有花無月恨茫茫 有月無花恨轉長
花美似人臨月鏡 月明如水照花香
扶杖月下尋花歩 携酒花月對月嘗
如此好花如此月 莫將花月作尋常
忍びが歩くには眩しすぎる夜のこと。まろく膨らんだ満月は黄金色に輝き、闇夜に光を伸ばしている。月下にて咲き誇る藤の花が光を浴びてやわらかく揺れた。
忍術学園を統べる長――大川平次渦正は愛犬の淹れた熱い煎茶を啜り、深く息を吐き出して、開け放たれた障子から月と花を眺めながら明の国の歌人の詩を諳んじた。
学園長の庵、その下座には学園長の命によって二名の教員が姿勢を正し座している。その内のひとり、木下鉄丸は鬼のような相貌を動かさずに太い眉を上げた。
「――花月吟、ですか」
「ほっほ。儂はある思い付きをした。素晴らしい催しじゃ」
如何にも好々爺といった素振りで深くうなずくと、学園長は立ち上がり、月を背にして二人に笑いかけた。
また恒例の、『学園長の突然の思い付き』だ。教員たちもこの突然の発案には悩まされていた。生徒だけではなく教員たちをも試すように突然告げられる演習や学園中を巻き込んだ騒動は、もはやこの学園のお約束と言っても差し支えは無いだろう。
困ったような表情を浮かべはするものの、学園に勤めている教員たちは全員が一流の忍びである。突飛な指令に対応するのが仕事と言われれば、果たさないわけにはいかない。
まるで自分たちも育てられているような気分になるのだから恐ろしい。鉄丸が口角をあげれば隣に座る美しいくのいち、山本シナが声をあげた。
「あら、くのいち教室の子たちも参加できるんですの?」
「おぉ、この実習の主役と言っても差し支えぬ。忍たまたちもくのたまの戦い方を見て学ぶこともあるじゃろう」
学園長の発言を聞き、二人の教諭は互いに顔を見合わせ目を丸くした。自分たちがこうして呼ばれたということは、少なくとも上級生を対象とした実習――限りなく実践に近い内容のものが行われるのだろう。
すぅ、と学園長が息を吸った。吐き出される言葉を前に、空気が重くなる。二人は姿勢を正した。
「忍たま上級生、くのたま上級生による合同演習――『宴』を行うッ!」
高らかに宣言された言葉を聞き、木下鉄丸と山本シナは深々と頭を下げた。
夜更けだというのに今宵の月はあまりにも大きく明るい。二つの影が音も立てずに廊下を渡っていく。
忍び装束の上に羽織を着こみ、楪牡丹と十村瑠璃は忍たま上級生の長屋へと向かう最中であった。首を竦めて両手で自分を抱きしめるように、短い髪を震わせて瑠璃は小声で牡丹に話しかける。
「どうして夜更けに集まるかなあ。急すぎるよ……」
「ほら、瑠璃ちゃん。六年生の先輩方もお待ちになっているんですから、しゃんとしなくては」
夜もとっぷりと更けた時間に呼び出されたというのに即座に長い髪を結い直し、準備を進めた牡丹は瑠璃の背を小突いて曲がった髪紐を整えてやる。文句を口にしながらも欠伸をしてみせる瑠璃はなかなか神経が太い。
山本シナに呼び出され、学園長の思い付きによって行われる合同演習の内容について説明を受けたのはほんの四半刻前のことであった。
忍術学園では実践に見立てた演習が授業の課程に多く含まれている。今回の思い付きも例に漏れず、『忍たま上級生とくのたま上級生による合同演習』を行うとのことだ。
シナの説明によれば、六年生と五年生が「護衛」となり、くのたまの二人がそれぞれの組の「姫」役となる。護衛はそれぞれ木札を持ち、奪われてしまえば戦闘不能と見なされる。
勝利条件は二つ。一つ、相手の「姫」を攫い、実習の終わりまで自陣の砦に捉えておくこと。二つ、相手の「護衛」の木札を三枚奪取すること。このどちらかを満たした時点で勝利となる。
瑠璃は説明を聞いて肩を落とした。いくら姫役とはいえ、戦闘は免れないだろう。何せ忍者の実習らしく、火器の使用以外はなんでもありの実習だ。実習場所である裏裏山には教員が適宜待機しているが、命に係わる事態にでもならなければ止められることはないだろう。
牡丹が忍たま長屋の前で足を止めた。視線の向こうには高学年の長屋がある。
演習に参加する人数は合計で十人だ。人数を調整するため、五年生六年生はそれぞれ籤を引いて人数を二人ずつに調整している。牡丹と瑠璃もまた、山本シナによって差し出された籤を事前に引いていた。急遽集められた忍たまたちは既に組ごとに分かれ、作戦会議の準備に入っている。
藍と紅の二組に分り振られた瑠璃と牡丹もまた、作戦会議に向かっていたのである。牡丹は懐から先端が紅色に染められた和紙の紙縒りを出し、五年長屋の方を指さした。
「瑠璃ちゃん、ご武運を祈っています」
瑠璃も自身の藍色に染まった紙縒りを顔の前に掲げて牡丹に向かって手を振った。瑠璃が向かうのは六年長屋だ。
「お姫様として、精一杯がんばりますわよ!」
瑠璃が飛ばした冗談に笑いながら、牡丹は「五年い組」の札が掛かる部屋の前で声を挙げた。
「くのいち教室、楪牡丹、入ります」
紅組の作戦会議は五年い組――久々知兵助と尾浜勘右衛門の部屋にて行われた。
牡丹が部屋に入ると、既に忍たまたちが車座になって顔を突き合わせていた。この部屋の主だというのに末席に端座する久々知兵助が一人分の席を空ける。牡丹が姿勢を正せば一同の目が集まった。
「遅くなり申し訳ありません。この度、先輩方と共に実習に参加する運びとなりました。何卒宜しくお願い申し上げます」
牡丹の誠実な声色に緊迫した雰囲気が和らぐ。中心に座る食満留三郎が口を開いた。
「よく来たな、楪。皆そう硬くならないでくれ。五六年、それにくのたままで参加しての実習なんざ中々無い機会だ。愉しむくらいの余裕もって、――勝とうぜ」
瞳の奥にぎらつく炎を灯して留三郎が笑う。隣で大樹のように構えていた中在家長次が力強く頷いた。寡黙な長次は後輩にも不必要な言葉をかけることはしない。その余裕がまた、自分たちの勝利を確信しているかのように見えた。
兵助の隣でこれまた口元に涼やかな笑みを浮かべた不破雷蔵――の姿を借りた鉢屋三郎が顎を撫でながら「さて」と声を挙げた。どうやら今回紅組の参謀は三郎が担当するらしい。
「僭越ながら、この度の参謀を務めさせていただきます。全員が揃ったところで、今一度この演習の内容と勝利条件の確認を行いましょう」
三郎は滑らかに演習の内容を復唱する。姫と護衛に分かれ、姫を攫うか護衛の持つ札を三枚奪取することで勝利となる、というところまでは教師から説明された通りであった。一息で話し切った三郎は一度言葉を切り、牡丹を見つめた。
「姫役に割り当てられたくのいちには、砦から「逃げ出す」という選択肢がある。そこが、うちの組の強みでしょうね」
「ちょっと待て、鉢屋。お前たちは同学年で既知の間柄かも知れねえが、俺たちと楪は互いを深く知らんのだ。説明を頼む」
三郎の投げかけに眉を潜めたのは留三郎だ。兵助が三郎の脇を小突いた。優等生らしく続きを促す様は、説明不足だと言いたいのだろう。
「牡丹は我々五年と同等の戦力として数えて申し分ないでしょう。膂力は当然八左ヱ門や勘右衛門には劣りますが、胆力は兵助に負けず劣らずと言ったところです。頭の回転も速いし、体術も最上級生として申し分ない」
「三郎くん、先輩方の前で出鱈目な評価はやめて頂戴」
牡丹が驚いて三郎に制止を促すが、三郎は気にもせずに続けた。
「だからもし捕らえられたとしても、戻ってくるだけの実力はある。これは一つの保険となりますね」
思わず牡丹は「この野郎」と三郎の脇腹を抓り上げるところであった。急に褒め殺しに掛かるものだから、何を言いだすのかと思えば、暗に牡丹に面倒事を任せようとしているだけではないか。
「……いくら武芸に達者とはいえ、くのいちの身では七松先輩や潮江先輩相手じゃ為す術もないだろう」
ぴしゃりと言い放った兵助に、牡丹は肩を竦めてみせる。火薬委員会委員長代理を務める兵助は牡丹と同じ委員会の所属でもある。彼の間合いは掌ひとつだ。相手の懐に飛び込むだけの恐ろしい度胸を持つ兵助は、それだけの武器を使いこなすために血の滲むような努力を積み重ねている。それを知っているから、兵助の評価を牡丹は信用していた。
「囮でもなんでもこなします。女であることに遠慮は必要ありません」
「申し出は有難いが、俺たちはお前を囮に使う気はない」
正面を見据える漆黒の瞳に対し、宥めるように留三郎が掌を向けた。長次が留三郎の言葉を引き継ぐ。
「……お前は、薬学に長けていると聞いた。十村を、逃がさないでくれ」
「それは……」
ぞくり、と牡丹の背が泡立った。彼らの中ではもはや勝利の算段は立てられているのだ。
「私たちは一つ目の勝利条件を狙う。相手側の「姫」の捕縛だ。恐らく相手は反対に二つ目――札の奪取を狙ってくるだろう。札を持つ私たちに狙いを定められれば動きが制限される。武芸や薬学に通じるお前の動きが勝利の要となる。頼んだぞ、牡丹」
参謀である三郎の言葉を受け、牡丹は震える身体を押さえつけて四人をゆっくりと見まわした。
「承知いたしました」
「良い目じゃねえか! 三郎、続けろ。準備期間は短いぞ。大体の算段は立てておかねえとな」
肌寒い深更の筈なのに、五人の集まる部屋はどことなく熱気に満ちていた。
紅組と同様に、藍組として分けられた面々もまた、六年ろ組の教室に集いて顔を突き合わせていた。
――入り難い。
瑠璃は閉め切られた障子に手をかけた状態で固まっていた。膝を付いたところまでは良かった。そこから、どうも身体が動かないのだ。自分がそこまで臆病だとは思っていなかったが、どうにも、障子の先で落胆する同輩や先輩方の顔を想像してしまうと中々身体が動かなかった。
それでもこのまま固まっては悪戯に時間を浪費させるだけだ。――さて、と呼吸を整えて障子を引こうとした瞬間に、先んじて障子が開け放たれた。そして、怒号。
「早く入ってこんか、このバカタレが!」
「ひぃ! 十村、入ります! み、みみ未熟者ですが、この度は宜しくお願いいたします」
会計委員会委員長潮江文次郎が怒りの形相を湛えてそこに立っていた。怒りの形相を目にする前に、頭を下げたまま挨拶をするものだから、文次郎も「顔を上げんか!」とまだ怒声をあげる。部屋の中から堪らず吹き出した声と笑い声が漏れた。ちらりと顔を上げて瑠璃が四人の顔を確認した。
六年ろ組の部屋の上座には胡坐を掻いた七松小平太が、その隣には腕を組んだ潮江文次郎、向かって下座には腹を抱えた尾浜勘右衛門と心配そうにこちらを覗く竹谷八左ヱ門が端座していた。
そろりと空いた下座に座ると、痺れを切らした文次郎が低い厚みのある声で話し出す。
「この度参謀を務める、潮江だ。一風変わった演習だが、全て己の糧、鍛錬だと思って取り組むように。また、鍛錬馬鹿共に負けるつもりもない。俺たちには勝利しかないと思え」
小平太が乾いた唇を舐めて、下座の三人を見まわした。それから獣の様な目で瑠璃を見据える。
「なあ十村、お前は何ができるんだ? 聞けば向こうの楪は武芸と薬学に秀でるそうじゃないか」
ぐ、と言葉に一瞬詰るが、瑠璃は負けじと目を剥いて小平太に向き直した。
「……比較してしまえば、楪に敵う部分はありません。それでも、外れ籤を引かされたと思わせないように致します。わたし、秀でるものは少ないですが、心身ともに頑丈です」
「頑丈?」
改めて問われればやはり言葉に詰まる瑠璃に助け舟を出したのは文次郎だった。
「……十村は俺と組手をしても折れんぞ」
「本当か! それは凄いな!」
口を挟んだ文次郎の言葉に、驚いた表情を浮かべたのは勘右衛門と八左ヱ門だった。六年生の中でも武闘派と名高い文次郎と組手などすれば、通常のおんなの骨なら簡単に折れてしまうだろう。五年から突然会計委員に所属することとなった瑠璃がどれだけ文次郎に教育されたのかを想像して、二人は目を泳がせた。
「元々保健委員会で人体の構造には熟知しているだろうし、多少なりとも会計で扱いた体力はまあ評価できるだろう」
「簡単には捕まらない、ってことだよねえ」
ねえ? と人懐こい表情で見つめてきた勘右衛門に、瑠璃は乾いた笑いを返す。
「相手は恐らく札よりもこいつを捕まえに来るだろう。何せこっちには小平太がいる。近距離を俺と竹谷、中間を尾浜に守らせりゃ、簡単に崩れることはねえ。ともすれば隙を見てこいつを攫う方が楽だろうよ」
「それじゃあ、瑠璃の傍に何人か付ける戦法を取りますか? 舞台は森ですから、動物を使えば位置の把握はできますよ」
八左ヱ門の問いに、文次郎が首を振った。
「勿論、動物は連れてきてくれ、相手の位置を探らせる。……瑠璃、お前は死に物狂いで小平太に食らいついていけ。こいつを護衛だと思うなよ。――悪いが、お前には「餌」になってもらう」
やっぱり、と瑠璃は唇を噛んだ。戦術としてはそうなることは予想できていた。相手の姫、牡丹は薬学に秀でた忍び一族の秘蔵っ子だ。保健委員長が参戦するならともかく、彼女を止めるだけの毒や薬を調合できる者はこの面子の中にはいない。生物委員長代理を務める八左ヱ門も、昨年まで保健委員に所属していた瑠璃すらも、楪一族の秘伝の薬への耐性は持たないのだ。
毒や薬に秀でた牡丹を連れ帰り、時間まで捉えておくことは博打でもあった。それよりは、彼女の周りの護衛の木札を狙うほうが堅実であろう。
「責任重大だねえ、瑠璃」
勘右衛門が冗談めいた口調で肩を押してきた。すっかり顔を白くした瑠璃は、緊張を湛えた長い溜息を吐き出し、消え入るような声で言った。
「……こんなの全然お姫様じゃないですわ」
呻いた姿にまた四人は笑った。
++++++++++++
< 紅組 >
食 満 留三郎
中在家 長 次
久々知 兵 助
鉢 屋 三 郎
< 藍組 >
潮 江 文次郎
七 松 小平太
尾浜 勘右衛門
竹谷 八左ヱ門
花月吟(かげつぎん)/唐伯虎(とうはくこ)1470 〜 1523
有花無月恨茫茫 有月無花恨轉長
花美似人臨月鏡 月明如水照花香
扶杖月下尋花歩 携酒花月對月嘗
如此好花如此月 莫將花月作尋常
花が咲き月が出ていなければ、ぼんやりと物足りない感じである。また、月が出て花が咲いていなければ、物足りなさが長引くのである。
今夜は月も出て花も咲いており、美しい花は美人のごとく鏡に向かうように月にのぞんでいる。月明りは澄んでいる水の如く香りよい花を照らしている。
杖をついて月に照らされた花を見ようと散歩し、酒を携えて花を前にし月を見て杯を傾ける。
このような美しい花、美しい月はつねに見られること思ってはいけないよ。
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