ふらつく爪先立ちでもダンス
その日はよく晴れていた。最高気温は30度を優に超えるとのことだが、薄着すぎても印象がよくない気もするし、着込みすぎてのぼせるのも嫌だった。方向性はなかなか定まらず、姿見の前に衣服が山積みになっていく。
最後の2着で迷って、最後はお母さんに聞いた。男子高校生の気持ちになって考えて!とわたしが無茶振りをしたにも関わらず「……キミに決めた!」と選んでくれたワンピースをかぶって、家を出た。
待ち合わせ場所には既に環くんが待っていた。すらりと伸びた脚、背中はやや縮こまっているけれど、長身痩躯の青年が銅像の横に立っているのは絵になった。
わたしは走る。暑い中待たせているのも申し訳なかったし、あんなイケメンを野放しにして、綺麗なお姉さんに連れ去られたら大変だ!
「環くん! お待たせ! 暑いのに待たせてごめん!」
「いや、待ってない。丁度来たところ、だ……」
環くんは視線を一度こちらに向けて、すぐに下を向いた。口をもごもごしていたので、何かを言いかけたのだろう。
「オヨ、よそ行きのすくいさん、良い感じ?」
「………。きっ、…」
お母様の見立ては確かであった。わたしはワンピースの裾をひらひらと揺らす。お似合いです、と社交辞令を言ってもらえればうれしかったのだけれど、大きな掌に覆われた彼の口元からは消え入る様な声で「きれいです……」との言葉が出てきた。
「なぬ……」
18年間生きてきて綺麗ですは初めて言われた。熱した鉄球を飲んだみたいに胃の中がごうごうと熱くなり、熱が頭のてっぺんまであがっていく。返す言葉はすぐに出てこなかった。
「……自分で聞いた癖に照れないでくれ……」
あは、と笑って顔を逸らす。環くん私服お洒落だね、とか、今日は気温が30度まで上がるらしいね、とかなんでもないことを話すつもりだったのに初手で躓いてしまった。
環くんといると、大事にしたい記憶が増えていく。辛い時に思い出したいことがたくさんある。助けてもらったこと、励ましてもらったこと。それから告白を受けてもらった時のこと、そして、きれいだって言ってもらった今。
「それじゃ、いこうか……」
「うん! ではでは……。本日はすくいプランにお申し込みいただきありがとうございます。初デートコースということで、初めはジェラートを食べに行きたいと思います!」
「暑いから?」
「暑いからです!」
ふふ、と環くんが笑った。
足取りは軽い。胃の中の鉄球は溶けて身体に良いものに変わったようだ。
今日は初めて二人で出かける記念すべき日だ。ぜひ、と申し出て、今日のデートプランはわたしが計画させてもらった。長すぎず、ちょっと物足りないくらいの、身の丈にあったお出かけプラン。
わたしたちは駅前から移動して、ショッピングモールに入る。室内に入ると空調が効いていて気持ちが良かった。
寄り添って歩く男女がいると自然と目で追ってしまう。硝子に映る自分達と見比べて……負けてない。なんなら環くんが一番かっこいい。
思わずニマ、と笑うと環くんが「なに」とこちらを見た。口にするのはやや恥ずかしかったが、わたしは大変浮かれているのでいいや、とそのまま言った。
「一緒に歩けてうれしいなと思って。環くんがかっこよくてニマついちゃっ………ととと?」
環くんが足を止めてしまった。3歩戻る。
「恥ずかしくて死にそうだ」と環くんが言った。
「お互い慣れていきましょう。さあいくよ」
彼の手を取る。なかなか良いタイミングだった。環くんはわたしの半歩後ろを歩いていたけれど、手を引かれている状態が目立つと思ったのか半歩踏み出して並んでくれた。繋いだ手のひらはぬるかった。
ジェラート屋さんは繁盛していた。わたしと環くんは丸いテーブルで向かい合う。環くんが口をつける前のラムネ味を一匙もらい、なんだかこのデート、既視感があるなと思った。
そうだ、ファットガム事務所のパトロールだ。ファットさんに聞かれて気を悪くされたら困るので口にはできないが、二人で商店街を歩くと大体食べ物をもらえるので、なんだかこんな感じになっていた気がする。
「……最近商店街の様子はどうですか?」
「このタイミングで聞いてくると思ったよ。普段どおりかな。肉屋のおじさんがすくいさんの話をいつもしてくるから、今度会いにいってあげてくれ。最近俺にはコロッケくれなくなった」
「え、会うたびくれてたのに。経営不振?」
「いや、『おれはサジカゲンのファンやねん』とのことだ」
あは、と笑いが漏れる。環くんの関西弁がかわいいのもあった。
「ファットガム事務所にお世話になって、本当に良かったな」
環くんが隣で頷いた。わたしはまた照れくさくなって、柔らかくなったジェラートを流し込む。
いちいち照れてたら進まないから、慣れたいけど、この人のそばにいるとずっとこんな気持ちになれるなら、それってすごいことだ。
腹ごなしに少し歩いて、洋食屋さんに入った。階段を上がった先にある店舗は静かな佇まいで、店内はくすんだ赤色で統一されていた。出迎えてくれたお婆さんは優しそうな人で、一番奥のテーブルの席を案内してくれた。
「ここね、お母さんのお勧めのお店。ハンバーグが美味しいんだって」
「全部美味しそうだ。お店、探してくれてありがとう」
厚紙で作られたメニューを眺めて、わたしはハンバーグ、環くんはミックスフライを頼んだ。それからレモンスカッシュをふたつ。
わたしたちは隙あらば他愛もない話をする。学校のこと、友人のこと、インターン先のこと、なんだかいつまでも話せてしまいそうで、さっきから時間はあっといまに過ぎていく。
店員さんが鉄板を二つ持ってきてくれる。輪切りのレモンが添えられた空のグラスを下げてくれて、冷えたお冷が注がれる。
「すくいさん、エビあげるよ」
「え! もらえないよ。メインなのに」
「ハンバーグを味見させてくれればいいから」
取り皿にエビフライが躊躇いもなく乗せられる。有頭エビはつぶらな瞳でわたしを見ている。エビ……。
わたしは葛藤の末に、エビフライをいただき、お礼に切り分けたハンバーグをお皿に乗せた。
「おいしい〜! ハンバーグもおいしいけど、わたし次はエビフライにする。エビグラタンも気になる! 環くんありがとう!」
「エビも君に食べられるなら本懐だな」
「それは言い過ぎかも?」
店員さんが「またいらしてね」と言ってくれたので、リピーターになることを決意。
それから流行りの映画を見て、感想を喋っていたら、タイムリミットがやってきた。わたしは本日、両親から門限を告げられていた。両親は環くんを好青年とみなし、絶大な信頼を置いているので、環くんが不埒なことをするよりも、わたしの暴走を心配しているようだった。
初デートは物足りないくらいで丁度いいというが、足りなさすぎた。映画の感想ももっと話したかったし、次の約束も取り付けたかった。
お互い帰りの公共交通機関の時間もあるから引き止めすぎるのも良くないのも、わかっているはずなのに。
それでも悪あがきをしたわたしは、一駅歩きたいと提案し、環くんはそれを了承してくれた。
「今日、楽しかったなあ。ちょっとはしゃぎすぎちゃったかも」
「俺も楽しかったよ。計画ありがとう」
「えへへ、またのご利用お待ちしてます!」
「それで、………その」
環くんが足を止めた。鞄に手を入れて、紙袋を取り出した。
「今日の、御礼。……あ、その、大したものじゃない、から、気に入らなかったら処分して欲しい」
「え! あけてもいい?」
どうぞ、と手のひらに乗せられた袋を開けると小箱が出てきて、中には綺麗な指輪が入っていた。
「わあ!?」
「……っ、いや待ってくれやっぱり駄目だ。付き合いたての女性への贈り物としては相応しくない。完全に早まった……」
「ね、どの指想定? 入るかなあ」
わたしは今だけ話を聞かない女だ。環くんは両手で顔を押さえていたが、指の隙間からわたしの反応を見て、それからわたしの左手の小指を指した。
「サイズが……調節できるから……。もし、良かったら」
早速指輪を嵌めると、丁度傷が隠れた。環くんはわたしの指の傷をずっと心配してくれる。指だけじゃなくて、怪我も、それから、心の傷にも気を配ってくれるので、彼のやさしさを浴びるたびに、泣き出しそうになるのだった。
「わ……ありがとう! こんな素敵なお礼をもらうようなことはできてないのに……」
「実は、快気祝いの、つもりで……」
「快気祝い?」
瞬きをする。わたしが入院していたのは結構前の話だった。まさか、その時から用意してくれてたのだろうか。それは、なんというか……。
「環くん、わたしのこと、結構前から好きだった? ……わたしはねえ、宝石強盗の時から気になってたの」
環くんは「失言だ」と言ってまた顔を覆った。今日はずっと緊張していて、お互い余計なことまで話してしまう。
「………事務所で、自転車の、話を……聞いて。…… いい人だなって、思ったんだ」
「ふふ、わたしの方が早いね。なんならお茶出してくれた時から、この人は一味違うって思ってたよ」
「その時は声が大きくて怖い女子だと思ってた」
「なんと?! ……ね、ねえねえ環くん? ちょっと屈んで?」
環くんは不思議そうに言われるがままに屈んでくれる。真っ直ぐ顔を見つめる機会なんかなかったから、直視した環くんのかっこよさにわたしは目を逸らしてしまう。
帰りに、キス、なんて、できたら、いいなって、思ったんだけど、ちょっとまだ難しそうだった。そもそも顔を近づけられなかった。
別に、急がなくたっていいのに。わたしってやっぱりせっかちなのかな。彼とできることならなんだってしたいって思ってしまう。手を繋いで、キスをして、その先だって。でも、焦りすぎて良いことなんてないわけで。
環くんにごめんね、と言おうとした瞬間、彼の手がわたしの頬を撫でた。視線をあげる。
一瞬視界が環くんで一杯になって、それから離れていく。環くんは耳まで顔を赤くして、瞳は潤んでいた。口元を押さえて振り返った彼が言う。
「………っ、ごめん。ここで。また、来週」
後ろ姿がどんどん遠くなっていく。わたしもくるりと振り返り、駅の方へ早足で歩いた。心臓がうるさい。指先で唇を撫でた。乾燥していなかっただろうか。
辿り着いた駅のベンチに座って頬に手を当てた。ようやく、深く息を吐き出す。
好きな人に、好意を持って接してもらえることが、こんなにもうれしいなんて知らなかった。
贈られた指輪を撫でる。傷を撫でるよりもずっと、撫で心地がいい。
環くんのことを好きになれて良かった。失恋していたら、こんな気持ちは味わえなかったのだろうけれど、それでも、素敵な人を好きになれた自分のことも、褒めてあげたくなる。
わたしだけがうれしくて楽しいんじゃなくて、環くんにも、わたしと一緒にいて楽しいって思って欲しい。なりたいな、いい女。なれるかな。
帰り道だって楽しくて、ステップを踏んで家に着いたら両親には呆れられてしまった。浮かれすぎだよ。
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