転がり落ちる先は 「……──ウ゛ゥッ!!」 突然の痛みに途切れていた意識が無理矢理浮上させられた。 霞んでいた意識は直ぐにはハッキリしなくて、なかなか状況が理解できずに視線は彷徨わせていたけれど、全身を襲った激痛に意識は嫌でも今の現状を理解させられる。周りを見回せばアーロンパークに着いているのだろう、眼前に堂々たる姿で立つアーロンと、更にその背後にそびえ立つ忌々しい魚達の巣窟アーロンパークの屋敷。そしてわたしを取り囲む幾人もの魚人達。 体の内側から沸騰しているように熱を持った体は、指一本動かすことは出来ず、地面に這いつくばりながら出来るのは、頭上でにやついた不快な笑みを浮かべるアーロンの顔を眺めるだけだった。眺めると言っても、全身を襲う激痛のせいで何度か視界がぼやけ、意識が飛びかけそうではあるけれど。 まるで塵でも見るような眼差しでわたしを見るアーロンは、なんの前触れもなくいきなり頭を踏みつけてきた。あまり力は入れられていないのかもしれないが、それでもわたしからしたら、このまま胡桃のようにペシャンコに潰されてしまうのではないかと言う考えが過り、恐怖を誘う。 「悪魔の実の能力者――――食えば死ぬまで海に嫌われる代わりに、超人的な能力が得られる実。物によっては数億の価値があるらしい」 「ア゛ァッ!!」 段々と力が籠められる足に、頭が圧迫され始めて、あまりの痛みにうめき声が口から洩れ始める。 「見た感じ血液を硬化する能力か? おい、どうなんだ」 私に問いかけているみたいだけど、何の能力なんか知らない。今さっき自分の能力に気付いたんだから、力の使い方すら分からない。 全身の痛みに加え、頭を踏まれている痛みで思考が麻痺しながらも、自分の能力について考えるけれど、一向に正解を見つけることは出来ない。それどころか、徐々に力を加えられている頭の痛みに、残り少ない思考回路が徐々に奪われ始める。 「し、しらないっ……能力が出たのは、さっきがはじめてでっ!!」 嘘は言ってない。本当だ。大体能力を知っているなら、わたしはもっと気をつけてた。こんな能力だとは思わなかったんだ。 アーロンはわたしを一瞥すると、周りで見ていた魚人の仲間に目を向けた。その中には村でわたしを襲った魚人達も居た。恐らくその人達に目を向けたのだろう、アーロンに目を向けられた人たちは、一度ビクリと肩を震わせると、地面に転がっているわたしに目を向けた。 「ア、アーロンさん……もしかしたらその女本当に自分の能力に気付いてねぇのかもしれねぇ。おれが殴った時も能力を発動させる気配が無かった。もっとも嘘をついてる可能性もあるかもしれねぇが……」 「そうか」 何でここで本当のことを言うのか分からなかったけど、多分嘘をついて後々なんらかの叱りを受けるより、ここで本当の事を話した方が良いと判断したのかもしれない。わたしとしては下手に嘘をつかれて、能力を知ってた態度だった、と言われるよりは良かったかもしれないけど。だとしてもまだ危機はまだ脱してはいない。頭にかけられる力は緩んだけど、命の危機からは逃れられていないんだ。この人の気分一つですぐにでもわたしの命は終わりを告げる。 いつ訪れるか分からない死の恐怖に、いっそ一思いに殺してほしいと思うくらいには、精神も肉体も限界に近かった。心臓はバクバクと嫌な音を立て、今にも破裂してしまいそうだ。目の前で今にも爆発するのを待っている時限爆弾を置かれている気分だった。勿論時限爆弾は目の前のアーロンとわたしの周りにル魚人達だ。いつ爆発するかもしれない怒りは時計の針のように刻一刻とわたしを死の恐怖に掻き立てる。 「とにかく血液を硬化する能力なんておれ達の脅威にもならねぇ、それにおれ達の役にもたたねぇ……だが」 アーロンは一旦言葉を斬ると、底冷えするような冷酷な笑みを浮かべて、わたしを見やる。 「能力者であることは変わりねぇ」 「え?」 言っている意味が分からず、疑問の声を上げた瞬間―――。 「危険因子は消さなくちゃいけねぇ、な!!」 わたしの体はアーロンの大木のように太い腕に首を掴まれ、悲鳴を上げる暇もなく背後の海へと繋がっているプールのような物の中に叩き込まれていた。 水に叩き込まれてわたしを一番初めに襲ったのは、全身の骨が砕けてしまうのではないかと言う衝撃だった。いくら水と言えど、人間の遥かに三倍の腕力を持つ魚人に投げ込まれれば、コンクリートに直接叩き込まれたと同義だ。けれど襲いかかる激痛に意識を向けている場合ではなかった。わたしは悪魔の実の能力者。ならば次に襲うのは。 (……――――力がっ!!?) 全身を襲う激痛に、学校で入るプールとは違う海水の味と、目を直接刺す様な、海水独特のピリピリした刺激が襲う。何より海の波に攫われるように失われていく力。ナミさんに助けられたときの比ではない、この感覚はわたしに『死』と言う感覚を全力で叩きつけてくる。海中では潮の痛みで目を開けられないせいで、自分の体が今向いている方は地上なのか水底なのかも分からない。傷口を硬化させていた血の能力は海の呪いで解け、文字通りの意味で傷口に塩水が沁みはじめ、更なる痛みを体に与えてくる。 痛みと力の抜けていく感覚に成す術は無く、流されるままに、ここが天国なのかと錯覚してしまうくらい静かな水中を漂っていたが、長くは続かなかった――――空気が無い場所で息は出来ない。なら、激痛と体力を奪われる次に待っているのは窒息だ。口から無数の泡がシャボン玉のように漏れ始め、いくら空気を取り込もうとも、口や鼻から入るのはしょっぱい海水だけで、空気を取り込む事なんてできない。 海水の痛みにまともに目も開けられない中、苦しさと痛みにもがいていると、誰かがわたしの右腕を掴む感覚に、思わず少しだけ目を開けると、海水のせいでチカチカと光が反射するような痛みの先に見えたのは、オレンジ色の髪だった。 (ナミさんっ?!!) 何でここに。 出そうとした声は音にはならず、泡となって水に溶けるだけだった。力なくナミさんに引っ張られながら、水が肌を優しく撫でるのを感じていると、頭から地上独特の風に頭皮が晒され、顔が完全に地上へと顔を出した。 突如雪崩のように肺に入ってきた空気に、望んでいたものとはいえ、ただでさえ体中がボロボロと言う中で入ってくる空気は、今のわたしにとっては傷ついた肺を痛める凶器の一つになる。咽こむだけで骨が折れてるんじゃないかと言う激痛がわたしを襲う。 海中から助け出しくれたナミさんに、力の入らない傷ついた体でなんとか首元にしがみ付きつつ、真横に居るナミさんの顔を見る。でもナミさんの顔を見てわたしはこの時ほど後悔したことは無いだろう。 「ナミさん……ごめんなさいっ……!!」 「いいわよ。もう……」 悲痛な面持ちは当然だけれど、なにより諦観の入り混じった目に、今更ながらなんて事をしてしまったんだろうと、後悔が無数の矢となってわたしの心を突き刺す。ココヤシ村どころかナミさんまで危険に晒してしまっている。助ける為に立ち向かったのに、結局迷惑をかけて命の危険に晒している。わたしは一体何をやっているのだろう。 体よりも心が痛くて、奥歯をきつく噛み締める。 何が悪魔の実。何が能力者。使いこなせなくちゃただのカナヅチの役立たず。 溢れそうになる涙を寸での所で耐える。泣きたいのはナミさんの方だ、わたしじゃない。 「なんの真似だナミ」 「……」 爆発寸前の怒りを耐えているのだろう、微かに言葉が震えているアーロンの言葉にナミさんは何も答えない。答えないのではなく答えられないのかもしれない。今ナミさんのしている行為はアーロンへの魚人達への裏切り行為に値するものなのだろう。アーロンとナミさんがどういう関係で結びついているのか分からないわたしには、どんな行動をしたらナミさんの命の安全を確保できるかが分からない。下手に口を出して悪い方向に転がる可能性もある。 どうしよう、わたしとんでもない事を。 次なるナミさんの言葉を待っていると、数秒してナミさんから息を小さく吐く音がして、わたしの今後の処分に覚悟を決めた時、アーロンパークの入り口から老人とは思えない威圧感を持った鋭い声が耳に届いた。 「待てっ!! アーロン!!」 聞こえてきた言葉は今、何よりも聞きたい人の声だった。 「トウシンさん……」 良かった……無事だったんだ。 目で見える限りの場所は元気そうなトウシンさんに、安堵の息を漏らすけど、まだナミさんの安全は確保されていないし、突然こんな──ココヤシ村の人なら絶対に寄り付かないアーロンバークに来たトウシンさんもこれからどうなるか分からない。 この先の予想できない未来に、手足の震えが止まらない。もしかしたら全員此処で殺さされるかもしれない。 わたしが持ち込んだ、いやわたしの存在そのものが、今ナミさんやトウシンさん周りの人の命を危険に晒している。次から次へとわたしのせいで周りの人の命が危険に晒されている。どうするのが最善なのか、どうする事で最悪を乗り切れるのか、この世界の知識も常識もあり方もすべてが足りないわたしには何が正解なのか導き出せない。 自分勝手かもしれないけど命で償えが一番いやだ、この世界で死んだ場合わたしの魂は一体どこに辿り着くんだろう。神様が居るとか、地獄があるとかは分からない、それでも人が死んだらそのまま消えて終わりなんて思いたくない。 自分が招いた最悪の状況になっても、命が惜しい自分に反吐が出る。だけど異物のようなわたしは死んだらどうなるの? 元の世界に帰れるならいい。そうじゃなかったら? 今守るべきはナミさんとトウシンさんだ、なのに目の前に突きつけられている『死』と言う一文字に呑まれてしまっているわたしには何もできなかった。 恐怖にガチガチと歯がかみ合って音が鳴る。完全に恐怖に体が支配されて成すすべがなく、ただトウシンさんの方を身を引き裂かれるような思いで見ている事しかできなかった。 視線に気づいたのだろう目が合ったトウシンさんは、どこか悲哀で満ちた目とそして心苦しい表情でわたしを見つめていた。 どうしてそんな目で、表情でわたしを見ているのか、この後トウシンさんは何をしようとしているのか、次から次へと湧いてくる疑問は、トウシンさんの口から出てきた言葉ですぐに理解できた。 一瞬躊躇するように閉じたような口は、再び開かれトウシンさんが言葉を紡ぐ。 「これはまだ政府も海軍もワシ以外のこの島の住人すら知らない情報だ……」 待って、トウシンさん一体何を。 これからトウシンさんがアーロンに伝える言葉が何を意味するのか、トウシンさんの次の言葉はわたしは勿論、この場に居る人たちを驚かせるには十分だった。 「――――……その子は伝説の刀鍛冶と言われた刀匠“アカツキ・イッセン”の直系の孫娘だ」 トウシンさん何を考えて。 頭を鈍器で叩かれるように衝撃が走ったのはわたしだけではなかったようだ。わたしが抱き着いているナミさんも驚きに体を震わせ、周りの魚人達も一様に困惑と驚愕が入り混じった顔をしていた。 きっと誰もが予想できなかったのだろう。当事者であるわたし自身驚きを隠せない。言ってはいけないと言ったのはトウシンさんなのに、どういう意図があって。 真意を探ろうとするわたしをよそに、別の意味でトウシンさんの真意を探ろうとしているナミさんとアーロンだけれど口火を切ったのはアーロンの方だった。 「ふざけんじゃねぇぞジジイ……アカツキ・イッセンに家族なんていなかったはずだ」 「嘘だと思うならそれでいい――――だが、そうじゃなかったら? お前さんらは貴重な刀鍛冶を一人消すことになるぞ? 良い武器を手に入れるには金と労力、そして武器の質を見抜く眼が必要だ。ヒノデはイッセン直々に鍛えられている刀鍛冶だぞ」 緊迫した空気が辺りを支配する。トウシンさんとアーロン以外に声を発する者はなく、 ナミさんも今後の出方を見極めるためか言葉を発しない、ただ、この話の行く末が不安なのか、わたしを掴んでいる腕が微かに震えている。 多分ナミさんも分かっているのだろう、トウシンさんが何をしようとしているのかを……その思惑がわたしにとって吉と出るか凶と出るかは、アーロンの次の言葉を待つしかなかった。心臓が嫌な音を立てて鳴り響く。心臓の音はまるでわたしを死に追い立てているようだった。 「────いいだろう……。おい! ナミ!!」 大声で呼ばれナミさんは一度ビクリと肩を震わせると、アーロンに目を向けた。その瞳には怯えが混じっている。 「何……」 「その悪魔の実の能力者牢屋に入れておけ、殺すには早い。まだ──」 聞きたい事が沢山あるからな……。と言いながらアーロンは未だに自分を恐れることなく見つめているトウシンさんから視線を外し、瞳孔の開いた獣のような瞳でわたし視線を向けた。 わたしはただただ、この先に待っているであろう地獄に、命が助かったというより安心感よりも、絶望と言う名の道が未来へと続いていくのを感じ、限界を迎えた体と憔悴しきった意識は、命の火ごとわたしを消そうとするかのような海水の冷たさと一緒に、水底へと沈んでいったのだった。 【 章一覧|TOP 】 |