歩きは危ねえぜ、お嬢さん」

ミスタは男たちがいなくなると腰が抜けているわたしの前にしゃがみ込み、目線を合わせて無事を確認してきた。
その優しさと気遣いがみえる行動に、ようやっと恐怖から解放されたことを実感して、わたしの目からはみるみると涙がこみ上げる。
暴行されそうになった恐怖、助かったという安堵、キャラに助けられたという驚愕と、関わってしまったという不安。ずっと避け続けた罪悪感からの謝罪と感謝。ごちゃ混ぜになった感情は抑えがきかない。

みっともないくらいに泣きじゃくる私に対してミスタは少し驚いた気配を見せた気がしたが、その表情を判別できる余裕は私にはなかった。

「オイオイ、そんなに泣いたら目ん玉が溶けちまうぞ」

でもわかった。おどけたように笑ってあやす彼は間違いなく優しい。
「ごめんなさい」と「ありがとう」しか言わないで泣いている女に内心は相当困っていたことだろう。
けれど彼は私が落ち着くまで根気よくそばにいてくれたうえに、自宅まで送り届けてくれた。

それをきっかけに、ミスタとの交流が始まった。
今までの私なら嫌がっただろうが、私の心には嘘のようにミスタに対しての警戒心や抵抗がなくなった。危ないところを助けられたのがきいたのだろう。
それでも彼が他の"キャラ”といるときは絶対に関わらないようにしていたけれど。

ミスタは良い人だった。

私が頑として周りと関わらないのも、ただの人見知りと片付け、それを矯正しようとなんてしなかった。

「そういうもんは直すようなのじゃねえだろ。それに俺にだけ懐いてくれる猫みてえで嬉しいもんだぜ」

その発言に私が憮然としたのはまだ記憶に新しい。好きでこんな生活を送っている訳ではない、と反論したくなるのをぐっと抑えた。たしかに事実、この世界で友人というカテゴリには彼一人が収まっていたのだ。

すっかり彼をキャラではなく一人の友人として見ていたころ、それは起こった。



血だまりに倒れる見知らぬ男と、まだ硝煙があがる銃を持つミスタ。
──状況は明白だった。

目を見開いて固まっている私を尻目に
あーあ、と大袈裟なくらいに肩を竦めるミスタ。

「見られちまったもんはしょうがねえな。……お前ってよォ、ホント運がねえよな」

いつもと変わらぬ調子で軽口をたたくミスタが笑う。
その笑みがあまりにもこの場にそぐわなくて、まるで白昼夢や映画でも見ている感覚におそわれる。

だが、石畳の道に広がっていく血溜まりと鼻につく独特の匂いが、これは紛れもない現実だと主張する。


「目撃者は消すっつーのは当然、知ってるよな? 知っちまったからには逃げられねえぜ」

がちゃりと音が聞こえ、わたしは金縛りが解けたように荷物を投げて逃げだそうとした。
その瞬間、パァンと甲高い音が響き渡る。


「話は最後まで聞くもんだぜ、シニョリーナ」

たった今、足元に投げ出した荷物に風穴が空いていた。
中に入っていたペットボトルに命中したのか、穴からは液体が漏れ出す。その光景が、先ほどの男と重なり、私の足は震えて今にも倒れ込んでしまいそうになる。


「なあ、なまえ。こんな形になっちまったが、俺はお前が好きだ。嘘じゃねえぜ、俺は本気だ。お前が俺のアモーレなら見逃してやれる」

わざとだ、とすぐにわかった。わかって、しまった。
この状況がミスタの手でわざとつくりだされたのだ、と。

なぜなら彼ならこんなヘマをしない。
今までの彼は恐ろしいほどの周到さで、私に何も悟らせなかった。徹底していた、と言っても過言ではない。

ミスタは嘘のない男だ。
それは実際に接してみてよくわかった。
その表裏のない性格とは裏腹に、いやまっすぐと割り切っているからか、疚しいことや後ろ暗いところなどないと見えていた。見せていた。
私が原作など何も知らなければ、彼がギャングだとか後ろ暗い事をしていることすら微塵も疑わなかった程に。


「考え込んでるところ悪いが、これ以上時間は与えてやれねえぜ。……なあ、頼むから俺にお前を撃たせないでくれ」

ぐるぐると思考が回る私に、ミスタの声が落ちる。
どこか不安げな響きに聞こえるのは私の願望だろうか。

その銃口は私の頭でも心臓でもなく、足に照準が向けられていた。
きっと私が一歩でも逃げれば、すぐに撃ち抜ける。
殺す気はなくても逃がす気もない。

雄弁に語る銃口が意味するのは──


「俺がつくった傷じゃあ、もう泣いても慰めてやれなくなる」



※※※


あの日から恋人になったミスタとは同棲を始めた。
「逃げねえよう監視だ」と言うわりには表面上ゆるい束縛だったが、気づいたら私の元の部屋は引き払われ、もうミスタの部屋以外に帰れる場所はなくなっていた。


「なあなまえ。今だから言うけどよォ、俺、最初からお前のこと知ってたんだわ」


私はいとも簡単に彼に囲われてしまった。あまりにもすんなり事が済んでいたため、私の実感が追い付かないまま、外堀は埋められていて薬指にはお揃いのシルバーリングが填められていた。


「あん時、泣いてて住所も言えねえお前を自宅まで送っちまってヤベーな、バレっかもとは思ったんだが……気づかねえんだもんな、お前。ホント危機感なさすぎだぜ」

危機感はずっとあったのだ。ミスタに助けられたあの夜、私は自分に乱暴をしようとしてきた男たち以上に彼を"恐ろしい”と感じていたのだから。
もしかしたら本能的に気づいていたからかもしれない。たとえ本気で逃げたところで、私は彼から逃げるのは不可能だと。

でも、私は彼を恐ろしいと思っている一方で、相反する安らぎを感じているのも事実だ。
ずっとずっと怖いよ、帰りたいよと、ひとりぼっちで泣く夜を過ごし続けた私に初めて寄り添ってくれた温もり。この世界でひとり震えていた私を、眠りにつくまで優しく抱き締めてくれたのはミスタだけだった。


「俺がそばにいるぜ、ガッティーナ」

そっと髪を梳く手が頭を撫でて、私の額にキスをおとす。
まるで親が幼子にする、おまじないのような優しさと愛しさを持って。


「俺の腕の中にいるなら、どんなものからでも守ってやる」

毎晩繰り返し紡がれる、嘘のない言葉。
それを聞かなければ満足に眠れなくなった私は、銃口なんて向けられなくても、もう彼のそばを離れられない。


愛しさに溺れて眠る



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