拒絶された存在が向かう先は 相変わらず元の世界に帰る情報も、魚人の人達の支配も終わらない環境で、わたしの不安は爆発寸前まで迫っていて、最近では夜中に何度も起きてしまう事が多くなっていた。 今日も今日で元の世界に帰れたとしても、誰もわたしの事を知っている人がいないという現実にもありえそうな夢を見てしまって、大量の汗をかきながら起きてしまった。 最近では寝ること自体が苦行になり始めて、トウシンさんにおやすみなさいと挨拶をして、自室の布団に入っても寝れないことが多くなっている。今日もいつものお約束のように元の世界に帰った時に、誰もわたしの事も覚えてもいなくて、わたしの帰る家でさえ消えてしまった夢を見て飛び起きた。 「――気持ち悪い」 大量の冷や汗をかいたパジャマ替わりのTシャツが気持ち悪くて、一旦布団から出て違うTシャツに着替え直す。最近は夜必ずTシャツを一回着替えるのが日課のようになってしまっていて、朝洗濯物として出す時、トウシンさんにばれない様に出すのが一番神経を使う。 (また寝たら見るんだろうな) もう一度寝たとしても見そうな悪夢に溜息を吐く。寝たくないけど、寝ないと明日――もう日付が変わっているから今日だけど、一日の仕事に響いてしまう。 何とか気を紛らわそうと、布団に入って寝返りをうったり、抱き枕を抱きしめてみたりするけど、一向にさっき見た夢が消えるどころか、余計に意識してしまって、心臓が脈打ってしまう。 これ以上寝ようとしてもきっと寝ることは難しいと思い、薄手のカーディガンを羽織ってトウシンさんに気付かれない様に外に出る。 「わぁ……凄い綺麗」 外に出て空を見上げると、わたしの目の前に広がったのは、様々な宝石をこれでもかと詰め込んだような宝箱のような満天の星空だった。 そう言えばこのところ空を見上げる事なんて全くなかったかもしれない。いつも下を向いているか、前しか向いていなかったかもしれない。こんなに綺麗な星空をこの二か月近く見逃していたなんて、勿体ない事をしてしまった。 「海の方まで行ってみるかな」 建物や植物すらない大海原でこの景色を見たらどんな感じなのだろう。 思い立ったら即行動と言うわけでもないけれど、どのみち行く当てもないし、なにより寝る事が出来なくて外に出たんだ。行きたいところに行こう。それにこの世界に来てから元の世界の事をさらに考えてしまいそうで海岸なんて近づかなかった。せっかく自分から行く気になったんだ、いい機会かもしれない。 ゆっくりと海岸の方に向けて歩き出す。風の音と、風に揺られる草木の音しか聞こえない世界はまるで、この世界にわたししかいないような錯覚すら覚えるけど、ある意味今のわたしにはありがたいとも思えた。逆に日中の賑やかさはわたしに孤独を突き付ける。 「久しぶりに来たなぁ、海なんて」 海岸まで歩いてきたわたしが見たのは、幻想的な絵画をそのまま現実世界に持ってきたような風景だった。前までは飽きるほど見ていた海だったけれど、三か月ぶりに見た海は感慨深かった。 導かれるように海に近づいて行って、履いてきたサンダルを脱いで海の中に足を踏み入れた時。 「なっ!?」 風船から空気が少しずつ抜けるように、わたしの体から力が抜けていった。 突然の体の異変に、急いで海から足を出して海水に濡れた自分の足を見るけれど、特に変わった所は無い。 そういえばこの世界に来たあたりから水に触るとなんだか力が抜けることが多かった気が……。 こちらの世界に来てからの日々を思い出しても、確かに水関連に多く体の大部分を触れるようなことがあると、今海水に足を着けたときの様に力が抜けるような感覚に陥ったことが何度もあることを思い出す。主にお風呂場だけの事だったから、ただ単にこちらの生活にまだ慣れなくて、お風呂と言うリラックスするところに居るせいで脱力してるだけだと思ったけど。 (もしかして……この脱力した感じは元の世界に帰れるサインなのかもしれない) こちらの世界に来る時も体に異変が起きて、気付いたら別の世界に来てたんだ。もしかしたら――この海の中に入れば元の世界に帰れるかもしれない。今まで日常生活で感じた水に触れた時と同じレベルの体の異変じゃない。元の世界で生活していた時にも海に入ったことは何度もあるけど、こんな力が一気に抜けるような時なんて無かった。 少し怖い気持ちもある。けどそれ以上に元の世界に帰れるかもしれないと言う気持ちがわたしを海へと駆り立てた。 (帰れるかもしれないんだ!! あの平和な居場所に! 皆のいる所に!) 体が海に浸かればつかるほど、少しずつ何かに体を蝕まれるように、力が抜けて動かなくなっていくけど、それと同時に元の世界に帰れるかもしんれないと言う感覚が強くなって行って、歓喜が体の中を駆け巡り始める。 完全に力が抜けて、海の中に腰から下が完全に入った時。 「何やってんのよ!!?」 「えっ!?」 突然後ろから右腕を引っ張られる。誰だろうと思って後ろを恐る恐る振り向いて見るとそこに居たのは――――。 「ナミさん……!!」 「何してんのよこのバカ!! とにかく上に上がるわよ!」 ナミさんは酷い剣幕でわたしの事を怒鳴りつけると、力が抜けてうまく歩けないわたしをグイグイ引っ張りながら岸へと引っ張っていく。一生懸命ナミさんがわたしを岸まで連れて行こうとしている中、わたしは綺麗な人は怒ると一段と迫力があるな。なんてどうでもいいことを考えていた。 暫くナミさんに引っ張られ続け、岸に着いた頃には、わたしの体にも徐々に自分の意思で動けるくらいには力が戻っていた。 「あ、あのナミさん何でここに――」 居るの? という言葉は最後まで言い終えることが出来なかった。なぜならナミさんに思いっきり頭をグーで殴られたからである。 突然頭から全身に駆け巡った目の前に星が飛び散るような強烈な痛みと、殴られるとは思っていなかった驚きに、ズキズキと痛む殴られた頭を抱えてその場に蹲る。 だけど蹲っているわたしの事を見下ろしているであろうナミさんは、先程の海での剣幕をそのままどころか、更にヒートアップさせ、わたしの事を怒鳴りつけた。 「こんのバカッ!! 何してんのよこんな夜中に!!」 「え、あ……いや、あの寝れなくて」 「はあっ?! 何! あんたは寝れなかったら海の中にどんどん入っていく趣味でもあるの!?」 「な、ないです……」 あまりのナミさんの剣幕に押されつつも、もしかしたらもう少しで元の世界に帰る事が出来たのに何で止めたのかと、問い詰めたい気持ちも僅かにあったけれど、やっぱりナミさんが怖くて口にすることは出来なかった。 「まさか自殺しようとしてたわけじゃないわよね……」 「そんなことしません!! ただ、ちょっと気になる事があったので」 自殺なんてするわけない。そんな度胸わたしにはない。 「じゃあ、なんで海なんか入ってたのよ。普通あんな迷いもなく、体の半分以上海に浸かるぐらい服着たまま海入ってたら自殺を疑うわよ。その気になる事って何?」 「それは……」 言っていいものかどうなのか迷い、二の句を告げない。 いつまでも何も言わないわたしを不審に思ったのか、ナミさんが大きな溜息を吐いた。溜息を吐きたいのはわたしも一緒だ。やっと元の世界に帰れるかもしれないチャンスを潰されたんだ。 やるせない気持ちに唇を噛み締める。 「とにかくその濡れた格好じゃあトウシンさんの所に帰れないでしょ。わたしの家に一旦行くわよ」 「わかり、ました……」 有無を言わさないナミさんの視線に黙って従う。今日は邪魔されてしまったけど、また明日がある。日中は魚人達の監視があるから無理だけど、今日みたいな夜中ならきっと明日にもチャンスがある。 自宅へと向かうナミさんの数歩後ろを歩きながら、今後の算段を立てて目の前を歩いているナミさんの背中を見つめる。こんな深夜に夜道を徘徊しているわたしも相当怪しいだろうけど、ナミさんは何で海辺に居たんだろう? 質問していいのかどうかも分からずに、悶々と考えながらナミさんの後を追っていると、暫くして両脇を沢山のミカン畑に囲まれた道に出た。桜道ならぬミカン道の先には小さな一軒家が建っていた。 「あそこわたしの家だから」 「そうなんですか。あの、このミカン畑ってナミさんが管理しているんですか?」 「――わたしとノジコで管理してるわ」 「ノジコさん? ノジコさんと一緒に住んでいるんですか?」 「そうよ。知らなかったの?」 「はい……。すみません」 村で何度かノジコさんと言う人に会った事はある。ナミさん同様凄く綺麗な人だとは思ったけど、声をかけることは憚れた。そもそもわたしはこの世界に来てから壁を作らないで人と関わった記憶がない。下手に人に関わればボロが出て記憶喪失と言う嘘がばれる可能性があるし、なによりこの魚人の人達が支配する島で、魚人の人達に気付かれずに島に漂着するなどほぼありえないと言っていい中、記憶喪失と言う怪しいにも程があるわたしに優しくしてくれる村の人達に対して、嘘をついているという罪悪感が、余計にわたしに人と関わろうと言う気持ちを押しとどめた。 でもまさかナミさんとノジコさんが一緒に住んでるなんて知らなかった。顔は二人とも美人だけど似ていないし……ルームシェア的な物なのかもしれない。 ナミさんに促されるままに家の中に入って、タオルと替えの服を持ってくると言ったナミさんを待つ。部屋の中を見渡してみるとノジコさんは流石にもう寝たのか、見当たらない。 キョロキョロとナミさん達の家の中を観察していると、わたしの替えの服を取りに行ってきたナミさんが自分の服も着替えて帰って来た。両手にはわたしの為の替えの服とタオルが抱えられていた。 「はい。その濡れた服脱いでタオルで体拭いて、これに着替えて」 「あ、ありがとうございます」 差し出されたタオルと替えの服を受け取る。わたしへの配慮か、背を向けたナミさんを横目に濡れた服を抜ぎ、体を拭いて、替えの服にそでを通す。流石に下着は無かったみたいだ。あったとしてもナミさんとわたしのプロモーションは天と地ほどの差がある。今まさにナミさんから受け取ったワンピースも大きくて、服を着ると言うより着られている感じだ。 「あの、着替え終わりました」 「そう。……やっぱり大きいわね」 「すみません。何というか」 貧相で。 こちらを振り向いたナミさんはわたしを上から下まで見回すとそう呟いたナミさんに、申し訳なさが込み上げる。 「まあいいわ。その服返さなくていいから」 「え? でも……」 「とにかく、返さなくていいから」 拒絶するような口調で告げられた言葉に、それ以上反論する事は出来なかった。わたしとナミさんの間には高い壁が反り立っているようで、何とも言えない気持ちになる。 台所に向かったナミさんの背中を見送ることしか出来なかった。まさかこんなに拒絶されているとは思わなかった。 椅子に座っていいのかもわからなくて、その場にボーと立っていると、コップを二つ持ってきたナミさんが訝しげに私を見ていた。 「何立ってんのよ。座れば」 「う、はい。失礼します……」 一度頭を下げてから椅子に座る。私にも持ってきてくれたのだろう、目の前に牛乳の入ったマグカップが置かれた。 「ありがとうございます」 「別にいいわよ」 マグカップの中身を口の中へと流し入れると、牛乳独特の生臭さが口内に染み渡る。この生臭さが好きじゃないと言う人もいるけど、わたしは逆にこれが癖になるタイプだ。 ちびちびマグカップで牛乳を飲んでいると、いつの間にか目の前に座っていたナミさんが、珍獣でも見るかのような目でわたしを見ていた。 「あの……何か」 「あんたってどこかのお嬢様か貴族か何かの出なの?」 予想外の言葉に咽てしまい牛乳が器官に入る。 「ゲッホ、ゴッホ!! い、いきなり何言いだすんですか?」 「いやあんたってなんか変に浮世離れしてるのよね……記憶喪失って言うのもあるかもしれないけど、それ抜きにしてもちゃんとした教育を受けてきたような感じって言うの」 「そうなんですか……。すみませんちょっとわたしには分からないんですけど」 ある意味的を得ているナミさんの言葉に、内心大量の冷や汗をかきつつも、曖昧な返事を返す。正直ナミさんみたいな勘のいい人との会話は凄く緊張する。元々あんまり嘘が得意じゃない。ババ抜きなんてやっても割と直ぐにバレる。正直自分でもよくここまでバレないで、記憶喪失なんてすぐにバレそうな嘘つきつつづけていると思ってる。 「そう……仕方ないわよね。記憶ないんだから」 「すみません」 嘘をついててすみません。一言の謝罪の中に様々な懺悔を込めて謝る。多分情けない顔でもしていたんだろう。ナミさんは何も言わず、違う質問に切り替えてくれた。でもその質問も凄く返答に困るものではあったけれど。 「で、なんでこんな夜中に海の中になんか入って行ったのよ。様子もおかしかったし」 「それは……あの、ちょっと気になる事があって」 流石にこればっかりは上手い誤魔化し方が無かった。泳ぎたかったんです、なんておかしいことこの上ないし、かといって自殺を図っていましたなんて嘘吐くようものなら、トウシンさんにこの話が回る。 「あー……えっと、水の溜まっている所に入るとこの頃体の調子がおかしかったので、なにかあったのかなーなんて思って……。お、おかしいですよね! 多分この頃寝つきが悪かったから怠かっただけ――」 「――……それって力が抜ける感じじゃないわよね」 「あの、そうですけど……もしかしてナミさんも水の溜まっている所に入ると力が抜け――」 るんですか? と言う言葉は最後まで口にすることは叶わず、テーブルを挟んで目の前に居たナミさんが、テーブルを越えてまで絶望に満ちた顔でわたしの肩を両手で掴んできたのだ。 「いつ……いつ悪魔の実なんて食べたのっ!!?」 「悪魔の実って……」 『悪魔の実』食べれば人に特殊な能力を与え、逆に海に嫌われると言う『海の悪魔の化身』 「ちょっと待ってください!! わたしそんなの食べた覚えありません!!」 悪魔の実と言うのはとても唐草模様の果実で、とても不味いものだとこっちの本に書いてあった。わたしはこっちの世界に来てからそんな物食べた覚えはない。何かの間違いだ。 だけどナミさんには何か確信が合ったようで、わたしの肩を握り締めたまま言葉を続ける。 「今の話をしてるんじゃない。あんたが記憶を失う前に食べたかもしれないのよ」 「記憶を失う前……」 記憶喪失は嘘だ。だからこそ何かの間違いだと断言したんだ。そんな不味い物食べた記憶なんて。 「あ……」 幼少期の頃の思い出がじわじわとわたしを蝕む毒のようになって、脳内を侵食し始める。 そうだ。あれはお父さん事故死して一か月も経たなかった時だ。いつもは優しいお祖父ちゃんの顔が絵本に出てくる鬼のような怖い顔をしていたから覚えてる。あの時出されたのは何かの……食べやすい大きさにカットされた果物だった気がする。あまりにもお祖父ちゃんの顔が怖くて、食べていいのか迷ったんだった。でもお祖父ちゃんが食べていいよって言うから食べて、それであまりのまずさに吐き出しそうになったのをお祖父ちゃんに食べなきゃダメだって怒られて無理矢理飲み込んだのを覚えてる。 でもなぜか言うとおりに果物を食べたら、お祖父ちゃんは悲しそうな、でもどこか安心したような顔をしてわたしを謝りながら抱きしめて、その日の夜はわたしの好きな料理と、欲しかった玩具を買ってくれたんだった。 あの時はただひたすらに鬼気迫る顔をしたお祖父ちゃんが怖くていう事を聞かなくちゃって考えてたけど、今なら分かる。もしかしてお祖父ちゃんはいつかわたしもこの世界に来る思って、悪魔の実をわたしに食べさせた? 徐々に思い出してきた記憶の欠片たちを前に、わたしは胸元に手を当てる。思い出された記憶はわたしが考えないようにしていた可能性を、確実な事実として叩きつけた。 やっぱりお祖父ちゃんはわたしもこの世界に来るかもしれないと思っていたんだ。だから英語もわたしに習わせたの? だから途中から海賊の話もしなくなったの? わたしが海賊なんかに興味を持たないように……。 だとしたら……きっとわたしの体の中に入っている悪魔の実はお祖父ちゃんの自分と同じ運命を辿るかもしれないわたしへの、来るか分からない運命へのせめてもの抵抗だったんだろう。愛する息子を突然失ったお祖父ちゃんが、今度は孫娘のわたしが、違う世界に行き、もしかしたら『死』という魔の手に捕まらない様にするための。こんな物騒な世界だ。気持ちはわかるけど……。 でもそれは、わたしを『人』という道から外してでも叶えなければならない願いだったのだろうか。 パズルのピースがハマるように、お祖父ちゃんの不可解な行動や言動がわたしがこの世界に来るのは必然だったと教えてくれる。そしてもう一つ嫌は予感が背後から迫ってくるが、予感は形を成す前にナミさんの言葉によって霧となって四散した。 「なにか思い出したの?」 「いや、あの……はい……。はっきりは思い出せないですけど」 目の前に居るナミさんを忘れてすっかり幼い頃の記憶の中に思考を囚われていたみたい。心臓は短距離走をした後のように脈打っている。両肩からいつの間にか両手は外れていて、何かを祈る様にナミさんの胸の前で組まれている。 いつまでも幼い頃の記憶の海を漂っているわけにはいかない。今は目の前のナミさんに意識を集中させないと、記憶喪失ではないと言うボロが出る。 自分自身を落ち着かせるようにゆっくりと、体の内に溜まった記憶と言う名の思考を麻痺させる麻薬を吐き出す。 「――もしかしたらわたしその『悪魔の実』食べた事あるかもしれません。その、記憶が無いので今断片的に思い出しただけですけど……」 記憶喪失と言うのを怪しまれないように話そうとは思うけれど、どうしてもしどろもどろになってしまう。ボロを出さないようにするだけで精一杯だ。自分の演技力のなさに心の中で悪態をつきながらも、ナミさんを見つめると、ナミさんは何かを耐えるように胸の前で組まれた手を、ナミさん自身の手で傷付けてしまうのではないかと言うくらい強く握りしめていた。 「あんたにお願いがあるの」 口から今にも飛び出しそうな感情を抑えるような声色で問いかけてきたナミさんに、わたしはどう言葉を返すのが正解なのか分からず、押し黙る。 「あんたを見る限りまだどんな能力か分かってないみたいだけど、絶対にその能力を使わないで、あんたも分かっているようにこの島で武器――悪魔の実の能力なんて持ってたら、どんな事が起こるか分かったものじゃない……」 そう言い留まると、ナミさんはテーブルを両手で叩いて立ち上がる。 「この島の事を! この村の事を少しでも思うなら絶対に能力は使わないで!! あと少し、あと少しでこのココヤシ村を買えるのっ!! なのに今村に悪魔の実の能力者が居たなんてばれたら今までの努力が全部水の泡になる!! だから、お願いだから!!」 能力は使わないで……。 体の奥底から獣の方向のように聞こえてきた切実な願いに、わたしは何もいう事が出来ず、大人しく頷くことしかできなかった。 どうやらわたしはやっぱりこの世界には居てはならない存在らしい。目の前のナミさんを見ればわかる。わたしを拒絶した目でみているんだもの。 今すぐにもでも叫び出したいような気持になった。結局あの水に入った時の力が抜けるような症状は悪魔の実の能力のせいで、元の世界に帰る手がかりでもなかった。むしろわたしを人ならざぬ者に変え、今目の前のナミさんを悲しませ、ココヤシ村を恐怖に陥れようとさえしている。 もう何もかもどうでもよくなって、今すぐにでも気が狂ったんじゃないかと思われるほど暴れて、喉が枯れるまで叫びたくなったけれど、残った理性を総動員して笑顔を作ろうと無理矢理口角を上げた。 「だいじょうぶですよ。何の能力か分かりませんし、わたしにそんな度胸ありませんから。だからだいじょうぶです。だいじょうぶです」 だいじょうぶ。それはナミさんに向けて言った言葉なのか、それとも自分に向けて言っているのか分からない。とにかく帰らなくちゃならない。ここに居ちゃいけない。この世界に居ちゃいけないんだ。 なるべくナミさんに顔を見られない様に立ち上がる。 「あの洋服ありがとうございました。飲み物のありがとうございます。ナミさんにもココヤシ村の皆さんにも迷惑はかけないので安心してください。それじゃあ失礼します」 一気に捲し立ててすぐさま背を向けながら立ち上がる。背後から何かを言いかけたナミさんを無視して速足でお家を出て、ミカン畑の道を走り抜けた。 流したくなくても止めどなく涙は溢れて、わたしの視界の邪魔をする。わたしが一体何をしたって言うんだ。もう両親もお祖父ちゃんもいないわたしから神様はこれ以上何を奪うって言うんだ。家族どころか居場所さえ奪われて、ましてや存在さえ拒絶されてしまったら本当にわたしは――、 「死んだ方がいいじゃない……!!」 生よりも楽かもしれない死と言う選択肢が、頭の中で何度も何度も、それこそ壊れて止まる事を忘れた音楽プレーヤーのように同じ『死』と言う一文字を響かせながら、トウシンさんの家へと責め立てられるように走り続けたのだった。 top |