1品目 ミルフィーユ鍋

「いらっしゃいませ名前さん。いち兄から話は聞いてます、しばらくの間、宜しくお願いします」

そういって、三郎くんは深々と頭を下げた。相変わらず礼儀正しい子だなあと感心しつつ、こちらこそ、と私もそれに応える。

「ご存知とは思いますが…台所はこっちです。あ、荷物もらいますね」

私がそれに返事をするよりも早く、三郎くんが私の手からスーパーの袋を取り上げた。
そのまま私を先導して台所へ入ると、テーブルの上にそれを置いて、「出してもいいですか?」と聞いてくる。

「うん、いいよ」

その中身はここに来る前に買ってきた今日の食材なのでなんの問題もない。
豚バラ肉、人参、餃子の皮、それと安かったのでついでに買った卵。これと、昨日私がお裾分けに持ってきた白菜とネギ。
昨日のうちに一郎に冷蔵庫の中身は聞いていたので、無駄な買い物はせずに済んだはずだ。
食材達をずらりとテーブルに並べ、それから三郎くんは私に台所の説明を始めた。
包丁はここ、鍋類はここで、調味料とかはここに入ってます。三郎くんがテキパキと教えてくれたおかげで、慣れない台所でも戸惑うことはないだろう。
それにしても、まだ中学生だというのに何から何まで気が付いて、本当にしっかりとしている。
自分が同じぐらいの年だったときはどうだっただろう、と比べてみるとさらにそれが強調される気がして、私は三郎くんをじっと見つめた。

「どうしました?」
「いや、三郎くんはしっかりしててえらいなあと思って」
「そうですか?有難うございます…!」

思ったままを伝えると嬉しそうにしてくれたので、そのままよしよし、と頭を撫でる。
「子ども扱いはやめてください…!」といいつつも満更でもなさそうで、年相応な部分もあることに少し安心した。


「よし、じゃあ作りますか!」
「僕もお手伝いします」
「え?いやいやそれはいいよ!私が頼まれたことなんだし、三郎くんはゆっくりしてて」
「そんなわけにはいきません…!元をたどれば僕たちがもっとしっかりしていれば名前さんのお手を煩わせることもなかったわけだし…これぐらいはさせてください」
「私は私で食費が浮いて助かるから全然気にしなくていいんだけど…」

食費が浮く、というのは今回の報酬のことだ。一郎は初め現金を払うと言っていたのだが、プロでもない人間の料理にそこまでしてもらうわけにはいかないので辞退しようとして、報酬を渡すつもりの一郎と私の間でひと悶着の末に、私の分も一緒に料理も作ってみんなで食べるということでなんとか決着をつけた。

「いえ、名前さんに夕飯を作らせておいて自分もしなかったなので、いち兄に知られたら怒られます。僕のためだと思って、手伝わせてください」
「そこまで言うなら…、じゃあお願い」
「はい!…あ、でもそんなに料理ができるわけではないので…簡単なことならなんとか」
「ふふ、了解」

あくまで自分のため、というスタンスで私に罪悪感を与えない言葉選びはさすがに三郎くんといったところか。
それならば、拒否するのもそれはそれで悪いだろう。私は三郎くんの提案を受け入れた。

「ちなみに二郎は僕以上に役に立たないので、あいつには期待はしないでおいて下さい」

ついでとばかりに添えられた情報に笑いが漏れる。確かに、二郎くんはどちらかといえば食べ専のようなイメージが強い。
学生なら調理実習なんかもありそうだが、ああいうものは大体料理上手な子がメインで行ってしまって他は本当にただの手伝いしかしないなんてこともざらだ。
家に帰れば、料理に限らず家事雑事なんでもござれな一郎がいるのだから、料理スキルを磨く必要もないだろう。それはそれで珍しいことでもない。

「ところで、今日は何を作るんですか?」
「今日は白菜と豚肉のミルフィーユ鍋だよ」
「ああ、CMで見たことあります」
「最近よく見るよね」

そんなことを話しながら、下準備を始める。

「じゃあまずは白菜を準備…とその前に、みんなどれぐらい食べる?一応シメに雑炊も作るつもりなんだけど」
「うーん…、それなりに食べられるとは思います」
「多めに作っておいてもいっか」

男兄弟のいない私に、男3兄弟がどれほど食べるものか想像するのは難しい。今回のために預かった山田家の家計簿の食費の欄を参考に食材の用意はしたものの、私の基準からすれば多すぎる量を作ることにひとかどの不安もなくはない。
とはいえ、少ないよりは多いに越したことはないし、最悪残ったらラップをして冷蔵庫にでも入れておれば、誰かがレンチンして食べるだろう。
そう思い直して、私は作れる限りの量を作ることに決めた。
ちなみに、余談ではあるが山田家のひと月の食費を見てエンゲル係数の高さにめちゃくちゃ慄いたのは言うまでもない。成長期の男子怖い。



「というわけで、まずは白菜を洗いまーす。白菜は…一玉は流石に大きすぎるから半分にしようかな」

ざっくりと半分に分けた白菜の根本を切って、三郎くんに渡す。

「これ、1枚ずつはがして洗ってくれる?」
「はい!」

三郎くんがべりべりと白菜を剥いて洗っていく間に、私はネギと皮をむいた人参を薄切りにしていった。トントントンと包丁がリズミカルにまな板を叩く。
1本丸々を切り終えて、ふと隣をみると三郎くんが私の手元を熱心に見つめていた。

「名前さんは料理上手なんですね」
「え、そう?」
「はい、慣れている感じがします」
「それは嬉しいなあ」

尊敬のまなざしで見つめられて、照れつつも頬が緩んでしまう。そんな私とは対照的に、三郎くんはしゅんと肩を落とした。

「僕も早く、そんな風に料理ができるようになって、いち兄の助けになりたいです…」
「私も最初はぜんぜん出来なかったし、少しずつ慣れていけばいいと思うけど…。私が作る間は、一緒に練習しようか」
「いいんですか?」
「うん、勿論」
「じゃあ、名前さんのご負担にならないのなら、ぜひ、お願いします!」
「喜んで!」

ぱああっと三郎くんの表情が明るくなった。そんなことでここまで喜んでくれるならお安い御用だ。

「洗い終わりました!」

ざるに上げられた白菜を三郎くんから受け取ると、私は豚肉のパックと餃子の皮を手に取った。

「はい、じゃあこれをひたすら重ねていきます」
「これも入れるんですか?」

CMでは白菜と豚肉だけでしたけど、と人参と餃子の皮を指して三郎くんが問う。

「うん、人によるとは思うけど私は入れた方が好きだなー。彩りも出るし、食感も変わって面白いし。後はチーズとか入れても美味しいと思う」
「チーズ、良いですね!」
「美味しいよねぇ。今度作るときは用意しよっか」

そんな話をしながら、手は休まずに白菜と人参、豚肉、餃子の皮を重ねていく。ある程度重ねたらまた新しい束を作ることを繰り返し、すべてを重ね終えたらあとは適度な大きさに切るだけだ。

「じゃあ、切ってみようか」
「はい!どれぐらいの大きさが良いですか?」
「だいたい5センチぐらいかな」

包丁を手に持った三郎くんは緊張した様子で、白菜を切り始めた。ざく、ざく、ざく。ゆっくりながらも丁寧に、白菜が切り分けられていく。
こういうところに性格ってでるよなあと考えながら、それを微笑ましく見守った。
さて、ここまでくればあとはもう出汁や調味料を入れた土鍋で煮るだけだ。あともう一息、というところでガチャン、と玄関のドアが開く音が聞こえてくる。
「ただいまー!」と元気な声がして、続けて、バタバタと騒がしい足音とともに台所に顔を出したのは二郎くんだった。

「やっぱりもう来てたか…!名前さん、遅くなってスイマセン!」
「ううん、全然大丈夫だよ。お帰り二郎くん」
「っス、ただいまです」
「遅かったな二郎。残念だがお前の出番はもうない。そこでおとなしくしてるんだな…!」
「ハァ!?俺だってなんか手伝うっつーの!……まだやることありますよね?」
「うんうん、心配しなくてもまだ作業は残ってるよ。あとホコリたつから喧嘩はやめといてね。二郎くん、手を洗ってきたら土鍋を出してくれる?」
「はい!」

良いお返事を残し、二郎くんが洗面所へと消える。その背を見送り、三郎くんは不満げに口を尖らせた。

「あんな低能に手伝わせなくても、僕一人で大丈夫ですよ」
「まあまあ、皆で作った方がきっと美味しいよ?それに一郎だってそっちのが喜ぶんじゃないかな」
「んん…そうですかね」

一郎の名前を出されてはそれ以上強くでることもできず、渋々といった様子で三郎くんは顎を引いた。

「戻りました!土鍋だしますね」
「うん、よろしく」

洗面所から戻ってきた二郎くんが、戸棚から土鍋を取り出す。それに、先ほど切った白菜たちを、外側から円を描くように並べていった。浸る程度に水をいれ、顆粒出汁と醤油、日本酒をそれぞれ適量加えて、白菜の上にこれでもかとネギを乗せる。

「じゃああとは蓋をして、吹きこぼさないようにしつつ煮るだけです」

コンロに土鍋をセットして、火にかける。この隙に洗い物を、と使い終えた包丁たちに手を伸ばそうとしたら、それは俺がやります、と二郎くんに奪われてしまった。

「いいの?」
「俺、今日はあんま手伝えなかったんでこれぐらいは」
「確かに、居ても居なくても別に変わりはないといっても過言じゃなかったな」
「三郎、テメェは一々口出してくんじゃねーよ」
「はあ?本当のこと言われたからってムキになるなよ」
「喧嘩しないの!じゃあ二郎くん、洗い物頼むね。私たちはリビングに行ってるから」

またバチバチやりはじめた二郎くんと三郎くんを引き剥がし、私はぐいぐい三郎くんを押しながら台所を後にした。
この二人、いちいち喧嘩しないと会話できないんだろうか。これからもずっとこの調子だとかなり先が思いやられるぞ…と私は内心頭を抱えた。二人が喧嘩しないような何か良い方法を考えておこう、そう心に誓う。
リビングに付き、適当に座りながらスマホを取り出すと、メッセージの着信を知らせるようにチカチカとランプが光っている。開いて見ると一郎からで、「依頼終わった、今から帰る!」という文面と共にダッシュしているキャラクターのスタンプが送られてきていた。

「一郎、今から帰るって」
「! いち兄、ご飯に間に合いますかね?」
「うーん、どこで仕事してるかにもよるけど、多分帰る頃にはちょうど良い感じに煮えてるんじゃないかな。大丈夫、皆で食べられるよ」
「へへ、良かったです」

今日一番の笑顔を見せた三郎くんに、私の顔も思わず綻ぶ。洗い物を終え、リビングに来た二郎くんにも同じ事を伝えると、三郎くんと同じような反応が返ってきた。二人とも、一郎が大好きなあたりは本当によく似ていると思ったが、それを口にするとまた喧嘩が始まりそうだったので私の心にとどめておくだけにしておいた。台所から、ふわりと出汁の良い匂いが漂ってきて、空腹を刺激する。一郎が帰るまでこれに耐えつづけることになるのだから、帰りが待ち遠しくて堪らなかった。


「旨そうな匂いだな!」

帰ってくるなり開口一番、一郎はそう言った。

「おかえりー、待ってたよ」
「いち兄、おかえりなさい!」
「おかえり、兄ちゃん!」
「おう、ただいま」
「ご飯の用意出来てるから、手を洗ったら一緒に食べよ」

ぐつぐつと煮えた土鍋をコンロから食卓へ移し、それぞれの食器もスタンバイ済み。あとは皆が席につくのを待つばかりだ。
一郎が戻ってきたのを待ってから、ついに土鍋の蓋をとる。途端にふわりと湯気が漂って、良い匂いが更に強くなり、「わあ…!」と誰からともなく小さな歓声が上がった。

「おお、めちゃくちゃ旨そうじゃねーか…!」
「さっき味見したけど、味もちゃんと出来たと思うよ」
「ありがとな、名前。作るの大変じゃなかったか?」
「二人とも手伝ってくれたし、全然平気」
「おっ、二郎も三郎も偉いな!」

一郎に褒められ、二郎くんも三郎くんもこれ以上ないほどに嬉しそうだ。
初めから手伝っていた三郎くんがこんなことをしたんですよ、と報告すると、負けじと二郎くんも俺だって!と会話に入っていく。
話の腰を折られた三郎くんが、はん、と鼻で笑った。

「小学生でもできるような手伝いしかしてないくせにそこまで偉そうにできるなんて、逆に尊敬に値するよ」
「あ゛ァ?三郎テメェさっきからやけに突っかかってくんじゃねーか」
「僕に比べれば微々たる程度しか働いてない奴がいっぱしの顔してるのが気にくわないんだよ」
「今回はタイミング悪かっただけだろーがよ!俺だって最初からいればもっと役にたってたっつーの!」
「どうだか!低能のお前にできることなんてせめて迷惑をかけないようにおとなしくしてることぐらいだろ」

次第にヒートアップし始めた口論に、そろそろ止めに入ろうかと私が口を開くよりも早く、一郎の拳骨が二人の頭を襲った。

「おいおい、今からメシってときに喧嘩してんじゃねーよ」
「うっ……ごめんなさい、いち兄」
「ごめんよ兄ちゃん…」
「謝んのは俺じゃなくて名前に、だろ」

突然話を振られ、二人から「名前さん、すみません」「うう…ごめんよ名前さん」と頭を下げられて、私は慌てて手を振った。

「ううん、私はきにしてないから!それよりほら、早く食べよ!」

少し暗くなった雰囲気を払拭するように、殊更明るい声をだして、鍋の中身をそれぞれによそっていく。
全員に行き渡らせたところで、私はぐるりと辺りを見回した。

「さて、じゃあ誰が言うの?」
「それはもちろん、名前だろ」
「えっ、一郎じゃなくて?」
「作ったのは名前じゃねーか。なあ、二郎、三郎」
「うん。ほら名前さん早く!」
「僕もうお腹空いちゃいました」

三人分の期待を視線を向けられる。私はこほんと咳払いをすると、両手を合わせた。

「それでは、いただきます!」
「「「いただきます!」」」

全員の声が合わさって、空気が震える。揃って箸を手に取り、手元のお椀へと伸ばした。
くたくたに煮られ柔らかくなった白菜と人参の甘味に、豚肉がしっかりと合わさっている。
出汁と醤油と酒というシンプルな味付けなのに、野菜と肉のエキスが溶けだしたスープをたっぷりと吸った、餃子の皮がつるりと喉を滑り落ちると、旨味が口と喉全体に広がっていく。

「うめぇ…!」
「やべぇ、めちゃくちゃ旨い…!」
「本当に、すごく美味しいです…!」
「えへへ、お粗末様です」

三人から手放しでそう言われ、嬉しいような恥ずかしいような、むずむずする感覚が広がる。
「お世辞だとしても嬉しいよ」と謙遜すると、「いや、マジだって!」と念を押された。
実際言われなくても、三人の食べるペースを見ていれば本気でそう言っていることは一目瞭然で、作り手冥利につきるとはまさにこの事だ。
食べながら、誰からともなく今日の出来事や他愛もない話を始める。四人もいれば話題は尽きることはなく、団らんは和やかに続いていく。
彼ら三人にはおそらくいつもの日常なのだろうけど、一人暮らしの私からすればそれはとても懐かしい空気だった。
一人ならば味気ないだけの食事も、誰かが共にいるだけで全く別物に変わるのだから、人間とは不思議な物だ。
思いがけなく始まった夕食会だが、これから夕飯時が楽しくなりそうだ。
うきうきとした気分が膨らんでいって、くすくす笑いを漏らすと、それを聞きつけた一郎が食べる手を止めて尋ねてくる。

「楽しそうだな、なんかあったのか?」
「みんなが美味しそうに食べてくれるのが嬉しいだけ!」

さあ、次は何を作ろうか!

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