プロローグ

「名前頼む!しばらく晩メシを作ってくれないか!!」

そう言って、バッと勢いよく頭を下げた一郎に、私は面食らいぱちぱちと数度瞬きをした。
事の起こりはつい数分前。実家から送られてきた大量の野菜をお裾分けしようと、隣の山田家を私が訪れたことだ。
インターホンを受けて出てきた一郎からなんとなく慌ただしげな空気を感じ取り、私は一郎の様子を窺いつつ口を開いた。

「えーっと、もしかして今忙しかった?」
「いや、大丈夫だ。上がってくか?」
「ううん、ここで大丈夫。野菜がたくさん届いたからお裾分けに来ただけだし」
「おお!サンキュ」

手に持っていたビニール袋を掲げて見せると、一郎は嬉しそうに笑った。けれど、その笑顔は直ぐに翳ってしまう。
その変化に私は首を傾げた。

「どうしたの?もしかして嫌いな野菜だった?」
「いや、違ぇよ。…実は最近依頼が立て込んでてロクにメシを作る時間も取れねぇんだよ」

依頼があるのはありがてぇんだがな、と続ける一郎の顔には疲労の色が浮かんでいる。

「じゃあ今はどうしてるの?」
「総菜買ってなんとかしてる…が、どうしてもワンパターンになるし財布にも痛くてな…」
「ああー…」

食べ盛りの男三人全員が満足できるほどとなれば、総菜を買うのも馬鹿にならない値段だろう。それに、総菜の種類も別に豊富というわけではない。
どれぐらいの期間、夕飯を作れていないのかはわからないが、そろそろレパートリーに限界が見えてくる頃合いだろう。近場のスーパーの総菜売り場を思い出し、簡単に計算してみて、思わず顔をしかめた。これは確かに、頭の痛くなるような問題だ。
はあ、と一郎は重い溜息を一つ吐くと、気分を変えるかのように明るい声を出す。

「まあとにかく!これはありがたく貰っとく」
「うん、あれだったら作り置きの良さげなレシピとか探しとくよ」
「マジか!?助かるぜ! …っつーか、そういえば、名前は料理できんだっけ?」
「んー、まあ自炊してるし人並みには?」
「そうか、…そうか……いっそのことこいつに…いやでも手間かけちまうのもな……」

少しでも何かの役に立てればと思ってそう提案すると、一郎は顎に手をあてると何事かを考え始めた。一体どうしたんだろう、わけもわからず置いてけぼり状態の私を他所に、しばらくうんうんと一郎は唸っていたが、そろそろ野菜を持つ手が痛くなってきたなと私が考え始めたころにようやく、意を決したように口を開いた。

「あのよ、嫌だったら全然断ってくれてもいいんだが」
「え、突然改まって一体なに?」

――そして、話は冒頭に戻る。


「報酬はもちろん出す!俺たちを助けると思って、頼まれてくれねぇか…!」
「いいよ、お隣さんのよしみだし。困ったときはお互い様だし」

これまでにも、山田家がご近所に引っ越してきて以来、機械類の設定やらちょっとした力仕事やらで何かとお世話になっている身だ。どうせ自分の分の夕飯を作るのだから、それなら数人分一緒につくるのも手間はそんなに変わらない。
そう思い快諾すると、一郎の顔にぱあっと喜色が広がっていった。

「っしゃ!マジで助かる、恩に着るぜ!」
「いっても、味にあんまり期待されても困るけど…」
「いやいや、総菜じゃねえってだけで十分だぜ。この際味は二の次だしな」
「あれ?私馬鹿にされてない?やっぱ断ろうかなこの話」
「ははっ、悪ぃ、冗談だよ」
「もう!今度そんなこと言ったら一郎だけ肉抜きにするからね」
「は!?いやいやそれは勘弁してくれ…!」
「なーんて、冗談よ冗談」
「は、やりやがったな…!」

お互いに冗談を言い合って、けらけらと笑い合う。
一頻りそうした後で、一郎はすっと私に手を差し出した。

「じゃあ、早速だが明日からよろしく頼んでいいか?」
「うん、了解。頼まれました」
「うし、契約成立だな!」

その手を握り返すと、にっかりと眩いばかりの笑顔が向けられる。
こうして、私と山田家の夕食会が幕を開けるのだった。

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