わたしの正義

 ナミさんとの深夜の邂逅で何かしらの悪魔の実の能力者とわかってから数日、わたしは前よりもさらに他人と関わらなくなり、トウシンさん家の敷地からほとんど外出しない様になっていた。トウシンさんもわたしの様子がおかしいことに気付いているのか何も言ってこない。

「ヒノデ今日はゲンゾウがうちに来る」
「分かりました。わたしは外に行っていた方が良いですか?」
「いや、ヒノデにも一緒に居てほしいんだ」
「?? 分かりました」

 朝食を終えて皿洗いをしていたわたしに今日の日程を伝えてきたトウシンさんに疑問を持ちつつも、肯定の返事を返す。ゲンゾウさんがこの家に来るのは多いけど、それでもわたしまで一緒に居てほしいと言うのは初めてだ。もしかして。

(わたしが悪魔の実を食べたのがバレて、この村から追い出されるのか、それとも魚人の人達にバレる前に先手必勝ではないけれど、わたしの事を引き渡そうって提案されるのかな)

 皿洗いをしながらばれない様にトウシンさんの方に視線だけを向ける。いつもと変わったところなくルッキングチェアに座って新聞を読んでいるトウシンさんにおかしな所は無い。トウシンさんに限ってわたしを魚人の人達に引き渡すなんて事しないと思うけどココヤシ村の状況が状況だ。
 三ヶ月と少し過ごしただけだけど、わたしにとってトウシンさんは二人目のお祖父ちゃんみたいな存在の人。そんな人に捨てられたら本当にわたしはどうしていいか分からなくなってしまう。この世界に来てわたしがまだ真面な思考で居られるのは、ひとえにトウシンさんのおかげなんだ。

(でももしトウシンさんが本当にわたしの事をいらないものと思っているなら、トウシンさんの前から、ナミさん達のココヤシ村の人達の前から姿を消そう。居るだけでわたしは皆さんの命を危険に晒すかもしれないんだから)

 一人心の中で決意を固めつつ、皿洗いを終える。ゲンゾウさん来るまで今日一日の仕事を終えなくちゃいけない。早く取り掛からないと。
 外の家庭菜園の仕事をしてくるとトウシンさんに告げてわたしは外に出た。

◇◇◇

 そろそろお昼の準備をしようかと言う時、ゲンゾウさんがトウシンさんの家に歩いてくるのを視界に捉えて、家の中に入る。

「トウシンさん、ゲンゾウさんがいらっしゃいました」
「そうか……ヒノデ、すまないがお茶を用意てくれないか?」
「はい」

 腰が痛いのだろう、苦痛に顔を歪ませながらトウシンさんはダイニングの椅子に座った。
 コンコンと玄関の扉をノックする音が聞こえた後、ゆっくりと扉が開かれゲンゾウさんが姿を現す。

「お昼時にすまないなトウシンさん」
「いや、大丈夫だ。今ヒノデがお茶を用意してくれている」
「そうか、ありがとなヒノデ」
「いえ」

 ゲンゾウさんの顔を見る事が出来ず、失礼だけど背中を向けたまま言葉を返す。
 心臓が囃し立てるように一気に脈打ち、ティーカップにお茶を注ぐ手が震える。これからわたしの生活が今この瞬間から決まるんだ。
 震える手を叱咤して、トウシンさんとゲンゾウさんの前にティーカップを置く。これがトウシンさんとの最後のお茶会になるかもしれないんだ。
 恐怖に体が小刻みに震え、喉元まで悲鳴が押し寄せるのグッと堪えて、トウシンさんの横に静かに座る。気分は死刑を言い渡される前の受刑者だ。

「今日は君に話が合ってきたんだヒノデ」
「はい……何となく分かってます」

 わたしが能力者ってことについてですよね。
 心の中で呟いた言葉は結局口にすることは出来なかった。どうやらわたしはまだ、自分でも分からないうちにほんの少しの希望にかけてるみたいだ。能力者だとバレてないという事に。

「そうか、じゃあ話が早い……ナミの事についてなんだが」

 ナミさんの事?
 心の中で呟いた疑問は口に出ていたらしく、トウシンさんとゲンゾウさんは二人して首を傾げていた。

「それ以外に何か話があるのか?」
「い、いえ!! すみません。そう、そうですよね……」

 誤魔化すように不自然すぎる笑い声をあげながら、お二人の顔を交互に見る。
 まだわたしが何らかの悪魔の実の能力者だという事はバレていない。と言うよりもナミさんが何も話していないのかもしれない。あのナミさんの様子を見て、もしかしたらゲンゾウさんあたりには話したかと思っていたけど、このお二人の様子だと話していないみたいだ。
 ほっとしていいのか、それともお二人を騙して、村の人達を危険に晒しているのを悔やめばいいのか分からない。

「そうか。それでそのナミの話なんだが」

 わたしの不自然な態度に疑問は持ったみたいだけど、今は本題が違うみたいなので深く突っ込まれなかったのは不幸中の幸いだった。追及されていたらうまく返せる気がしなかった。

「この前ナミに会ったそうだな」
「そうなのかヒノデ?」
「はい。ちょっと色々ありまして……」

 まさか能力者なのに海の中に入っていたのを間一髪助けてもらいました。なんて口が裂けても言えない。
 でもなんでゲンゾウさんがその話を知っているんだろう。
 疑問が顔に表情として表れていたのか、ゲンゾウさんが苦笑いを浮かべながら話を続けてくれた。

「実はノジコからナミとヒノデが揉めていたと聞いたんだ」
「ノジコさんからですか?」

 思いもよらなかった人物が情報提供元な事に驚きを隠せない。けどよくよく考えてみると、あの家はナミさんとノジコさんが一緒に住んでいるんだ。夜中に、しかも結構大きな声で話していれば起きてしまうだろう。でもそれなら──。

(わたしがなんらかの能力者だってことも知ってるはずなのに)

 そう、知ってるはずなんだ、わたしが能力者だってこと。まだ何の実かは分からないけど、それでもこの島に──この村に災厄をもたらすかもしれない存在だっていう事を。なのに一向にゲンゾウさんからは『悪魔の実』や『能力者』と言う言葉は出てこない。
 とにかくこのままゲンゾウさんの話を聞いて判断するしかない。わたしは再びゲンゾウさんの話に意識を傾けた。

「まあ、ナミと何があったかは知らないが、ナミの事を許してやってはくれないか?」
「あの、許すも何もわたしは何もナミさんにされてはいませんから大丈夫ですよ」

 多分何か勘違いしているんだろう、頭を下げて謝るゲンゾウさんに慌てて否定する。むしろわたしがナミさんに酷い事をしてしまった側なのだ。
 なのにナミさんはわたしが能力者だという事を話していないところを見ると、ナミさんはやっぱり凄く優しい人だと思う。普通ならわたしの事を村の人か魚人の人達に話して何かしらの処分を下すように言付けするはずだ。

「そうなのか? じゃあ、なにが……」
「ゲンゾウ、何も無いっているんだ。これ以上ワシ達が口を挟むことではない」
「あ、ああ、そうだなトウシンさん。何もないなら良いんだ」

 普通ならもっと追究する場面で何も言わず、それどころかゲンゾウさんが追及を止めたトウシンさんに違和感を覚えた。もしかしたらトウシンさんは何か気づいてるのかもしれない。わたしが不眠症に近い症状になっている事も、そして他にも何かあるのに気付いてる。じゃなきゃゲンゾウさんを止めたりしないだろう。
 なにもかもお見通しなトウシンさんには改めて頭が上がらない、それを抜きにしてもわたしの詰めが甘いってこともあると思うけど。

「じゃあ本題に入るが、そろそろヒノデにもナミとこのココヤシ村の事を話しておかなくてはならないと思ってな」
「ナミさんとココヤシ村の事ですか?」
「何となく気づいているだろう? この村とナミの間に何かあると」

 返事を返すべきなのか迷って、数秒考え込んだ後、黙って頷く。
 ナミさんとココヤシ村の人達の奇妙な距離感はずっと気になっていた。トウシンさんに聞いても言葉を濁すだけだったし、当事者のトウシンさんが言いづらそうにしていたから、わたしもそれ以上追及することは出来なかった。でも何で今になって。

「何で今更って思っている顔だな」
「えっ!?」

 図星を突かれて、声を上げてしまった。こんなんじゃ、この先記憶喪失と言う嘘がどこまで突き通せるか怪しく思えてくる。

「確かに今更だが、この島──このココヤシ村に居る以上、ヒノデだけ何も知らずに過ごすと言うわけにはいかないだろう。実際何があったかは気になるだろう」
「それは、そうですけど……」

 知りたい気持ちは確かにある。子供かもしれないけど、自分だけ何も知らないというのは、必要以上に孤独を感じさせる。
 でも、今からゲンゾウさんが話す内容は、わたしがナミさんの許可なく知っていい事なのだろうか。多分村の人達全員が知っている事なのかもしれない。それでもわたしみたいな新参者の、それもいつか違う世界に帰ると言う保険があるわたしが知っていい事なのだろうか。この前のナミさんの態度を考えると余計に知ってはいけない様な気がしてならない。

「あの、せっかく来ていただいて申し訳ないんですが、ココヤシ村とナミさんの間に何かあったことについてはわたしは知らなくても、大丈夫です」
「……それはどういう意味だ?」

 ゲンゾウさんの声がワントーン低くなり、元々精悍な顔立ちが更に鋭くなる。多分わたしが言った事を悪い方向に捉えているのかもしれない。
 まだ言いたい事は纏まらないけれど、緊張でカラカラに乾いた口を開く。

「ナミさんやココヤシ村の人達に興味がないとかそういう事じゃないんです。ただこの村に来て数ヶ月くらいのわたしが、ナミさんの許可なくナミさん達の事を知ろうとするのは違うと思うんです。もしわたしがナミさんとの間に何かしらの絆や、ココヤシ村との間に繋がりがあるなら分かります。でも今のわたしにそう言う繋がりはありません。ただココヤシ村に住んでいるだけで、皆さんが今までしてきた苦労をしてないわたしが、ゲンゾウさんから真実を知るのはやっばり違うと……思うんです」

 勝手なわたしの考えですけど。と最後に付け加えて締めくくる。
 最初は確かに知りたいと思っていた。けど、この前のナミさんの態度を見る限り、ナミさんが重く苦しい何かを辛いものを背負っているのは明らかだ。同時にナミさんが誰よりもこのココヤシ村の事を想っているのも分かった。それだけ重い物を背負っているナミさんの過去を、ココヤシ村の過去を、まだ逃げる場所があるわたしが知るのは皆さんに対する侮辱にしかならない。
 ましてや沢山の秘密を抱えているわたしが何も話さないのはフェアじゃない。
 ゲンゾウさんは黙ってわたしを見ると、大きくため息を吐いた。呆れているのかもしれない。だけどこれだけは譲れない。

「そうか」
「はい。だから知るなら……せめて教えてもう形ではなく、信頼と言う形で話してもらって知ります。そうじゃなきゃ皆さんに失礼です」

 誠意には誠意で返さなくてはならない。ここまで良くしてくれるトウシンさんやココヤシ村の人達、そしてわたしを助けてくれたナミさんに失礼だ。知りたい気持ちはあるれど、知るときはわたしが自力で知るべきだ。
 教えてもうんじゃない、話してもらうんだ。わたしはまだその場所まで行っていない。
 わたしとゲンゾウさんの間に沈黙が流れる。重い沈黙に耐え切れなくなりかけた時、横に居たトウシンさんが突然笑い出した。

「はは! ゲンゾウこれ以上言っても多分何も聞かんぞ。ヒノデはこう見えて頑固なところがあるからな。それに──」

 こんな事言ってくれるのは嬉しいじゃないか。と続けたトウシンさんに呆気にとられてしまう。トウシンさんがこんなに大笑いするところは始めて見た。
 始めて見るトウシンさんの姿呆気にとられていると、グシャグシャと豪快に頭を撫でられた。若い頃に比べて力が衰え、病気で体を崩したとしても、すごく力が強くて、頭がぐらぐらし回り始める。
 気がすんだのかやっと頭を撫でるのを止めてくれたトウシンさんを見ると、年齢のわりに鋭い目を細めて、宝物でも見るような輝いた目でわたしを見るトウシンさんに驚きで言葉が出ない。

「とにかくこの話は終わりにしよう。聞きたくないと言う子に話す内容でもないしな。もし絶対に聞かなくてはならない状況になったら話そう。今は良いだろう?」

 子供に言い聞かせるようなトウシンさんの言葉に、ゲンゾウさんは何か言いたげだったが、長年の付き合いなのか、それとも諦めか、しぶしぶ納得すると椅子から立ち上がった。

「分かったよ。でも、もしどうしても避けられない状況になった時は話させてもらうぞ」
「ああ、分かってる。悪いなゲンゾウ」
「いいさ。それに」

 言葉を一旦区切ると、ゲンゾウさんはわたしの方に目を向けた。年齢を重ねた男の人特有の鋭い目が優しく細められる。

「本気でナミの事を考えてくれるのは嬉しいからな」

 そう言ったゲンゾウさんの表情は愛しい娘を思い出している父親の顔をしていた。
 やっぱり村の人達はナミさんの事を嫌ってはいないのかもしれない。今聞かなかった話の中に真実が隠されているのだろうけど、こんな優しそうな顔をしたゲンゾウさんから、この村で何の苦労もせずに生活しているわたしに聞く権利はまだないと改めて思った。

「じゃあ、今日は帰るよトウシンさん、ヒノデ」
「ああ、わざわざ来てもらったのにすまないな」
「すみません。わたしの我儘のせいで」
「いや、いいんだ。それだけこの村の事を大切に思ってくれている証拠だからな」

 嬉しそうに話すゲンゾウさんに恥ずかしくなって下を向く。顔が火照って仕方がない。
 わたしが照れているのが分かったのか、ゲンゾウさんがは微かに笑い声をあげた後、帰って行った。

「あの……本当に良かったんですか? ゲンゾウさんがせっかく来てくれたのに」
「いいんだ。それにゲンゾウも嬉しそうだったしな。そこまでヒノデがこの村の事を考えてくれていたと分かって嬉しかったんだろう」

 心底嬉しそうに話すトウシンさんに、一旦引いた頬の熱がぶり返す。
 トウシンさんは若い頃結構な女タラシさんだったのかもしれない。もしくはこの世界の人は恥ずかしげもなく本音を言える人ばかりなのかもしれない。深く関わっているのはトウシンさんだけだから予想でしかないけれど。

「それじゃあ午後の仕事に移ろう。今日は気分も体調もいい、ワシも久しぶりに仕事をしよう」
「え!? だ、だいじょうぶですよ! トウシンさんは体を休めないと」

 ただでさえ病気で体を悪くして、特に足が悪いのに、今は腰まで悪くしている。無理はさせたくない。
 必死にトウシンさんを止めようとするけれど、気分が上がっているのか、わたしの言う事を聞いてくれそうにはない。わたしの制止を無視して自室に入ったトウシンさんは、一分もしないうちに部屋から出てきた。準備万端である。

「さあ、ヒノデ。張り切っていくぞ」
「もう……腰さらに痛めても知りませんからね」

 一応注意はしつつも、久しぶりにトウシンさんとお仕事出来るのが嬉しくて、上がる口角を隠すこともなく、庭に出たトウシンさんの背中を追った。


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