私は暗闇が怖い。


 私達が実習で選ぶのは、月明かりも無い夜だ。自分の爪先すらも覚束無い。そんな暗闇の中にいると、自分が溶けてしまうんじゃないかと不安になる。とんだ臆病者だって何度言われても、自分の手の平も見えないような暗闇の中で武器を持って飛び回るのは、怖かった。

 そんな忍者として致命的な恐怖に襲われるようになったのは、四年生の実習での失敗があったからだった。その時も月の無い夜だった。私は暗闇の中で敵と揉み合い、相手に滅茶苦茶に切りかかった。辺りが見えるようになってから、敵だと思っていた相手は私を止めようとしていた先輩だったとわかった。私の所為で右腕に大きな裂傷を負ったその先輩は、次の年には学園を卒業することなく、出て行ってしまった。「私が学園を出るのは、君のせいじゃないからな」先輩はそう言ってくれたけれど、私は一人の人生を潰したのだ。だから、怖い。甘いのはわかっている。そんなの忍びをやっていればいくらでも経験する事で、私だけじゃない。味方同士の争いだって珍しくない。けれども、目の利かない闇の中で、肉を裂く感覚だけが体に伝わるのが、その一瞬後に独特の血液の匂いを感じるのが、相手からあふれ出した血液が私の体を濡らすのが、私は恐ろしくてたまらない。自分の味方に手をかけた時のあの感触はもう味わいたくない。
 一度思ってしまうと、もう取り返しがつかない。しまいには夜中の実習に行くと手が震えだした。これは重症だ。あの先輩のように、私も学園を去らなくてはいけないのかと心配したが、四年生はまだ実習が少なかったので、私は窮地に陥る事はなかった。

 一つ歳を取って、私は五年生となった。実技の成績はまあまあ。体術は得意だけど、武器の扱いは上手くない。昼間ならなんとかなるが、夜になると手の震えが収まらない。
 今回の実習は四年生と合同で、私は今回成績を残さないと、在学が危ぶまれる可能性があった。闇に生きる忍者が、暗闇を怖がっていたんじゃ話にならない。確かにそうだ。


 私の仕事は陽動であった。逃げ足には自信があったから、武器を握ることなく森の中で身を隠していた。このままじっとしていれば、無事に実習は終わるだろう。
 そう考えていると、草を掻き分ける物音がした。

「うわっ」

 声のした方を見ると、紫色の忍び装束が見えた。向かい合っている相手は武士だ。刀を突きつけられた四年生は尻餅をついている。やばい、そう思った時には体が動いていた。
 後輩と相手の間に入り込んで、刀の一筋をかわして、鳩尾に踵を押し込んだ。安物とはいえ、甲冑を着込んだ武士に女の蹴りなんて効果があるわけでもない。ただ距離を置ければ良かった。私はやっぱり少しだけ、少しだけためらって、クナイを掴んだ。手のひらにある金属の感触で、体がぞくりと震えるのがわかった。目の先で金属がぶつかり合うと、火花が起きたように目の前が一瞬明るくなる。いくら目が暗闇に慣れても、ぎらぎらと光る刃物だばかりが目に入って、相手の姿が見えない。こわい。こわい。こわい。
 怖いけれど、私の味方は、後ろにいて、目の前の男は敵だった。
 男が刀を取り落としたところで、私の右手は男の指を四本切り落としていた。吹きだした血をかわす力も残ってない。追撃がこないとわかると男は逃げ出した。

「…大丈夫?って、…タカ丸さんだ。…大丈夫、ですか?」

 疲労困憊。ようやっと、肩で息をしながら尻餅をついていた四年生の顔を見ると、それは四年生に編入してきた、斉藤タカ丸さんだった。私より学年は下だけど、年は一つ上なのだ。
 彼は私の顔を見ると安心したように蒼白の顔で微笑んだが、次の瞬間ぼろりと涙を零した。
「えっ!タカ丸さん?どこか怪我しました?」
「…いやぁ、ごめんねえ…情けなくて、さ」
「…失敗なら誰でもありますよ。助かって良かったって思わなくちゃ」
 タカ丸さんの涙は止まらない。彼はすごく綺麗な顔をしてるのに、顔をくしゃくしゃにして涙を流す。鼻水も出てる。ついには嗚咽を漏らして膝を抱えてしまった。彼は人差し指で私を指して言う。
「…キミの手、ずっと震えてるでしょ」
 見れば、クナイを握りっぱなしの私の両手は気味が悪いほどに震えている。力を抜いて、手から武器を落とす事も出来なくて、私はへらりと笑った。笑顔は思ったよりも簡単に作れた。
「本当は、緊張してました」
「…怖かったよね」
「ちょっとだけ」
 握りっぱなしの手を自分の力でほどけなくて、私は膝を抱えるタカ丸さんの隣に腰を下ろした。
「手、出して?」
 握り締めたまま手を差し出すと、涙で濡れたタカ丸さんの手が、私の手を包み込むように触れた。固まって動かない指を、一本一本引き剥がしていく。自分の指なのに、全く思い通りにならない。
「次、左手ね」
 がちがちに固まる指がやっとクナイを離して、私は自分の手のひらが真っ赤なことに気がついた。タカ丸さんが自分の頭巾を解いて、水筒の水で頭巾を濡らして、私の手を拭いてくれた。
「あの、すいません…なんか」
 タカ丸さんは私の手をぎゅうぎゅうと握って言うのだ。
「助けてくれてありがとう。七詩ちゃんはこの手で、おれを救ってくれたんだよ」
 ぎゅうぎゅうと、痛いくらいに手を握るタカ丸さんの手はあたたかくて、けれども触れられてみると意外にも手は傷だらけだ。いつも笑っているけれど、この人が努力をしていることはたくさんの人が知っている。
 気付けば私は涙を零していて、ぽたぽたと垂れる雫はタカ丸さんの手の甲に落ちていく。悲しいわけじゃない、どうして涙が出るんだろう。多分、タカ丸さんがあんまりわんわん泣くからで、それに、彼の手が酷く温かいからで、私に、あんなに丁寧にお礼なんて言うからで。私は全部耐えられなくて、次は声を上げて泣いていた。

 ひとしきり二人で泣いたあとに、顔を見合わせて笑って、タカ丸さんが口を開いた。
「いやぁ〜泣いたねえ。そろそろ戻ろうか」
立ち上がるタカ丸さんの手を離すのが惜しくて、私は手を掴んだまま彼と一緒に立ち上がる。不思議そうな顔をするタカ丸さんに、思いきって言ってみる。
「あの、」
「なに?」
「手、…しばらくこのままでも良いですか?」
「全然良いよ〜」

 片方の手を繋いだままに、タカ丸さんは繋いでないほうの手で私の頭にぽんと触れて言う。
「おれも早く、頼ってもらえるようになるからね」


< 灯 >
2012
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