いつもの飲み会にて
執務室の壁に掛けられた時計に視線を向けること、これで何度目だろう。作成した書類について補佐に説明を求められたのをこれ幸いと、烏羽笑は席へと駆けつけた。頼むから一度で理解してくださいよ、と無言で圧をかけたのが伝わったのか、補佐は「急いでるのに悪いね」と声を掛けてきた。そう、急いでいるのだ。約束の時間はとうに過ぎている。こちらに視線を向けていた桔梗に短く頭を下げ、笑はPCを閉じて鞄を掴んだ。
指定された店に着くと、案内された座敷には革靴が二足と、隣の靴よりも二回りほど小さいパンプスが並んでいた。障子の向こうからは笑い声が聞こえてくる。毎月恒例となった集まりではあるが、自分だけが遅れたのは初めてだった。三人がすぐに打ち解けられるかを密かに心配していたものの、それは杞憂だったらしい。
「お待たせ〜! ごめんごめん。帰り際上に捕まっちゃってさ」
障子を開けると、三人が一斉にこちらを見た。
「おつかれさま! ごめんね先に始めちゃってて」
鴫原美沙が呼び鈴を鳴らし、流れるようにメニュー表を渡してくれたので、笑はそれを受け取った。すぐに来た店員に笑の夫である一未がビールとつまみを何品か注文してくれる。笑の好みは把握済みであるため、不足はなかった。
「いやいやミサミサと荒北さんも日々お疲れ様だよ。カズミンなんか自分の仕事が終わったら逃げるように退勤してたからね。アタシを待たずに! おかげで補佐に捕まった」
「それ俺関係無いだろ」
「あるね。帰るぞ!って声を掛けてくれれば逃げられたのに」
「公私混同はしない主義だ」
コートを置き、鞄を背に追いやると、罪滅ぼしのようにテーブルの上に並んだ食事を勧められた。三人とも既に酒が回っているのか上機嫌、もとい、少々興奮しているようにも見える。
ジョッキが手元に置かれ、笑は三人が掲げるグラスに軽く当てた。苦味と炭酸が喉奥を流れていく爽快感に、仕事とプライベートのスイッチが即座に切り替わる。
「ぷは〜っ! ビールは一口目が一番美味いよね〜。……で、三人で何話してたの? 盛り上がってたみたいだけど」
「美沙チャンと烏羽サンの共通のダチの話。そんな奴実在すんのかってちょっと盛り上がってたワ。俺は初耳なワケだけど」
「紹介しようと話し出したら二人とも怪訝な顔をするんだよ。この歳でイマジナリーフレンドを疑われるのは心外……私の心は折れちゃったので選手交代で」
ひらひらと手を振る美沙がグラスを煽る。これでもかなり無理をして話を振っていたのだろう。彼女は気遣いが上手い。ならば、一未はそれを察して当たり障りのない話をしていたのだろうか。しかし、新しい友人の話が出た途端、荒北が自分の知らない情報に臍を曲げてしまった。笑にはそんな経緯があったように思えた。
「俺も詳しく知りたいな、その“友人”とやらについて」
腕を組んでこちらを見た一未の姿に、美沙が目の前で肩を竦めた。笑たちが友人関係を無闇に広げないのは、彼らの存在も大きい。シンプルに説明が面倒臭いのだ。
「まず性別は女。ここ大事だよね。性別も自認も女。恋愛対象は男。オーケー? で、趣味がきっかけで知り合ったんだけど、あれよあれよと通話するようになって、ついに先日三人で会ってきたのよ」
荒北と一未は目を見合わせている。「囮捜査か?」と一未が言ったので、笑はすかさず彼の脇腹を突いた。いいだろ別に、SNSで知り合った相手と遊んだって。お互い成人女性なのだから。笑はそのまま話を続けた。
「会ってみたらイメージと違って……とかあるじゃん? それが全く無いの。すげ〜コイツネットのままじゃん、ネットが表人間じゃん、みたいな……。そしてアタシたち三人の会合は盛り上がった……。カラオケも行った……。解散する頃にはメチャメチャ親しくなっていた……」
うんうんと頷く美沙の横で、荒北が手を挙げた。
「……それっていつ頃の話?」
笑は片目を瞑って答えた。
「先月」
荒北と一未が「あ〜」と声を漏らし、天井を仰いだ。そう。敢えてこの会合のために黙っていたのだ。
だって盛り上がること間違いないし。説明もここで終えた方が楽だし。
「まあ二人が気に入ってるなら変な奴じゃないんだろう」
「友好関係が広がるのは悪いことじゃねえし、良いんじゃネ」
うんうんと頷きながら酒を煽り出した男たちに、笑は満面の笑みを向けた。
「それで本題なんだけどさ。ミサミサとその友達に会いにいきたいから、……二人とも、着いてこない?」
一未が目を少しだけ見開いた。言葉を発しないのは、荒北と美沙の反応を待っているからだろう。まあ、笑がこの発言をするということは、美沙と口裏は合わせてあると理解しているはずだ。懸命な判断である。
口を開いたのは荒北だった。
「二人でどうぞォ? 別に止めやしねェよ、ガキじゃねえんだし」
「靖友くんもぼっち仲間だから、新しい友好関係を広げることに不安があるんだよね。私、よ〜くわかるよ」
美沙が荒北に向けて聖母のような笑顔を向け、深く頷く。荒北は目を剥いた。
「いや同意求めてネェから! そのオトモダチも急に俺らが来てもやり辛れェだろ。オンナノコ同士で仲良くやれっつってんの」
オンナノコ……。
荒北の言葉選びに口角を歪めつつ、笑は一未に身体を向けた。美沙と荒北の会話を邪魔しないような声量で、一未が口を開く。
「で、その友達は何処に住んでるんだ?」
「ん〜。さっすが志摩一未。着眼点がいいよね〜」
「何で答えないんだよ。……友達、日本人だよな?」
「日本人だよ〜。名前は二藍ルナちゃん。食品メーカーで働いてる」
一未が一文字に結んだ口元を歪める。答え合わせのタイミングを見計らうため、笑は隣のご夫婦の様子を窺った。あちらもちょうどいい具合に佳境を迎えている。
「私が居なかったら靖友くんすごく寂しがるくせに!」
「そりゃ美沙チャンが仕事で缶詰になってた時のハナシだろ? ダチと遊んで来るくらい構わねェって言ってんの」
「……じゃあ一人でパスポート取るから!」
「ハァ!? 国外行くなら話は別だろ!! 何処行く気なンだヨ!!」
笑と一未はヒートアップした二人の会話を静かに見つめていた。女優・鴫原美沙のことなので、居酒屋に迷惑を掛けない程度の声量で感情の爆発を演じているのだろう。おそらく。
丁度よく出た荒北の「何処に行く気だ」に答えるため、笑は合いの手を入れた。
「せ〜のっ」美沙と声を合わせる。
「「バルカ共和国だよ!!」」
「……マジで何処ォ!?!?」
いやあ、良い反応だ。荒北は本当に良い反応をするから、一緒に飲んでいて楽しい。隣の一未は頭を抱えている。しばらくすると、スマホで調べたウィキペディアのページを向けてきた。
「……ロシア、モンゴル、中国、カザフスタンに国境を接する小国だ。初の海外旅行には少々ハードルが高い国だぞ?」
「女二人だと危険があるかもしれないから、お二人に声掛けたんじゃん。うちらは安全に配慮して渡航するつもりだけど、それでも心配でしょ? 二人とも」
笑の言葉に、一未と荒北はこくりと素直に頷いた。危ないところだ。黙って行かなくて良かった。
情報を小出しにしていくのも頃合いだろう。小休止のために飲み物とつまみを頼み直し、笑はテーブルの中心に置かれた一未のスマホの画面を指でなぞった。大きく映し出されたのは、バルカ共和国の地図だ。
「ルナちゃんは今バルカに住んでるから、この前日本に帰ってきてたタイミングで会ったんだよね〜。どうも旦那さんが現地の人で、一目惚れして口説き落として結婚まで漕ぎつけたらしいのよ」
「ウワ、……美沙チャンの友達、って感じするワ……」
「ちょ、ちょっと待って靖友くん語弊があるよ! 私は確かにストーカー気質のところがあったけど! ルナちゃんとはまたちょっと性質が違うというか……。こちらは計画的犯行で、あちらは突発的犯行!」
「結構変わり者なんだな、その二藍さんは」
一未が見ているページは、外務省の海外安全ホームページだった。バルカは薄い黄色のレベル1。数年前までは渡航中止勧告のレベル3だったらしい。まあ、凄い胆力だとは思う。けれど、何もかも捨てても一緒に居たい人が見つかるのは幸福なことだと笑は思う。それはミサミサも同意見のはずだ。先日会った際に旦那さんとの馴れ初めを聞き、さらに仲を深めたというわけである。
「ん〜。趣味はデスゲーム鑑賞で、47都道府県全部に友達がいるらしいけど、面白情報はそれくらいであとは普通?」
「普通かそれ? 美沙チャンと烏羽サンの20倍友達いんじゃん。デスゲームが好きで友達が多い女のイメージが湧かねェよ。黒幕やりたくて人集めてるタイプ?」
「あっはっは! 会ったらそのまんまで笑うと思うよ。荒北さんも興味出てきたでしょ? アタシはラクダで砂漠横断もしたい」
しれっとバルカ観光ツアーのページを見せると、一同が一斉に画面を覗き込んだ。そこには一面に広がる広大な砂漠と、色とりどりの装備を身につけたラクダに乗る旅人の姿が写っていた。日本円で大体一万円程度でツアーに参加できるらしい。遊牧民の家にホームステイもできるらしいが、それは別に興味ないかな。清潔なホテルで寝たいし。
「私は日に焼けたく無いからあんまり砂漠横断はしたくないんだけど……。近くの街で待ってるかも」
日和ったことを言う美沙だが、なんだかんだ参加してくれるというのは、これまでの付き合いで理解しているので問題はなかった。笑は悩める男二人を説得するため、最後の一押しをすることにした。
「安全面なら問題ないよ。ルナちゃんの旦那さんがね、地元の警察官なんだって」
「……怖ァ……。この辺り警察官多過ぎじゃネ? この場の職業人の3/4が警察、3組の夫婦のうち3組が警察関係者。イマドキの子供達はみんな警察に憧れあんのかね……」
「信用できるかはまた別だろ。金握らせたら情報喋るタイプの警察官じゃないだろうな」
「そこまでは知らないけど。そんなやつに一目惚れして日本捨ててバルカに移住するか?」
実際のところは知らない。しかし、笑の人を見る目を信用しているのか、それとも友情を尊重してくれているのか、一未はそれ以上何も言ってこなかった。汚職が無いかは事前に聞いておくことにする。
かくして笑たちは、夫婦二組で海外旅行に行くこととなった。主な公用語がモンゴル語であることは、この場では口にしないでおいた。おそらくルナが話せるし。出入国は翻訳アプリとAIでなんとかなるはずだ。