救うなどとは烏滸がましい

 自分の生命を、ナミさんやココヤシ村の安全を守られる対価として、刀鍛冶として刀を打ち続けることを契約し、牢屋に囚われて三か月近くたった。
 自分のお金は自分で払うと言うナミさんに訴えた提案は、今の所ナミさんがアーロンを説得してくれたことで、多分……上手くいっていると思う、いや、そう思いたい。尤も、アーロン達を島を恐怖で支配している魚人達をどこまで信用していいかも分からない状態での話だけど。初めに牢屋に会いに来てくれた時に言ったようにナミさんも、定期的に今みたいにわたしに会いに来てくれているけれど。

「ゲッホ、ゲッホ……ケホッ……」
「大丈夫ヒノデ?」

 久しぶりに会うナミさんに嬉しいはずなのに、気持ちとは裏腹に、体は不調を訴えていた。ここ数日、体が酷く怠くて、最近は咳が止まらないことが多い。長袖と長ズボンで今のところナミさんにはバレていないが生傷も増えた。
 何度も苦しそうに咳き込むわたしを見て、心配してくれたんだろう。鉄格子越しにナミさんの温かい、生きている人の体温を持った手がわたしの額に触れる。

「熱は無いみたいだけど……。やっぱりここの環境のせいだわ。わたしなんとかアーロンに言って──」
「だいじょうぶです!! ケッホ、本当に大丈夫なので……」

 思わず荒げた声は、想像していたよりも器官に負担をかけたようで、喉が不愉快な音を立てる。
 本当は自分でも原因は分かってる。ナミさんの言う通りこの牢屋の環境と食事、下っ端であろう魚人達の骨折とまではいかないけれど、憂さ晴らしの暴力に、もう三か月も太陽の光も浴びていないせいで、昼と夜の区別すらつかなくなった。
 でも間違っても、ナミさんの言葉に同意しちゃいけない。無理矢理にでも笑顔を作って、ナミさんに話しかける。

「あの、ほんとうにだいじょうですから。ナミさん自分の体の心配だけしててください」

 呟いた言葉は予想以上に小さくて、今にも空気中へと消え入りそうだった。正直、今こうして話しているだけでも、喉を内側から切り裂かれそうな痛みだ。
 いくら大丈夫だと言っても、話してる本人の声がこんなにもか細くては、笑顔を作っていてもやっぱり不審に思われたんだろう。ナミさんは心配そうな顔でわたしを見ている。

「でも、本当に大丈夫なの。わたしが居ない時どんな生活してる? ちゃんとご飯は貰ってるの? ねえ、ヒノデ」
「……大丈夫ですよ。ちゃんとご飯も貰ってます。だから心配しないでください。それより、ナミさんが外で見てきた物を聞きたいです。折角久しぶりに会ったんですから」

 嘘だ。ナミさんが居ないときにまともな食事を貰ったことなんて無い。いつも生ごみに近い残飯ばかりで、匂いも味も最悪な物ばかりで、おおよそ人が食べるような物なんかじゃない。でも食べなければ死んでしまうから、無理矢理口に突っ込んで、鼻を押さえながら食べてる。だからきっと、今のわたしの姿は相当汚らしい姿になっている筈だ。顔や髪は艶を無くし、体は過度なダイエットをしたかのように、体重が著しく減っている筈だ。
 異常とも言えるわたしの外見の変化に、ナミさんもきっと気づいてる。けど、ナミさん自身も、これ以上どうしようもないのかもしれない。わたしのせいでナミさんは今相当危険な立場に追いやられている筈だ。これ以上何かを要求したら、今度はナミさんが牢屋に入れられるか、殺されてしまうかもしれない。同時にナミさんが一番願う、ココヤシ村を救う手段が一生立たれてしまう。
 恐らくだけど、アーロン一味にとってわたしの価値は低い、いくら刀を打てようとも悪魔の実の能力者と言う方がはるかに問題で、驚異のはずだからだ。それにわたしより美しく強く折れない刀を打てる刀鍛冶などごまんといる。ココヤシ村や他の村からの徴収でお金も相当あるはずなのだから、わたしを生かす理由は無くとも、殺す理由はあるのだ。

「そうだ。わたし凄いことできるようになったんですよ」

 これ以上、わたしが普段牢屋でどんな生活しているかを聞かれたくなくて、話題を半ば無理矢理な形で切り替える。

「見ててください……」

 胸の前に両手を持ってきて、毎日刀を打っているせいで豆がつぶれたり、皮が剥けたりで傷ついている手の包帯を外す。
 突然包帯を取り始めたわたしに、何をし始めるのかと思ったのか、ナミさんが少し身構えたけど、ここからは集中しないと扱いきれないから、言葉はかけない。

「ッ……!!」

 胸の前で、両手を向き合わせ十センチほど間隔をあけて、向き合わせている両手に意識を集中させる。両手の間に明確なイメージを作って、自分の体のもっと深いところを意識する。集中しろ、普段意識していない体の一部に意識を集中させる。

「よし……」

 これでもかと両手に力を込めると、掌の傷口から紅い血が生き物のように掌の間に飛び出し、球体のように集まって形を成していく。正直自分でも気持ち悪い光景だなど自嘲してしまう。
 いきなり生き物の様に動き出した血液に、ナミさんも吃驚したのか、驚きに目を見開き、私の掌を凝視したままだ。
 血液の動きが、見ててこっちが息苦しくなるような動きだったけど、球体は少しずつ私の考えている形に形を変えていく。

「ヒノデ、これ」
「ナミさん、すみません……! 今集中しているのでっ」

 今ナミさんの呼びかけの方に意識を向けたら、直ぐに胸の前にある球体は形のない液体に戻ってしまう。全神経を集中させた血液は数十秒経って、やっと私の思い通りの形へと姿を変えた。

「はぁ……やっと出来た……」
「これって……」

 血液は球体から形を変え、今は立体のひし形となってくるくると掌の間を回っている。形を変えた血液は、液体からルビーのように硬い鉱物へと姿を変え、そして紅く輝いていた。くるくると私の両手の間で回る様は、正直血液という事を考えると、あまり良い気分では無いかもしれないけれど。

「実は仕事のほんの合間ですけど、自分の悪魔の実の能力について考えて、それで操れるように練習してたんです」
「そうだったの……でもなんで」

 未だにくるくる回り続ける血液を見ながら、ナミさんがもっともな疑問を口にした。

「もし、わたしの能力でナミさんの何かにお役に立てたらと思ったんです」
「わたしのお役って」

 わたしの言葉にナミさんは顔を上げる。なんとなく気まずくなって、今度はわたしが自分の能力で作った物を見ながら応える。

「ナミさんは外の危険な世界でお金を稼いでいるのに、わたしはここでただ刀を打ってるだけです。それ以外取り柄がないとも言えるんですが……。だけど悪魔の実の能力は希少です。私が刀を打つ以外に持ってる、もう一つの取り柄ですから。もし、この能力がナミさんのお役に立てればと思ったんですけど……」

 言い終わった後、玩具の電池が切れるように、両手の間にあった血液は液体へ戻ってしまった。液体へと戻った血液は、一旦コンクリートの床へと落ちた後、行き場を求める生き物のように床で蠢いた後、傷ついた私の手のひらへと吸い込まれるように戻ってきた。戻ってきた血液の一部は、傷ついたわたしの手のひらを外部から守るように、傷口を硬化した血液で覆ってくれる。

「この通り、あんまり使いこなせてないんです。意識的に操ろうとすると、中々うまく行かなくて……」

 多分何かしらのコツとかがいるんだろうけど、わたしにコツを教えてくれる人は居ない。
 何言わないナミさんはわたしの能力の事をどう思っただろうか、使えない能力と思ったんだろうか、それとも────

(気持ち悪い能力だと思ったんだろうか)

 見てて気持ちのいい能力ではないだろう。使ってるわたし自身がそう思ってるんだ。第三者のナミさんの不快さは一際強いだろう。
 中々ナミさんの顔が見られなくて、恐る恐る顔を上げると、そこには困ったような笑みを浮かべたナミさんがいた。

「本当、バカね」
「え? バカですか……」

 まさかバカと言われるとは思わなくて、間抜けにも口をぽかんと開けてしまう。

「当たり前よ。バカよ、本当にバカ」
「す、すみません」

 続けてこんなにバカと言われるとは……。確かにバカかもしれないけど。
 ここまで責められるとは思わず、居た堪れなくなって顔を下げようとした時。

「ホント……バカなんだからっ!!」

 泣き叫んだようなナミさんの声で、下げかけた顔を上げる。目に飛び込んできたのは、泣きながらも嬉しそう顔をしているナミさんだった。

「本当バカ! 大バカ!」
「ナミさん……」
「わたし、ヒノデの事最初突き放したのよ。冷たくもした。それなのになんでヒノデがわたしの事心配したりするのよ」

 確かにナミさんからしたら、わたしがここまでナミさんの事を考えるのは納得いかないんだろう。もしかしたら裏があると思っているのかもしれない。
 でも、わたしからしたらやっぱり突き放されようともナミさんは命の恩人の一人だ。

「ナミさんは……わたしの事を最初に見つけてくれて、それでトウシンさんにまで会わせてくれました。それにアーロン達に捕まった時も、自分の立場を危うくしてまでわたしを助けてくれて、今もココヤシ村とわたしを魚人の人達から開放する為のお金を集めてくれてます。ナミさんはわたしからしたら凄く強くて優しい人です。そんな人を心配しないわけがないです」

 嘘はひとつも言ってない。心からわたしが今思っている事だ。
 俯いたまま反応を示さないナミさんに、段々不安な気持ちになり始めていると、両手でいきなり頭をぐしゃぐしゃに撫でられる。

「なぁに、恥ずかしいこと言ってんのよ! 本当にバカなんだからっ!! 優しいのは、ヒノデの方よ」

 頭を撫でられる手は止められ、弱々しい声が頭上から雨のように降り注ぐ。
 わたしが優しいわけがない。わたしは、この世界ではない世界に帰れるという可能性があるから、人を優先することが出来るだけだ。そうじゃなかったら。

(わたしは自分の不幸と人の不幸を天秤にかけたら、自分の幸せを選ぶ)

 本当に優しいというのは、自分の幸せを犠牲にしても人の事を考えられるような……ナミさんみたいな人の事を言うんだ。
 上を向けないように両手で頭を抑えられたまま、ナミさんとわたしの違いをまざまざと見せつけられたような気がして、自己嫌悪に陥る。
 それにナミさんは知らないだろう。今、わたしの心の拠り所は元の世界へ必ず帰るという気持ちと、ナミさんが会いに来てくれることだけだった。皮肉な事に、わたしが牢屋に入れられてからの私とナミさんの関係は180度変わった。お互いがお互いに同じ目的の為に、やり方は違うけれど、お金を集めている。極限状態での連帯感は、わたし達を堅い絆で結び、縛り付けた。
 友情と言えば聞こえはいいかもしれないけど、少なくともわたし側からは、ナミさんへの友情と依存と言う文字の絆で結ばれてる。ナミさんのようなきれいな物じゃない、ドロドロしていて、自分の事しか考えていない物だ。

「でも、良かった……ヒノデの能力がヒノデを守ろうとする能力で」
「え?」

 漸く顔を上げたナミさんは、安心した顔でわたしの掌を見つめている。

「だって、その能力は魚人達にバレた時もヒノデを守ろうとする為に発動したんでしょ? 今だって傷ついたヒノデの手を守ろうとしてる」
「確かに……言われてみれば」

 ナミさんが言うように、わたしの掌の傷口は悪魔の実の能力で塞がれている。

「きっとヒノデの事守ろうとしてるのよ」

 守ろうとしてる。もしかして、わたしの亡くなったお祖父ちゃんの意思に反応して、悪魔の実に働きかけてくれているんじゃないだろうか。そう考えると、心が蝋燭に火を灯すようにじんわりと温かくなる。

「そうだ、と……うれしいです……」

 もしかしたら本当に、わたしの身を護る為にお祖父ちゃんが食べさせてくれたのかもしれない。悪魔の実を実の孫に何の説明も無しに食べさせるのが、良いのか悪いのかも分からないし、そもそも悪魔の実の能力者と言う人外にわたしをさせている。その上、悪魔の実の能力者という事で冷たい牢屋に捉えられている。事態は第三者側から見たら、悪い方向に転がっているようにも思えるかもしれない。
 だけど、推測の域を出ないけど……お祖父ちゃんのわたしを想う、深い愛情だけは心の奥底まで届いた。
 鼻をすする音がナミさんの耳にも届いたのだろう、労わる様に優しく頭を撫でてくれた。
 お祖父ちゃんの不器用な優しさに触れて、静かに涙を流し続ける事数分──やっと気持ちの方も落ち着いてきた時、ナミさんもわたしの鼻をすする音も聞こえてこなくなったのが分かったのか、頭を撫でてくれていた手がゆっくりと離れる。

「すみません。ナミさん……」
「別にいいわよ。今は話を聞くくらいしかできないけど、話くらいならわたしがいくらでも聞いてあげる」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべたナミさんに、自然と笑みが零れる。
 牢屋に入れられて、一つだけ嬉しいことがあった。ナミさんの笑顔が見られるようになったことだ。この世界に来てからわたしが見たナミさんの表情は、大体が怒っているか暗い表情だったから。
 二人で笑いあった後、思い出したかのようにポケットの中の懐中電灯を取り出したナミさんに、そろそろ時間かと、寂しい気持ちが、湖に波紋が広がるようにわたしの心にも広がった。牢屋の中に時計はないから分からないけど、ナミさんが帰ってしまう時間が来たんだろう。アーロンさん達との契約で、会う事は許されても、長居は許されてはいない。
 名残惜しげにわたしを見るナミさんに、安心させなくちゃいけないと思って、笑みを作る。

「それじゃあ、わたしはもう行くわね。あんまり長い出来ない約束だし」
「はい……ナミさんも怪我しないように、体にだけは気をつけてくださいね」
「うん。分かってるわ」

 立ち上がりながら背を向けたナミさんの背中に、何か言い知れない不穏な空気を感じて、心臓が早鐘のように打ち始める。

「────あと、言い忘れてたんだけど、当分ここには来れなくなるわ」
「来れなくなるって……ナミさん何するつもりですか……」

 やっぱりわたしの予感は当たっていた。帰る時雰囲気がいつもと違ったから、おかしいと思っていたら案の定だった。嫌な予感ほど当たると言うけど、こんな時にまで当たってほしくは無かった。

「これからグランドラインに入ろうと思うの。グランドラインなら、今まで見たことのないようなお宝も沢山あるだろうし、お金を得るには一番の方法だと思うの」
「でも、それは……ナミさんが危険すぎますっ!! わたし、わたし、頑張りますから! 今まで以上に刀を打ちます……だからっ!!」

 喉が痛むのも、手が痛むのも忘れて、身を乗り出し、鉄格子を握りしめて叫ぶ。
 だけど、ナミさんの心は既に決まっているのか、背を向けられたまま、首を横に振られた。

「やめて。大丈夫だって言ったって、気づいてるんだからね。ヒノデの体が限界なこと」

 やっぱり気づいてたんだ。
 図星をつかれて、押し黙る事しかできなかった。嘘をついても良かったのかもしれないけど、ナミさんには直ぐに気付かれてしまうだろう確信があった。

「もう時間がない……なりふり構ってられないわ。ヒノデは自分の安全のことだけ考えてて、わたしは大丈夫だから」
「ナミさん待って!! ナミさんっ!!」

 気持ちを振り切るように、背を向けて歩き出したナミさんを止めようと、鉄格子をうるさいくらいに鳴らしながら、口の中に血の味が滲むのも気にせず叫ぶ。けれど、ナミさんは止まってくれる事はなく。完全に廊下の奥、暗闇の中へと消えるように居なくなってしまった。
 冷たい鉄格子に額を押し付け、やりばのない怒りをぶつけるように、何度も、何度も、鉄格子を殴りつける。肉が裂け、殴りつけるたびに、血液が鉄格子や床、自分へと飛び散る。なのに、手に飛び散る血液だけは液体にはならず、明確なる意思を持って動き、殴りつけて開いた傷口を、硬化して塞ぐ。

「何で、なんで、わたしはっ……!!!」

 ────何もできないんだろうか。
 絞り出した叫び声が、冷たい牢屋の中で反響した。


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