「手前も難儀だよなあ」
「なんですか、藪から棒に」

しみじみと私に対してはなたれた言葉に訝しむ。
隣に座る彼は酒があまり入らなければ気の良い男で、こうして食事を奢ってもらう事も度々あった。

「手前、ポートマフィアに入ったのは身寄りがねえからだろ? 全然向いてねえのに」

鈍臭せえしよ、と余計な一言を付け足しながら、つまみを口に放り込んでいる。

「いちいち云われなくても自覚してますよ。向いてない事くらい」
「つっても辞めねえじゃねえか」
「再就職先がないんです」

身元もあやふやな人間を雇うところはそう多くない。探せばあるだろうが、きな臭いものばかりで今所属しているポートマフィアを抜ける面倒臭い手順を踏んでまで就職したいような魅力的な職場はない。

「俺が紹介してやろうか?」
「マトモな仕事なら是非」
「嗚呼、マトモだぜ。なんせこの世の女の半数は就いている」

愉快そうに、にやりと笑う姿には揶揄いの色が含まれていた。

「……一応聞いておきますが、何です?」
「女の永久就職先なんざ決まってんだろ」
「残念ながら相手がいません。いたらとっくに結婚してますよ」

酒の入った勢いで大袈裟な溜息をつくと、それにのったのか男は片眉を吊り上げて驚いたような仕草をする。

「何云ってんだ、手前。俺がいるだろ?」
「あははっ、こーんな色気もない下っ端を妻にする!なんて云ったら周りが煩いですよ、幹部候補様」
「じゃあ、俺が周りの奴らを黙らせられるくれえになったらいいんだな」
「そうですね。まあ、期待はしないでおきます」
「……約束だぜ」


酒の席の話で、そんな気はお互いにない。
中原中也 ――― 現在ポートマフィア幹部最有力候補だ。
地位には天と地ほどの差があるが、年が近い事もあってこうして軽口を叩ける間柄だった。


だが、それから幾何もしない内に私は地方の任務に就く事が決まり、中也とは会う事がなかった。

元々仕事上では関わりが全くないと云っていいほど立場が離れていたので当然と云えば当然だ。その後、彼が五大幹部にまでのし上がったとは聞いていたが、会いに行く事もなかった。

私自身、それどころではなかったのだ。
なんと本当にマトモな転職先が見つかったのである。

友人の昇進を(マフィアなので微妙だが)喜ばしく思いながらも、ウキウキ気分で退職手続きを進めていた私にはもうすでに遠い世界の出来事だった。



だから数年経ってからいきなり現れた元職場の仲間兼、旧友に戸惑うのは致し方ないと私は思う。しかもアパート前で待ち伏せされて。

「えーっと、久しぶり…? 二年ぶりくらいだっけ」

「三年以上経ってるだろ。何とぼけてやがる」

あっ、ごめん。
軽く謝ると、中也はイライラしているのか目つきをさらに鋭くする。話題を変えようと、こんな田舎まで仕事で来たのかと問えば、ちげえよと軽く一蹴され取り付く島もない。


「もしかして私が恋しくて会いに来てくれたの?」

昔のようにふざけて軽口を叩く。彼の機嫌が悪い時にはこうすると、案外のってくれていた。懐かしさに目を細めると、中也は戸惑ったように私を見る。その様子に、少しだけ違和感を覚えた。


「手前、まさか、………いや。これは俺が悪かったのか……?」

中也は何かを納得したのか疑問を抱えているのか、訳の分からない単語をブツブツと呟きはじめていた。
本格的に考えこもうとしている様子に、とりあえず私は彼を部屋に招いた。

こんな田舎町にいかにもな美丈夫がわたしを探しにきたと一人にでも見られれば、たちまち周りに知れ渡るだろう。
狭いコミュニティだが、話題が少ない分誤解を解くにも一苦労どころの話ではない。噂好きのおばさんや目ざとい人達の顔が浮かび、扉を閉める前に思わず周りを確認してしまった。
誰にも見られていないことに僅かな安堵を抱いていると、旧友から失礼な言葉が飛んでくる。


「狭い部屋だな。前よりひどくなってねえか?」

「…………昔は組織が斡旋しているアパートだったからね。こんなものでしょう、普通なら」

最後の「普通なら」を特に強調しながら、その狭い部屋のリビングに通す。
そういえば前に一度だけお邪魔した彼の部屋はそのマンションのワンフロア近い広さだった。酔い潰れた彼を送り届けた時に見たきりだが、まだあそこで暮らしているのだろうか。


そんな事を考えながら珈琲を淹れ終えてリビングに座る彼に差し出せば、いきなり神妙な顔で謝られる。


「悪かったな」

「…………ごめん、何が?」

「苦労かけてたみてえだからな。安心しろよ。もうこんな惨めな想いはさせねえ」

「うん、だからね。………何が? まったく、話が分からないんだけど」

彼はこんなに脈絡のない男だっただろうか。
いきなり川があったから自殺してみたと云う元幹部様並みに分からない。
困惑の表情を隠さない私に、なおも中也は意味の分からない言葉を募らせていく。


「怒るのも無理はねえと思うし、俺が勘違いしていた事も含めて謝る。
俺は、手前が……なまえが裏切ったと思ってた。でも、手前はずっと待っててくれたんだな」

「えっ………う、裏切ってなんていないから!」

不穏な単語が出てきたので、血の気が引いて、声が裏返る。何かの行動が怪しまれて、ポートマフィア内で裏切り者疑惑が出ていたのだろうか。私の言葉を聞いて、「そっか、そうだよな」と何故か照れたようになる中也に、内心首を傾げながらも頷く。


「なら、その指輪」

ガラリと低く変わった声に、一瞬たじろいだ。
敵でも見るような凍る視線の先は、私の薬指だ。


「いい加減、外せ。目障りだ」

その一言に、ぞっとする。
この感覚はマフィア時代にあじわったもの。まさに殺気だった。
本当に意味が分からないが、此処で疑問を口にすれば善くない事が起こる。

――― マフィア時代に磨かれた私の直感が告げていた。
ゆっくりと指輪を外してテーブルに置くと、彼はすぐさまそれを手に取り、ぱきりと砕く。呆気なく砕かれた指輪に、目を見開いていると、彼は打って変わって優しげに目を細めた。


「俺がもう迎えにこねえと諦めちまってたから、あんな野郎の告白を受けたんだろ?」

ぽかん、としてしまう。彼は何を、云っているのだろう。
私の恋人からの指輪を壊しておいて、何の謝罪をしているのか。


「俺の出世を気にしたから、なまえはポートマフィアを辞めてこんな片田舎まで逃げたんだよな。でも、心配はいらないぜ。俺はもう五大幹部にまでなってんだ。誰からも文句は云わせねえ」

紅葉姐さんからも応援されてんだ、と誇らしげに笑う中也。
その姿に、だんだんと私の中で不安が、ある仮説を組み立てていく。


「別に結婚したところで、また組織に入る必要もねえから安心しろよ」

その仮説によって、意味の分からなかった言葉が明確に。

「荷物まとめろよ。大事な物以外は買ってやるから、必要最低限でいいぜ。もう部屋には全部そろってるからな」

「………その、部屋って、もしかして私の?」

それが、外れてほしいという願いは呆気なく、打ち砕かれた。


「俺たちの、だ。当たり前だろ。………あー、手前が裏切ったと思ってたから、ちょっと物騒な物もあるが、すぐに処分しとく」

ひきつった私の顔を怒りととったたのか、見当違いなフォローが入る。


「出られねえよう頑丈にしてた鍵のいくつかは外さねえとな。逃げる心配もねえのに、いちいち鍵掛けんのは面倒だしな」

「わ、私も出掛ける時に鍵がたくさんあるのは不便だと思うから賛成! ……と、ところでさ、」

ようやく回ってきた頭が、逃走確率を少しでも上げられるように会話の調子を合わせていた。

焦燥か不安からか鼓動が早くなる。

「私達、……いつから付き合いはじめたんだっけ?」

「まだ疑ってんのかよ? 出逢ってすぐの頃だろ、日付だって思い出せるぜ」

――― 思い出すもなにも、そんな日なかったでしょう。

先程よりも血の気が引いて、震えが走る。
そんな私の様子を如何とったのか、不安気な顔で中也が迫った。


「なまえは……今でも俺が好きだよな?
約束通り、周りの奴らを黙らせられるくらいになったんだ」

これが描かれたラブロマンスなら、クライマックスだ。
周囲から反対されて引き離された恋人が、約束通り迎えにきて、
それで ―――


「だから、今度こそ俺と結婚してくれ」

旧友だと思っていた男が、私に熱い眼差しをおくる。
嗚呼、と何故か酷く裏切られた心地がする。

私は彼が好きだった。友人としての彼が。

お互いの失敗談を笑い飛ばして、こぼれる愚痴をつまみに酒を呑んで、呆れるくらい意味がない会話をして。
そんな風に此処が“普通”だと思えたのは友人の彼がいたからなのに。

一緒に過ごした日々のすべてが、ひどく悲しく思えてくる。

それにこんなの、選択肢がないも同然だ。


だって、……だって
――― さっきから、何の物音もしない。

この安アパートは壁が薄く、隣近所の生活音がよく聞こえてくる。
元マフィアだった職業柄、だからこそ、わざとこのアパートにしたのだ。
物音がよく響く、この空間に。周囲の異常をすぐに感知できる住居を。

ましてや今は夕食時。いつもなら物音や会話で騒がしいくらいなのに、不気味なほど静まり返っている。
おかしな点は、その前にもいくつもあった。


この状況から導きだされる答えは、おそらく……。

悟った私は、ゆっくりと頷いた。

口の端を必死に持ちあげて、笑顔をつくる。彼の前でつくり笑いをするのはこれが初めてだった。
感情の波に流されそうになっても、私の醜い生存本能が働いて、私をころしていく。


「ありがとう、中也。迎えに来てくれて」

これが望んだ結末のように。
そう微笑むことができてしまった私には心の中で祈ることしかできなかった。
せめて、砕かれた指輪の送り主が無事なことを。



愛あれば



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