Latimeria


明日秘密がやってくる


明日ひみつがやってくる


 学校からもインターン先からも遠く離れたコンビニエンスストアの雑誌コーナーでかれこれ1時間、活字を眺めてはレジの店員の様子を伺うことを繰り返していた。
 取り敢えず手に取った本は興味を惹かれるものではなかったが、店員の入れ替わりがなかなか起こらないがために、半分読み終えてしまった。
 人目を避けたい一心で背筋がどんどん丸まっていくが、男子高校生が前屈みになりながら本を立ち読みしている姿は誰が見ても怪しいだろう。
 レジの中にいた女性店員がバックヤードに下がったのを見て、俺はようやく雑誌コーナーから離れることができた。1時間を共に過ごした新書にはきっと手汗が染み込んでいるから、責任を持って購入することにした。
 代わりにレジに出てきたのは若い青年で、俺は安堵の息を吐く。それから震える手で避妊具を掴んで、新書と共にレジに置く。『友達いない症候群』というタイトルを見て、店員が俺の顔を見た。こんなタイトルだったのか。
 余程俺が鬼気迫る表情をしていたのか、それとも友達がいないのにセックスする相手はいる高校生を胡乱に思ったのかはわからないが、店員は怪訝な顔をしながら会計を済ませてくれた。とにかくミッションは果たすことができた。
 コンビニを出て、曲がり角で足を止める。電柱の横で一度屈んだ。全身が震えているのがわかる。物凄く緊張していた。店員の視線を思い出すと胃がキリキリと痛んだ。我ながらよく購入できたものである。
 避妊具を購入するということは、避妊が必要な行為をするということで、その行為の相手は、恋人である匙測くくいさんになるわけで、俺たちは明日、初体験に挑むつもりであった。
 誰かに聞かれたら気が早いんじゃないの、と咎められそうではあるし、実際自分たちもそう思っている。焦っているつもりもなければ、そうしなければならない理由もない。
 強いていうなら、すくいさんが前向きに捉えてくれているくらいだ。
 俺だって彼女に触れてみたいと思わないわけじゃない。手を繋いで、柔らかい身体を抱きしめて、口付けをした、その先のこと。興味はあるけれど、彼女を傷付けることが無ければいいと思う。
(そもそも、俺は人の内臓に指を入れられるのか……?)
 想像するとあまりに恐ろしいことだ。手が滑って内臓を傷付けるようなことがあったらどうしよう。その先のことはまだ想像できなかった。
 自室に戻ってまず爪を切った。もう一度手順を思い返す。すくいさんの服に手をかける想像をしたあたりで、胃の辺りがざわついて続きが考えられなくなった。多分、明日はうまくいかないだろう。自分のことだからなんとなく、わかる。
 それでもきっと、すくいさんは悲しんだり怒ったりしないだろうと思った。だから、きっと大丈夫だ。



「えへ。堂々と男子寮に遊びに来ちゃった」
 我ながらすごい度胸!と胸を張ったすくいさんは、扉を開けると細い隙間からするりと部屋に入ってきた。
「エッジショット意識でござるよ」唇の前に重ねた両手翳す動作からは照れ隠しが滲み出ているので、ここまで来るのに随分恥ずかしい思いをさせたのだろう。
「ごめん。態々俺の部屋まで来させて……」
「環くんには例のものを用意してもらったのでお気になさらず。緊張したでしょ」
 すくいさんは俺の手を取って微笑んだ。これからすることとは全然縁がないような清らかな笑みだった。
 おみやげ、とカバンからペットボトルを取り出してローテーブルに置いたすくいさんが床に座ったので、そっちじゃないよ、と手を引いてベッドに座ってもらう。わかりやすく頬を染めるので、君が誘った癖に、と俺は内心浮かんだ文句を噛み潰す。
「その。……よろしくお願いします……」
「こ、ちらこそ……」
 丁寧な人だ。すくいさんの頬を撫でて、唇を押しつけた。彼女に触れることを許されてから、何度か繰り返したのでキスはできるようになった。歯が当たって流血も経験したので加減もできる。
 呼吸が苦しくなったのか、すくいさんの喉から声が漏れた。睫毛が揺れる。唇を舐めて催促するとわずかに唇が開いて舌の侵入が許される。瞼が薄く持ち上げられて、潤んだ瞳が覗く、その表情が堪らなく好きだった。
 柔らかい頬に触れて、そっと唇を離す。頬は上気していて、惚けたような視線が俺を見つめる。心臓が痛い。
「好き……。いつも、大事にしてくれて、ありがとう……」
 すくいさんが俺の服を掴んで言った。邪な感情を吹き飛ばすような言葉に、俺は思わず目を剥く。
「…………できてる、かな」
 うん、と笑ったすくいさんが頬にキスをくれる。
 大事にしたいと思う。これからも。今だって。
 俺みたいなやつのことを大事にしてくれる人だから、俺も彼女を傷付けることのないように接したかった。
 ーーだから、実は、この行為にはやや不安があった。彼女を傷付けない自信がなかったからだ。けれども、俺の軟弱な自制心は、すくいさんに「触れて欲しい」と言われて二つ返事で首肯してしまった。臆病者の癖に、彼女に触れたい欲を隠せないのだからどうしようもない。

 すくいさんの肩を掴んで、「良いかい」と確認をとる。
「うん……。あ、……自分で脱いでも良い?」
 一瞬躊躇うようなそぶりを見せたすくいさんの提案に頷く。彼女の細い指がタイを解き、ブラウスのボタンを外していく。隙間から柔らかな膨らみが露わになって、俺は目が離せない。袖から腕が抜かれる。キャミソールだけになった上半身は少し寒そうだ。
「……下着は,つけとくね」
 キャミソールを脱いで、靴下や制服のスカートを下ろして、すくいさんは下着だけを身に付けた状態になる。俺はあまりの眩しさに両目を瞑っていた。ヴィーナスの誕生の光を浴びた生き物たちはどうなったのだろう。バカになりすぎて、退化したのだろうか。
「ちょっと刺激が強すぎるな……。毛布にくるんでいいかい」
「は、はい……」
 ベッドから毛布を引き寄せて、彼女の身体を包む。すくいさんは不安や期待を混ぜこぜにした視線で俺を見ている。眩し過ぎる下着姿に、熱い視線を受けて俺の脳がギリギリ溶けなかったのは、ひとえに気になることがあったからだった。
 すくいさんが、先程からずっと震えているのだ。
 蓑虫みたいになった彼女を抱きしめて、背中をさする。上気している頬を見るに寒いわけではなさそうだけれど、緊張だろうか。
「たまきくん……」
 すくいさんが俺の名前を呼んだ。続きをどうぞ、という意味だと勝手に解釈して、剥き出しの肩口に口付けた。ブラジャーの紐を肩から下ろして、毛布を下ろす。もう一度抱きしめるように背中に手を回す。片手じゃ外せないだろうから、失礼してホックを外した。
「ひゃ……」
 すくいさんの柔らかな胸が露わになって、俺の眼前で揺れた。ついに理性が崩れ落ちる音がする。
「さ、……触っても、いいですか」
「はい……」
 すくいさんが目を瞑る。手を伸ばして柔らかな胸に触れる。柔らかくて、滑らかで、掌が吸い付くような感覚に驚いてしまう。自分とは身体の作りが全く違う彼女の細い手足や腹部は植物の茎のようで、普段はあんなに健康的に映るのに、今自分の視界に映る姿はあまりに蠱惑的だった。
 しばらく手の中で感触を楽しんでいると、ふかふかとしていた先端が主張し始めた。
「っ……」
 親指で擦るとすくいさんが身体を跳ねさせる。痛かったかと手を止めると、強請るような視線が向けられたので、唾を飲み込む。指先で擦り続けるとすくいさんは俺の肩に顔を押し付けて表情を隠してしまった。
「大丈夫……?」
「ん……。環くんも、脱いで……?」
 仰せのままに。身体を離して、すくいさんをもう一度毛布にくるんでベッドに寝かせる。シャツと、インナーを脱いで、ベッドの下に投げる。ベルトに手を掛けたところで、下をどこまで脱ぐべきか悩んだ。まあ、そのときが来たらで良いのかな。
「すくいさん……」
 世の中の男子高校生は、下着一枚で恋人がベッドに横になっている姿を見ても冷静でいられるものだろうか。俺には厳しそうだ。
 すくいさんは顔を手のひらで覆って、指の隙間からこちらを見てくる。
「わたしにも刺激が強いみたい……。毛布にいれてあげる……」
 一瞬の逡巡、それでも招待いただいたので毛布に入って、すくいさんに覆い被さる体勢になる。彼女の肌が俺の肌にくっついて、柔らかさと体温を感じる。脚の間に熱が集まる。
「き、緊張する……」
 こっちの台詞だ、と思いながら彼女の手を握る。その手はひどく冷えていて、僅かに震え続けていた。
「すくいさん。もしかして、怖いの」
「や……。こわくは、ないかな。環くん、だし……」
 本当かな。それでもすくいさんがそう言うので、彼女の身体に触れていく。柔らかな胸に触れて、滑らかな腹部を撫でる。女性の身体をまじまじと見ることなどなかったから、彼女の身体から目が離せない。可愛らしい下着に手をかけて良いものか悩んで、生地の上から指先で撫でた。
 ーー瞬間、すくいさんの身体が跳ねた。
「わ、ごめん。痛かったか……」
「っ、……や、ちが、……」
 彼女は身体を縮こまらせて震えていた。俺の贈った指輪を握りしめるように、左手を覆って震えている。やはり、おかしい。
「すくいさん。一旦、やめよう」
「……。わた、……ダメだった……?」
 すくいさんは不安そうに俺を見上げている。怯えたような振る舞いに、俺の心臓は落ち着きなく早鐘を打ち始める。すくい。すくいさん。俺は彼女の名前を口の中で唱える。息を大きく吸った。これから俺たちが話すことは、セックスするより大切なことだと思ったから、声が彼女に届かないようじゃ話にならない。
「ちがうよ。なんにもダメじゃない。だけど、教えて欲しい。……なんで、セックスしたいんだい」
 すくいさんは唇を結んで、大きな目を見開いた。瞳にどんどん涙の膜が張っていって、決壊して頬に伝った。  
 付き合い始めてから、すくいさんは手を繋いだり、キスをしたり、身体に触れることに積極的だった。その行動は普段の彼女のイメージとは少し異なっていたのだ。
 俺を喜ばせるため、と答えが返ってきたら、そんなことは考えなくて良いよと伝えれば良い。こっちはまだ心の準備ができていないから、すくいさんが焦る必要なんかない。
 でも、それ以外で、性行為に恐怖心のある彼女が、焦って身体を重ねる理由があるのなら、俺は、聞いておかなければいけないと思う。
「……あの、……嫌な、話かも」
「聞かせてほしい。ゆっくりでいいから」
 仰向けで固まっているすくいさんを抱き起こしてまた毛布を巻きつけた。すくいさんが口を開くまで少し時間がかかって、冷たい彼女の手を握る。
「……拉致、された時に、ら、乱暴……を、されたの。その人たちの顔も覚えてないし、何をされたかも記憶に無いんだけど、触られた感覚は残ってて。だから、……好きな人に、触ってほしかった」
 頭を殴られたような衝撃だった。
 ずっと、すくいさんの空元気に違和感を覚えていたのに。彼女の内面に踏み込むこともできずに、彼女の不安に気づくこともできていなかった。
 俺の反応に不安になったのか、すくいさんは泣き出してしまった。
「……っ、黙っていて、ごめんなさい……。きれいじゃなくて、ごめん、なさ……」
 すくいさんはかぶりを振って俺の手を振り解こうとする。視線が不安げに揺れて、まわりの全部が恐ろしく見えているようだった。
 手を引いて、彼女の身体を胸の中に押し込んだ。毛布は落ちてしまったから、寒くないように、痛くないようにできるだけ優しく背中に腕を回した。
「すくいさん。……話してくれて、ありがとう」
 すくいさんはまたごめんなさいと繰り返す。謝ることなんかひとつもないのに、彼女を追い詰めた奴らに怒りが沸く。
 この人のことを大切にしたいと心の底から思っているはずなのに、彼女のためにできることが思い付かなくて情けない。
「きみの助けになれることがあるなら、なんでも、させてほしい」
「……じゃあ、もう少し、こうしてて……」
 毛布、被せて、とすくいさんが言うので、毛布を被って彼女を抱き寄せる。彼女の手は先ほどより熱を持っていて、そのことに少しだけ安心した。
 彼女の不安を払うには、自分はあまりにも弱過ぎる。すくいさんが強がらなくても良いように、そばにいるだけで彼女が安心できるような人間になりたいのに。それは、まだ、随分と遠いのだ。


- 2 -
*前次#


ページ: