悪魔の化身が牙を剥く

 この世界の気候は基本夏しかないのかと思うくらい暖かい日が続いている。わたしが来て数か月は立ってるはずだけど、いつまでたっても秋は来ない。ずっと半袖で過ごせるくらいに暖かい気候だ。
 ココヤシ村は『東の海』という所に位置づけられるらしい。前に簡単なこの世界の地図を見せてもらった時は世界を四つに分けて考えると言うのには驚いた。私の世界とは地形の考え方や気候の考え方が全く違うみたい。だけど正直こう暖かい日が続くといくらなんでも地球温暖化とか大丈夫? とは思うけれどそういった話題自体が出ないあたりこの世界ではこれが普通なのかもしれない。
 そもそも地球や宇宙と言う概念が存在しているのかどうかすら疑わしいけど。まだ重力やわたしの世界でいう地球? が丸かっただけマシだと思うしかない。
 少しだけ暑さで滲む汗を拭いながら魚屋さんから今晩の夕飯の食材を受け取る。

「はい。ヒノデちゃん、サンマ二匹ね」
「ありがとうございます」

 受け取った魚と代金を交換する。今日買ったのはわたしの世界でもお馴染みのサンタだけど、こちらの世界ではわたしが見たことも食べたこともない不思議な魚で溢れている。わたしの世界では絶対に食べない様なカラフルな色をした魚や本当に魚なのか疑わしいものまで様々だ。正直物によっては未だに食べるのに抵抗がある。
 日本は世界と比べて全体的に良く言えば目に優しい物件が多い。理由は様々らしいが、改めてわたしの中ではある意味外国に位置するこの世界はカラフルな物で溢れていて、やっぱり日本の色彩が落ち着くと感じた。特に食べ物。もしかしたら外国の人もこの世界のあれやそれやは落ち着かないと思うけど。

「今日はトウシンさんは何をしているの?」
「トウシンさんですか? トウシンさんも一緒に来てますよ。実はこの前張り切ってお仕事したら腰を更に痛めてしまったみたいで……重いものは持たせられないのでわたしが夕食の買い出しをしてるんです」
「そうなの? でも、そう言えばこの前張り切ってたわねー……」

 この間ゲンゾウさんが来た後、久しぶりに庭に出て畑いじりをしたトウシンさんは、わたしが危惧していた通り腰を更に痛めてしまった。それでも今日はどうしても欲しい本があると言うトウシンさんに、わたしも夕食を買い出しに行くついでに付き添い兼見張りとして付いて来たのだ。あの時もっとちゃんとトウシンさんの事止めればよかった。
 わたしの考えている事が分かったのか、魚屋さんのおばさんは苦笑いを浮かべていた。恐らくわたしも苦笑いを浮かべているかもしれない。張り切るのは構いませんが自分の限度を考えて行動してほしいです、トウシンさん。

「まあ、仕方ないわよ。いつまで経っても男はバカだから」
「そうは言っても、少しは自分の年と体の事を考えてほしいですよ。またこんな事になったら大変ですもん」
「まあまあ、トウシンさんも奥さんが亡くなってからずっと一人だったから嬉しいのよ。分かってあげて。トウシンさん子供も居ないし……余計なのよ」

 自分のことのように嬉しそうに話すおばさんに、私も自然と笑みが零れてしまう。本当にこの村の人たちは優しい。私みたいな得体の知れない女にも優しくしてくれる。感謝してもし尽くせない。いつかこの村の人達に何か返せたら嬉しいな。
 密かに心の中で決意を固めつつ、魚屋さんを後にしようとおばさんに背中を向けた時、後ろから突然二の腕を掴まれて、魚屋さんの中に引きずり込まれる。

「ど、どうしたんですか!?」

 わたしを魚屋さんへと引きずり込んだ犯人、基、おばさんの方を振り向くけれど、おばさんの顔は先程までの穏やかさは鳴りを潜め、恐怖と憎悪が入り混じった顔をしていた。
 おばさんはわたしの方を見ておらず、市場のメイン通りの方を見ていた。視線を追ってわたしもメイン通りの方に目を向けると、そこに居たのはお肉屋さんの首元を掴み上げている魚人の姿だった。魚人の手には大振りなサーベルが構えられている。

「ヒノデちゃん! 裏口から回ってトウシンさんのところに行きな! こっちは何とかしておくから!」
「ま、まってください! なんでお肉屋さんが……!!」
「もしかしたら武器を所持していたのかもしれない! とにかくヒノデちゃんはこのままトウシンさんと家に戻りな!! ヒノデちゃんが巻き込まれるような事じゃない!!」
「でもッ!!」

 必死にわたしをトウシンさんの所に連れて行こうとするおばさんも、魚人が怖いのか、汗が滲み、わたしの肩を持つ手は微かに震えていた。きっとおばさんはこれから起こる悲劇を想像して恐怖しているのだろう。わたしだってこの後どんなことが起こるかなんて、ココヤシ村に数か月住んだだけですぐに想像できる。長年魚人達に支配されているおばさんの恐怖ははかいしれない。
 おばさんの言う通り逃げるべきかもしれない、だけど本当にここで逃げていいんだろうか。せめておばさんと一緒に居るべきじゃなんいだろうか。
 考えがうまくまとまらず自問自答している内に、お肉屋さんの方から沢山の人の悲鳴が聞こえてくる。中には喉が引き裂けるような悲痛な叫び声も聞こえてきた。居ても経っても居られなくなって、おばさんの制止を振り切り店の前へと駆け出す。
 店の前へと飛び出したわたしの眼前に広がったのは、道の小石をプチトマトの様に赤く染め上げた血飛沫と、水たまりの様に溜まった血液、お店の肉が散乱したのだろう、体の一部の様に道端に転がっている元々は商品だった無数の動物のお肉だった。
 惨憺たる光景に正視する事を拒みたくなるけれど、再び聞こえてきた悲鳴と、この世界に来て一番聞いてきた声に、視線は意識とは関係なくそちらを向いた。

「トウシンさんっ!!!」

 視線の先に居たのは、お肉屋さんを背に庇って魚人達の前に立っているトウシンさんの姿だった。魚人達はトウシンさんよりも一回りも二回りも大きくて、おおよそ人と同じとは思えない外見をしていた。
 お肉屋さんへの制裁を邪魔されたのが気に障っているのか、瞳は爛々と怪しい色を灯していた。さながら獲物を前にした捕食者の顔をしている。まずい。トウシンさんに怒りの矛先が向き始めている。
 鋭い爪をもった大木の様な腕が、罪人を裁く刃の様に天を向く。
 頭の中で警報音が鳴り響き、もう一人の冷静なわたしが止めろと必死に叫ぶ。だけど体の方は止まる術を忘れたかのように地を蹴り、風を切っていた。魚人の腕が振り上げられトウシンさんへと振り下ろされる。

「やめてーーっ!!」

 走り出した体は勢いをそのままにトウシンさんへとぶつかる。トウシンさんもろとも横に吹っ飛びながら、砂利の上で何度か転がった後、勢いを無くした体が止まる。体を砂利の地面に打ち付けた痛みに耐えながら、なんとか起き上り前方を見ると、そこには意識を失っているトウシンさんを庇うように抱き留めた村の人の姿があった。
 意識を失っているけど血などは出ていないようだ。良かった、と安心したのもつかの間、村の人達のわたしを見る目がおかしい。まるで化け物を見るような、自分達とは違う生物を見るような眼だった。何でそんな眼をするの。
 皆さんの目が見る先──自分の腕を見ると、視線の先に広がっていたのは紅い宝石のよう鉱物が付いた自分の左腕だった。宝石のルビーのように光る鉱物が張り付いている腕はなんなんだろう。理解の範疇を越えた自分の腕の姿に言葉も出ない。
 これは何なのか、鉱物に触れようとした矢先、魚人達の怒声とも悲鳴ともとれる叫び声が村に響き渡った。

「この女!! 悪魔の実の能力者だッ!!」

 悪魔の実の能力者。魚人の言葉に血の気が引く。
 さっきまではトウシンさんの無事ばかり気にしていて気付かなかったが、自分の腕の傷を認識すると同時に、左腕の二の腕部分が火で皮膚を直接炙られているような、今まで感じたことのない痛みが全身の細胞へと駆け巡る。トウシンさんを庇ったときに、魚人の鋭い爪がわたしの二の腕を掠めていたみたいだった。
 一拍遅れて現状を理解した体は一気に痛みをわたしに認識させる。

「――――ッ、ぅあ゛ッ!!」

 じくじくと焼けるような痛みに、紅い石のようなものに覆われている傷口を押さえようとした時、文字通り骨が軋むほどの強い力で怪我をしている左腕を取られた。皮膚が裂けた時とは別の痛みが、今度は左腕から全身へと駆け巡る。気を抜いたら意識を失ってしまいそうだ。

「ふざけやがってこいつら!! 悪魔の実の能力者なんて隠してやがったッ!!」

 魚人達の焦り交じりの怒声は、わたしを、そして村の人達を地獄の底に突き落とすには十分だった。ただでさえ武器すら持ってはいけない、この魚人達に支配された島で『悪魔の実の能力者』なんて、この島そのものが消されかねない。魚人達にとってこの島は確かに大切な拠点かもしれないけれど、無いならないで、違う島を探すことだってできる。何もこの島だけが全てじゃない。
 激痛に疲弊する頭で考える。わたしが今、どれだけこの村──この島を危険に晒しているのかを、そしてわたしの言動一つ、行動一つが、この島の人達全ての命を左右するのだと、痛みに思考の大半を取られている頭で考える。
 頭上で魚人の人達の怒声がエコーのように耳に響く中、村のある一点に目が止まる。わたし達の周りに集まった村人たちの輪のその向こう。建ち並ぶお店の隙間から、この世の終わりのようにわたしを見つめるナミさんの姿。
 ナミさんの姿を見た瞬間、未だに恐ろしい怒声を放っている魚人達の声も、嫌な音を立てながら今にも折れてしまいそうな左腕の激痛も、目の前の村の人達の姿も霧のように消え去って、ナミさんの姿だけがクリアに映って──わたしは覚悟を決めるしかなかった。

「――――人間よりも優れていると言っている人達が情けない事この上ないですね」

 出来るだけ小馬鹿にしたように、相手を見下した声色で、蔑んだ表情で。今まで生きてきた中で一度だってしたことのない醜い自分で、わたしの腕を捻り上げている目の前の敵を見る。今この村が、この島が生き残るにはこれ以外方法が無い。記憶喪失なんて怪しさ満点のわたしを優しく受け入れてくれたこの人達に、わたしが出来る、今、最大の事をするんだ。
 震える声を抑え込んで、恐怖におびえる体に鞭を打ってでも。

「余程悪魔の実の能力者を脅威と思っているみたいですが、こんな小娘一人に恥ずかしくないんですか? ああ、それと頭も悪いみたいですね。村の人達やわたしの反応を見て分からないんですか? どうみたって隠していたと言うより、知らなかったと言う感じなのに――――」

 馬鹿なんですか? と言う言葉は最後まで続かなかった。わたしの体はどこに投げられたのか判断できなほどの速さで叩きつけられた。投げつけられたのが民家の壁なのか、それとも地面なのかそれすら判断できない。
 稲妻が走ったかのような痛みが全身に広がって、体の全ての筋肉が引きつり、うめき声を出すことも出来ない。何とか痛みを和らげようと体を丸めても痛みが引くことなんて全くなくて、むしろ吹き荒れる嵐のように痛みは増すばかりだ。背中を強く打ち付けたせいかまともに息もできず、喉は言葉ではなく、ヒューヒューと空気の抜けたタイヤのような音を発っしている。
 頭や身体から流れ出た血は、左腕同様ルビーのように硬化する。頭の片隅の方に居る妙に冷静なわたしは、これが『悪魔の実の能力』なのかと心の中で呟いた。
 自分の体ではないように言う事を聞かない体は、今はただわたしに苦痛を送るだけの物になっている。狂ったように奇声を発しながら、魚人達がわたしの体を踏みつけようとするのが、ぼやけた視界の中で見え隠れする。他人事のようにこれがわたしの最後かと、諦めかけた時、わたしの頭を踏み潰そうとした魚人を止める声が聞こえてきた。
 だけどその声の持ち主はわたしを新たな地獄へと誘う、悪魔からの制止の言葉だった。

「その女……おれ達の所まで連れて来い。悪魔の実の能力者なんて珍しい物簡単に殺しちまうには惜しい。まだ使い道があるはずだ」

 聞こえてきた声はわたしを、村の人達を更なる恐怖に陥れるには十分だった。この島を牛耳っている頂点の魚人『アーロン』その人がわたしを殺すことを止めたのだから。
 アーロンはゆっくりと、恐怖を煽るかのような足取りでわたしの所まで来ると、わざと怪我のしている方の左腕を掴み持ち上げる。足が宙に浮き、左腕一本に全体重がかかっているせいで、腕が引きちぎられそうな程の激痛が全身の痛みを伴ってわたしを襲う。

「グゥ、ァア゛ッ!!」

 あまりの痛みにうめき声をあげるが、段々今の痛みが腕の痛みなのか、それともさっき投げつけられた痛みなのか分からなくなってくる。そんなわたしに気付いているのか、アーロンはわたしの事を酷く不快な笑みを浮かべながら、地面に叩き付けた。
 嫌な音が頭に響いたが、その音が耳から聞こえてきたのか、それとも体の内側から聞こえてきたのかは分からない。体全身が熱湯を被ったかのように熱く、もう痛くない場所を探す方が難しいくらいだ。
 まともに動くことすら出来ないわたしに満足したのか、アーロンは左腕を掴んだまま、それこそごみ袋でも引きずるようにわたしを地面に引きずりながら歩いていく。直接地面に引き摺られている生身の部分が、砂利に擦れて浅い傷を作っていくが、それすら気にする事も最早出来ない。
 村の人達のわたしの名前を呼ぶ声を最後にわたしの意識は途切れた。


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