隣の席の竹谷くんとは、高校生活3度目のクラス替えで初めて同じクラスになった。
 中学も違うし、家もずいぶん離れている。
 それなのに、わたしは彼と何処かで会ったことがあるような気がしてならない。中学生の時の部活動の大会か、はたまた街ですれ違ったのか。
「わたしたち、どこかであったことある?」
 突然そんなことを言い出そうものならば、人の良い竹谷くんも流石に怪しむだろう。
 だからわたしは抱いた既視感を確かめられないままに、英語の読み合わせの時の彼の声に耳を澄ませ、休み時間に笑う顔を自然に目で追うようになってしまっていた。


 わたしが竹谷くんに抱いている感情に名前が付くころ、三年生最後の夏休みが始まろうとしていた。休み、と名前は付くものの、実際は夏期講習のために殆どを学校で過ごすことになる。受験勉強のラストスパートをかけるために生徒は勿論、教鞭を振るう先生方も真剣だった。
 そんな受験ムードの中、クラスで不穏な噂が流れ始めた。
 ーーどうも、このところ不審者が出るらしいのだ。
 学校の近くで埋められた小動物の死体が度々発見されているらしい。そのどれもが鋭利な刃物で腹を裂かれ殺されている。数ヶ月前からも生き物の死体は見つかっていたのだが、その頃は鼠や小鳥の死体であったものが、最近では対象が犬や猫に移ったそうだ。ーーそのうち、対象が人間になるのではないか、と生徒たちの中で囁かれていた。
 そんな話を聞いてしまったら、怖くて講習の帰りなんて一人で帰れない。生憎わたしは隣町からこの高校に通っていたから、駅まで歩かなければならなかった。
 講習終わり、靴箱の前でわたしは意を決して玄関に足を踏み出す。携帯のライトで足元を照らして、最悪歌でも歌いながら帰ってやろう。わたしが不審者になって撃退する作戦だ。
「十村、お疲れ。……探し物か?」
「おつかれ! これは通り魔対策!」
 校門を抜けて少し歩いた辺りから人通りが少なくなってくる。いざ、とライトを振っていると、後ろから自転車を押す竹谷くんが声を掛けてきた。
「通り魔だったっけ。ま、なんでもいいか。帰りは一人で帰んの?」
「そうなの、同じJRの子たちは講習受けてないんだ」
「駅まで送っていくか?」
「え! 嬉しいけど、遠回りじゃない?」
「あの辺暗くて物騒だしさ。気にすんなって」
 歯を見せて笑う竹谷くんは、底無しに良い人だと思う。どこかで会ったことがあるとかないとか、わたしはもう気にならなくなっていた。一目惚れの言い訳だったのかもしれない。

 それから、講習の帰りは竹谷くんが駅まで送ってくれるようになった。夏休みが終わり席替えがあったが、わたしたちは、また、隣の席になった。
 彼は動物が好きで、小動物も、犬猫は勿論、動物園にいるような大きな動物も大好きだそうだ。それじゃあデートに誘うなら動物園がいいかなあ。それほまだ早いかしら。
 早とちりな思考を引き戻して、志望校を聞いた。獣医になれたら、と照れながら言う彼はめきめきと判定を上げている。勉強よりもスポーツが得意なイメージが強かったけれど、努力家なのだろう。
 一緒の大学に行けたらいいなあと、わたしは彼の第一志望をそっと覚えておくことにした。

 最近、勉強の途中で眠ってしまうと、疲れているのか変な夢を見ることがあった。
 夢の中でわたしは大勢に追われていて、足を滑らせて転んだ拍子に捕まってしまう。すぐ近くで、獣の唸り声がする。黒尽くめの集団は一人ひとりが武器を持っていて、月を背に掲げた刃が光る。躊躇いもなく何本もの刃が、振り下ろされる。そこでわたしは、死を覚悟する。
「ーーーーっ、また、この夢……」
 痛い、と感じる前に目が醒める。
 喉がカラカラに乾いて、お茶を飲みに台所へ向かった。目が冴えてしまったから、音を小さくして居間のテレビをつけた。時計は2時を指している。
「ーー大川市で、大量の動物の死体が地中から発見された事件ですが、犯人は未だ見つかっていません。警察は近くの小中学校に注意を呼びかけ……」
 ーーまだ、やってたのか。不審者は未だ動物を殺し続けているらしい。何が目的なのか、犯人像も一切不明。動物を悪戯に殺すような奴は間違いなくサイコパスだろう。
 しかし、この犯人、よくもまあ警察の目を掻い潜って半年も犯行を続けられるものだ。犯行は月明かりのない深夜に行われる。動物の腹を割いて殺したあと、犯人は何故かその死体を丁寧に地中に埋葬している。そこまで知られているのになお、犯人の足取りは掴めない。まるで忍者みたいだ。
「………忍者、ねえ」
 ぽつりと、考えを口に出した瞬間に、寒気が襲った。フラッシュバックするのは先ほど見た悪夢だ。
 夢の中でわたしは、忍者であった。そしてそのわたしを追いかけるのもまた忍者で、わたしは追われて、それから無残に殺されている。
 ーーーどくん、と心臓が跳ねた。わたしは無意識に時計を見て、それからカーテンを開けて外を見た。月は糸のように細く、こんな日は忍務が捗りそうだ、と思った。
 枕元のスマホを手にとって、LINEを送った。
 それから寝間着にパーカーを羽織って、ポケットに家の鍵と小銭、スマホを突っ込んで静かに静かに家を抜け出した。
 田舎の夜は暗い。街灯すらも少ない夜の道を自転車で駆ける。改めて、便利だよなあ、自転車。車が運転できる年齢だったらもっと良かったけれど。贅沢は言わない。
 不審者も通り魔も、もう恐ろしくはなかった。出てきてみろ、という気持ちだ。夜は、お前たちの世界ではない。
 わたしは自転車を必死で漕いで、学校の裏庭にやってきた。裏庭には大きな桜の木があった。秋も半端だというのに、半袖を着た男が木の下に佇んでいた。
 彼がここにいることは分かっていた。この高校は、わたしたちがかつて通った学び舎と似通った場所に建てられていた。
 わたしの墓は学園の桜の木の下にあった。だから、彼はきっと、最後にこの場所に来るだろうと思っていたのだ。

「……でしょ? ハチ」
 八左ヱ門は返事をしなかった。彼の手は土に汚れていて、近寄れば血の匂いがした。ニュースで幾度と無く聞いた犯人の手口と同様に、彼の手にかけた動物は丁寧に埋葬されている。
「お前に謝りたくて、気が遠くなるほど生きたんだ」
 彼の頬を涙が伝った。八左ヱ門は目を腫らして、震える拳を握りしめてわたしを見つめる。わたしは彼の泥だらけの手を取った。
「謝る必要なんて、ないのに」
 かつて、わたしは自分の城を裏切った。恋人であった八左ヱ門の目の前で、身体を切り刻まれて殺された。責任を負わされ処刑を任された八左ヱ門は、泣く泣くわたしの身体を動物たちに食わせなければならなかった。
「城を裏切り、若殿を助けることは俺ら皆で決めたことだった。あの時、ヘマをしたのは俺だ。俺がもっと上手くやれてりゃ、お前が死ぬことはなかった。お前が、縛られることもなかったのに」
 はらはらと八左ヱ門は涙を流す。
 ほんの数時間前まで、わたしたちは平成の世を生きていたはずだった。進路の話をしたり、部活に精を出していた、「隣の席の竹谷くん」はもういなくなってしまった。
 こうして対話しているわたしたちは、室町を生きた亡霊だ。
 わたしと八左ヱ門が勤めていた城は、殿様が呪術師に傾倒してからおかしくなってしまった。わたしたちは忍軍の中で賛同する人たちを集めて、若殿を逃す算段を立てていた。それが失敗してしまったのだ。
 わたしの身体は散り散りになって、それとともに魂も砕かれ、動物たちの中に閉じ込められてしまったのだろう。
 それを探すために彼は、自分が1番傷つく方法を選んだ。
「俺は、許されないことをした。償いきれない罪を重ねて、自分の望みを果たそうとした。……なあ、瑠璃」
 生き物を深く深く愛した八左ヱ門が、どんな気持ちで動物たちを手にかけたのか。わたしは、彼に掛ける言葉を持たない。

「愛してたんだ」

 それだけを告げると、彼の体はぼろぼろと崩れ始めた。人の身体は、500年もの年月を耐えられるようにはできていない。作り物のまやかしを、わたしは見つめていたのだろう。
 わたしたちは崩れていく中、そっと口付けを交わした。
 彼のかけらははらりはらりと舞い、秋も半ばだというのに、まるで桜のように散っていった。
 古い記憶を思い出すことが自分にとって良かったのか悪かったのかは判断がつかない。けれども、彼の名前を最後に呼ぶことができて良かった。ひとつでも、彼にとっての救いになればいい。


 次の日から、わたしの隣の席は空席となった。初めから空っぼであったかのようにクラスメイトたちは普段通りに過ごしている。動物たちが殺されたニュースも、探せど探せど見つからず、あの桜の木の下を掘ってみても、動物の骨ひとつ見つからなかった。
 ただ、わたしの記憶の中だけで、八左ヱ門は生きている。100年後、500年後、次に会えるのはいつだろう。
互いに昔の記憶なんて無くして、血生臭い過去なんて捨てて、冗談みたいに「はじめまして」と出会えたら良い。
 いつか、どこかで、またあなたに会える日を、祈る。

< 面影を追う >


prev next
back