この世界に来てコネもなければ伝手もない私ができる仕事は限られている。
それでも私を拾ってくれた太宰さんは顔が広いようで今の職場であるカフェに口利きをしてもらえた。
こぢんまりとしているが、クラシカルなカフェはマスターの淹れる美味しい珈琲が売りだ。
客層も年配の常連客が多く落ち着いた雰囲気がある。


そんな常連客の中でも印象深い人がいる。

年も身長も私と同じくらいだが、その小柄な体躯からは想像も出来ないほどオーラというか、まるでハードボイルド映画に出てきそうな風格が漂っている。

新聞を読みながら珈琲を飲む姿はさながら映画の一場面のようで
彼に接客をする時はエキストラ出演をしているような気分になり、奇妙な緊張感があった。

そんなモブ精神の私だが、何故だかこの世界に来てからというものやたらと声をかけられる。見知らぬ人に世間話を振られることは常日頃、ナンパのようなことも元の世界では比較にならない程多くなった。

モテ期が来たと喜べればいいが、この世界で自分の異質さが自覚はなくても周囲には浮き彫りになっているようで落ち着かない。


 ―――― 誰も見ないで、近寄らないで、話しかけないで。
そう願いながらも、どうしようもないほど淋しかった。
だって、此処はわたしがいていい世界ではないのだ。

太宰さんは会社の寮もあるようで毎日あの家に帰るという訳ではない。むしろ居ない日の方が多いだろう。
苦手としているくせに誰もいない家に帰るのはひどく憂鬱だ。

一人きりでいると私はいつまで経ってもウダウダと落ち込み続けてしまう。だからそう、居候先に帰るという意味以外でも仕事帰りは私にとっては特に憂鬱な時間帯でもある。




「ねえ、よかったらこれからお茶でもしない?」

帰り道で軽そうな男が誘いをかけてくる。勿論断る心算だったが、煩わしさと思考の波にいたせいで反応が遅れてしまう。
それを誘いを迷っていると勘違いしたのか、無反応の私に尚も男は誘いを言い募っていた。


「この辺で美味しいケーキを出す店を知ってるんだ。
 俺が奢るし、帰りが遅くなっても送ってあげるから一緒に――」


そう云いながら男が私に手を伸ばしてこようとした瞬間。

「おい、手前何してやがる」

後ろから何処かで聞いたような声がかかり、そちらに視線を向けようとすると、目の前の男から小さな悲鳴のようなものが漏れたと同時に反対方向へと駆けていった。
その流れるような出来事に戸惑いつつも振り返るとあの常連客が此方をじろりと睨んでいた。

「ボサっとすんな。危なっかしい。」

「す、すみません。ありがとうございます。」

彼の迫力に気圧されつつも礼を述べると、目障りだっただけだと吐き捨てるように言われる。


「そうだとしてもお陰様で助かりました。
……それといつもうちの店をご贔屓にありがとうございます。
またいらした際には珈琲の一杯でもサービスさせてください、お客様」


「中原中也だ」

「え?」

「常連客の名前くらい覚えとけ。……じゃあまた明日。珈琲忘れるなよ」


そう言って彼は足早に去って行ってしまう。
夕暮れの中で彼の姿だけが黒く染まり、思わずその背中が見えなくなっても暫く立ち尽くしていた。

「……また明日、か」

約束にもならない一言だ。だけど、また明日も此処にいていい、と云われたような気がした。

あまりにも自然に。あまりにも軽やかに。
その一言はあんなにも暗く沈んでいた私の心を救いあげてくれた。

きっと、彼はそんなこと知りも知ないだろうけど、本当のヒーローとはそんなものなのかもしれない。

知らずに誰かを救っている、そんな彼に私は確かに見惚れていた。



夕映えのヒーロー



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