愚者のメロディー


『ただいま〜』
「おかえり〜」
『蘭ちゃん、私よりも帰宅が早いってどういうこと?』
「俺帰宅部だし。」
「玲美は偉いよな。部活してて。」
『普通は入るんだよ。』

帰宅部の二人は基本的に私より帰るのが早い。そして、帰ったら普通に私の家にいるのだから不思議だ。

「おかえり。手、洗っておいで。ご飯にするから。」
『わかった。』
「母さん、今日はご飯何〜」
「今日はコロッケ。」
「ほら、兄貴も運べよ。」

本当に家族のようだった。何の違和感もなく、二人はそこに居て、笑っている。一応、家には帰ってはいるが、ほとんどの時間を私の家で暮らすようになった。
一度、両親が蘭と竜胆の両親と会って話したようだ。だが、どんな話をしたのかは知らない。蘭と竜胆は何となく察してはいるようだったが、私の父と母は何も言わず、二人を嫌がるくらいに抱きしめていた。

『もうすぐ、蘭と竜胆の誕生日だね。』
「もう14歳か。子どもの成長って早いねぇ。」
「俺ハンバーグ食べたいな〜」
「俺はオムライス。」
『ちゃっかりねだるね、二人とも。』
「任せておいて。とびっきりおいしいご飯作るよ。」

そんな会話をしていると、父も帰宅し、五人で並んで食事をする。そんな毎日を送っていた。それが続くとも信じて疑わなかった。

そんなある日のことだった。

「蘭。竜胆。喧嘩しているだろ。」

父の低い声がリビングに響く。いつもは穏やかで怒ることのない父だが、今日は違っていた。

「急に何?父さん。」
「誤魔化すな。竜胆。」
「…そ〜だよ。してる。」
「蘭、約束したよな。どうして破った。」
「…そんなのどーでもよくね?」
「は?」
「したいからした。それじゃダメなわけ?」
「蘭、本気で言ってるのか。」
「うん。」
「兄貴…」

蘭は淡々とそう伝える。竜胆はそんな蘭と父を見ながら黙ってしまった。

「蘭、暴力はいつか絶対にお前に牙を剥く。だから、もう二度とするな。」
「うるせーな!本当の親でもねーくせに。」

その瞬間、蘭はハッと目を見開いた。父も母も少し寂しそうな表情を浮かべていた。
そんな表情を見てか、蘭は荷物を持ち、走って出て行った。

「…竜胆。どうして喧嘩してたの?理由、あるんでしょ。」
「…母さん達が悪く言われてたから。」
「え?」
「水族館で会った奴らが…灰谷の両親と妹が弱いと言いふらしてる。もしかしたら、何かされるかもしれない。それで兄貴と…」
「…そう。私たちのためにしてくれていたのね。」

俯く竜胆に母は寄り添う。

『蘭ちゃん、きっと公園にいるから呼んでくる。』
「うん。ありがとう。」

家の近くにある公園へ行くと、蘭はブランコに座っていた。

『蘭ちゃん。』
「…何?」
『帰ろうよ。』
「帰れないだろ〜あんなこと、言ったんだから。」
『蘭ちゃんもそんな事で悩むんだね。』
「はぁ〜?」
『蘭ちゃんが優しいこと、みんな知ってる。喧嘩だって、理由があってしてることくらいお父さんも分かっていたと思うよ。』

長い髪が表情を隠すせいで、蘭が見えない。
ただ、落ち込んでいることだけはわかった。

『蘭ちゃん。帰ろ?』
「…なんで、お前は俺たちの隣にいてくれるの?」
『何でって…何でだろ?』
「は?」
『蘭ちゃん怖かったのになぁ。でも、どちらにせよ蘭ちゃんが私のそばに来るんじゃない?』
「ははっ…そ〜だな。こんな変な女の相手は俺にしかできねぇよな。」
『蘭ちゃん、私変じゃないから。』

怒ってそっぽを剥くと、後ろから笑う声が聞こえる。
少しは元気になったような気がして、振り向くと、蘭はいつの間にか目の前にいた。
そして、ギュッと抱きしめられた。

『蘭ちゃん!?』
「うるさいな〜。一旦黙れよお前。」

そう言われたら黙るしかない。だけど、心臓は爆音で鳴り響く。何でこんなにもドキドキするのか。
初めて出会った6年生の頃は私の方が背が高かった。寧ろ、小さい方だったのに、いつの間にか追い越された身長。そして体つきもがっしりしている。
いつの間にか私たちはそれぞれ成長していたのだと気付かされる。

「今日はもう帰る。」
『わかった。明日、来るよね?誕生日だから。』
「うん。」

そう言った蘭は私を解放する。

『また、明日ね。』
「じゃ〜な。」

ひらひらと手を振る蘭。
見送りながら家に戻ると既に竜胆は家にはいなかった。
そして次の日、二人の誕生日。
休日だと言うこともあり、私も部活後母の料理の手伝いをした。そして、ある程度終わった頃…

「あ、ケーキを取りに行かなきゃ!」
「俺行こうか?」
「ついでにちょっと欲しいものもあるから、二人で行こう。玲美は留守番してて。二人が来るかもしれないから。」
『うん。気をつけてね。』
「行ってきます。」

そんな二人を送り出す。
しかし、待っても待っても帰ってくることのない二人。
そんな中、インターホンが鳴り、走って出るとそこにいたのは蘭と竜胆だった。

「車ないけど、どっか行ってるの?」
『うん…でも随分前だから、そろそろ帰ってくると思うんだけど…』

二人を家に入れ、しばらく三人でゲームをしていたが、それでも帰ってくる気配がない。
そんな時だった。
家の電話が鳴り響く。

『もしもし?お母さん?』

そう聞いた私の後に聞こえてきた声は知らない人の声。そして、聞かされた内容はあまりに残酷なものだった。

『お母さんとお父さんが…病院に運ばれた…?』

私のその呟きに、蘭と竜胆は立ち上がって私のそばへやって来る。
ガタガタ震える私から受話器をとり、電話の応対をしてくれる竜胆。そして、私をあやすように抱きしめてくれる蘭。

「とにかく、病院へ行こう。タクシー呼ぶ。」
「玲美、ほらコート着るぞ〜。大丈夫、俺らがいるだろ。」
『蘭ちゃん…どうしよう…』
「…大丈夫。ほら、行くぞ。」

二人に連れられ、病院へ走る。しかし、病院へ着いた時にはもう既に二人は息を引き取っていた。

『お母さん…お父さん…いやー!!!!』

死んで動かない二人をみて泣き叫ぶ。
二人は後ろから何者かに鈍器で殴られたようだった。特に父は母を庇ったためか、外傷が酷かった。

「…玲美。」

泣き叫ぶ私を抱きしめる蘭。

「兄貴。これ…」
「あぁ、あいつらだ。」

そんな二人の声が聞こえたが、その時の私には何も判断できなかった。大好きな二人が、同時に亡くなった。それは中学二年生には重過ぎる事実だった。
それからお通夜や葬式など、バタバタと時は過ぎた。その間、ずっと二人は私のそばに居てくれた。

『私、おばあちゃんの家に引き取られることになったの。』
「そうか。」
『あの家は…私が高校生になったら、私一人で暮らすことになったから…だから…』
「わかってるよ。」
『また、一緒に過ごしてくれる?二人は私を一人にしない??』
「しね〜よ。」
『ありがとう。二人とも。』
「つっても、中学同じじゃん?」
「そ〜そ〜変わんねーよ。」

そんな約束をしたのに、覚えていたのは私だけだったのだろうか。それとも、やはり彼らは私とは生きる世界が違ったのだろうか。
父と母がこの世を去ってから暫くして、私たちは二年生になった。しかし、この頃には彼らはパタリと学校に来なくなった。
彼らがいない学校はある意味平和だが、私にとってはつまらない場所へと変わっていた。
いつも一緒にいたのだ。三人で。だから、友達と呼べるような人はもういない。みんな顔色を窺っている。それもそうだ。あの灰谷といるのだから。

『蘭ちゃん…竜胆…何でいないの。』

そう言っても、その声はどこにも届かない。
電話をかけてみても中々繋がることのない日々。いつの間にか隣に二人がいないのが当たり前になるのだろうか。

『…蘭ちゃん。』

特に蘭はずっと隣にいた。いるのが当たり前だったのに。
携帯の電話番号をそっと指でなぞる。出てくれるだろうか。今かけたら彼は…

『…。』

通話ボタンを押し、耳元に携帯を当てる。コール音が鳴り響く。着れることのない一定のリズムにため息をつきそうになった時だった。

「もしもし。」
『蘭…ちゃん…』
「久しぶりだな〜」
『蘭ちゃん、今どこにいるの。』
「どこって…六本木。」
『六本木…』

中学できいた噂が頭をよぎる。

"灰谷が六本木を制圧しようとしている"

つまり、彼らは暴力の世界へと戻ってしまったのだ。あの頃のように、トランプをしたり鬼ごっこをして楽しむ彼らはもうどこにも…

『蘭ちゃん…』
「え、何?泣いてんの?」
『寂しいよ…どうして私を一人にするの。』
「…今どこにいんの?」
『学校…』
「今から行くから。」

それだけ言うと蘭は通話を切った。蘭が来てくれることに心躍りながら、蘭が来るのを待った。

「玲美。」
『蘭ちゃん!』
「あ〜あ〜…ほんとに泣いてんの?泣き虫だなぁ。」
『蘭ちゃん達のせいだよ。』
「そうだなぁ。俺らがいんのに玲美のこと泣かせる馬鹿はいないよな。泣かせたら俺、そいつのこと殺しちゃうもん。」
『え?』

時が止まった…いや、凍りついた。蘭の言葉に、私は久しぶりに恐怖を感じた。本当にやりかねないその表情は、出会ったばかりの頃を思い出させる。

「蘭ちゃん…殺す必要はないよ?」
『玲美は俺にとって大事だから、当たり前だろ?』
『嬉しいけど…でも…』
「傷ついて欲しくないっていうんだろ?ほーんと…お前も父さんも母さんも…お人好しがすぎる。」

ギュッと握られた手から温もりを感じる。
久しぶりに手を繋いだから、恥ずかしいやら嬉しいやら感情が溢れ出て来る。

「ほら、行こ〜ぜ。」
『どこに?』
「あ?帰るんだろ?ばあさん、心配するだろ。」

いつからか見上げるようになっていた。会えなかったのは少しの間だけだったはずなのに、玲美には、蘭の背中はいつもより大きく見えていた。
家まで送り届けると、繋がれていた手が離れる。

「なぁ、玲美。」
『ん?』
「何でもない。じゃーな。」

少し違和感を感じた。だけど、うまく説明することのできないその違和感を胸にしまい込む。

『蘭ちゃん。また、明日ね。』
「…あぁ。またな。」

きっと守られることのない約束だということは分かっていた。だけど、玲美の言葉に蘭はそう返した。
あの時の違和感は正しかったことを知ったのは、その一週間後。とうとう、灰谷兄弟が六本木を制圧したと中学では話題だった。
中学生で六本木の頂点に立ってしまった二人。きっともう、戻ってこれないと判ってしまった。
そして、あの日。
夜がふけて頃にかかってきた電話。駆けつければ、真っ赤に染まった大好きな二人。
警察に出頭した二人と残された私。

この日から私は、本当に一人ぼっちになってしまった。






Noah