六年生の中で一番、攻撃に秀でているのは誰か。
もしこのような問いを六年生にしようものならば、その多くが自分の名を挙げるだろう。では、六年生の中で一番、防御に秀でる者は、と問いを変えたならばどうか。彼等は顔を突き合わせて、満場一致で一人の名前を挙げるだろう。
中在家長次。図書委員会委員長であり、生き字引と呼ばれる彼は、防衛任務に滅法強かった。
文次郎と小平太が長次から漸く木札を奪った時、彼等は肩で息をする程に疲労していた。長次の担った役割は「相手の時間を奪うこと」だ。二人のどちらかを倒すことが目的であれば、決着はもっと早く着いていたのだろうが、守りに重きを置いた長次から札を奪うためには攻撃に特化した文次郎と小平太二人掛かりでも手を焼いた。
「長次! お前後輩に甘すぎやしないか⁈」
「……お前等だってそうだろう」
木札を奪われ、深く息を吐き出した長次に向かって、小平太が唇を尖らせた。
上がった息を整え、額に浮かぶ玉の汗を乱暴に拭えば、待ち構えていたかのように毛並みの良い鴉が文次郎の腕に止まった。
「おお、竹谷か。尾浜は上手くやったようだな」
文次郎が鴉の足に括りつけられていた地図を開いた。小平太が文次郎の手元を覗き込む。簡略化された裏裏山の地図には、砦の場所、罠の位置、それから予測される相手の位置までが書き込まれていた。
「……末恐ろしいな」
思わず声に出してしまった。まるで自分の手足のように動物を使うのだ。文次郎たちが通ってきた道と殆ど狂いが見られない。八左ヱ門が送ってよこしたのはそれ程精度の高い地図であった。
これが実戦であると仮定すると、八左ヱ門の虫獣遁の技術の高さが伺える。戦場では、相手の情報が何よりも重要となる。敵陣に間者も送らずに動物だけでこれだけの情報を得られるのであれば、彼は引く手数多の忍者となるだろう。
一つ下の学年と、戦場で会いたくはないものだ、と柄にもなく祈るように文次郎は懐に地図を仕舞い込んだ。
「文次郎、行くか?」
首を曲げ、骨を慣らす小平太が言った。長次との戦闘で、すっかり戦闘態勢に入ったらしい小平太はぎらぎらと目を光らせている。乗せられるように、文次郎も掌に拳を打ち付けた。
「おう、あと一枚だ。留三郎の野郎の泣きっ面拝みに行くぞ」
「えぇ? 男の泣き顔なんぞ見てもなあ……」
ここは一体どこなんだ。
勘右衛門は二学年下の方向音痴の後輩の真似をして腹のうちで叫んだ。かなり追い詰められていた。
短く息を吐き出して、背後に迫る気配から逃げるために目先の枝を掴む。けれども掴んだはずの枝は指一本分遠く、一瞬だけ体勢を崩してしまう。
(畜生、さっきからこれだ)
兵助と戦闘した際の傷がじわりと痛む。止血はしたものの、腕を庇いながら逃げるわけにもいかず、動くたびに傷が開いて血が滲むのが分かる。流れる血はゆっくりと確実に、勘右衛門から速さと軽やかさを奪っていった。そして、彼の背後から恐ろしい速さで迫りくるのは、鉢屋三郎だ。
(三郎、おれが八左ヱ門の変装したの解ってるな。今回のおれ、ほんっと良いとこないなあ、もう!)
姫役を危険から救ったり、颯爽と相手を倒したりしたかった。八左ヱ門と冗談で笑いあった数刻前を懐かしみ、勘右衛門は背後の三郎に向かって走りながら手裏剣を打つ。金属のぶつかる音で、放った手裏剣が容易に弾き落とされたことがわかる。
悪態を噛み潰し、丈夫な枝を選んで足を駆け、跳躍した。一度地面に下りることも考えたが、下を向いた瞬間に視界が揺らぐ嫌な感覚に襲われて、やめた。
幻術の類だろうか。先程から感覚が少しずつ狂わされているのだ。
勘右衛門は八左ヱ門と瑠璃の二人と合流するために砦へと向かっていたはずであった。それが如何してか、歩けども歩けども辿りつかないのだ。終いには自分が歩いている場所すらもわからなくなり、伸ばした自分の指先すらも覚束ない。心当たりは、一瞬だけ鼻をついた匂いだ。気付かぬうちに毒でも撒かれたか。
毒ならば、牡丹の得意とするところであった。初めから警戒して解毒剤の類は用意してあったが、方向感覚を狂わす毒物に抵抗できる薬など手持ちにない。
しかし疑問が生じる。牡丹が、屋外のそれも勘右衛門が通るかもわからない森に毒を撒くだろうか。それ程広範囲に毒を撒いてしまえば、こちらには八左ヱ門と瑠璃がいる。毒物を得意とする同輩がいることは彼女も百も承知のはずだ。自分の場所が漏れることを想定していないわけがないのだ。
牡丹は聡いくのいちだ。勝算が無ければ広範囲に毒を撒いたりなどはしないだろう。ここに、勘右衛門がいることが分かって、術を仕掛けたのだ。
――ともすれば。こちらの動向を把握している可能性を視野に入れなければならない。
木札の枚数で有利に立っているとはいえ、勝利したわけではない。制限時間が終わるまで、油断は命取りになる。二枚札を取られている相手方こそ躍起になって攻撃してくることは予想できていた。
背後には三郎がぴたりと迫っている。自分の速度は落ちていく一方であった。悪あがきだ、と勘右衛門は指笛を吹き鳴らす。八左ヱ門の動物か、それか先輩方か、誰でもいい、気づいてくれさえすれば彼等なら、なんとか対処してくれるはずだ。そう願って、願って――、勘右衛門は一つの異変に気づいてしまった。
(――なんでこの森、鼠一匹見当たらないんだ?)
自分が足を踏み入れていた場所が、恐ろしいほどの静寂に包まれていることに気づいて、一気に寒気が襲う。八左ヱ門の動物たちは少なくとも一人ひとりの近くに待機しているはずでは無かったか。それでなくても、羽虫一匹飛んでいない、鳥の鳴き声さえ聞こえない。
現世のものでは無いような場所で、百の顔を持つ男が嬉しそうに声をあげた。全く、悪い夢じゃあるまいし。
「――お前達は狩られる側になったのさ。覚悟はできたか? 化け狸」
「化け狐が、よく言うよ」
首筋にひやりと金属の感触。憎らしいほどの正確さで鏢刀が首の皮一枚を攫っていった。
からりと音を立てて、勘右衛門の木札が落ちた。
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