Tennis of the Living Dead

002


 ふと、私は異変を感じて目を覚ました。
 部屋はまだ真っ暗なのに、外が騒がしい気がする。ベッドに潜ったまま耳を済ますと、足音がせわしなく駆けていき、怒号も飛び交っている。
 
 ……なんだか少し、気持ちが悪い。船酔いだろうか? 私あんまり船酔いしないタイプだし、さっきまでなんともなかったのに。
 
 私は素早く横ベッドのにあるライトをつけた。
 
(な、に?)

 船が、激しく、揺れてる?
 ……いや、傾いている?
 
(…………どういうこと? 何が起こっているの?)
 
 このとき、私は少しパニックになっていたんだと思う。薄暗い部屋でひとり、ただベッドにくるまってしていたんだから。
 
 どんどんどん。ドアが激しく叩かれる。私はびっくりして小さく悲鳴を上げた。
  
「永瀬ちゃん? 永瀬ちゃん聞こえる? 鍵を開けてくれ!」
 
 外から切羽詰まった声が聞こえた。慌ててドアの鍵を開けると、そこには六角中の佐伯さんと黒羽さんが。
 
「事故が起きたんだ。船が座礁している。早く逃げないとダメだ!」 
「えっ!? 事故が!? なんで……」
「サエ、こっちの救命ボートに乗れるぞ!」
「説明している暇はない! ほら、急ごう! 風が強いからしっかり握ってるんだよ!」
 
 佐伯さんは私の手をぐいっとひっぱった。
 
「俺についていれば大丈夫、きっと助かるから。それじゃあ行くよ」
 
 い……いっけめええええん!!
 なに、こんなことさらっと言っちゃうの!? えっ、やばくない!? めっちゃ強く手を握られているんだけど!? えっ、ちょ、やばい手汗でびちょびちょだったらどうしよう。やばいいまの状況忘れてキュンキュン来るわ!
 
「ああ、急ぐぞ」
 
 全くわけがわからなかったけど、私は佐伯さんと黒羽さんと一緒に救命ボートまで走った。
 
 船はやっぱり傾いていて、もう廊下まで浸水しつつあった。

 もし、このふたりが迎えに来なかったら……? きっと私は部屋の中でオロオロしていたに違いない。そう考えるとぞっとした。
 
 みんなもう避難したのか船には誰一人として残っておらず、非常口を出ると、救命ボートが一隻だけ2人ほど乗せて待機していた。遠くを見ると、既に避難済みのボートがいくつか荒波を漂っている。
 
 ボートで待機していたのは……桃城くんと海堂くん?
 
「あい先輩! 無事だったんすね!」
 
 桃城くんがほっとしたように顔をほころばせた。
 
「ほっとしてる暇はねえぞゴラ! 先輩も早くしてください! 沈没しますよ!」
 
 海堂くんにせかされ、私たちは急いでボートに乗った。全員乗り終えると、桃城くんと海堂くんがボートを船から離した。

 ボートはゆらゆらゆれて海に漂い始めた。

 船が沈んでいるせいか、波が激しい。もう半分ほど船は海に飲み込まれている。私たちはボートにしがみつきながら沈んでいくそれを呆然と見つめていた。

 ずっと、ただずっと、誰も何も言うことなく。

 ……みんな、船から脱出できたのだろうか。竜崎先生や六角の先生は? 青学のみんなだって、全員無事なんだろうか。

 静かにしてると、不安がどっと押し寄せてきた。

 これからどうするんだろう。この5人で海をずうっと漂うのだろうか。食べ物も、地図も何もないのに?

(……?)

 見間違いだろうか?
 海を見つめていたら、中で何かがきらりと光った気がする。
 もう一度確かめるために、顔を近づけた。間違いない。波に揺られて、ちらちらと光るふたつのものがある。

 濁った月の光みたいな色だ。

 もっとよく見ようとして、目が黒い海に慣れてきて、それがはっきり形を作っていくにつれ、私はぎょっとした。

(海に、人? 人がいる?)

 間違いない、それは確かに人だった。濁った眼球と同じくらい肌も灰色で、皮膚がところどころ剥がれかけている。

 どう考えても、生きているとは思えない外見。それに反して、水にあがくようにせわしなく、でもひどく鈍重な動きをしている。
 口を開けたり閉じたりして、溺れている人みたいに手をゆっくりと回していたのだ。

(これ、これ……、なに? 胸がざらざらする。)

 嫌な感じがする。本能が、これに関わっちゃいけないって言ってる。

 逃げなきゃ、『これ』から、できるだけ遠くに。

 でも、なんでだろう。目が離せない。まるで磁石みたいに、瞬きひとつせずにお互いを見つめあっている。

 胸が、ざらざらする。なんで?

「永瀬ちゃん? ……永瀬ちゃん!」
「えっ?」

 佐伯さんの声が聞こえたとき、私は海に引っ張られた。

 あまりに突然のことだったので、私は抵抗する暇もなくそのまま暗いどぶの中に落ちてしまった。
 
「あい先輩!!?」

 あわててボートを掴もうとしたけど、波の流れが速すぎた。手を伸ばしたときには、すでにボートには届かないところまで流されてしまっていた。

なんとか息継ぎをして、ボートまで戻ろうとしてもダメだった。泳いでも波の力で押し返される。
 体が沈んでいく。だめだ、このままじゃ溺れちゃう。

 どうしよう、このままじゃ……!

「永瀬せんぱーーーい!!!」
 
 海堂くんの声が、どこか遠くで聞こえる。私も返事をしないと。助けてって。

 必死で手を伸ばすけど、届かない。海堂くんにも、桃城くんにも。むしろ遠くなっていく。

 しょっぱい水がどんどん口の中に入ってくる。どんどんどんどん入っていって、いつのまにか、私の口全体に侵入してきた。

 吐き出そうとしてもからだが重くて、波に逆らえなくて、あせって、むせて、苦しくて、その繰り返しで。

(助けて、誰か、助けて)

 心の叫びは誰にも届かないまま、

(……死にたく、ない)

 私は海に沈んだ。











 そして、海の底に眠っていた『それ』に、私は喉元を噛み千切られた。

[3]

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