ゆうた。
なんとか呟こうとしたその名前が、大きな着信音に遮られた。
それと同時に、運転席と助手席の間のドリンクホルダーで、ピカピカの光る優太のスマホ。
普段鞄を持たない彼が、スマホをそこに入れるから、運転中は、着信がある度に、わたしがそれを確認していた。
「………出ていいよ」
「りおっ、これは違うから、!」
「わたし、今日は少し飲み過ぎて疲れただけだから。酔い覚ましがてら、歩いて帰る」
「ダメだってそんなの!危ねぇだろ!」
「大丈夫だから」
「大丈夫じゃねぇって!」
「電話出なよ」
「今そんなことどうでもいいから、」
鳴り続けるスマホに、知らない女の人の名前。
優太にだって付き合いがある。
それだけで全部決め付けようなんて思ってない。
ただ今のわたしには、少しキツかっただけ。
「お願いだから、今日は一人にして」
「最悪その言葉聞くにしても、降ろすのは無理」
「………なら早く帰りたい」
「分かった、」
渋々車を走らせた優太が、わたしの自宅方面にハンドルを切る。
元々静かだった車内は、お互いが黙り込んだことでさらに静けさを増し、気まずさを誤魔化す為、わたしはずっと窓の外を見つめていた。
家まであと数分。見慣れた近所の景色が流れるようになって来た頃。今度は、わたしのスマホが音を立てた。
「出て大丈夫だよ」
「いい、」
電話の相手は、平野紫耀。
このタイミングで、一体何の用かは分からないが、どうせすぐに切れるだろうと思っていたそれは、いつまで経っても切れないどころか、一度切れた着信の後、間髪入れずに次の着信が鳴り響き、仕方なく応答ボタンをタップした。
「はい、」
『あ、りお。ごめん、俺さっき相当酔ってたみたいで……今、廉に怒られてちょっと冷静になったとこ、』
「そっか。わたしは大丈夫だから気にしないで。体調は?平気?」
『うん、なんともないよ』
「なら良かった」
電話の向こうで、小さく息を吐くような音が聞こえて、こちらにもその緊張が伝わった。
「ふふ、ちょっと落ち込んでる?」
『まあ……だいぶ暴走しちゃったっていうか、やり過ぎたかなって、』
「そっか。気にしてくれてありがとう。でも大丈夫だから、心配しないで」
『それは無理』
「相変わらず優しいね」
どんなに平野が心配してくれたって、何も困るような事はなかった。
だから心配いらないよ。そう伝えて、すぐに電話を切ることも出来たはずなのに。
なんとなく、今はそれをしたくなかった。
『多分、大丈夫じゃないよね』
「そんなことないよ」
『嘘だ。声が落ち込んでるもん。飲み会行く前は、もっと元気だった』
「そっか。自分じゃよく分かんないや」
『………もう、家着いた?』
「ううん、」
『え、?!じゃあ彼氏と一緒?』
「うん。今隣にいるよ」
『はぇっ??!』
「ふふ、何その驚き方、」
電話越しでも分かるほど、一気に裏返った声に笑ってしまう。
ほんの数秒前まで、あんなに落ち込んでいたのに。
『えっと……大丈夫なの?』
「うん。大丈夫なの」
『でも今、隣にいるんなら、』
「切らないで」
『え、』
「お願い、」
一人にしないで。
危うく口から出そうになったその言葉を、なんとか堪え、黙り込む。
電話に出てから、わたしは平野の名前を呼んでいない。
スマホのディスプレイだって、運転中だった優太には見えていない。
『りお、あのさ、』
「ごめん」
「え、」
このくらい大丈夫。
油断していたわたしの意識が、電話の向こうに向いた瞬間。横から伸びて来た手に、持っていたスマホを奪い取られた。
「ゆう、」
「………」
「っ、……ん、!?」
どうしたの。
そう問い掛ける間も無く、塞がれた唇に目を見開く。
訳も分からず抵抗しようとすれば、その腕も掴まれ、あっという間に動きを封じられた。
「……んっ、……っ、」
「………」
いつもとは違う。
彼らしくない強引な口付けに、体が強張る。
その間にも、ぼんやりと霞む思考の中で、聞こえた声に、頭が真っ白になった。
『…………りお、?』
「、…!」
「………」
「……っ、!……んっ、」
奪われたスマホは、彼の手に収まったまま。
平野との通話は切れておらず、こちらの声は筒抜けだった。
「っやだ……!」
「、っ……ゆうた、はなし……」
「………」
「…!いや、ッ」
平野には聞かれたくない。
こんな状況、知られたくない。
『りおっ、?』
「……ッ、ん……っは、……ひら、」
「………」
お願い。
電話を切って。
この不自由な状況で、なんとか身をよじろうと力を込めるも、押さえつけられた腕はピクリとも動かず。
それどころか、重ねられた唇から強引に割って入ろうとする舌で、思うように言葉を発することも出来なくなった。
「りお、」
「……は、ッん……待っ……ゆう、」
「……」
「ゃっ……!」
怖い。
唇から離れた舌でペロリと耳たぶを舐め上げられるのと同時に、着ていたシャツの隙間から彼の手が入り込む。
やめてほしいのに、やめてもらえない。
まるで、こちらのことなど見えていないような、強引なその行為に、じわりと視界が滲んで声が出なくなるのを感じた。
「………っ、」
きっと、平野は彼女にこんなことしないんだろうな。
遠くで、ぼんやり聞こえる彼の声に耳をすましながら、目尻を通る濡れた感触に目を閉じた。