第二話 二人の長


「おや、遅かったね」
 
 低く、それでも聞くものを安心させる女性の声が潤を迎えた。
 ミスラの里に戻った潤と太陽を待っていたのは現族長の濡羽であった。
 濡羽は潤の祖母だ。齢六十を過ぎても背筋を伸ばし、女としての艶やかさも失ってはいない。
 かつてはミスラの民を率いて戦の先陣を駆け抜けた彼女は現役を退いても尚、武器を持たせればミスラ最強の戦士と対等に戦うのだから恐ろしい。
 戦場で濡羽を見た男たちは皆彼女の武勇と美しさに震えあがったという。幼くして母を亡くした潤は生きるためのすべてをこの祖母に教わった。

「身を整えてから奥の間へ来なさい」
「はい、おばあさま」

 氷の様に美しく、炎のような激情を住まわせる。それがミスラの女戦士だ。敵に止めを刺す時の冷酷な瞳を何度も見てきた太陽は淡々と交わされる親族の会話にミスラの血を感じていた。

「それじゃあ、また後でね。太陽」
「はい。…あ、潤さん」
「どうかしたの」

 手を振ってテントの中へと入ろうとする潤を引きとめて、太陽は目を逸らして告げる。

「誕生日、おめでとうございます」

 その言葉を聞いて潤は目を丸くする。掌を握りしめて、思いを下腹にとどめたまま、照れくさそうに踵を返す太陽の背中に向けて、「ありがとうね」と優しい声で返した。今日は潤の十七歳の誕生日だ。今日から潤はミスラの族長となる。
 笑顔を上手に浮かべることができただろうか。背中を向けてくれていて助かった。仮面を外す前で良かった。無邪気に誕生日を祝ってくれる弟のような太陽にこんな不安気な顔は見せられない。
 潤は自分の迷いを切り捨てるように乱暴に仮面を外した。ぬばたまの長い髪、強い日差しに当たってもなお白い肌、彫刻のように整った容姿は見る者を強く惹きつける。けれどもその目は爛爛と燃え、彼女が戦女神の血筋であることを示していた。

 簡素な衣服に着替えた潤は奥の間へと足を運ぶ。族長の血族だけが入ることを許される奥の間に来るのは幼い頃以来だった。まだ片手にも満たない年の頃、母親の葬儀のためにこの洞の中に足を踏み入れた。
 蒸し暑い外とは異なり、外気に触れないここはいつだって冷たい空気が漂っていた。岩肌に露出した鉱石が薄ぼんやりと光り、空間をより神秘的に見せていた。

「潤」

 洞の最深部にたどり着くと、既に到着していた濡羽が名を呼んだ。自然と潤の背筋が伸びる。
 本来ならば、次の族長は潤の母親であった。若くして命を落とした娘に代わって、濡羽がもう一度族長を名乗り出たのだ。長かっただろう、と潤は思った。子を亡くし、それでも凛々しく女戦士の頂点に立ち続けた濡羽のことを尊敬していた。
 向かいあって腰掛ける。見据える目はやはり燃えていた。

「十七歳の誕生日、おめでとう」
「ありがとうございます」
「成人の儀を終えれば、お前が族長です」
「はい」

 潤の声は洞に反響して、彼女の決意を深く固めた。気高き女戦士たちを率いる長になることは十七歳の娘には随分と重たい任務だった。それでも燃える瞳を持つ祖母から母へ、そうして自分へと受け継がれてきた血を信じるしかない。

「ひとつ、潤に話さなくてはならないことがあります。私―濡羽が山の向こうの国と結んだ盟約について」
「エーギル、ですね」

 こくり、と濡羽が頷いた。潤の母親、濡羽の娘の命を奪った国。ミスラと因縁の戦いを続ける冷たい岩に囲まれた国と交わした盟約について、濡羽は淡々と語った。

「あの国も、我々も、随分長き戦いを続けてきました。顔を合わせれば殺し合い、互いの長の首を取っても戦いは終わらず、憎み、罵り、山脈を血で染め上げてきました。その戦いの悲惨さは、貴女もよく知っているでしょう」
「……はい」

 物心がついたころから、潤は濡羽に教えられてきた。
「憎むな、許せ」幼くして母を奪われた潤はその言葉を偽善だと思ってきたが、濡羽の悲痛な顔を見てようやく気づくことができた。その言葉を戒めにしているのは、多くの同胞を屠ってきたミスラの族長そのものなのだ。
 濡羽は続ける。

「争いだけでなく、この山脈を覆う呪いが我々を蝕んでいます。戦いの中で命を散らすことが本望であるミスラが、床の中で横たわり、ただ、草木のように死んでいく。私はそれが許せなかった」

 花弁病は、老若男女の分け隔てなく襲った。動けなくなった身体に咲き誇る花はそれは見事なもので、女戦士たちは「献花いらずだ」と笑ったものだった。元々この土地で見られた病であったが、濡羽の代から猛威を振るい始めた。

「これは呪い。魔女との契約を守れなかった私たちへの戒めなのです」
「おばあさま、魔女だなんて…」

 迷信だ、と潤は声を掛けようとして口を噤んだ。濡羽が余りにも真剣な表情を浮かべていたからだ。ゆっくりと首を左右に振り、濡羽は続ける。

「私たちは誓ったのです、魔女の元で。ミスラとエーギルをひとつにする、と」

 その誓いが叶わなかったことは現状が明らかにしていた。真剣な祖母を前に、潤は心が冷えていくのを感じていた。
 どんな男性を前にしても恥じることのないように育てられてきた。身の振る舞いから武術まで、それはこの為だったのだ。長同士が誓った強い盟約の前でも、燃え盛る争いの炎は止めることができなかった。だからこそ、今回は“血”で無理やり結ぼうというのだ。随分と力技だ。

「貴女には、苦労ばかりをかけてしまうわね」

 くしゃり、と濡羽が顔を歪めた。ミスラの族長としてではなく、潤の祖母としての表情。凛々しい祖母の顔しか見たことのなかった潤は、その草臥れた年相応の表情に言葉を失ってしまう。

「お任せください、先代様」

(ゆっくり休んで、と言えたならいいのに)

 皺と傷に塗れた手を取って、潤は笑いかける。光り輝くようなその瞳に悲しみを湛えて。



***



 汗と泥に塗れたまま呼びつけられたのは王の住まう屋敷であった。
性急すぎる、と頭を掻いた鳴を嗜めるようにその横で膝をつく一也と、もう一人。端正な顔立ちをした青年が咳払いをした。三人は王座の前で膝をつき王の言葉を待っている。

「疲れも取れぬうちに呼びつけて済まないな。鳴、一也、俊平」
「神野様の命とあれば」

 現王、神野の声は重々しく、その声に深々と頭を下げたのは俊平だった。鳴や一也と同じように飄々とした部分がある癖に、人一倍作法や礼儀に気を遣う男であった。継承者を決める試合の後、二人を引っ張ってここに連れてきたのも彼だった。

「もう少し時間を下されば、正装に着替えて来ましたよ。これじゃあ逆に無礼でしょう」

 顔を上げて笑った一也に俊平はため息をついたが、正面に座る神野は「済まなかった」と親し気に声をかける。
三人は随分と神野に目を掛けられて育った。エーギルの勇敢な戦士として戦場に立ち、成果をあげた若き英雄たちの誰が次の王に選ばれたとしても、エーギルの民は不平を漏らさないだろう。

「鳴」

 名を呼ばれた鳴が素早く顔を上げる。汗と泥に汚れていても、自信に満ちた瞳の輝きは失われない。自身を湛えた表情から、結果を聞かなくとも誰が優勝したのか神野は容易に知ることができた。

「おめでとう」
「ありがとうございます!」
「二人も健闘したな」
「勿体ないお言葉です」

 顔を上げて喜びを隠さない鳴と対照的に、敗者となった二人は深々と頭を下げた。神野は二人を罵るでもなく、鳴を湛えるでもなく、三人を順に見つめて口を開いた。

「お前たちに頼みがある」
「頼み、ですか」
「次の王と、王を支えるであろう二人に、エーギルの民の命運を掛けた頼みだ」

 その言葉の重みに、ぞくりと背筋が冷えた。

「ミスラと、和平を図る」
「あの蛮族と!?……と、すみません」

 神野の口にした民族の名は、エーギルの民誰もが知っていた。女戦士の民、ミスラ。古くからエーギルと争い続けた蛮勇の女たちのことをエーギルは蔑み、憎んできた。そんな民族と今更和平を図ろうという王の意図が三人はわからなかった。
 蛮族、と鳴は言ったが、他の二人も同じようにミスラのことを思っていた。

「和平は古くから望まれていた。先代とミスラの族長が和平を宣言したが、結局実現しなかった」

 先代の時代は今よりも激しく憎み合っていたと聞く。ミスラの族長をエーギルの国王が殺したのだ。どちらも武勇に長けた英雄であった。その中で誓われた和平など、誰もが耳を貸さなかっただろう。

「エーギルもミスラも、古い民族だ。誓いを違えることは許されない」
「だから、新しい代になってそれを叶えよう、という訳ですか」
「そうだ。お前たちの代に迷惑をかけることになってしまって済まないな」
「迷惑だなんて。新王は喜んで受けますよ。なあ?」
「お前らうるさいよ!」

 野蛮なミスラに対して、良い印象を持っているとは言えなかった。戦場で鉢合わせたことも一度では無い。そのたびに、恐ろしい程の美しさと、男をも簡単に引き倒す武勇を見せつけられているのだ。
 それに、怪しげな術を使うとの噂もあった。森の奥深くに住み、呪いを信じる旧時代的な生き方を続けるミスラの民はエーギルに呪いをかけている。それが今山脈を襲う花弁病だ。エーギルではそう信じられていた。
 
「ミスラの族長を娶れと仰るのなら、喜んで。どんなじゃじゃ馬でも、乗りこなして見せます」

 どん、と自分の胸に拳を置いて鳴は言った。獅子の様だと称された金の髪を堂々と揺らし、宝石のような蒼い目を持つ彼がエーギルの新王となる。彼の両隣の二人もまた、決意を目に封じ込めている。知略にも武力にも長けた二人だ。病に弱るこの国を支えてくれるだろう。神野には自信があった。
 ごほり、と重たい咳を零せば三人の顔が変わる。

「王!」

 根の巣くう震えた手では、もう剣を持つことも叶わない。宿敵と交わした剣の重みを懐かしがりながら、神野は三人を手で制した。

「戴冠式は明日行おう。婚姻のためのミスラの行使はすぐにやってくるはずだ」


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