運命の渦に呑まれて 足首ほどまで伸びた草を踏みしめながら、数歩先を歩くオレンジ色の髪の女の子、ナミさんを見つめる。 それにしても、よくあんな怪しい説明と今の怪しい事情で、わたしの事案内してくれるようになってくれたな、と思う。今思い出しても挙動不審もいいところだと数分前の出来事を思いだす。 「ねぇ? 本当に大丈夫? 見ない顔だけどどこから来たの?」 「あ、えっとあの……あ、いやその、おぼ、おぼえてないんです……いつの間にかここに」 「覚えてない? どういう事?」 そこからは、もう勢いだった。日本と言う国がここにあるかも分からない。友達が力説していた事を思い出そうとしても、友達の興奮具合の方が記憶に残っていて、記憶に残っているのは『海賊王』『ゴム』『ルフィ』と言う名前くらいしか思い出せない。日本があるかも分からないのに、下手に日本と言う言葉を口にするのは危険かもしれないと思っての記憶喪失と言う判断だったけれど、あれだけ混乱した状態で冷静に判断出来たことは奇跡に近い。それに多分ナミさんはメインキャラクター? だと思う。この世界のメインキャラクターに会えたのは不幸中の幸いとも言えた。漫画のメインキャラクターで悪い人なんて早々いないだろうし。よく分からないけど……おそらく。 ただ、誤算だったのは手に持っていた携帯とリュックの方だった。携帯は制服のポケットにバレないうちにすぐ隠したけど、バックは無理だった。記憶喪失と言う設定にした以上、リュックなんてものは情報を握るということにおいて、一番の重要な手掛かりになる。勿論ナミさんもリュックの方に目を向けて、わたし自身も何もしないでいるわけにもいかず、リュックの中身を見られてしまったけれど。 「なにこれ? 本よね? なんて読むの?」 「え? 現代文ですね」 言った瞬間しまった! と思ったけど、後の祭りだった。何とか文字については、不思議と読めると、もしかしたらわたしの住んでた所特有のものかもしれないと言うのをナミさんと意見を出し合いながらごまかしたけど……どうやら、この世界には日本語という物は存在しないみたいだった。 幸いなことにリュックの中身も他は、教科書と筆記用具、カラのお弁当箱と水筒、ポーチなどの小物しか入っていなかったのは本当に良かった。携帯は制服のポケットに入れておいたから良かった…他の電子機器なんか入っていたら誤魔化せる自信が無かった。 改めて思い出しても挙動不審な自分の行動に、わたしがナミさんの立場だったら間髪入れずに逃げ去るだろう。まあ、多分ナミさんからしたらわたしなんかすぐ倒せると思っての事かもしれないけど。少年漫画だし。わたしなんきっとパンチ一発で倒されると思う。 万が一にもそんな事にならなくて良かったと、胸をなで下ろしながら、ずり落ちたリュクをかけ直し、ナミさんに気付かれないようにに溜息を吐く。 わたしの名前を知ったナミさんが、わたしの事を知ってるかもしれないと言う人の所に案内してくれると言い出したのだはその後だった。どうやら学生鞄に付けていたみーちゃん達とお揃いの、ネームプレートに英語で彫られていた名前を読んで気づいたみたいだ。 (わたしの事を知っているってどういう事?わたしはこの世界の人間じゃないのに知ってるなんておかしい。誰かと勘違いしているという事もあるけど) 脳裏にこちらの世界に来る前に読んだお祖父ちゃんの『航海日誌』に書き記されていた『海賊王』という言葉が思い出される。最初友達から海賊王と言う話を聞いた時、偶然だろうと思ってたけど……。 (今の立場になって分かる。偶然で収まるような事じゃない) 今まではお祖父ちゃんの孫娘のわたしを喜ばせてくれる空想話と思っていたけど、思い出せばお祖父ちゃんはいつか必要になるからと言ってわたしに英語を教えたりしていた。ただ、お祖父ちゃんには申し訳ないけど、お祖父ちゃんの英語力は低くて正直勉強にならなかったけど。大雑把すぎるし、お祖父ちゃんの英語力自体中学生ぐらいだったし。これに関してはお祖父ちゃんの生きていた時代が時代だから仕方ないけど。 今までの思い出を振り返り、頭の中でいくらお祖父ちゃんの言動と、行動を否定しても、考えれば考える程気持ち悪い位にお祖父ちゃんの昔話と、わたしの今の現状が似すぎていて、言いようのない吐き気がわたしを襲う。わたしが一体何をしたって言うの。明日はみーちゃんにケーキとシュークリームをあげる予定だったのに。それに数学の宿題もあるし、明日は体育でダンスの発表だった。それ以外にも学校の出席日数はどうなるの? 家の管理は? わたしの居なくなったのにはどういう理由がつくの? もしかしたら──。 (死んでたり、もともと居ない存在になんてなってによね……) 『死』や『消失』と言う言葉がわたしの頭の中をぐるぐるとまわり始める。感じたことの無い、自分が存在すら無くなってしまっているんじゃないかと言う圧倒的恐怖。気候は温暖な春の気候なのに、冷や汗が体から湧き出てきて、寒気が止まらない。急に自分の周りの酸素だけ薄くなったように感じて、ハッハッと息が短く切れ始める。 「ちょっと!?」 「あ……」 いつの間にかわたしの方を振り向いていたのか、ナミさんがわたしの両肩を掴んで、わたしの方を険しい顔つきで見ていた。 「本当に大丈夫なの? 記憶喪失って言うのは……確かに不安かもしれないけど、今から会う人は多分あんたを探していた人だから、きっとあんたの事もしってるわ」 「そうですね……。すみません迷惑かけてしまって」 「いいわよ、別に。それにいつまでも海岸に居たら怪しまれるから」 怪しまれるというのはどういう事なのだろう? 気にはなったけれど、なんとなくナミさんの口ぶりから質問するのは憚れた。 その後はお互いに無言のままナミさんの後を追って着いたのは、腰ぐらいの位置の白いベニヤ板の塀に囲まれ、庭には家庭菜園とガーデニングが趣味なのだろうか、家の玄関まで続く石畳で割る様にして、向かって右側は沢山の野菜が実っている畑、左側には色とりどりの花が咲いていた。家もレンガ作りの煙突がある絵本に出てくるような家で、とても可愛い。 「じゃあ、わたしはここで帰るわね」 「え? あの! 帰っちゃうんですか……」 てっきりこのまま家の中まで行って、その私を探していたと言う人に紹介してくれるのかと思っていたから、まさかここでお別れしてしまうだなんて思っていなくて、思わず引き留めてしまう。 出来るなら一緒に居てほしい。一方的だけど、少しだけなら知っている人物が居てくれるのはとても心強いし、なによりその人が本当にわたしの事を言っているのかどうかなんて分からない。もし違っていたらわたしはこの先どうしていけばいいの。 勝手だし、理不尽だとは自分でも思う。だけど本当にわたしはこの世界に身寄りが無いのだ。元の世界でも一人ではあったけれど、完全に身寄りが無いわけではなかった。だけどこっちの世界では身寄りが無いどころか、わたしが生まれたと言う事実すら存在していない。この世界がどういう仕組みになっているかは詳しくは分からないし、記憶喪失と言う嘘をついてしまった事もある。 「ごめん。わたし用事があるの。それにこの村ではわたしには関わらないで」 「あの関わらないでって何で」 なんでいきなり関わらないでなんて寂しいことを言うのか分からなくて、縋るようにナミに手を伸ばしたけど、ナミに届く前に背中を向けられてしまった。 「とにかく今回は特別だから。この村で目立たず生きていきたいなら、わたしとは他人のフリすること。いいわね?」 背中を向けられたまま紡がれた言葉は、私を突き放しているように見えるけど、どちらかと言うとわたしを気遣っての言葉のような気がしてならなかった。 もうナミさんを呼び止めるようなことは出来なくて、遠ざかるナミさんの背中を見つめることしか出来なかった。 ナミさんの背中が完全に見えなくなって、いよいよ自分は本当に一人なのだと思い知らされて、泣きたくなった。 「本当なんでこんな事に……」 疑問に答えてくれる声はなく、歪んだ視界を制服の袖で拭って、案内してくれた家を見る。 「行かなくちゃ、行かなくちゃ始まらない」 どんな人が出てくるのか、その人が知っていると言う『ヒノデ』と言う人物は本当にわたしなのか、だとしたら何故わたしを探していたのか――帰る方法はあるのか。聞きたい事は山ほどあるんだ。立ち止まってる暇も、泣いてる暇もない。こうしている間にも私の世界の時間も進んでいて、長引けば長引くほどわたしという存在がどうなるか分からないんだから。 自分に何度も同じことを言い聞かせて、鼓舞すると、意を決して庭の中に足を踏み入れた。石畳を悪いことをしているわけではないけれど、妙な緊張感からか、足音を立てない様に慎重に歩きながら、眼前に迫ったヨーロッパ風の扉の真ん中についている、ライオンの口に金色の輪っかが加えられているドアノッカーを二回ほど扉に叩きつけてノックする。お家の中で誰かが動く気配がして、ゆっくりとわたしにとって天国の入口にも地獄の入口にもなりえる扉が開いた。 「誰だ?」 お家の中から出てきたのは、白髪のオールバック気味の短髪に、深いシワが顔に刻み込まれた若干険のある顔つき。そして左手に持っている漫画やアニメの中の怪盗が持っていそうな杖。もし生きているならば、お祖父ちゃんと同い年くらいのお爺さんだった。でもお爺さんと言うには少し何というのだろう……人としてのオーラと言うのか、存在感と言うのか……とにかくわたしの知るお爺さんとはかけ離れていた。体つきはそこまで良さそうには見えないのに、なぜか一回りどころか、二回り以上大きく見える。 目の前に立つわたしと同じ人間であって、同じ人間に見えないお爺さんに圧倒されて、ナミさんに会った時以上の緊張と圧迫感に、言いたい事をまとめる前に勝手に口が動き出してしまった。 「あ、あの……わたしヒノデと言います。ナ──じゃなくて、この島の村の方に案内されて訪ねてきたんです。えっと、あの、わた、わたしのお祖父ちゃ、あっとアカツキイッセンの……その孫で、ヒノデって言うんですけど……わたしのこと知っている人が、ここのお家に居るって聞いて……」 なんとか吃りながらも全部話し終えるけれど、うまく伝わったかが全然わからない。と言うより自分が話した内容さえ既にうろ覚えだ。極度の緊張と言うのは、思ったよりも自分自身の記憶を曖昧にさせるらしい。 相手の反応を見るのが怖くて俯いてしまった顔を上げると、わたしが見た先にいたのは、生き別れの娘に数十年ぶりに会ったような顔をしたお爺さんだった。目にはうっすら涙も浮かんでいる どうしたのか分からなくて、声をかけようと口開けた矢先、突然強く抱きしめられて声をかけることは叶わなかった。 「ああ……まさか、この目でイッセンの孫に会えるとは……」 骨が軋むくらい強く抱きしめられながら、耳元で聞こえた耳慣れた名前に、やっぱり天国の入り口のように見えても、地獄に突き落とされる事にはかわらなかった。 (お祖父ちゃん、貴方は本当に何を知っていて、何をわたしに望んでいるの……?) もう本当に何も考えたくなくて、わたしの意識は電気の電源を落とすように暗い闇の底へと落ちていったのだった。 top |