耐えられないわけじゃなかった。
付き合う前から、恋愛には淡白なタイプだと分かっていたし、本人もそれを自覚していた。
だから、彼が仕事で手一杯な時は、記念日でもワガママは言わなかったし、友達と約束があると言われれば、久しぶりに休みが合う日でも口を噤んだ。
友達がどんどん結婚していく中、週末だけ彼の家に行き、義務感だけでご飯を作る。
付き合いたての頃は、こんな時間さえ惜しいとそばに居てくれたのに。
もはやこちらを気にすることもなくテレビを見ている彼の背中に、声を掛けることすら躊躇われる。
一体いつからこんな関係になってしまったんだろう。
不安に思いながらも、きちんと話すことを避けてきたツケが回って来たんだと思う。
「で、誕生日すっぽかされたの?」
「はい……」
「さすがに不憫すぎて笑えないんだけど」
「それでも誰かに笑ってほしくて話してます」
「俺じゃない人当たってくれる?」
年に一度の誕生日。
ちょうど週末で、彼と一緒に過ごせる日だった。
仕事を終え、ウキウキしながら彼の家に向かうも、本人は不在。
それどころか、珍しく朝帰りした彼は、お酒に飲まれてベロンベロンだった。
「関係微妙なのは知ってたけど、そこまでだったとはね〜」
「うん、さすがのわたしも堪えた、」
「でも偉いじゃん。俺だったら朝帰りされた時点で泣いてるよ」
「それは……だって、付き合いとかもあるし、起きたらちゃんと祝ってくれるかなって、」
「待って、健気すぎて俺が泣きそうなんどけど」
結局、そんな淡い期待も崩れ去り、二日酔いで一日寝ていた彼からは、未だお祝いの言葉は無い。
「もうさ、いっそこれを機に別れたら?りお可愛いんだし、次の彼氏だってすぐ見つかると思うよ」
「そんなこと言ってくれるの橋だけだよ」
「えー、そお?彼氏いるの知ってたから言わなかっただけで、りおのこと紹介してって奴結構いるよ?」
「へー、そうなんだ」
「あ、その顔は信じてないでしょ!もー!今すぐここにりお狙ってる奴呼んできてもいいんだからね!」
「誰だよその物好き」
「げっ……」
「こら!お前今げって言ったな!失礼な子!」
「あ、紫耀おはよー」
「はよ」
ゲートで使った入館証を首に掛け直しながら、声を掛けて来た同期に視線を向ける。
「りお、ついに誕生日も忘れられちゃったんだって」
「はあ?何それ、ほんとに付き合ってんの?」
「うるさいなぁ、あんまりマメな人じゃないんだって」
同期の橋と仲が良い平野は、たまにこうして話す別部署のモテ男だ。
「マメじゃないって……いくらなんでも甘すぎだろ。普通覚えてない?好きな子ならなおさら」
「へぇー、平野に愛される子は幸せだね。わたしと違って」
「紫耀、めちゃくちゃ尽くすタイプだもんね」
「見えない」
「うるせーよ」
「てかさぁ、そんな情だけで一緒にいて意味ある?相手の為にしたくてしてるんなら話は別だけど、好きじゃないならさっさと見切り付けた方が良くない?時間の無駄だし」
「うーん、別に気持ちが冷めた訳じゃないんだよね。わたしは普通に彼のこと好きだし」
「え、」
「あ、そうなんだ。それ聞くとさらにりおが可哀想だね」
「そう思うならもうこれ以上傷を抉らないで」
話を振ったのはわたしだが、どことなく楽しそうな橋を思わず睨みつけた。
「あ!じゃあさぁ、紫耀がりおの誕生日お祝いしてあげれば?」
「え、」
「だって紫耀、記念日とかすっげー大事にするじゃん」
自分のデスクに荷物を置いた橋が、平野に向けてにやっと口角を上げる。
「尽くすって言っても好きな子には、でしょ」
「うん。でも紫耀イベント事とか好きだし。ね?」
「あ、……おう、」
「困ってんじゃん笑」
わたしに対して割と遠慮せず物を言う平野が、妙にたどたどしい。
これならハッキリ嫌だと断ってくれた方がマシだ。
「ほら、紫耀この間イタリアン食べたいって俺のこと誘って来たじゃん」
「、そうだっけ?」
「そう!あの時は俺が残業で付き合ってあげられなかったし、ちょうど良いからりおと行って来なよ!」
「いや、」
それは、全然ちょうど良くないと思う。
強引な橋の言葉に、平野も迷惑しているだろうと隣を見ると、何故かバッチリ目が合った。
「俺は、まあ……お前がいいなら、」
「え、行くの?」
「え、行かないの?」
真逆の反応をするわたしと平野を見て、橋だけが楽しそうに笑っていた。
「なんか、ごめん。俺が相手で」
「ううん、ここお料理美味しそうだし、楽しみだね」
平野が予約してくれたお店は、会社から少し離れたところにあるイタリアンだった。
橋に丸め込まれ、半ば無理矢理取り付けられた約束だったのに、きちんとお店を手配してくれていたようで、ちゃっかり喜んでしまった。
「嫌いな物とかある?俺イタリアンとかよく分かんないから、適当にコース予約しちゃったんだけど」
「イタリアンって、梅干し出るのかな」
「え……いや知らないけど、多分、出ないんじゃない?」
「なら大丈夫だと思う」
「梅干し嫌いなの?」
「うん、絶対無理」
「ボクしいたけ」
「……はい?」
「あ!しいたけ!俺はしいたけが無理なの!嫌いな食べ物!」
「あ、そういうね、笑」
突然片言で意味の分からないことを言うから、笑ってしまった。
「平野って、なんか会社とイメージ違うね」
「え、そう?」
「うん。いつももっとツンケンした感じだったから、急にほわっとされてちょっと驚いてる」
「ほわ、?え、ほわって何?」
「う〜ん……上手く言えないけど、とりあえず、思ったより優しいんだなって」
じゃなきゃ友達でも無い可哀想な同期の為に、ここまでしてくれないだろう。
「別に、俺は優しくなんかないけどね」
「そう?」
「まぁ、彼女の誕生日も忘れちゃうお前の彼氏よりは優しいか」
「……うん、そうだね」
「そもそもさ、そんな彼氏のどこが好きなの?」
「え、いきなりだなぁ」
「だって気になるんだもん。誕生日すっぽかされても好きでいられる彼氏って、逆にどんだけ良い男なの」
「うーん……」
運ばれてきた前菜に手を付けながら、少しムッとした平野に聞かれる。
「同い年?」
「うん。大学の同級生」
「へぇー。カッコイイの?」
「それはどうだろ、」
彼とは入学後すぐに知り合い、友達になった。
明るくて、誰にでも優しい、いつもみんなの笑顔の中心にいるような人。
正直、何でそんな素敵な人が自分のことを好きになってくれたのか、今でもよく分からない。
「告白は?向こうから?」
「うん。すっごい分かりやすい人でね、多分、いつからわたしのこと好きだったのかも、なんとなく分かる」
「へぇ、」
「急に二人でご飯行こうって言われて、あぁ、これは告白されるなって思ってたら、ほんとに告白された」
あの日、顔を真っ赤にしながら、一生懸命わたしに好きだと言ってくれた彼のことが、もはや懐かしい。
「本当に、ちゃんと好きなんだ」
「うん。好きだよ」
「向こうが、もうそう思ってなくても?」
「……うん、そうだね」
少なくともわたしは、まだ彼のことがちゃんと好きだ。
「もったいね、」
「………」
「俺がお前の彼氏だったら、絶対そんな顔させないのに」
多分、他意は無いと思う。
平野のことだから、ただ純粋に彼のことが理解出来ずに、そう言っただけ。
分かってはいたけど、さすがに少しドキッとした。
「やっぱり、平野は優しいよ」
「だから、別にそれは、」
「わたしさ、なんとなく……このまま今の彼氏と結婚して、なんとなく家族になるんだろうなって、ずっと思ってたの」
だって、そのくらい彼のことが好きだったし、他に家族になりたいなんて思える人もいなかった。
「でも昨日……誕生日まで忘れられて、彼の家に一人でいた時、わたしって、この人のなんなんだろうって、思っちゃったんだよね」
「………」
「彼女って、たまにご飯だけ作りに行って、部屋を掃除する人のことじゃないよね」
「うん。当たり前じゃん」
「ならわたしって、この人のなんなんだろうって……考えてる時点で、なんか……もう、ダメなのかな、」
本当は、こんな話をするつもりじゃなかった。
せっかくのイタリアンだし、今日くらいは楽しもうと思っていたのに。
一度口から出てしまった本音は、取り消せない。
「………ほんと、何で好きなんだろ……っ」
自分でも、よく分からない。
けれど、好きなことに変わりはない。
一方通行な自分の気持ちが、悲しくて。悔しくて。泣きたくなった。
「りお」
「……なに」
「一日遅いし、ほんとはもっと後にしようと思ったんだけど、」
言葉の途中で、チラリとわたしの奥を見た平野が、誰かに向けてうなずいた。
意味も分からず、ただ曖昧に笑うだけの平野に首をかしげると、後ろから、失礼します、という声とともに、ウエイターがやって来る。
「お誕生日、おめでとうございます」
「え………」
大きなプレートに、Happy Birthdayの文字。
そして、その横には、わたしの大好きなキャラクターの絵。
「なに、これ………」
「何って、誕生日プレゼントだよ」
「、なんで……」
「ただの同期がこんなことしたら迷惑?」
「え……」
「少なくとも、俺にとってお前は、ちゃんと誕生日くらい祝ってあげたいと思う相手だよ」
「、っ」
「一日遅いけど、誕生日おめでとう」
プレートのケーキに刺さった小さな花火が、パチパチと音を立てる。
それに気付いた近くのお客さんが、一緒におめでとう、と拍手をしてくれた。
「っ…ひらのぉ……」
「あははっ、泣くなよー」
余りにも突然のことで、感情が追いつかず泣き出すわたしに、平野はただ笑うだけだった。