愛を呪おう。一人ぼっちの少女は謡った。
独りは苦しいよ、独りは寂しいよ、お父さま、お母さま、どうしてわたしをひとりにしたの。
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第一話 エーギルとミスラ
昔々の話だ。世界の西の果て、山々に囲まれた小さな国があった。その名をエーギルと言い、厳格で戦好きの、けれども民草を思いやる心を識る王が治めていた。
エーギルは戦の絶えない国であり、大小構わず戦を行っていたが、長い間争い続けている相手がいた。険しい山脈を越えた先に、ミスラと呼ばれる民族が住んでいる。彼女たちがエーギルの因縁の敵であった。彼女たち、とエーギルの民は呼ぶ。ミスラは女系の民族であり、民族を構成するの9割が女性なのである。ミスラの女性は一人残らず武器を持ち戦う女戦士であった。男性の手を必要としない彼女たちは気高く、そしてとびきり美しかった。
いつからエーギルとミスラの戦いが始まったのか、当代の首長たちも正確には知らなかった。ただ、物心がつく頃には自分達の相手のことを教訓のように聞かされていた。
軟弱物のエーギル、野蛮なミスラ。エーギルの男たちは思慮深く温和な女性を妻に娶ることを理想としていたし、反対にミスラの女たちは強さと逞しさを備える男を伴侶にすることを望んだ。剣を持つ女などはしたないとエーギルは馬鹿にし、文明に固執する男など、とミスラは彼らを求めなかった。
そもそもエーギルとミスラが顔を合わせる場所は戦場に限られていた。エーギルの長が戦を好むように、ミスラもまた戦好きの長が民を治めた。戦の原因はいくらでもあった。互いの豊かな土地を求めた代もあれば、盗まれた財宝の在りかで争った代もあった。兎にも角にもエーギルとミスラは相いれない存在であったのだ。随分と長い間そうしてきた。
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城壁に囲まれた簡素な街並みの中心に、伝統的な闘技場が置かれている。吹き抜けで青空の見える造りの中央には二人の青年が剣を持ち睨みあっており、歓声を上げる観衆たちは闘技場を埋め尽くすほどの人数だった。それもそのはず、今行われているのは次のエーギル王を決めるための試合なのだ。
エーギルでは武が肯定される。当然、王となり民衆の上に立つには武力以外のものも要求されるが、歴代のエーギル王たちは、まず人を引き寄せる程の武が無ければならない、と考えた。求められる“武力”はただの純粋な暴力では無い。誰かを守るために振るう剣の強さを、命の重さを知る盾の堅さを知る者こそが武に秀でるものだと認められるのだ。
今戦っている青年たちは現王によって選ばれた精鋭の戦士たちである。年こそ若いが族長や村長の推薦を受け、現王から与えられた王位継承権を持っている。エーギル王は世襲によって継がれない。暗君を王位に就かせないため、強い戦士が国民を先導していくという目的があるからこそ、禅譲によって継がれていくのだ。
ガキンッ! 金属同士が派手にぶつかる音が場内に響く。華麗な動きに歓声が上がる。金髪の青年が剣を真横に薙げば、眼鏡をかけた青年がぎりぎりのところで避ける。実力は拮抗しているように見えた。金髪の青年の名を鳴、眼鏡をかけた青年の名を一也、と言った。二人は幼馴染で共に第一線で活躍するエーギルの勇者でもあった。実力も申し分なく、心根も現国王が一目を置くほどだ。
鳴か一也、どちらかが王になるのだ。観客は熱の籠った目で彼らの勝負の行く末を見守る。
二人は息を深く吐いて距離を取る。悪戯めいた瞳で互いを捉えると、剣を振り上げて声を上げた。光を受けて二人の目は輝き、息も絶え絶えなはずの口角は上に上がっていた。戦うことを楽しんでいるかのように、エーギルの青年たちは剣をぶつけ合った。
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他者の侵入を拒むかのように堂々と連なる山々を抜けたその先に、鬱蒼と生い茂る森がある。地理に明るく無いものが立ちいれば二度と出ることは叶わない。なぜならその森の奥には化け物が住んでいるから。そんな噂が山脈の外では語り継がれていた。ミスラ――女神の名を冠する女戦士達は森の奥でひっそりと暮らしていた。
彼女たちは男性の手を借りずに生活を送っている。農耕や狩猟だけではなく、職業戦士としての力を使い、傭兵として戦争に出向いたり、時には暗殺に手を貸す。彼女たちは自分達がミスラの部族だということに強い誇りを持っている。炎のような激情と、氷のような美しい頬笑みを併せ持つ彼女たちは“戦女神”と近隣の部族から呼ばれていた。
「潤さん、後ろ!」
「わかってる」
里のある場所から少し離れた森の中、仮面をつけた女性と一人の青年が剣を振るっていた。対峙する相手は5人。服装と身体に入れた刺青の模様から、ミスラに敵対する近隣の部族であった。分が悪いというのに、青年は余裕の表情を浮かべたまま、背中の弓に手をかける。彼もまた、ミスラの一員であった。
「お前が族長の孫娘か」
「その仮面を取ってお顔を拝ませてもらいたいもんだ」
部族の男たちは仮面をつけたままの潤に声を掛ける。ミスラの女性は美しい。けれどもその内に住まう激情を飼いならすのは並大抵の男では不可能である。
子孫を残すために里の外の男と交わることがあっても、彼らは子を為した後は自然と里から出ていってしまう。生まれた子供が男であった場合も同様だ。だから、青年のように生まれてから成人するまでミスラの民として暮らすことができるケースは珍しかった。
「お前らさあ、調子乗りすぎ。不細工の分際でうちの潤さんに話しかけんなよ。つーか、死ね」
「太陽、二人は相手して頂戴ね」
「はいはい。あんたの獲物を盗りゃしないよ」
巨大な鉈を振るう部族の男たちの間に太陽が踏み込んだ。身を低くしたまま弓を番え、そのまま引き絞る。鉈を振り降ろされるよりも早く彼の指が弦を弾き、矢が一人の男の顎元に突き刺さった。仲間を殺されたことに気づいた一人が激昂し武器を振り降ろすが、既にそこに太陽の姿は無かった。即座に持ち替えた勢いのまま曲刀を振るい、柔らかい皮膚を抉っていく。
一人であっという間に二人を片付けてしまった太陽が目をずらせば、そこには自分が忠誠を誓う女性の姿があった。美しい顔を仮面で隠してもなお、艶やかな黒髪と豊かな身体が彼女の美しさを引きたてた。瞬きする間も与えなかったのだろう。地面に血を撒き散らして倒れる三人の死体に、太陽は短く祈りを捧げた。冷たく死体を見下ろす潤が敵の返り血に手を濡らしていたとしても、いや、逆にそれさえもが彼女を彩る要因とすら成りえてしまう。
潤は二本の長刀を振るうと短く息を吐きだした。恐ろしいほどの強さと、見たものが凍り付いてしまいそうな程の美しさを備えている。潤こそが“戦女神”だと太陽は思っていた。
「賊が、増えたわね」
「そーっすねえ。大体この時期はどこも逼迫してるんすよ。豊かなのはあの、エーギルくらいじゃないっすか」
二人は書状を友好的な部族の長へと届けに行くところであった。ミスラの里から一つ山を越えた先へ向かう最中、何度か襲われた。賊に身を落とした男たちの元居た場所は弱く小さな部族だったのだ。
山脈全体を覆う病が流行していた。温暖な気候から食物には困ることのない土地であったが、病の流行と同時に虫害にも襲われた。食物にも困るようになれば、病人は増え続け、小さな集落はすぐに死に絶えた。
病気の原因はわからなかった。感冒の症状が出た後は身体中に根が這ったように見動きができなくなる。寝たきりになり、体力を奪われた最期は皮膚が割れ、血管に張り巡らされた根が皮膚を裂いて空気に触れる。その変化する皮膚の様が花弁のように見えることから、この病は“花弁病”と呼ばれていた。
「…エーギル。この病もあいつらのせいよ」
「冷たい城に篭って、毒を撒いてるって噂もありますからねえ」
潤は山脈の向こうの国を思い唇を噛みしめた。仮面の下の表情はわからなかったが、太陽は彼女が悲しんでいるのだとわかった。潤の母親は先のエーギルとの戦で命を落としている。彼女にとって、エーギルは憎き国と言うだけではなく、愛しい母親の仇なのだ。
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