二話

 エーギルの空は燻んだ色で街並みを覆っている。厚い雲が陽光を遮り、街は昼であるにもかかわらず薄暗い。石造りの建物が立ち並ぶ城下では、人々が口を閉ざし、足早に通り過ぎていく。
 静けさの中に時折、咳の音が混じった。短く、乾いた音。それを聞いた者は、無意識に距離を取る。



「……またか」

 窓の外を見下ろしながら、一也は呟いた。
 担架で運ばれていく人影。ぐったりとした身体を覆う布の隙間から、か細い腕がはみ出していた。その皮膚は乾いた土のように、内側から割れて組織を露出させている。

「"放花病"とは良く言ったもんだよな」

 一也の背後に立っていた俊平が口を開いた。エーギルの軍を率いる軍団長であるこの男は、年齢の割に老獪な一面がある。飄々とした笑顔を浮かべてはいるが、昨日は病に倒れた兵士たちの葬儀があったと聞いている。一也は短く息を吐いた。

「花、なんて綺麗なもんかよ」

 ーー放花病。巷ではこの病をそう呼んでいるらしい。
 誰が言い出したのか知らないが、悪趣味な名前だ。半年前から流行り出した流行病は、エーギルの領地の端で確認されてからあっという間に国中に感染を広げた。
 高熱を出し、やがて身体は動かなくなり、水分を吸い取られるかのように乾いていく。皮膚が裂け、内側から赤黒い肉が覗く様が、花弁のように見える――。恐ろしいほどの感染力もまた、一斉に花が開く様を彷彿させた。
 的を射た表現ではあるのだが、貧しい人々が諦めたように「献花いらずだ」と口にするのを聞いた一也はこの病の名を嫌悪していた。

「ただの病だ。あんなもん」

 一也が吐き捨てるように言うと、俊平が回り込み、先程まで一也が見ていた窓の外を覗き込んだ。

「だが、民はそうは思ってねえだろ。巷じゃ“呪い”の噂でもちきりだ。山奥に住む魔女の仕業だ、ってな」
「……報告は入ってる。魔女狩りに挑んだ破落戸たちの死体が、山麓に散らかってるらしい」
「兵士たちを見回らせちゃいるが、人の口に戸は立てられぬ。民衆の不満は溜まる一方だぜ」

 俊平の言葉に一也は答えず、乱暴に頭を掻いた。
 前王から禅譲されたばかりの若き王は、即位して半年で苦境に追い込まれていた。

「呪いを解く方法なんてもんがあるなら、縋りたい気持ちもわかる、か……」

 一也が重い口を開いた。俊平が後を続ける。

「昔婆さんがよく話してたよ。両国に跨る災厄を祓うためには、ミスラとエーギルが手を結ぶような奇跡が必要だって」
「……この代まで叶ったことがねえものを、押し付けられたくねえのよ。あ〜あ、気が重い話ばっかり。この後も前王に呼ばれてる」
「がんばれよ、若き国王陛下」
「他人事だな」
「俺は現場担当なんでね」

 軽く肩を叩いて、俊平は出て行った。
 
 長い廊下を歩き、未だ馴染みのない玉座の間の扉を開く。その部屋の奥には、壁にもたれかかるように立つ前王の姿があった。既に王位は譲られているとはいえ、その眼光は衰えていない。

「どうしたんですか。呼んでくれりゃあこっちから足を運んだのに」
「呪いのことだ」

 その言葉を聞いた瞬間に、一也の顔が歪む。繕うこともせずに視線を上げた。

「信じていませんよ。流行り病を大袈裟にしすぎなんです」
「我々が信じるかどうかは問題ではない」

 前王は静かに言った。

「民が信じている。それがすべてだ」
「……俺の両親は、別の病で死にましたよ。呪いはこじつけに過ぎない」

 数年前に流行した疫病で、一也は両親を亡くしている。兵士見習いとして、頭角を表す前の一也に目をかけ、拾ってくれたのはこの人だった。
 前王は一歩、歩み寄る。まるで父が子を諭すように、一也の肩に手を置いて視線を合わせた。

「お前は流言に惑わされるような男ではない。だが民は違う。恐怖は理では抑えられんのだ」

 窓の外を指すその先には、咳をし、怯え、互いに距離を取る人々がいる。
 一也は小さく息を吐いた。

「で、何をすれば良いんです」
「呪いを解くために、ミスラの族長を娶ってもらいたい」
「……本気で言ってるんですね」

 前王の顔に一瞬の逡巡が見えた。今更何を躊躇うことがあるのか。一也は覚悟を決めて、恩人でもある前王の話を受け入れることにした。

「本来なら、私の代で終わらせる筈だったのだがな。当時のミスラ族長は婚姻を拒み、そして戦になった。後のことは知っての通りだ」
「ひょっとして、歴代の王にもこの婚儀の話があったんですか」

 前王が頷く。結局一度たりとも和平は叶っていないのだ。
 はるか昔に交わした盟約をいつまでも守ることのできない、ふたつの部族を災厄が襲う。わからなくもない筋書き。
 病に襲われたエーギルが、呪いを信じてミスラに助けを求める形になるのだろうか。それとも、先に約束を違えたのはあちらだと言い張るのか。先代たちが交わしたであろう密約を、一也が知る機会はなさそうだ。
 しばらくの沈黙の後、一也が口を開く。

「あちらさんが話を飲んでくれりゃ、いいですけど」

 それにしても、因縁の相手であるエーギルに単身嫁ぎに来るなど、ミスラの族長にとっては針の筵のような苦行だろう。
 エーギルの民が、ミスラをどう思っているか。仇敵。野蛮な女たち。山に棲む異端。歓迎など、されるはずがない。

「俺は、受け入れるだけです」

 一也にしては、受け身な言葉だった。彼もまた覚悟を決めていた。自分の婚姻など、今となっては些事の一つだ。
 馬鹿馬鹿しい呪い。会ったこともない仇敵の女。憎み合う国同士の、形ばかりの婚姻。
 それで民が少しでも落ち着くなら、安いものだと飲み込むつもりでいた。たとえ、それが――焼け石に水でも。


ーーー


 その日は、雲ひとつない快晴だった。
 ミスラの里では、新たな族長の出立の準備が進められていた。荷がまとめられ、馬が整えられ、女たちが忙しなく行き交う家屋の中心に、潤はいた。

「……本当に行くんですね」

 背後からの声に、潤は振り返らない。豪奢な衣装に袖を通した潤の姿を直視できない気がして、太陽は彼女の対応を有難く思った。

「あら、寂しくなったの? 無理に来る必要はないのよ」
「……何言われたって離れませんよ、俺は」

 顔を見ていたら、きっと口にできなかっただろう。
 潤は太陽の顔を見るために振り返る。仮面を外し、化粧を施した潤のかんばせは、誰が見ても溜息を吐くほど美しい。思わず言葉を失った太陽と、潤の間に沈黙が流れた。
 助け舟のように扉の向こうから女の声がした。

「潤ちゃん、いる?」
「開いてるわよ」

 潤が返事をすると、ためらいもなく扉が開いた。影が二つ揺れる。

「おお、すっかり準備できてるね」

 先に顔を出したのは、潤とよく似た背格好の少女だった。
 整えられた髪、同じ高さの視線。けれど、口元には人懐こい笑みが浮かんでいる。

「……波瑠」
「あれ、びっくりした顔してる」

 くすりと笑いながら部屋に入ってくる波瑠の格好は、潤と全く同じものだった。婚礼のために設えた上質な衣装を見に纏った波瑠の姿は、仮面をつけてしまえば鏡のように見えただろう。立ち姿も、視線の高さも、潤と寸分違わない。
 写鏡のような波瑠の後から、梓が続いた。潤よりも頭ひとつ分背の高い梓は、腰まで伸びたお下げの赤髪を揺らして潤の手を取った。抱きつきそうな勢いだというのに、素早く膝をつく姿は忠誠心の強い犬のように見えた。

「潤ちゃん。その衣装凄く似合ってる。私、応援してるからね」

 にこにこと笑顔を浮かべるその姿は、昔から変わらない。
 隣で波瑠が「わたしも同じ服着てるのに褒めてくれないんだよ〜」と口を窄めて見せた。途端に騒がしくなった部屋の中で、太陽が居心地悪そうに腕を組んだ。
 潤は二人を見つめて、わずかに目を細めた。

「……どうしたの、二人揃って」

 問うと、波瑠が肩を竦める。

「明日の朝出発でしょ。同行者の確認は必要かと思って」

 軽く言って、潤の正面に立つ。

「我々もお供しますよ。族長」

 その言葉に、太陽が小さく笑った。

「だと思いましたよ」
「太陽も来るんでしょ」
「当たり前でしょ。あと衣装似合ってないっすね」
「うるさいな。潤ちゃんのために拵えた衣装だからわたしに似合わなくたっていいの」

 軽口を交わす波瑠と太陽の横で、潤が拳を握った。
 ミスラの里から出れば、もう戻れないと考えていいだろう。エーギルの状況は祖母から聞いていた。因縁の相手であるミスラからやってきた婚姻相手など、良い扱いをされるわけがない。
 潤は、幼馴染たちを悪意に曝す気は無かった。だから祖母には、どうしても、と嘆願された太陽以外は連れて行く気はないと伝えていたのだ。

「波瑠も梓も、本気で言ってるの? この里から出たこともないのに、あんな冷たい場所で、これからずっと暮らせるの」

 梓が潤の手をもう一度握る。大きくて、力強い手のひらは熱を持ち、潤の冷えた手を温めるように包み込んでいる。

「私は貴女の剣だよ。貴女のために命を賭けたい。……それに、里にずっといても、恋の相手も見つからないしね」

 顔を上げて梓が笑う。穏やかな笑顔の奥に、獣じみた光が一瞬だけ覗いた。
 里一番の武人である梓は、物語のような恋愛に憧れる少女らしい一面を持っていた。理想の男性は『自分より強い男』だと言うのだから、ミスラ近隣の部族で彼女の相手になるような男など存在しなかった。
 やさしい性格の彼女は、恋愛相手を探すためだと口にする。その不器用さに潤は唇を噛み締めた。

「……波瑠は」
「太陽と梓ちゃんには悪いけど、わたしだけは着いていく正当な理由がある。わたしは潤ちゃんの影。そのために育てられたんだから」
「族長の命令で、あなたを自由にすることだってできる」
「望んでないよ。泥除けくらいに使ってちょうだい」

 波瑠は、潤の影武者として育てられた少女だった。歴代の族長の影武者は年齢や容姿を問わずに用意されていたが、波瑠は潤によく似ていた。並べて見れば別人であることはすぐにわかるが、声色や立ち振る舞いを似せれば、親しいものでなれば判別はつかないほどだった。
 そして、彼女自身も潤の友人として、この役割を誇りに思っていた。だから譲る気は無かった。

 三人とも、覚悟は固いようだった。誰よりも苦しい立場に置かれるのは族長である潤なのだ。里のために、族長として一族を守るために幼い頃から育てられてきた彼女が、代替わりとともに里を追われ、母の仇である国に嫁がされる。
 間違っている、と三人とも思っていた。古い掟に縛られたまま、変化を受け入れられない里の空気に、意を唱えることは難しい。それならばと、潤の側で彼女を支える道を選んだ。
 潤は、三人を順に見た。幼い頃から、ずっと隣にいた顔ぶれ。

「……ありがとう」

 小さく、だが確かに告げる。三人は、それぞれに頷いた。



 そして、輿入れの日が訪れた。
 風は冷たく、背を押すように吹いていた。振り返れば、ミスラの里がある。四人の帰る場所。そして――もう、簡単には戻れない場所。
 潤は、ただ前を見た。その先にあるものを、受け入れるために。
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