また明日は叶わない

 宝石のように綺麗な海と、雪の様に白い砂浜の海水浴場くらいしかない土地は、いつもと変わらず平和で、そして穏やかな時間が流れている。
 朝は生徒皆に『心臓破りの坂』とまで言われている急過ぎる坂を上がったところにある、わたしが通っている高校は、確かに朝は学校に着くだけで一苦労だし、夏なんかは学校に登校するだけで汗だく。しかも教室に着いた途端皆がデオドラントスプレーを使うせいで、色々な香りが混じって、気持ち悪くなるくらいだ。
 けれど朝頑張った分、帰るときは時間によっては夕日が水平線に沈む幻想的な風景が見れるし、自転車登校の人達なんかは、簡易ジェットコースター気分で坂を下り落ちる。勿論危ないし、先生に見つかったらこっ酷く怒られることは免れないけど。
 誰にも言っていないけれど、そんな密かに気に入っている学校での授業を終えて、わたしも帰る方向が一緒で、徒歩通学のみーちゃんと一緒に帰る。
 毎日同じことの繰り返しの様な生活だけど、それでも平和な事は良い事だし、友達と毎日会って、とりとめのない話をして笑い合って、一緒にご飯を食べたりする日常はわたしにとっては何よりも大切なものだ。

「それにしても今日の数学の授業難しくなかった? あれ、習ってない気がするんだけど」
「この前習ったよみーちゃん。みーちゃん休みで、わたしノート貸したよ」
「ああ、あの時のね。どおりで身に覚えのない数式が並んでると思った」

 あははは、なんて笑いながらみーちゃんは、スキップしながらまるで踊っているかのような軽やかさで私の一歩先を歩き出す。
 みーちゃんはいつだって美人だけど気取ってなくて凄く明るくて、さっきみたいに数学理解できなかったって言うけれど、多分教科書をもう一度見直せば簡単に理解できるくらいには頭が良くて、運動神経だって抜群のクラスの中心に居るような子だ。実際わたしの学校のマドンナ的存在な子。わたしとは正反対のような子だけど、小さい頃から自然と一緒に居て一番気があう大事な幼馴染だ。

「みーちゃんなら大丈夫だよ。直ぐ理解できるよ」
「うーん。ヒノデがそう言ってくれると心強いかな」

 振り向きながら悪戯っ子のようにニッと笑ったみーちゃんに、わたしも自然に笑顔になる。どんな時でもわたしを小さい頃から助けてくれるみーちゃん。女の子に言うのは少しおかしいかもしれないけど、わたしにとってはヒーローの様な子だ。

「そう言えば、ヒノデは進路どうするの?」
「進路か……」
「やっぱりお祖父ちゃんの仕事継ぐの?」
「それは」

 高校最後の年に待っているのは、新たな門出への分かれ道だ。わたしにもみーちゃんにも既に分かれ道が目の前に迫っている。

「色々考えたんだけど、やっぱり家の仕事は継がない事にしたの。刀鍛冶が嫌なわけじゃないけど……やっぱりお母さんの実家があるとは言っても、夢ばかりは見てられないから、現実見ないと」

 わたしの実家はお祖父ちゃんのお父さん、つまりわたしから見ると、曾お祖父ちゃんの代から鍛冶屋を営んでいるらしく、わたしのお父さんを抜かして二代に渡って刀鍛冶の仕事に付いてきた。お父さんは色々あって別の仕事についたけど、わたしは小さい頃からお祖父ちゃんの仕事場に出入りしてて、わたし自身が刀とかにひどく興味を惹かれて、小さい頃からお祖父ちゃんに弟子入りしてた。将来はお祖父ちゃんみたいな刀鍛冶になりたいと思っていたけど。

「これからはわたし一人で生きていかなくちゃいけないしね」
「……そっか。勿体ない気もするけどね」
「うん……」
「やっぱりお母さんの実家に行くの?」
「そうなると思う」

 みーちゃんの寂しそうな声はわたしの心を絞めつけた。
 半年前に病気でお祖父ちゃんが亡くなって、わたしは一人になった。病気小学校の時に他界したお母さんのお祖母ちゃんやお祖父ちゃんは良い人達で、わたしに卒業したらお母さんの実家に移り住んで就職でも進学でもすればいいと言ってくれてる。わたしは未成年だし、何かあった時に飛行機の距離に居るお祖母ちゃん達に負担をかけてしまうからだ。だけどわたしはまだお祖母ちゃん達にはっきりした返事を返せないでいる。

「本当はここを離れたくはないんだけど」

 生まれてから18年間住んでいる大事な故郷だ。田舎で今時のデパートや服屋さんなんて電車で乗り継がなければならないとこにあるし、夜は街灯が少なすぎて真っ暗になってしまう。コンビニはあるけど24時間営業の所なんて無い。不便と言ったら不便かもしれないけど、それでもわたしはここでの生活が気に入っている。

「わたしどうしたらいいかな……」

 みーちゃんに聞いても分かる事ではないけど、縋り付いてしまうのは、長年一緒に居るせいかもしれない。

「わたしにはこればっかりは何とも言えない。最終的にはヒノデが決める事だし。でも、お祖母ちゃんの家に行くにしろ、ここに残るにしろ、ヒノデが決めた道ならわたしは応援する。それだけは覚えといて」
「そっか、そうだよね。ありがとうみーちゃん」

 ちゃんとした答えをくれないのは、わたしを想っての事だろう。いつも優しいみーちゃんだけど、大事だからこそ答えをくれず、突き放すこともしてくれる子だ。

「それに、離れても携帯もあるしパソコンもある。飛行機に乗ればすぐに会いに行けるし、なんだったらヒッチハイクでもして会いに行ってやるわよ」
「フフッ! みーちゃんだったらヒッチハイクすぐ捕まりそうだね」
「ガンガン車乗せてもらって1日で会いに行ってやるんだから」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべるみーちゃんにつられて笑みが零れる。
 暫く二人で笑いあいながら談笑していると、T字路の分かれ道に差し掛かって、みーちゃんは向かって左側、わたしは右側に家があるからここでお別れしないといけなくなる。まだ話したい事があって、声をかけてみーちゃんを引き留める。

「みーちゃんこの後予定ある? 良かったらうちに来ない? 昨日隣のおばさんからケーキ貰ったんだ! 隣町の新しくできたカフェの所のケーキ、凄くおいしいんだって!」

 話をしたかったのも本当だけれど、隣のおばさんに貰った、最近この村で新しくできた、珍しくおしゃれなカフェのケーキを沢山頂いたから、甘い物が好きなみーちゃんにもあげたいと思って引き留めたのも事実だ。

「ああー……ごめん。今日はどうしても外せない用事があるんだ」
「そ、そうなんだ……。ごめんね引き留めちゃって! 今度また遊ぼう!」

 期待していた返事とは逆の言葉に、肩を落とす。落胆の色がみーちゃんにも伝わってしまったのか、ごめんと謝ってきたみーちゃんに慌てて両手を顔の前で左右に振る。

「そんな! いきなり誘ったわたしの方が悪いんだし気にしないで! それじゃあ、バイバイみーちゃん。また明日ね」

 名残惜しいけれど、用事があると言うみーちゃんをいつまでも引き留めておくわけにはいかない。片手を大きく振りながら、みーちゃんに別れを告げて、T字路の分かれ道を家へ向かって歩き出そうとした時、後ろから切羽詰まったようなみーちゃんのわたしを呼ぶ声がする。まさかいきなり大きな声で名前を呼ばれるなんて思わなくて、肩を震わせながらみーちゃんの方を振り向く。

「ど、どうしたのみーちゃん?」

 明らかにいつもと違う様子のみーちゃんに、余計に不安が広がる。申し訳なさそうな、どこか悲しそうな顔をしたみーちゃんは雪のように儚くて、今にも居なくなってしまいそうな雰囲気だった。
 始めて見る頼りなさげなみーちゃんの姿に、どうにかしていつもみーちゃんに戻ってほしくて、精一杯の笑顔と、大げさなくらいの声と手の振り方でもう一度別れを告げた。

「また明日学校で! ケーキと一緒に貰ったシュークリームも持ってくから!」

 わたしの声に意識を現実に戻してくれたのか、みーちゃんらしい笑顔と声で返事を返してくれた。

「ありがとうシュークリーム大好き! 明日楽しみにしてる! だから──また明日ねヒノデ」

 いつもと同じ、わたしの憧れのみーちゃんの笑顔と声に、わたしも嬉しくなって、更に身振りを大きくしながら答える。

「うん!! また明日ね、みーちゃん!」
「うん。じゃあねヒノデ」

 みーちゃんにお別れの言葉を述べてから、帰るべき家を目指す。
 家へと向かって足を進めるけど、さっきのみーちゃんの表情が頭に消せないインクのようにこびり付いてしまって、足取りが重く感じる。みーちゃんは小さい頃から色々抱えやすい性格だ。中学時代みーちゃんのお父さんが倒れた時も、平気な顔をして病院で泣いているお母さんを慰めていたのを覚えてる。もしかして何かあって、それで今日用事があるのかもしれない。もしかしてまたお父さんが倒れたのだろうか、それとも今度はお母さんが……。
 嫌な想像は止まる事を知らず、脳内を駆け巡る。明日、朝聞いてみよう。今日電話したとしてもきっとみーちゃんは話してくれない。
 後ろ向きな事ばかり考えてしまう思考を断ち切る様に、いつの間にか着いていた自宅の塀の門を開けて、沈んだ気持ちを晴らす為に、兎のように石畳みの上を飛び跳ねながら、玄関の引き戸の鍵を開けて中に入る。

「ただいまー……」

 帰ってきた事を知らせても「おかえり」と言う言葉が返ってくることは無く、人が居る気配が一切ない暗い室内が待ち構えているだけだった。静まりかええている室内はまるで、何か得体の知れない怪物の口の中に居るような気さえしてきて、余計に気持ちが沈んでいくような気がする。
 さっき断ち切ろうと思ったばかりなのに、再度突き進むように悪い方向へ思考が行きかけるのを、もう一度、今度は少し痛い位に両手で頬を叩いて止める。

「よし! おかえりなさいわたし!」

 だいぶ虚しいけれど、自分で自分に返事を返して、家の中へと足を踏み入れる。
 家に帰って来てから最初にやる事は当たり前の事だけど、うがい手洗いをしてから仏間に行き、両親とお祖父ちゃんの写真が飾ってある仏壇にお線香を灯して、今日1日会った事を話す。
 いつもは1日の出来事を天国に居るお父さんお母さん、お祖父ちゃんを安心させるために笑顔で話そうと決めてるけど、今日はどうしてもやっぱりみーちゃんの事が気になってしまって、笑顔で話すことは出来てなかったと思う。
 どうにも治まる事の出来ないこの沈んだ気持ちと、妙な胸騒ぎを止めるために、お祖父ちゃんの書斎に向かう。ギシギシと古びた木の床が不穏な音を立てる。この音を嫌う人もいるけれど、わたしはこの結構好きだ。少なくとも全く音のしない家よりもマシだと思っている。
 家の中の一番奥の書斎の扉を開ける。古本独特の匂いと、畳みの匂いが充満している部屋は家の中でも一番奥に位置しているせいか、まだまだ明るい夕方でも光は少し差し込まず、薄暗い。部屋の中央の豆電球に明かりをつける。チカチカと何度か点灯を繰り返したのち、やっと光が安定して、オレンジ色の光が部屋の中を満たす。
 明るくなったのを確認して、部屋の左右の本棚にびっしりと詰まった本棚を一瞥するけど、今日は本棚に入っている本に用は無い。用があるのは部屋の奥の窓の前に鎮座している床に座るタイプの学習机の前に座って、真ん中の引き出しを開ける。
 引き出しの中には、昔の時代に合ったような紐閉じの日記帳くらいの大きさの本が入っていて、タイトルには日本語で『航海日誌』と書かれていた。
 航海日誌と書かれている本を手にして、中を覗く。

「今日は巨人にあった話でも読もうかな」

 本に書かれている内容は非現実的な内容で、航海日誌とは名ばかりのファンタジー小説だ。まるで自分が体験したかのような事が書きつづられているけれど、お祖父ちゃんは昔から「自分は海賊だったんだ」って言っていたし、わたしはお祖父ちゃんの話を聞いて自分も海賊になりたいなんて言っていたけれど、もう遠い昔の話だ。今はもうそんなこと信じるような年では無い位には心も体も成長した。幼いころに聞いた夢物語は、やっぱり夢物語でしかない。少なくとも小説の中の内容として楽しむだけだ。
 読みたかったページを開いて文字を目で追っていく。巨人さんは島くらい大きな動物を狩ったり、船を真っ二つにするほどの斬撃を放つなど、本当に夢の様な内容が書かれていた。
 夢中で読み進めていた時、横に置いておいた学生鞄代わりにしているリュックから携帯のバイブ音が聞こえてくる。

「誰だろ?」

 近所の人やガス屋さんなどは自宅の電話にかけてくるので、おそらく友達の誰かだろうと思って、鞄からリュックから携帯を取り出す。バイブ音が長い間響いているので、多分電話の方だ。リュックから取り出した携帯の画面に出ていたのはさっき別れたみーちゃんの名前だった。普段は大体メールなので、電話で話さなければならないほどの大事な用事らしい。やっぱりお家の方で何会ったんじゃないかと思って、慌てて通話ボタンを押して携帯を耳にあてた。

「もしも、」

 もしもしと言おうとした口は最後の言葉まで音にすることは出来なかった。突然抗いようのない眠気がわたしを襲った。力の入らなくなった体は前方にゆっくり倒れて、リュックを押しつぶしてしまう。

「ッ──ぁ────」

 段々と目の前に靄がかかり始め、うすれゆく意識の中、まだ手の中にかろうじて納まっている携帯の電波先の相手に助けを求めようにも、声の出し方を忘れてしまったかのように、わたしの声帯が音を発することは無かった。数秒気力を絞って抵抗していたけど、抵抗虚しくわたしの意識は闇の中へと落ちていった。


***


 海の中を自由に泳ぎ回り、巨人さんとダンスを踊る。くるくる手を繋いで踊り、笑いあう。もう少しでフィニッシュと言う所で、意識の外側から声をかけられる。だけどもう少しでダンスは最後の大事なフィニッシュをもう少しで決める。だからもう少し待ってほしい。さあ、最後のフィニッシュだと言う時、体を大きく揺さぶられる感覚に、わたしの楽しい夢は無理矢理終止符を打たされ、脳は覚醒の準備に入った。

「んー……」
「起きた?」

 まだ完全に覚醒しきってない意識の中、体を起こして霞む目で見た先に居たのは、オレンジ色の異国を思わせるようなショートカットの快活そうな女の子だった。ただ普通の女の子と言うにはあまりにも顔もスタイルも情人離れしているくらい整っていた。
 ただその姿はどこかで見たことあるような既視感を覚える。

(こんな綺麗な人忘れるはずないんと思うんだけど)
「ちょっと本当に大丈夫?」

 女の子はいつまでもまともに声を発しないわたしを心配してくれたのか、顔を覗きこんできた。わたしも流石に女の子にいきなり顔を覗きこまれて、今度は嫌でも脳は完全に覚醒して、目の前の物事を処理し始める。

「あ! はい! 大丈夫です。あの、助けて頂いてありがとうございます。わたし家の中で倒れちゃって……」

 どうしようかとおもったんです。と言う言葉は最後まで言い切ることは出来なかった。何故なら、わたしの目の前──正確に言えば女の子の後方に広がっていたのは、地平線の彼方まで続くエメラルドブルーに染まる海と白い砂浜だけだった。
 そして──

「ねぇ、本当に大丈夫?」

 彼女の顔をまじまじと見て思い出す。つい最近友達がハマっていると言って、学校で力説していた漫画の表紙に乗っていた女の子だと脳が訴えかけてくる。
 すがるように右手にある携帯を握り締めたけれど、さっきまで手に伝わるほど浮動していたバイブ音は鳴りを潜め、手を通じて脳に伝わる機械独特の冷たさと、潮の匂いと体を撫でる風が、これは現実なのだとわたしに語りかけたのだった。


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