6品目 土鍋プリン

今日の晩御飯は、安売りしていた卵を使ったオムライスだった。
一郎の希望で、最近主流になりつつあるとろとろの方ではなく、しっかり焼かれた薄い皮で包んだ昔ながらのタイプの方だ。
実は包まずに上から焼いた卵をかぶせればいいだけの分、とろとろの方が難易度は低いのだけれど、出資者の意向ならば仕方ない。
オムライスの中身はボリュームを足すため大き目にきった鶏肉と玉ねぎや人参、グリンピースにピーマン、マッシュルームなんかもいれた具沢山のチキンライス。
ブロッコリーのポタージュスープとジャーマンポテトも一緒に作ってボリュームも満点な献立だ。
オムライスを包むのはあまり得意ではなかったけれど、二郎くんと三郎くんに応援されながらどうにかこうにか破くことなく作り上げて、渾身の出来のそれにケチャップで思い思いの文字を書いたりして、いつものように賑やかな食事は恙なく終わり、後片付けも済ませてから、私は食事中に一郎が言っていたことを思い出して問いかけた。

「一郎はこれからまだ仕事があるんだっけ?」
「仕事つっても事務所でちょっと作業するだけだけどな」
「そっか…私明日遅いから、この前三郎くんが買ったっていうゲーム出来るかなと思ったけど。そういうことなら今日は帰ろうかな」
「ああ、あれか。三郎も楽しみにしてたし、別に俺に遠慮しなくてもいいんだぞ?」
「ううん、邪魔したら悪いし、それに一郎が仕事してんのに遊ぶのは三郎くんも二郎くんも嫌でしょ。焦らなくてもいつでもできるし、みんな揃ったときにしようよ」

そう言うと一郎も確かにそれもそうだな、と頷く。

「じゃあ帰るね」
「おう、今日もありがとな!」
「どういたしまして、また明日」

二郎くんと三郎くんにも、また明日と声をかけ、私は山田家の玄関を後にする。
これも毎回の事になるが、出る際に送ろうかと提案されたけれど、謹んで遠慮しておいた。
夜道と言っても街灯だってあるし、何よりほんの少しの距離、せいぜい数十歩を歩くだけなのにみんなの手を煩わせるのは申し訳ない。
もう少し遅い時間だと、たぶん有無を言わさず誰かが一緒に来たのだろうけど、外はまだ薄暗い程度だったのでギリギリ許容ラインだったのだろう。
「ただいまー」と言いながら我が家の玄関を開けた。
今まで明るく賑やかなところにいたせいで、しんと静まり返った家に帰るといつも少しだけ寂しい気持ちになってしまう。
そんな気持ちを振り払うように首を振り、私は靴を脱いで家に上がると、居間の電気のスイッチを押し――いつもならばぱっと明るくなるはずの室内は、真っ暗なままだった。

「あれ?」

パチパチと、何度かスイッチを押しなおすが、それでも照明は変わりない。電球が切れたのかとも思ったけれど、つい一か月ほど前に変えたばかりだったことを思い出して、違うなと否定した。

「えー…ちょっと待って」

独り言をつぶやきつつ、バッグからスマホを取り出す。とにかく、光がないことにはどうしようもない。
スマホのバックライトで辺りを照らしながら、私はブレーカーを見るために玄関へと戻った。上の方にある配電盤にライトを向ける。

「んん?」

てっきり落ちていると思ったスイッチは上がったままで、つまりブレーカーが落ちて停電しているわけではないということだ。試しに数度上げ下げしてみたが結果は変わらない。
――これは困った。ブレーカー程度なら私でもどうにかなるけれど、それ以外となるともうお手上げだ。
どうしよう、と考えて思い付いたのはつい先ほどまで一緒に居た隣人の姿だった。
仕事上こういった事態の経験もあるだろうし、一郎ならなんとかしてくれるだろう。そうと決まれば早速行動だ。
なにせ、スマホの明かりだけが頼りの暗い玄関は、先程まで引きずっていた寂しい気分を増長させて、それこそ十数年間暮らして慣れ親しんだ場所のはずなのに、なんだかとても落ち着かない。
じわりと這い寄る不安を断ち切るようにさっき脱いだ靴をもう一度履きなおして、玄関の扉を開く。
そういえば一郎はまだ仕事が残っていると言っていたし、頼りにしてしまったら迷惑なんじゃないだろうか。
そんな考えが一瞬頭をよぎったけれど、私の知っている一郎なら困っているときに頼らなければ『頼られなかった自分』を不甲斐なく思うはずだ、多分、恐らく、きっと。随分自分に都合の良い解釈をしているような気もするけど、私は私の見てきた一郎を信じよう。…最悪、依頼という形にすれば許される気がするし。
というわけで、つい先ほど歩いてきた道を反対向きに歩いてとんぼ返る。そして、いつもの玄関ではなく、『萬屋ヤマダ』と書かれた札のついた、事務所に繋がる扉へと向かった。
磨りガラス越しに光が見えて、一郎がここにいることがわかる。
「ごめんください」と声をかけ中に入ると、奥のデスクでなにやら作業をしていた一郎が顔を上げ、驚いたように私を見た。

「どうしたんだ、なんか忘れ物か?」
「違うの、仕事中に申し訳ないんだけど今大丈夫?」
「別にいいぜ」

動かしていた手を止めて、一郎が立ち上がる。
仕事を中断させてしまったにも関わらず、気持ちが良いほどの快諾っぷりに一郎の背中から後光が見えた気がした。

「なんか家の電気がつかなくて…でもブレーカー落ちてる訳じゃないっぽくて…見てもらってもいいかな」
「電気?」
「うん」
「ちょっと待ってろ」

私の言葉を聞いた一郎が、ごそごそと棚を探って懐中電灯を取り出す。
流石、察しが良いというか用意が早いというか。私がいうまでもなく光源の確保をしてから、一郎は「じゃあ行くか」と先に立って歩き出す。
そして今度は一郎を伴って、本日2度目の帰路を辿った。


「あー…これは……」
「難しそう…?」

配電盤を一目見たときから何やら難しそうな顔をしていた一郎は、私には何をやっているのかさっぱり分からないものの、スイッチを弄ったりカバーを外してみたりしたあとで、困ったような声を上げる。
その手元を懐中電灯で照らしながら私が聞くと、振り返って答えてくれた。

「ヒューズが切れてる」
「つまり?」
「素人じゃ対応できねぇ。業者に連絡するしかないな」
「マジか…」

一郎の言葉にがっくりと肩を落とす。慰めるかのように一郎が私の肩をぽんと叩いた。

「まあ、素人には無理ってだけで業者ならすぐに直せるから、今日…はもう時間もあれか。明日、朝イチで連絡しろよ」
「分かった、そうする」

一郎がそう言うならそうなんだろう。少なくとも重大な故障でなくて良かったと自分を慰めつつ素直に頷く。
今日1日だけなら友人をあたれば泊めてもらえるだろうし、最悪、この懐中電灯を貸してもらって、最低限の身支度を済ませて寝てしまえばいいわけだから、幾分と気持ちは楽だ。
そうと決まれば善は急げ。皆が寝る前に連絡をとらないと。
そう考えてスマホを取り出した私に降ってきたのは天からの助けの声、もとい、一郎からの有難い提案だった。

「今日はウチに泊まるか?」
「えっいいの?迷惑じゃない?」
「んなもん今更気にすんな」
「うう…すっごく助かる、ありがとう」
「気にすんなって。用意とかあるだろ、その懐中電灯使ってっていいぜ」

何から何まで本当に有難いけれど、そうすると一郎が暗い中一人になってしまう。
そう思って大丈夫かと問うと、スマホもあるし、別に平気だぜ。となんとも頼もしい答えが返ってきた。
なので、お言葉に甘えて懐中電灯を借り、部屋の中へと入る。
待たせてしまっているのだからなるべく迅速に、最低限必要な着替えだったりお風呂セットだったりを準備して、ばたばたと慌ただしく玄関に戻ると、一郎は器用に片手で手元を照らしながら再び配電盤を弄っていた。

「なにしてるの?」
「ん? ああ、ダメになってんの照明関係だけみたいなんだよ。冷蔵庫とか、出来るなら電気通しときたいだろ」
「えっそんなこと出来るの!?」
「出来るぜ」
「神かな??」

冗談ではなく、わりと真面目に神様仏様一郎様という気持ちだ。
一応先ほど、お泊まり準備ついでに確認したときはまだ冷気が残っていたものの、腐りやすい季節ではないにしろ、それでも一晩で冷蔵庫の中身は全滅だろうと覚悟していたのだ。
唯一の救いがあるとすれば、最近は山田家での夕飯が主だったからたいしたほどの量ではなかったと自分を慰める心の用意すらしていたのに。もう本当に、今後絶対に山田家には足を向けて寝られない。
そんな話を感謝の気持ちとともに伝えると、大げさすぎんだろ、と一郎に笑われてしまった。


帰ったはずの私が戻ってきたと思ったら今度は一郎と連れだって出ていき、そしてまた二人で戻ってくる、と、短時間で出たり入ったりを繰り返したこともあってか、家に居た二郎くんと三郎くんは何かあったのかと心配していたらしい。
帰るなりお出迎えをされてしまったので、これこれこういうわけで、と状況を説明する。

「というわけで、一晩お世話になります」

頭を下げると二人とも「名前さんなら全然大丈夫っスよ」「はい、一名ほど騒がしいのが居ますが、気にせずゆっくりしていって下さい」と快く受け入れてくれた。
本当に3人そろって優しすぎる…この兄弟がお隣さんで本当に良かった。
ちなみにその後「あ?一名って誰のことだよ」「お前以外に誰がいるんだよ」という流れでいつものやり取りが始まってしまい一郎に叱られていたことは言うまでもない。ううん、これさえなければもっと良いんだけど、とは、お世話になる手前で口が裂けても言えなかった。
まだもう少しだけ仕事が残っているという一郎は事務所に戻る。その寸前に「早めに風呂入っとけよー」と言われ、残された私たちは互いに顔を見合わせた。

「どうする?」
「えーと、俺らは後で適当に入るんで、先にどうぞ」
「お湯はもう張ってありますから」
「えっ、いや私は借りる立場だし最後でいいよ。二人からどうぞ」

当然私が最後だと思っていたら二人に先を譲られそうになり、慌てて辞退する。
けれど「いやいや、マジで遠慮しないでいいんで!」「こういうのはお客様から入るものでしょう?」と押し切られてしまい、なんだかんだと結局私が一番最初にお風呂を頂くことになってしまった。
本当にいいんだろうか、という気持ちはあるけれど、後で私が入るのを待っているというのは落ち着かないのかもしれないと思い直し、有難く好意を受け取ることにしよう。
それに、お風呂を上がったらやりたいこともあったので、ちょうど良いのかもしれない。
今まで何度もお邪魔してきた山田家だが、流石にお風呂を借りるのは初めてなので少しだけ緊張しつつ浴室の扉を開けた。

「おお…」

室内は思っていたよりかなり綺麗だった。そういえば、いつだったかお風呂掃除は三郎くんの担当だと聞いたことを思い出して、几帳面な彼のことだから毎度隅々まで洗っているのかな、なんてことを想像する。
シャンプーはあるけどトリートメントはなかったりだとか、メイク落としがない代わりに髭剃りが置いてあったりだとか、そんな当たり前の違いになんとも不思議な気持ちになって、近所のドラッグストアでよく見かける大容量のボディソープがドンと置かれてあるのが少し面白かった。
とはいえ、あまりじろじろと観察するのも良くないし、私の後ろがまだつかえているから長湯するわけにもいかない。というか、そもそも余所様のお風呂で自宅のように寛ぐほど図太い神経はしていない。
ぱぱっと手早く頭と身体を洗い、湯船で身体をほどほどに温めたら、早々にお風呂から上がる。人様に見られても恥ずかしくない程度のものを選んで持ってきた部屋着に着替えて、リビングに顔を出し「次どうぞー」と声をかけた。

「もう上がったんスか?」
「うん。三郎くんは部屋?」

私の声に反応したのはソファでスマホを弄っていた二郎くんだけで、三郎くんの姿はない。聞くと、宿題をしに部屋に戻ったのだという。
宿題か…こんな状況になってしまったし私は課題出てなくてよかったな、なんて思いつつなんとはなしに「二郎くんは宿題大丈夫?」と問いかけると「えっ、それは、まあ、…ぼちぼちは…?」とヤケに歯切れの悪い返事が返ってきた。
おっとこの反応、もしかしてもしかしなくても宿題が終わってないのでは?

「二郎くん?」
「…」
「…二郎くーん」
「……」
「あのさ、もし違ったら悪いんだけど」
「………」
「宿題、終わってなかったりしない?」
「…………す、少しだけ…」
「だろうね!」

まあ、反応からしてあまりにもバレバレである。
すすす、と二郎くんのそばに寄って顔を覗き込もうとするとものすごい勢いで明後日の方向へ逸らされてしまった。

「何が終わってないの?」
「す、数学…」
「おぅ…そっか…」

得意科目なら少しぐらい手伝ってあげられるかと思ったのだが、如何せん数学は私もあまり得意ではない。

「えっと、宿題はやっておいたほうがいいんじゃないかな。難しいならせめてできるとこまでとか」
「う゛……それはわかってんすけど」
「ほら、がんばれがんばれ!私いまからデザート作るからさ、それをご褒美と思って!」
「デザート!?」

その一言で二郎くんの目が輝く。二郎くん、結構甘いもの好きだからな。これが励みになるのなら私としてもうれしい限りである。

「…っし、風呂入ったら宿題やってきます!」

それだけに背中を押されたわけではないだろうけど、二郎くんは自分に気合を入れるかのように太ももを叩くと、ソファから立ち上がった。

「デザート、期待してるんで!」
「はーい、いってらっしゃい」

お風呂に向かった二郎くんを見送ってから、私は台所へと足を向けた。
食器棚の奥の奥、重箱だとかタコ焼き機だとか、そういう普段は使わない品々と一緒にしまい込まれていた、そこそこの重さの箱を引っ張り出す。
夏の間に散々お世話になったかき氷器をしまうときに、この箱を偶然見つけたときは使う機会はなさそうだなあなんて思ったけれど、まさかそれが役に立つ日がくるなんて。そんなことを考えながら、箱の中身をごとりとテーブルの上に出した。
使われた形跡の少ない、むしろ新品同様にすら見えるそれは、一人用の小さな土鍋だ。
3人家族の上に、全員で使う用の大きな土鍋は別にちゃんとあるので、なぜこれがこの家にあるのかは謎だけど(余談だが、一郎に聞いても誰かから貰ったとかじゃねえかなと首を傾げていたので本当に謎)封をしているわけでもないし台所にある調理器具の一切に使用許可がでているので、遠慮なく活用させてもらおうじゃないか。
土鍋とは別にボウルと小鍋を一つずつ用意して、冷蔵から卵と牛乳をとりだす。
卵、お一人様1パックまでだからと既に学校が終わっていた二郎くんと三郎くんにも協力してもらって3パック買ったのはやりすぎだっただろうか…と、冷蔵庫の中で積まれている姿を見て夕飯を作るときにはそう思ったりもしたけど、こんな風に何かと使う機会は多いのでやっぱり買っていて良かったなと思い直した。
戸棚から砂糖も出して、これで材料は準備完了だ。普段のお菓子作りのときは量りも使うけれど、今回はそれも必要ない。
砂糖は1カップでだいたい130gなので、ざっくり半分より少し少なめ程度に掬って小鍋に入れ、冷蔵庫から出した牛乳と一緒に弱火で人肌程度に温めながら砂糖を溶かしていく。
牛乳の膜が張らないように気を付けながら砂糖を溶かし終えたら、鍋を火から下ろした。
次にボウルに卵を割りいれて、泡だて器で割りほぐす。それに先ほどの牛乳をゆっくりと注ぎ入れて、しっかりとかき混ぜると、漉し器で漉しながら土鍋へ入れていった。
土鍋が卵色の液体でいっぱいに満たされたのを見て、これだけあれば充分だなと一人頷く。
足りなければ材料を足そうかとも思っていたけれど、それほど日持ちするものでもないし、作りすぎても逆に迷惑だろう。
だからこのぐらいで大丈夫…だよね。…たりる…よね……。みんなの普段の食事量を思い出して少し不安になりつつ、でも一応食事後だからと自分を納得させて、出したままだった食材を冷蔵庫にしまう。
さて、あとはこれを火にかけていくだけだけど、実はここからが一番大事な部分だったりするのだ。
土鍋をコンロの上にのせ、火をつけて弱めの中火に調整する。そして木べらを手にすると、中身をゆっくりとかき混ぜていく。
ここで気を付けなければいけないのは、かき混ぜる手を止めてはいけないということだ。
これをやめると火の入り方にムラができてしまって出来上がりが悪くなってしまう。
この作業自体は単純だけど、ずっと同じように手を動かしていなければいけないし、中身の状態にも気を付けなくてはいけないので、なかなかに気の抜けない作業なのである。

「何か作ってるんですか?」

そうして土鍋の中身をひたすらにかき混ぜていると、飲み物を取りに来たらしい三郎くんが、横からひょいと鍋をのぞき込んできた。

「そうだよー、なんだと思う?」

手を休めることなく聞き返すと、三郎君は少し考えてから首を傾げたままで口を開く。

「…プリン、ですか?」
「せいかーい!」

まあ、台所には甘い匂いが漂っているし、鍋の中身だってプリンの色をしているから少々簡単すぎる問題だったかもしれない。

「バケツプリンは聞いたことありましたけど、土鍋でも作れるものなんですね」
「うん、バケツプリンは多分ゼラチンで固めるやつだからこっちとはちょっと違うけどね。……バケツプリンか、それもいいなあ…」

感心したような、興味深そうな、そんな様子の三郎くんの疑問に答えつつ、バケツプリンに思いを馳せる。
作ったことはないけれどゼラチンで固めるのならこっちよりも簡単に作れるのかもしれない。
少し手間はかかるけどカスタードとチョコの2種類のプリン液を交互に固めてしましまにしたりしても楽しそうだ。
いやでも、もしかしたら固める時間が結構かかってしまうものなんだろうか。うーん…今度ちょっとレシピを調べてみよう。
そんなことを考えていると、三郎くんに「あの、名前さん?」と不思議そうに声をかけられてしまって、はっと我に返る。
危ない危ない、うっかり自分の世界にトリップするところだった。気を取り直して「なに?」と返事をする。

「何か僕に手伝えることはありますか?」
「え、三郎くん宿題やってたんじゃ?」
「そんなものすぐに終わりましたよ。僕はどこかの誰かとは違って有能なので!」
「おおー、えらいえらい」

ふふん、と三郎くんは得意げに胸を張った。
途中挟まれた二郎くんあたりに聞かれると喧嘩の発端にでもなりそうなフレーズはつっこむと藪蛇になりそうだったのでスルーしておいて、さて、何か手伝ってもらうことはあるだろうかと考える。
一応あとはカラメルを作らなければいけないと思っていたところではあるけれど、これはのちのち余熱でプリンに火を入れる段階になって初めても十分間に合うので、急ぎというわけではない。ないのだけれど…まあでも、うん、手伝おうというその気持ちを尊重させてもらうことにしようじゃないか。

「じゃあ、カラメルソースを作ってもらってもいい?私、今手が離せなくて」
「はい!任せてください!」

なんとも心強い返事に頬を緩ませつつ、必要な材料――といっても砂糖と水とお湯だけなんだけど――を伝える。
小鍋に分量分の砂糖とお水を入れてもらって、火にかけてもらう。
あとはカラメル色になるまで煮詰めて、ある程度煮詰まったらお湯を入れてのばすだけだ。
お湯は先にポットからだしてもらったので、焦げないように気を付ければ失敗することもないだろう。
「多少かき混ぜつつ、良い感じの色になるまでひたすら煮るだけだよ」と伝えてから「あ、でも周りの色が変わり始めたらそこからは結構すぐに焦げちゃうから気を付けてね」と思い出したことを付け加えた。それに頷いた三郎くんは真剣な面持ちでふつふつと泡をたてはじめた鍋の中身を注視している。
暫くもしないうちに、あたりにカラメルの甘くて良い匂いが立ち込め始めた。

「これ、まだ大丈夫ですか?」

三郎くんに声をかけられ鍋の中へ目を向けると、外側は茶色く色づいていたが中心はまだほんのりと白さを残している。

「うん、もっと全体的に茶色っぽくなるまでは大丈夫だよ」

そう告げると、三郎くんは再び真剣な面持ちで中身をかき混ぜる作業に戻った。まああそこまで色が変われば、完成まではあともう少しというところだろうか。
そうこうしているうちに、私のほうもかき混ぜる感触が変わってきていることに気づいた。木べらを少し持ち上げてプリン液の状態を確認すると、ふわふわとした塊が土鍋の中に増えてきているのが見える。
…よし、こちらはこれでよさそうだ。
あとはこれを火からおろしてフタをして、粗熱が取れるまで放置するだけだ。
上手く作れていますように、と願いを籠めながら、鍋敷きの上に置いた土鍋にフタを乗せた。
「名前さん」と名前を呼ばれ、振り返ると三郎くんが少し不安そうな表情で私に鍋を差し出した。

「このぐらい…ですか?」
「どれどれ?」

覗き込むと、濃いめの飴色になったカラメルが鍋底にとろりと広がっている。
うーん、ちょっと火を入れすぎな気もしなくもないけれど、多分大丈夫だろう。
こればかりは熱くて味見ができないから、自分の感覚を信じるしかない。

「…うん!大丈夫そうかな。じゃあこれにさっきのお湯を入れて、少しの間だけ火にかけてなじませたら完成だよ」
「お湯、もう入れてしまってもいいんでしょうか」
「うん、ただ入れたらめちゃくちゃ飛び跳ねるから気を付けて。…あ、あれだったら私やろうか?」
「え!?いや、それならむしろ僕がやります。名前さんにもしものことがあったらいけませんから!」

火傷をしたらいけないと思ってそう申し出たけれど、三郎くんに首を振って固辞された。
ううん、それは私もそうなんだけど、と思ったものの三郎くんの勢いに押されるように、お湯の入ったカップを渡してしまったのでもう見守るしかない。

「じゃあ、入れます…!」

三郎くんが鍋の中にカップのお湯を注ぐ。
ばちばちばち!!!という大きな音がして、熱せられたカラメルに触れたお湯が跳ね、「!?」と三郎くんの肩が揺れて手が止まった。

「三郎くん大丈夫??当たったりしてない!?」
「だ、大丈夫です…、少しびっくりしただけで。こんなに跳ねるんだ…」
「うん。あ、でも一回収まったらあとはもうならないから」
「…ほんとだ、もうならない。そっか、一度温度が下がってしまったから蒸発もしないんですね」
「うん?うん、多分そう」

残りのお湯もすべて注いでしまって、三郎くんが納得したように呟く。
よくわからないけど、三郎くんが言うならきっとそうなんだろう、と私も頷いておいた。
三郎くんが、すっかり静かになった鍋をもういちど弱火にかけて、全体が混ざりきるように少しだけ温める。
すぐに中身は混ざりきって、少しだけとろみのついたカラメルソースが出来上がった。

「はい、完成!三郎くんありがとう」
「いえ、これぐらいは楽勝です。準備はこれで終わりですか?」
「うん、その予定だけど…ちょっと時間余っちゃったなあ」

プリンはまだ出来上がってないだろうし、食べるのだってみんなが揃ってからがいいから、まだまだ時間に余裕はある。
テレビを見たりして時間つぶすのもいいけれど、せっかくプリンを作ったなら、どうせならもっと凝りたくなってきてしまった。
ちら、と時計を見ると時刻はまだ9時前で、この時間なら近所のコンビニに行く程度なら構わないだろう。よし、思い立ったら即行動だ。
私は自分の鞄から財布を取り出して、三郎くんに向き直った。

「えっと、私コンビニ行ってくるね。ついでに何か買っておくものある?」
「? 今から、ですか?何か必要なものでも…」
「いや、そんな大したことじゃないんだけど。プリンもうすこし豪華にしたくて、生クリームとか缶詰買ってこようかなって…思ったんだけど…」

口にするとめちゃくちゃ食いしんぼうみたいな感じになってしまって、少しだけ恥ずかしくなってきた。
いやでも生クリームとプリンの組み合わせは最高だし、そこまできたらもうフルーツも加えないと逆にプリンに対して失礼なのではないだろうか。
うん、大丈夫、私は間違ってない。
そんな言い訳を心の中で呟いて、私はおそらく呆れているであろうと思われる三郎くんの視線を受け止める前に「じゃ、行ってくるね!」と宣言して玄関に向かう。

「待って下さい、僕も行きます!」

後ろから三郎くんが追ってきて、制止するように私の手を取った。

「え、いやいいよ、何か買うものあったら一緒に買ってくるし」
「いえ、一人じゃ危ないですから」
「危ないって、すぐそこのコンビニだよ?」
「それでも、念のため。……それとも僕では頼りないですか…?」

私の買い物だから付き合わせるのは悪いと思って遠慮しようとしたのに、なぜか三郎くんはしゅんと落ち込んだ様子で下を向いてしまった。ぐ、と良心が痛む。
三郎くんは知らないかもしれないが、私はその表情に弱いのだ…いや、多分だけど三郎くんのことなのでこれはわかってやってるやつだな…。
そうは思うものの、さっきも言った通り私はその表情に弱いので、慌てて三郎くんの言葉を否定するしかないのである。

「いやいや、そんなことないよ!?」
「じゃあ決まりですね! 一兄にも一応伝えておきます」

制止する暇もない素早さで、三郎くんは事務所に繋がる扉へ向かうと中にいる一郎に声をかけにいった。
あれよあれよという間に三郎くんに付き添ってもらうことが確定してしまった。あまりの要領の良さにいっそ感嘆してしまうほどである。
というか、すごく心配してくれているけれど私だって成人間近なので一人でコンビニぐらいどうということはないんだけれど…山田家のみんなは私に少し過保護すぎやしないだろうか。
実際家に一人でいるときは普通に夜に出歩いてコンビニ行ったりしているし…というのは、おそらく、皆には内緒にしていたほうがよさそうだ。
そんなことをつらつらと考えていると、三郎くんが戻ってきて、未だに靴も履かずに玄関に突っ立っている私をみて「行かないんですか?」と不思議そうに首をかしげた。

「…いや、うん、行こっか」
「はい」

靴を履いて玄関を出る。「暗いので足元気を付けて下さいね」という三郎くんの言葉に「ありがとう」と返しながら、階段を降りた。


近所のコンビニで無事生クリームと果物の缶詰めをゲットして山田家に帰りつき、丁度お風呂を出た二郎くんと入れ替わるように三郎くんがお風呂に入ってから十数分後。
奇跡的に、三郎くんがお風呂から上がるのと、二郎くんの宿題が終わるのと、一郎が仕事を終わらせる時間が綺麗に被り、全員がリビングに集まった。

「一郎、どうする?先にお風呂入る?」
「や、あんまり遅くなんのもあれだろ。先に食おうぜ」

まあ確かに、遅くなるとその分カロリーとかも気になってしまうお年頃なので、その言葉に甘えさせてもらうことにする。
ドン、と土鍋をテーブルの真ん中に設置して、泡立てておいたホイップと缶詰めからだして適当にカットしたフルーツ、それにカップに移したカラメルソースを準備してから、私は三人に声をかけた。

「じゃあ開けまーす!」

フタを取ると、つるんとした光沢を放つ土鍋いっぱいのプリンが私たちの前に現れる。
表面に気泡も見えないし、上手にできているようで私はひそかに胸を撫で下ろした。
カラメルソースを手にとって土鍋のなかに流し入れる。薄茶色の液体が黄色いプリンの上を徐々に覆う様に、誰からともなくおおー!と歓声が漏れた。

「とりあえず一回めは私が取り分けるね。おかわりからはセルフでお願いしまーす」

大きめのスプーンをプリンに差し入れ、がばっと勢いよく抉り、取れた中身を深めの皿に移す。
絞り袋が無かったので、生クリームもスプーンで掬ってプリンの上に盛り、良い感じにフルーツで飾り付ければ立派なプリンアラモードの完成だ。

「はい、じゃあ一郎から」
「お、ありがとな!」

その皿は一郎に渡して、同じ動作をあと三回、私のものも含め全員分のプリンを分け終わって、私は大きなスプーンを土鍋にそのまま残して手放した。
土鍋のなかにはあと3分の1程度の量が残っているけれど、これは問題なくこの中の誰かの胃袋に収まってしまうだろう。
全員にお皿が行きわたったのを確認して、いつものように「いただきます!」と本日2回目となる音頭を取った。
生クリームとフルーツとプリンを全部一緒に掬って、口の中に入れる。
固めのしっかりとしたプリンに生クリームが包み込み、それにフルーツの瑞々しい甘さが加わって、カラメルソースのほろ苦さが良いアクセントになっている。
うん、これ自分で言うのもなんだけれどとても美味しいんじゃないだろうか。
少し不安だったカラメルソースも、プリン単体に合わせると少し苦みが勝っていたかもしれないが、生クリームとフルーツを足した分甘みが増した分丁度良いと感じられる苦さになっている。出来を心配していた三郎くんもこれなら安心できるだろう。

「宿題やって頭使った分甘いものが美味いぜ…!」
「あー、それはあるよな。疲れてるときは甘いもんが沁みるっつーか」

本当に幸せそうな顔でプリンを頬張る二郎くんの独り言に、一郎が反応する。
同意を得られて、だよね!と嬉しそうに返した二郎くんに対抗するように三郎くんが口を開いた。

「もともとが低いんだから二郎が頭使ったっていったって大したことないだろ」
「あ?んなことねーし!むしろいつも使わない分めちゃくちゃ使ったっつーの!」
「二郎くん、そこは自身満々に言うところじゃない」
「ほんとに恥ずかしいやつだな…これだから低能は…」
「あぁん!?」

やれやれ、というジェスチャーで三郎くんが二郎くんを煽り、見事にそれに煽られた二郎くんが立ち上がりかけたところで「お前らいい加減にしろよ?」という一郎の突っ込みが入る。
途端に大人しくなった二人は無言でプリンを口に入れ始めた。

「やっぱり一郎の一声は効くねえ」
「そもそもこんなうまいプリン食ってんのに口喧嘩なんてお前に失礼だろ?」
「ええ…照れるけどありがとう……生クリーム追加する?」
「頼む」

手放しで褒められたのが嬉しいけれど、それと同じぐらい照れ臭くもあって、それを隠すように一郎のプリンに追い生クリームを乗せる。

「オレにもお願いします」
「はい、お皿貸して」

いつの間にやら1皿目を食べ終えた二郎くんのプリンにも生クリームを乗せて返し、そのまま流れで三郎くんにも問いかけた。

「三郎くんは?」
「いえ、僕は次はそのままで食べてみます」
「ん、了解」

順調になくなっていく土鍋の中身を嬉しく思っていると、一郎が突然声を上げた。

「せっかくだから、三郎が言ってたゲームもやっちまうか」
「あ、そっか。やろうよ!」
「!いいんですか?なら取ってきますね」

ぱあっと三郎くんが自分の部屋にかけていって、すぐにゲームの箱を抱えて戻ってくる。

「これなんですけど」
「あ、これダチが買ったっつって、前やったことあるわ」
「へぇ、このゲームに目をつけるとは二郎の友達にしてはセンスいいじゃないか。じゃあお前に遠慮はいらないな」
「元々てめぇは俺に遠慮しねーだろーが!」
「これ、前SNSで話題になったやつだよな?俺も少し知ってるぜ」
「流石一兄!情報が早くて素晴らしいです…! なら詳しいルールはゲームをしながら説明しますから、まずはやってみましょう」

言いながら、三郎くんは箱を開けてゲームをする準備を進めていく。

「いつも通り、名前さんは慣れるまで僕と組んで、進め方をお教えしますので!」
「うん、よろしくね」
「僕に任せてください!二人で二郎のやつをこてんぱんに負かしてやりましょう!」
「なんで俺だけなんだよ!!」

そう言って三郎くんが握りこぶしを作り、それに二郎くんが噛みつく、山田家で遊ぶときのいつもの流れだ。
慣れた手つきで三郎くんが必要なカードを配り、ゲームの火蓋が切って降ろされる。
三郎くんにカードの意味や流れを教えてもらいながらも、私は上機嫌に笑みを隠すことができなかった。
それに気づいた三郎くんが、一郎と二郎くんには聞こえないぐらいの小さな声で私に問いかける。

「今日はいつもより楽しそうですね」
「うん、すごく楽しいよ」

普段一人で過ごす夜が、彼らと一緒ならこんなにも心地よい騒がしさに包まれている。
それが楽しくて、ずっとこんな時間が続けばいいのになあなんて子供みたいなことを考えてしまう。
こうして賑やかに、山田家での夜は更けていった。

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