誰かのために、自分を犠牲にするってどんな精神状態だったらできるんだろう。本当に、心の底から大切な人のためだったらー、まあ、その時になってみないとわからないけど、自分を犠牲にしたりできるかもしれない。
けれど、見ず知らずの人のために、その身を差し出すことなんて私にはできない。自分が助かるために、見ず知らずの人を犠牲にする事だったら、もう少し想像し易い。だって、私は忍者のたまごだから。少しの非情さは、やっぱり必要だと思う。
だから、怪我をした雑兵を助けて、そいつに切りつけられて深手を負ってるなんて、そんなの、信じられる事ではないのだ。どこまでも愚かで、どこまでも報われない。
「七詩、随分処置が上手になったんだね。君がいなかったら危なかったなあ」
柔らかい草の上に仰向けになっている伊作先輩はなんでもないことのように笑う。刀傷は深い。死にいたるほどではなかったけれど、学園に戻ったらしばらく療養は必要だろう。それなのに、喜八郎の掘った穴に落ちた時のように、伊作先輩は笑う。私はそれが気に食わない。
「…味方だけ、治療したら良いじゃないですか。わざわざ、敵に情けなんかかけなくったって良いんです。感謝されたって、その人、敵ですもの。味方の誰かに殺されるかもしれない」
現に、伊作先輩を襲った雑兵は仕留めておいた。どこかの村から借り出されてきた農民だった。どうして恩を仇で返すような真似をするのかと問うと、あんなのは恩ではないと返された。助けられたのか、騙されているのかもわからないのだ。けれどそれが戦場ではないか。だからそんなところで、慈悲などをかけるのが、間違いなんだ。
「それでもね、僕は放っておけないんだ」
「でも、それで、先輩は何を望んでるんですか。戦がなくなることですか。感謝される事ですか。何百何千を助けたって、報われない。治療がしたいならお医者様にでもなられたほうが良いです。そっちのほうが、先輩には向いてると思います。どうして、」
「それは…」
伊作先輩にこれ以上喋らせると、また傷が開いてしまう。保健委員として、安静にさせておくべきだ。連絡ののろしを上げたから、しばらくすれば先生方が救助に来てくれるはず。それがわかっているのに、私は尋ねずにはいられなかった。
伊作先輩は青白い顔のまま「…保健委員だから、じゃ許してくれないかな」と笑った。
保健委員だから、というのは、理由になっていないような気がする。だったら、私も保健委員だし、数馬も、左近も、乱太郎も伏木蔵もそうだ。見知らぬ人が倒れていたら、そりゃあ介抱くらいはしてやるかもしれない。けれど、敵にまでするか、といわれれば、首を傾げるだろう。悪いけど、私はそこまで出来ない。
医療の知識があって、人を助けられる力があるから、傷ついた人を放っておけないのだろうか。でも、それなら、町医者にでもなればいい。そのほうが、伊作先輩が傷つく事はなくなる。
そう。わたしはただ、この人を見ていられないのだ。他人のために傷つく伊作先輩を見ていたくないだけ。それなのに、目を逸らせない。先輩の傍から離れられない。それで、先輩の生き方を否定して。愚かなのは、わたし。
「七詩、心配かけて ごめんね」
大丈夫だから、泣くんじゃない。
そう言われたら、もう我慢していたものが全部音を立てて崩れ落ちてしまう。
伊作先輩、私あなたが好きです。どんなに損をしても、諦めないで笑えるあなたが好きです。誰にでも親切で、そう、敵にさえ慈悲を与えてしまうあなたに惹かれて、目を逸らせない。
けれどもその反面、不安でたまらないのです。
あなたがその愚かさにも近い優しさのせいで、裏切られて、騙されて、消えてしまうんじゃないかって。
「伊作先輩のことは、誰が救うんです」
涙ながらに零した言葉に、先輩は答を返さなかった。
ただ少し困ったように笑うと、そのまま目を閉じて、それきり静かになってしまった。
私が救うと明言できたなら、その時点で先輩は少しでも救われたのだろうか。無差別に誰にでも救いの手を差し伸べる伊作先輩は、本当は自分が一番、誰かに救われたいのではないだろうか。
燃え尽きそうな程に先輩を見つめているのに、私の差し伸べる手は蜘蛛の糸よりもずっとずっと儚い。
あした、
世界が
終わりますように
2012
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